僕と海を穿つもの
「さむっ……」
魔導二輪で海上を走る間展開していた"結界"を解除すると、たちどころに冷たい海風に晒された。反射的に首をすくめる。
山や、はたまた森の木々のような、風を遮るものが洋上にはまるでない。寒いだろうなとは思っていたが、実際に来てみると、その寒さは想像以上だ。
本格的に冬になれば、このあたりの海は氷に閉ざされて船も出せない時期があるという。冬になりかけである今はまだ、見渡す限りには氷が浮かんでいたりしないようだ。それでも吹き付ける風は冷気の刃となって容赦無く突き刺さってくる。
僕が生まれ育った寒村も、冬になれば雪が分厚く積もったものだけど、どうにも寒さの質が違う。故郷の寒さが体の奥にじわじわ染みこんでくる冷気だとすれば、ここの寒さは風の当たる面を滅多刺しにされるようなそれだ。寒いは寒いけれど、どちらかというと痛いのほうが近い。
それなりに厚着をしてきたつもりだったけど、そんな僕をせせら笑い冷気が貫通してくる。
宙靴の下は一面の紺碧。ササザキ島とヘムベ島の端が遠景に見える他には、見渡す限りが海に埋め尽くされている。霧でも出ようものならすぐにでも方向感覚を見失ってしまいそうだ。
まあ僕に限っていえば、どんな悪天候であろうとも遭難の危険はないだろうけど。
「方位、地盤強度ともに、現在の座標で問題ありません」
「わかった。ありがと」
「良妻ですもの。お安い御用です」
僕にとっては見渡す限り代わり映えのない海に見えるのだけれど、魔導機兵たるシャロンにとっては位置の把握など造作もない。はぐれない限りは洋上でも迷う心配はない。もしはぐれても見つけてくれるだろうという楽観もある。
舞い降りてきたシャロンは口で「むぎゅー」と言いながら僕の背中にぶら下がるように抱きついてくる。ほとんど重量を感じないので、僕が重くないように背面に展開した〝蒼月の翼〟で調整しているのだろう。体温も調節してくれているようで、いまのシャロンの全身は暖炉でよく温めた懐炉の石もかくやのぬくもりだ。寒さで縮こまっていた頬が思わず緩む。さりげない気遣いがありがたい。
地質調査も重量軽減も、体温調節にしたって一般的な良妻には難しいだろうけど、シャロンのいう良妻はRYOSAIという別物なので気にしてはいけない。
島喰みの解体作業の陣頭指揮はリリィやレピスに任せ、これから僕らは島と島を繋ぐ壁を築く作業に入る。
まず手始めに、ササザキ島とヘムベ島のほぼ真ん中にあたるこの場所に支柱を立てていく。柱は壁を支える意味もあるけど、目印としての意味合いも大きい。目標物に乏しい洋上では、まっすぐ進んでいるつもりでも容易に蛇行してしまう。ある程度の間隔で柱を立てておけば、それを目印に柱と柱の間を壁で結んでいけばいい。
寒いのを承知で"結界"を解除したのも、この柱を生成するためだ。
それというのも、海上で柱を作ろうと思ったら"創岩"術式と"念動"術式を二重詠唱する必要がある。しかもその柱は海面から海底を突き刺してなお余る大きさときた。島喰みほどではあるまいが、それでもかなりの重量になる。風を遮るための"結界"にまで割く余力がないのだ。
"創岩"術式に使う砂を、砂専用の倉庫改から取り出して柱を形成する。
砂専用倉庫改にはグレス大荒野の丘をまるまる3つ砕いた砂が納められている。丘を3つ砕いた分に相当する量、ではない。実際に3つ砕いて砂にしたやつだ。荒野を越えるのに邪魔な位置にあった丘だから、そこに住んでいた魔物以外には迷惑をかけていないはずだ。もちろん逃げ遅れた魔物は全部素材として丁重に扱っている。シャロンにいわせれば「いのちだいじに」ってやつだ。
これだけ大量の砂を異空間に保管するには、維持しておくためにもそこそこの魔力を常時消費し続けている。だいたい3日で中位の魔石1個分くらいかな。
