僕とエタリウム2日目の朝
モロコとかいう草の実をすり潰し、粉にしたものを溶いた粥と、煮た魚、不思議な匂いのする白く濁った酒。
レピスラシア御一行を迎える準備がまだ整っていない、と白爵家の執事がしどろもどろに言い訳していたとおり、その日の夕餉は王族をもてなすには質素なものだった、と思う。いやまぁ僕は本来あるべき王族をもてなす食事がどんなものか知らないし、なんとなくの雰囲気だけども。普通はなんかいい感じの肉とか果物とか何十年がどうとかの酒が出てくるんじゃなかろうか。知らんが。
旅の道中も主にアーシャの用意してくれた保存食を食べていたので、味の薄い粥と、やたらと塩っぽい魚には惹かれるものを感じなかった。が、白く濁った酒は飲んだあとに妙な風味が喉に残るものの、甘みがあって飲みやすい。
たいして酒が得意でもない僕が楽しめるのだから、酒好きのアーニャには物足りないかもしれないが、ものは試しだ。帰りに土産として買って帰ろう。
白爵家の当主は食事時にも姿を現さなかった。執事の人が言うには肉とか化け物とか魘されているとか。港でも突然気を失ってしまったし、体が強くないのだろう。リリィの見立てでは臓器が寄生虫に蝕まれているそうなので、症状を”視”てそのうち虫下しを作ってやろう。
「スカーレット様はわたくしの護衛。つまりわたくしのすぐ隣で添い寝するべきではなくて? おはようからおやすみまで傍で守ってくださるものではなくて?」
「おやすみからおはようまでの間は管轄外だろ、それ」
「そんなご無体なっ!」
当然のように僕と添い寝する気なシャロンとリリィに対抗して、レピスがごねる一幕を挟んだものの、最終的にはミーシャの無言の圧力に耐えかねてしぶしぶ自分に割り当てられた部屋へと戻って行った。恨みがましくちらっ、ちらっ、と何度もこちらを振り返っていたのが小動物っぽい。
そこまで不安がらなくてもシャロンたちがいるから侵入者への備えは十分だろうし、"結界"も張り、護衛のゴーレムも置いてある。そんじょそこらの王宮よりも安全なんじゃなかろうか。いやまぁ僕は実際の王族の住まいのことはなんも知らんが。
「それでは、わたくしどももこれで失礼いたします」
深く頭を下げたミーシャがレピスの部屋に消えたのを見計らい、僕らも自分たちの部屋へと引きあげる。
レピスの隣の部屋だ。緊急時には壁をぶち抜けばいいので、護衛をするにはちょうどいい距離だろう。
ここは先に潜入していたリリィが使っていた客室とのことで、部屋の中にはベッド以外には棚がひとつ備え付けてあるだけの質素な作りだった。
窓もないため廊下側の扉を閉めてしまえばまっくらになってしまうが、リリィがすかさず取り出した魔石灯の明かりがあれば十分だ。
「さすがに疲れたよ」
「監視もついていないので、どうぞ元の姿でお休みください」
シャロンがそう言うのであれば大丈夫なんだろう。
部屋にいるのはシャロンとリリィだけだ。女体化を解除してひと息入れたら、どっと疲れが出た。なんだかんだ言って気を張ってたのかもしれん。
女体化の影響か、胸がかなり軽く感じる。肩凝ったなぁ。首をまわすとすっごいバキバキ鳴る。
されるがままにシャロンに服を脱がされ、リリィに湯で体を拭いてもらう。
お湯は火蜥蜴の革袋で出したものだな。水を入れて放っておいたらお湯になる。簡単な作りだが壊れにくい、便利な魔道具だ。湯は熱いと感じるほどの温度ではなく、ほどよくじんわり染み渡る。
リリィが丁寧に拭うたび、汗や潮風、〝島喰み〟の返り血やら何やらでべとべとになっていた髪や肌がさっぱりして気持ちいい。心地良さのついでに眠気が足元から這い上がってくる。
「されるがままのねむねむあるじ、控え目に表現して最高では?」
