僕とレピスと馬車の中
山羊を潰して馬を飼う。
このあたりでの『見栄ばかりの愚か者』を意味する言葉だという。
エタリウムには馬があまりいない。
国自体が小島の集まりなので活用できる場所が限られ、牧草地も少ないことから飼い葉の確保にも一苦労。それよりは毛が採れ、乳が採れ、肉も食べられ、その上あまり手もかからない山羊のほうがいい。それなのに見栄えを取り繕うためだけに馬を飼うなんて愚か者のすることだ、ってな具合らしい。
場所が変われば価値観も違うってことだな。
僕らが訪ねる白爵家も保有している馬は一頭だけで、馬車も4人乗りのものがひとつきりしかなかったため、まず誰が誰と乗るかで一悶着あり、その次は誰がどこに座るかでもモメた。
まず馬車内部を改める意味もありシャロンが奥に腰掛け、向かいにレピスが座ったので、僕はシャロンの横に腰を降ろした。そうしたらなぜかリリィが僕の隣に体をねじ込んで来たのだ。
4人乗りの座席は前側に2人、後ろ側に2人が座り向かい合うのが本来の形なのだろうが、今は前側に3人固まっている。シャロンもリリィもすらりとした体型をしているため座れなくはないが、それでも手狭なことに変わりはなく、必然的に体が密着する。
「むぅー。ずるいです、わたくしもそっちがいいですわ!」
「前側大人気すぎるだろ」
なんなの、こっちのほうが景色がいいとかあるの?
いつまで経っても出発できないので、僕とシャロンがレピスと後側を交代しようとすると、それも嫌だという。ついでにリリィにも反対された。
「スカーレット様は、あるじとして単独任務を完璧にこなした配下に報いる必要があります。オスカニウムの供給を求めます」
「出た、謎物質」
現在のシャロンの動力『螺旋宝珠レクレスティア』は定期的に僕の魔力を充填する必要があるが、リリィのはそういった仕掛けのない普通の魔石だ。
僕に貼り付く必要はないはずなんだけど、ガムレルの町を出発する前はカトレアもちょいちょい寄って来ていたので、シャロンから変な影響を受けてるのかもしれん。
どうしてそうなった、と言いたいところではあるけれど、最終的に僕の膝の上にレピスが座る形で納得したようだ。前側4人、空いた後ろ側の座席には侍女ふたりが乗り込み、護衛の騎士が御者を務めることで、4人乗りの馬車でレピスラシア殿下御一行は一度に移動できることとなった。
白爵家の使いを名乗ってたおっさんが若干引いていたのは気のせいだと思う。うん。
ごとごとと、ようやく走りはじめた馬車が揺れる。
「あの、スカーレットさま、重くはありませんか?」
「いまさらすぎない?」
少しして、おずおずとレピスが問いかけてくるので、思わず笑ってしまった。
「はう。ええと、そのぅ。ちょっとムキになっちゃったというか、冷静になったら急に恥ずかしくなってきたというか」
「〝重量軽減〟掛けてるから大丈夫だよ。〝島喰み〟でも海に浮かべられるやつだぞ」
「アレと比べられるのはさすがに心外ですわよ? それに、魔力のほうは大丈夫ですの? だいぶ無理をしたのでしょう」
「ちょっと休んだし大丈夫だよ。重い荷物も置いてきたしな」
浜に置き去ってきた〝島喰み〟の肉塊さえなければ〝重量軽減〟くらいどうということはない。
魔力回復薬茶も飲んだし、回復速度のほうが魔力消費よりも速いくらいだ。疲れてるのは確かだけどな。
「ていうか座るならもっとちゃんと腰掛けろ。軽くなってるんだから、揺れで吹っ飛ぶぞ」
「ええと、それでは失礼して」
そう言いながらもレピスはまだどこか遠慮がちな座り方だ。ほんと、いまさらなにをためらっているんだか。
細いお腹に腕を回し、ぐいと後ろに引き寄せた。
「はわっ」
「ほら、じっとしてろ」
レピスはか細い鳴き声を発したのち、とくに暴れるでもなく腕の中で大人しくなる。
「護衛対象の心拍ならびに体温急上昇中」
「スカーレットさんはたまにこういう不意打ちをしますからねー」
「人聞きが悪い」
ちょうど、がたん、と大きく馬車が揺れ、バランスを崩しかけたレピスを片腕で抱えるようにして支えることができた。とくとくとく、と腕越しに伝わる鼓動がさらに速くなった気がする。
「ふふ」
そんな様子が面白かったのだろうか。思わず噛み殺し損ねたような笑い声が向かいの席から聞こえ、僕は少々驚いた。
その声は、旅の道中も厳しい表情をほとんど崩さなかったレピスの侍女長、ミーシャのものだったためだ。
僕からは膝に座っているレピスの後頭部しか見えず、彼女が今どんな表情をしているのかを窺い知ることはできないが、もうひとりの侍女も驚いているような気配があるので、相当珍しいことには違いないだろう。
「失礼いたしました」
こほん、と小さく咳払いをして、ミーシャはすぐ平静を取り戻したようだったが、レピスも気になったらしく、僕の膝の上でやや俯きがちになっていた頭を持ち上げた。さらさらと流れる銀の髪が僕の鼻先をくすぐっていく。
「珍しいわね、ミーシャが笑うなんて」
「これはお恥ずかしい」
「わたくしは嬉しいわよ、あなた、近頃思いつめた表情ばかりしていたから。毒のことなら気にしないでって、あれほど言ったのに」
僕がレピスと初めて会った日のことだ。
ミーシャは毒味を行っておきながら遅効性の毒を見抜けず、レピスの身を危険に晒してしまったことを今も気に病んでいるのだろうと思われた。が。
「あれ、でも……うーん。ミーシャが悲しい顔をしてるの、ここ数年ずっとだった気がするわね」
「それは――よく覚えておいでですね」
「あなたが教えてくださってよ? 臣下の表情の変化に気を配るのは高貴たるものの務めです、って」
「殿方の膝に座る所作などお教えした覚えはございませんけれどね」
「うぐっ……スカーレット様は淑女でいらっしゃるので問題ないですわ! そ、それよりも今はミーシャの話をしておりましてよ。話を逸らすのは無作法ではなくて?」
女の子に見えてるだけで僕が男であることに変わりはないのだけれど、それより淑女の膝に座る作法についてなら教えがあるのかのほうが気になりすぎる。王族にとって必要な振る舞いってことか?