島喰み討伐によって稼いだ名声だけでなく領土拡張計画も実行に移す背景には、これを使わないまま帰路につくのは、砂を集めた労力や費やした魔石が勿体なさすぎるという思いもある。
作るのは、ガムレルでいえば門のすぐそばにある物見櫓くらいの太さの、超硬岩製のまっしろい石柱だ。
圧縮砂岩は砂だけで生成できるけど、超硬岩を作ろうと思うと強い魔力を帯びた触媒を芯にするやり方が手っ取り早い。触媒としてはあらかじめ銀を用意してあったけど、島喰みの毛でいい感じに代用できそうだったので、今回はそれを試してみることにした。大量に手に入ったしな。
――こうして考えてみると、島喰みは僕らの糧になるために現れたみたいだな。これが海の恵みってやつなのだろう。ありがたいことだ。
恵みを無駄にしないよう、できる限り素材を活かし切るのは僕に課せられた責務だろう。いのちだいじに、だな。帰るまでにもう一匹くらい出てきてくれてもいいぞ。
作る石柱の太さは物見櫓程度でも、長さは櫓の何倍にも匹敵する。
先端は尖らせ、その表面にはらせん状の溝を形成しておく。その威容ときたら、まるで海を貫く神の槍のようだ。
もののついでに島喰みの髄液も混ぜ込んで、魔物避けを施しておく。これで、島喰みより弱い魔物はこの柱の側に寄るのを嫌がるはずだ。
そういえば、このあたりには魔物どころか魚も全然いないな。もしかしたら魔物避けはいらなかったかもしれないな……いやうん、わかってる。ほんとはわかってるよ。僕がいるから生き物が寄ってこないってことは。うん。島喰みくらいだよ、自分から近づいてきてくれたやつは。また来てもいいよ。
――っと、思考が逸れたな。これらの加工全部を"念動"で浮かせながら行うのは結構な重労働で、なんとか形になった頃には寒さを忘れていた。頬を伝ってきた汗を手の甲でぐいと拭う。
「よし、こんなもんかな。こいつをどう思う?」
「すごく、大きいです」
シャロンが楽しげな声で応じる。問題なさそうだ。
「じゃあ、あとは任せた」
「はい。任されました。きゅーそくせんこー!」
シャロンの掛け声と共にぱぁっと中空に魔法陣がまたたいた。
陣からずるりと滑り落ちるように海上に出現したのは、巨大な異形だ。ムー爺の超硬岩石兵並みの大質量。シャロンが遠隔操作する、水中作業用のゴーレム『岩蜘蛛』だ。
岩蜘蛛は盛大に水飛沫をあげ、一直線に海底を目指して沈んでいく。
材質はおなじみ圧縮砂岩で、術式も石兵のものをほぼ転用しており、いじった部分も海水への耐性を引き上げる部分くらいなのでゴーレムには違いないのだが、その形状は人型からはかけ離れている。
切り落とされた手首から先が4つ、それぞれ根元部分で繋がっているような形をしている。あえて近いものをあげるならば岩でできた巨大な蜘蛛か何かに見えなくもない。そこからついた名が『岩蜘蛛』ってわけだ。
この形状は、海底の不安定な足場でも3つの手で踏ん張り、残るひとつの手で作業を行うことを意図したものだが、まるで悪夢からずるりと抜け出てきたような強烈な奇怪さがある。核が濃い紫に輝いているのが余計に怪しい。
シャロンの要求通りに作ったはずだけど、途中で何度も不安になって確認をしてしまったくらいには歪な造形だ。人通りの絶えた暗い路地でこんなのと遭遇したら、叫んで逃げるよ僕は。いや大通りでも嫌だけどさ。
「あいはぶこんとろーる!」
あまりに人型からかけ離れすぎているために、転倒させるばかりで僕にはうまく同期操作することができなかったそれを、シャロンは易々と操ってみせる。
超硬岩の柱がぐるぐる回る。シャロンの操作する岩蜘蛛が柱を海底に突き刺して、深くまで捩じ込んでいるのだ。
海面からは、家を縦に2つ重ねたよりも少し高いところまで白い柱の頭が出ている。
高い波が来ても海水が壁を越えることがないよう、”結界”などの魔術的な防護手段は盛り込むつもりだが、それはあくまでも非常用。普段から水が壁を越えるようでは話にならないので、これくらいの高さは必要なのだ。