「オスカーさんはいついかなるときも最高ですが、ねむねむ状態がとみにかわいらしいのは同意します。ちなみに私の記録領域には、ねむねむオスカーさんの関連動画が146件、合計102時間15分20秒存在します」
「正妻マウントをとってくる妹、控え目に表現して最低では? 潜入工作をこなした私にもご褒美があってもいいと思います。そう、たとえばこのままあるじといちゃいちゃしても今日は邪魔しないとか」
「それは構いませんけど、もう寝てますよオスカーさん」
「なんと」
おきてる、おきてるぞまだ。まぶたは完全にくっついてるが。
朝。アーニャやリジットと日課にしている朝の鍛錬がないのでもうちょっと寝ていても良さそうだけど、目が覚めてしまった。久々にしっかり寝たおかげで頭も痛くない。快調だ。
ベッドに入った記憶はないが、シャロンたちが運んでくれたんだろう。夜中に起こされることもなく、レピスの部屋とこちらの部屋を隔てる壁はぶち抜かれることもなく、まだそこにある。
うーん! と思いっきりノビをしようとして、失敗。見れば、右手はシャロン、左手はリリィと繋いで寝ていたみたいだ。
「おはようございます、オスカーさん」
「おはようございます。あるじ」
二対、四つの輝く蒼い瞳が左右から覗き込んでくる。
僕が全裸なのは、体を拭いてもらっている間に寝てしまったような気がするのでまあ、そういうこともあるだろう。なんか着せといてほしかったけどさ。それは置いておくとしても、なんで君らまで全裸なの? ――という疑問は丸ごと全部飲み込んだ。どうせ聞いても服の脱げ具合の好みを確認されたりするだけだというのを、僕は経験則から知っているのだ。
「ああ、うん……おはよう」
こうして、エタリウム諸島連合王国上陸2日目が、はじまった。
今日は、昨日浜に置き去ってきた〝島喰み〟の処理をする。
島民たちがさぞ大騒ぎしているだろうけど、レピスをうまいこと使っておさめる作戦をシャロンとリリィが用意したそうだ。なんでも、民衆を焚き付け、レピスの存在を知らしめる大舞台だとかなんとか。
必要な魔道具は僕が用意することになるが、大して手間が掛かるものでもない。朝食を終え、レピスの準備が終わるまでにある程度の下準備をしておく。
鉄板に、”燃焼”術式を刻んだ小魔石をいくつか。石室を作る準備。これは現地で"創岩"すればいいので、その分の砂があればいい。そんであとは燻製用の木の枝、だったか。
肉はそのままだとあまり日持ちしないが、燻製にすれば長い間食べられる。
今度こそ誰に邪魔されることもなく、んんーっ! と大きく伸びをする。
誰に見られるとも知れないので、部屋を出る前に僕は『スカーレット嬢』の姿になっている。おっぱい重い。大きなおっぱいは見る分にはいいが、着けるには大変だという学びを得た。ガムレルに帰ったらリジットに教えてやろう。
さて、燻製に使う木の枝は乾いた小枝で、さらに香りが良いものが望ましい。
なにかに役立つかもしれないので、僕の”倉庫改”には材木をはじめ多種多様な素材が詰め込んであるが、さすがに小枝を大量に集めていたりはしない。いい感じの棒を見つけたら拾ってるけど、あれらは燻製に使うためのものじゃないからな。
この島はごつごつした岩が主体で植物は少なく、農業に不向きである――みたいな話を聞いていたわりには、白爵の屋敷の裏手からしばらく山を下ったあたりに木が密集している地点があったので、ひとまずそこに向かうことにした。
動物はあまりいないのか、とくに動くものは見受けられず、”探知”術式にも引っかかるものは……いや待て、なんか木立全体が魔力を帯びているみたいだぞ。
ざわざわと大きく木が揺れ、さぞ強力な魔物でも出てくるのかと思ったら、なんと木自体が魔物だったようである。
見上げるほど大きな太い木の幹をぶぉんぶぉんとしならせて、なんかパッと見た感じ、僕を近づけまいと必死になって振り回しているように見えなくもないが、逃げずに立ち向かって来たということはそんじょそこらの魔物より強いのかもしれん。気を引き締めていこう。
