僕と原初の魔女 そのいち
あれだけ夜通し飲んで騒いでいたというのに、島民たちの大半は朝から普通に起きてきて、網を乾したり水桶を運んだりといった活動を始めた。翌日はまるで使い物にならないと思っていたのだけれど、海の民は元気だな。中には青白い顔をしてげぇげぇやってるのもいるけど、大部分はけろりとしたもんだ。
ちなみに白爵もげぇげぇ組の一員だったりする。やけっぱちになって呑みまくってたので、さもありなんといったところである。
肉が効いたのか減税が効いたのか、はたまた姫殿下の威光ゆえか、ササザキ島の民はおおむね協力的だ。彼らには今日から〝島喰み〟の解体に従事してもらう。
人手が多いのは助かる。肉がだめになる前にどれだけ毟り取れるか、時間との勝負になるからな。
肉をできるだけ長持ちをさせるため、魔術で山のような巨体のうち尻尾側の半分ほどを氷漬けにしておいたので、凍っていない部分から肉や脂、毛などの素材を切り出し、仕分け、加工してもらう。
といっても切り出すだけでまず一苦労だ。普通のナイフではぎっちり詰まった肉に弾き返されるし、そもそも長さが足りなすぎる。
そのため、漁村の鍛冶屋が在庫で抱えていた2本の青銅の剣を買い上げ、そこに魔石インクで"剥離"術式を刻みこんだ。ひとまずはこれを交代で使ってもらう。
あの巨体を支えられるほどに引き締まった〝島喰み〟の肉を切り出すため、それなりに強力な付与を施してあるので、誤って人に当てようものなら、その拍子に皮膚が全部べろんと剥がれかねない凶悪な武器に仕上がっている。もしそうなっても治せなくはないけど、剥がしたほうも剥がされたほうも心に傷を負いかねないので、気を付けて扱ってもらいたい。
肉は燻製や塩漬けのような保存の効く形に。紐で縛って燻したり、塩を塗り込んだりして吊るしておく。
分厚い皮下脂肪は切り出したあと、さらに農具で細かくばらばらにして、大きな窯で煮る。そうして浮いてきた油を油壺に貯める。こうして採れた油には独特の匂いがあるものの、灯りとしては優秀だ。
人体に害のある成分は含まれていない、とシャロンとリリィが請け負ったため食用にも使えるかもしれない。匂いをどうするかは料理人次第ってところか。
革のなめしや船の防水にも使えるので、油はいくらあっても困らない。
「〝島喰み〟の油なのでバミ油ですわね。うふふふ、これは売れますわ。外貨獲得ですわー! じゃぶじゃぶですわー!」
と、寝ぼけ眼をこすりながらレピスはほくそ笑んだ。
燻製小屋を作って徹夜したので気分が高揚しているみたいだ。
島喰み油(レピスいわくバミ油)がどれほど採れるかは未知数だが、島中の油壺を満たしても到底入り切る量でないのはすでに確定しており、女子供が率先して壺の量産に取り組んでいる。
”創岩”魔術を使って壺のようなものを作れなくもないのだけど、密度の関係でかなり重くなってしまう。運搬の利便性を考えたら、面倒でも粘土を捏ねて作ったほうが取り回しが良いだろう。
海を隔てても壺の作り方なんかはそう変わらないようだ。粘土に砂を混ぜて捏ね、壺の形を作っていく。乾いたときにひび割れがおきないように、継ぎ目はとくに慎重に伸ばし、粘土を塗り固める。
エタリウム諸島ならではの部分としては装飾だろうか。彼らは壺の表面に貝や魚の骨を押し当てて模様を付け、その模様に沿って乾いたあとに染色を施すようだ。
ガムレルにも壺屋はあるけど、あそこで扱っているものは壺の口や持ち手の形に装飾を施したものが主だったように思われる。このへんは地域差なんだろうな。
あとは何日か天日干しして割れがないのを確認し、たくさんの壺を並べて寝かしていく。上から藁や薪をかぶせ、焼く。このとき、頑丈な壺になるようにレントの枝や葉を一緒に焼べるおまじないをするという。