途中でササザキ島に戻って昼食を挟んだりしながら、この日は同じようにして全部で5本の柱を打ち立てた。
最後の方になると慣れてきて柱を生成する速度も上がってきたけど、夕日が海面に反射して眩しすぎたため、作業はそこで終えることにした。
夕食は白爵のお屋敷で食べる。
炙った薄切り肉に塩とハーブを振りかけ、モロコの粉で作ったという平たいパンに挟んだものと、肉がごろごろ入ったスープ。それに酒のアテ用と思われる、細かく刻んだ燻製肉。どっちを向いても肉、肉、肉の、肉尽くしな食卓だ。
「わたくし、そろそろ一生分のお肉をいただいた気がしますわ」
レピスが眠そうに目を擦りながら呟く。昨日の昼、夜、徹夜中の夜食、朝食に、完成した燻製小屋の試作品、昼食、おやつときて夕食までバミ肉なのだから、ぼやきたくなる気持ちもわからないでもない。まだしばらくは肉尽くしが続くのを理解しているのだろう、声には少しも覇気がない。
「我が国では肉が食卓にのぼること自体が珍しいものですから」
「そっか、普段は魚が主なのか」
「左様でございます」
うしろに控えたミーシャからの注釈。まあ無理もないか。食べ慣れた食事による安心感とか満足感ってのは案外馬鹿にならないものだ。
あと単純に、顎が疲れるというのもある。バミ肉はぷりっとした弾力のある肉質で、けっこう硬めな上に飲み込むまでにそれなりに咀嚼を要する。僕でさえそうなのだから、ただでさえ肉を食べ慣れていない面々には余計に大変かもしれん。持続回復薬茶でも作っておくか。自然回復力を高めておけば、胃にも顎の筋肉にも効くだろう。
「そういえば白爵もなんか悪いんだっけ?」
リリィからたしかそんなことを聞いたような、と思い出して話を振ると、こちらをちらちらと盗み見ながらも静かに食事をすすめていた白爵の肩がびくんと跳ねた。
「どどどど、どういう意味ですかな、なな、なにかご気分を損ねることでもいたしましたでしょうか。わ、わたくしめには魔女様に歯向かう意思などこれっぽっちもございません! あなた様に忠誠の全てを捧げますとも!」
「お、おう!? いや、忠誠は王家に捧げてやりなよ。ほら、レピスが怒るよ」
「わたくしはどうでもいいですわー」
「滅茶苦茶なげやりだなぁ……」
レピスのやつ、もう半分くらい寝てないか? あとでミーシャに叱られるぞ。
それはそれとして、白爵の過剰な反応はなんなのか。
「白爵様。我が主人のお師匠様たるスカーレット様は、白爵様の叛意を訊ねてはおりません。ご体調を案じておいでです」
「こ、これは失礼いたしました。お心遣いに感謝いたします。しかし魔女様に気にかけていただくほどのことはございませぬゆえ……」
白爵はしどろもどろになりながら、引き攣った顔で前髪が随分寂しいことになった額を拭う。
どういうこと? と僕はちらりと横目でリリィをうかがう。
「白爵様は寄生虫に蝕まれておりますので治療をお願いします」
「はいよ。それで、あの狼狽えようはなに?」
「推測になりますが、シュク島を管理しておられる白爵様のご子息夫妻が、海賊と手を組んでこの島を襲っていたことに勘付かれたのかとお考えになったのでしょう。スカーレット様の強大なお力は浜辺からもよく見えましたから、万が一にもご機嫌を損ねられないと判断されるのは合理的です」
「な、……なな、に、を……」
は? なにが、なんて?
シュク島は、ここササザキ島、ヘムベ島と並んで壁で繋ぐ予定の島だったはずだ。
食卓に爆弾発言を投下したリリィはいつものとおりの無表情。対する白爵はその爵位の示すように顔から血の気をなくして、ぶるぶると震え、はくはくと口を動かすものの、まるで言葉にならない様子だ。
なに、まだひと悶着ある感じなの?
問題多いな、この領地。これでよく今までやってこられたもんだ――って、財政破綻してたんだっけか。やってこられてないじゃん。