「”剥離”」
先手必勝とばかりに、有無を言わさず枝という枝をぶち折り、葉を毟り取っていく。
枝の先には拳大ほどの黄色い実がついているのもあり、結構な魔力が詰まっているようだ。あとでじっくり調べてみよう。
「それたぶん、というか確実に連徒ですわよ」
木の枝を集めて白いお屋敷に戻ったら、朝からなにをやっているのかと呆れ顔のレピスに出迎えられた。
「レント?」
「島主を悩ませる木の怪――ゼイルメリア王国流に言えば、魔物でございます。連徒が勢力を拡大せぬよう、定期的に討伐隊が募られますね」
「へぇ」
狩っちゃ駄目なやつだったら困ると思って枝や実をもらってくるだけに留めたけど、ミーシャの言い分だと根本からごっそり行っても大丈夫なやつっぽいな。
「さいわい、根が張った場所からは動かないそうです。実がつくほどに育ちきってしまった個体を倒すには、3〜40人ほどで3日3晩海水を掛け続けて弱らせ、打ち倒すのだそうです」
でしたよね? とミーシャが振り向き、もうひとりの侍女や護衛の騎士が頷いて肯定を示す。あのふたりはレントの討伐に参加したことがあるのだろう。僕が遭遇したのはたまたま弱いやつだったのか、もしくは寝起きだったのかも。労せず実が手に入ったので、かなり運が良かったに違いない。
「燻製に使えるかな?」
「どう、でしょうね……。その……燻製に、というのは耳にした覚えがございません。綺麗な状態でレントの枝が手に入ることは稀でございます。そういったものは我が国では魔除けとして珍重されております」
申しわけございません、とミーシャは深々と頭を下げる。
知らないものはしょうがないので、そこまで恐縮されてしまうと僕も調子が狂うな。
どうしたものか、と思っていると、レピスがなんとなくそわそわしているのが目に入った。うまいこと話が逸らせそうだ。
「レピスはどうかしたのか?」
「えっと、その。どうでしょうか。リリィ様がご用意してくださったのですが」
そう言って、レピスはその場で唐突にくるりと一周回ってみせた。
春の新緑を思わせる薄緑のスカートがふわりと踊る。
「お綺麗でございますよ、レピスラシア様」
自分の仕事に一切の妥協をしないミーシャが――いや、なんか僕の言動については最近諦められてる気がせんでもないけど、ともかくミーシャが請け負ってもレピスはどこか不安そうな表情のままである。
「ど、どうですか旦那さ……スカーレット様」
「どうって」
「その、えっと、綺麗、ですか?」
「うーん、いつもと変わんないけど」
「そう、ですか……」
途端、レピスはお酒を取り上げられたアーニャのようにシュンと俯いてしまう。
ミーシャじゃないほうの侍女がすごい目でこっちを見ている。なんだ、あれか。伝え方がまずいのか。
「いつも通り最高に綺麗だよ」
「へ……? はわ、はわわわ、はわわわわわ!」
リリィの用意したドレスは、マッサージ機能のない簡易版の『保衣眠』で洗濯済みである。
海辺ではすぐにスライムが変質してしまうので、小魔石で作り出した簡易版保衣眠をほぼ使い捨てにする必要がある。その甲斐あって服は最高に綺麗な状態を保っているのだ。
旅の道中も、この簡易版保衣眠で服の汚れを落としていたので、いつもと綺麗さは変わらないのだが、なにせ大舞台前だ。緊張から不安にでもなっていたのだろう。
「えへ、えへへぇ」
ぽわぽわと頬をほんのり染めたレピスは嬉しそうで、これには侍女もにっこりである。
喜ぶ気持ちはわかるよ、綺麗な服はそれだけで気分が上がるってもんだ。
ただ、なぜかミーシャからは呆れたような、なんともいえない視線が飛んでくるのだ。
なんだよ、そんな目で見なくてもミーシャの服も最高に綺麗にしてあるよ。