そういうことなら、と昨日採ったレントの枝をいくらか渡したら目をまんまるにして驚かれた。なんでも、塩水で傷んでないレントの枝は珍しく、縁起がいいのだという。
僕のまわりをうろちょろしていた子供たちによるレントの葉の奪い合いが発生しそうな険悪な空気を感じたので、ひとり1枚ずつ手渡ししてやると歓声をあげてさらに遠くからもわらわらと群がってきた。おいせめて並べ。そんでもって大人まで群がって来てるのはどういうことだ。
「大人気ですわね、原初の魔女様?」
群がる人々をあらかた捌き終えると、僕が人々に群がられている間は遠巻きにしていたレピスがにまにま笑った。
『原初の魔女』は昨日の演説でレピスが僕――というかスカーレットに押し付けた称号みたいなものだ。昨日は『原初の魔女の血を受け継ぐ』みたいな話をしていたはずなのに、島民たちからは魔女様、魔女様と呼ばれている。僕自身が『原初の魔女様』であるかのような扱いだ。
「そもそも誰なんだよ、原初の魔女」
「えっ?」
「えっ?」
この疑問は僕としては当然のものだったのだけれど、レピスにとっては予想外のものだったらしい。
彼女は怪訝そうに眉をしかめて硬直し、やがて僕が本当に知らなさそうだと判断してか、深くため息をついた。
「スカーレット様のおられた地域では伝承されていないなんて、考えてもいませんでしたわ。これはうっかりレピスちゃんですわね」
原初の魔女とは、どうも、レピス――というかエタリウムの人々にとっては知っているのが当たり前の存在らしい。それはそれとしてレピスのテンションが変に高いのがちょいちょい気になる。うっかりレピスちゃんて。
「原初の魔女はこの国の成り立ちに深く関わっていますの。ときに、スカーレット様はこの国で主に信仰されている神性についてご存知かしら?」
「いや。なんだっけ、水神?」
たしかそんなような話をどこかのタイミングで聞いた気がする、と思ったがどうやらハズレらしく、レピスはふるふると小さく首を左右に動かす。
「海神様ですわ。海神メルゼ様。全ての海を産んだ女神様と語り伝えられています。海神様を象徴するのは海蒼色。この色は一部の例外を除いて王族でも身に着けることを許されませんの。その例外というのが、これですわね」
そう言ってレピスは耳にかかった銀の髪をわずかにかき上げてみせる。
「へえ。これは」
レピスの右耳にぶら下がっている装飾品についている石は、なるほど、海の色と言われると納得の複雑な色を宿していた。
青よりも淡く、それと同時に全てを包み込む海の深みを感じさせ、まるでその内側に星を宿しているかのように神秘的に輝く。
かつてのシンドリヒト王国での特産品だったというメェルゼック鉱石と色味が近い。メェルゼックは海神メルゼと名が似ているし、語源を同じくするのかもしれない。
宝石の類は魔力の浸透性が高いものが多い。レピスのこれもそうなのだろうかと興味が湧いてくる。
現状、僕が手がける魔道具の動力源には魔石を使うことが多いのだけれど、魔石から魔力を取り出して術式へと繋ぎ込む部分にどうしても無駄が発生してしまうのだ。魔力浸透させやすい石があれば、もっと効率の良い魔道具への道が拓ける。出力を担保するために大きな魔石を用意する手間が省けるなら最高だ。より小さく、安価に作れるようになるからな。
「そ、そんなに熱い視線を注がれると恥ずかしいですわっ。これ以上は別料金です、娶ってもらいますわよっ!」
いつのまにか吐息がかかるほどの距離にまで近付いていたレピスは慌てて髪を下ろし、ぱたぱたと手を振った。頬はほんのり赤く染まっている。
「こほん。この貴石は海神の涙といい、王家でもわずか数点しか保有していない希少品ですの」
「貴重な石なのか。よく持ってたな、そんなの」
そんな珍しいものなら、良い性質を持っていたとしても魔道具の素材にはできなさそうだ。残念。
「これはわたくしが国を出る際に賜った至宝ですの。けれど……いまにして思えば……わたくしの死を、これで担保したかったのかもしれませんわね」
嫌な推測に思い至ってしまったレピスは、目を伏せ、やや俯きがちに下唇を噛み締める。
もしレピスの暗殺があのときに成功していた場合。死んだのが影武者ではなく間違いなくレピス本人だと担保するのに、王家にもいくつかしかない珍しい品なら確かにうってつけってことか。
国のためになるならばと己の全てを賭け、見知らぬ国の見知らぬ男の元へと嫁ぐ覚悟を固め。なけなしのその覚悟さえ踏みにじられて、用意周到に、家族から命を狙われていたのだと突きつけられる心痛とは、いかほどのものだろう。俯いた暗い瞳は何を見ているともしれない。
僕は気付いている。いつからか、レピスがエタリウムのことを『祖国』や『故郷』のような呼び方をせず、ただ『この国』とそっけなく呼ぶようになっていることを。
己を捨ててでも国のために尽くそうとした少女にとって、ここはもう帰るべき場所ではないのだろう。
耳朶を打つ波の音がやけにうるさい。
僕の手を取ろうとして躊躇したのであろう。迷ったレピスの指がもにょもにょしていたのを視界の端に見つけてしまったので、仕方なく僕のほうから手をとる。ひとりぼっちになってしまった僕に、かつてシャロンがそうしてくれたように。
気休めだろうがなんだろうが、少しでも少女の心細さを追い払えればいいと願いながら。
レピスの手は、これまでおおよそ荒事とは無縁で生きてきたのであろう、小さく、ほっそりとした手だ。きめ細やかな色白の肌に、夜通し塗り固めていた粘土が貼り付いて、その部分だけがかさかさと固まっている。
少し驚いたように息を飲んだレピスのほうは見ないことにする。別に気恥ずかしいとかそんなんじゃない。話が進まないからだ。それだけだ。それだけだぞ。
「それで? その海神様と原初の魔女がどう関係するんだ?」
僕の急な話題転換には特別何も言わず、レピスはわずかに手に力をこめ、指を絡ませてくる。
「……そうでしたわね。さきほど申し上げましたとおり、海神様を象徴するのは海蒼の色彩ですわ。そして遥か昔、この世に危機が訪れしとき――海神様とともに厄災を討ち払ったと伝えられし勇者。そのお方は鮮烈な赤き勇者として伝承されております。この国の島々が分かたれたのも厄災との戦いの影響と言われておりますわ」
ここに来て、意外なやつが出てきたものだ。赤い勇者と聞いて思い浮かべるのはひとりしかいない。
そいつと戦ったことあるぞ、僕。シャロンとふたり掛かりでまったく相手にならなかったけど。なんなら僕とシャロンが負けたフリージアですら一蹴されていたけど。
島の成り立ちについても、あながちただの伝説、空想であると切り捨てることはできない。
〝島喰み〟を倒し、船で引っ張っている時にシャロンが言っていたのだ。エタリウムの島々は不自然だと。今の海流から逆算してこんな形状になるのはおかしい、と。まるで、何か巨大な生物が転んだり、大暴れした跡のようだ、とかなんとか。
その時の僕は島喰みの寄生虫をほじくったり船を操作するのに忙しくて話半分にしか聞いていなかったが、勇者のあんちくしょうと『世界の災厄』が暴れ回ったのがこのあたりだとしても否定する根拠はない。災厄の断片を封じてあったのも海だったしな。ここじゃないけど。
「そして赤き勇者様と海神メルゼ様の間に御生誕あそばした尊き御方こそ、誰あろう『原初の魔」
「えっ、あいつ子供いたの!?」
「えっ」
「あ、すまん」
思わずびっくりして声を張り上げてしまった。レピスは目を白黒とさせ、そればかりか近くで壺を拵えていた子供たちが『なんだなんだ』と寄ってくる。なかには手を繋いでいる僕らをひやかしてくるやつもいる。ええい寄るな。ひやかすな。そんで大人は仕事に戻れ。ゆりたすかるってなんだよ勝手に助かんな。