感覚が違いすぎて『そんなわけない』と言い切れないあたりが庶民たる僕の限界だ。
「そう、ですわね……これも機運というものでしょうか」
いつも年齢を感じさせない、はきはきとした喋り方をするミーシャにしては珍しく、どこか躊躇いがちに感じられる。
「あー、僕らがいないほうがよければ、屋敷に着いてからにしたら?」
「いいえ、むしろスカーレット様、ならびにオスカー様の奥様方にこそ聞いていただきたきお話にございます」
「あ、そう……」
話す場を改めれば? という提案が逆にミーシャの気持ちを後押ししたらしい。
やっぱりレピスの後頭部しか見えないので、相変わらずその表情を窺うことはできないが。
「まずは、レピスラシア様をお救いいただいたこと、深く感謝申し上げます」
「解毒の話――ってわけじゃないのか」
「ええ。それも含んではございますが、それだけではございません」
それからミーシャが語ったのは、幼少の頃のレピスの話だった。
ところどころで「ふぉおお……」と僕の膝の上でレピスが身悶えしていたが、昔のレピスは天真爛漫で、庭を掘り返して粘土を捏ねて遊んだりする子だったらしい。ラシュと同じようなことやってんな。
それが変わったのが数年前。レピスの輿入れ先が過激派の一門に決まろうという時期だった。
腕の中で、レピスの体が緊張に強張ったので、すかさず脇腹をくすぐってやった。実は僕、脇腹をくすぐるのは結構自信がある。よくラシュをつついてはゲラゲラ笑わせているのだ。
「ほぁっ!? な、なにをするんですのっ!?」
「レピスがなんかくすぐってほしそうだったから」
「わたくしのせいですのっ!? ふぁっ、や、やめっ、……あっ……んんっ、ふぅっ……!」
やってから思ったけど、これ、不敬だとかで捕まったりせんよな?
「……レピスラシア様のかの家との婚姻関係は、王家との繋がりを持たせて一定の発言権を与えつつ、暴走を抑止するためのものでございました。表向きの理由は、ですが」
「ミーシャ、それ、はっ……はぅっ。脇腹、やめっ、んんぅ〜!」
じたじたもだもだ身悶えするわりに、レピスはむしろぐいぐいと体を押し付けてくる。くすぐられるのが好きなのかもしれん。ちょっと楽しくなってきてしまった。
「……なんだか深刻な話を打ち明けているのが馬鹿らしくなってきましたが、こんなあなただからレピスラシア様も心を許したのかもしれませんね」
「侍女長、よくこの空気で真面目な感想が出せますね。わたしなんか見てるだけで恥ずかしくなってきたんですが」
「あなたはあまり馴染みがないでしょうけれど、ああやってよく笑う子でしたのよ、レピスラシア様は」
笑いすぎて肩で息をしているレピスは、もうくすぐるフェイントをするだけでびくんと震えて笑い出すようになってしまった。うーん、やりすぎたか? 捕まりそうになったら逃げよう。
「表向きの理由がそれ、ということなら、真の理由は王家の都合が強いんですね」
「探りの会話を挟んでいただかなくとも結構でしてよ、シャロン様。あなた様にはすでに見当がついているのでしょう?」
「はい。狙いは派閥の解体。解体まではできずとも、内部分裂による弱体化は最低限ってところでしょうか」
「……ご明察でございます。本当に、恐ろしいほどに優秀でいらっしゃいますね」
「良妻ですから」
僕が逃走すべきか悩んでいる間に、シャロンはシャロンでミーシャに対してなぜか良妻アピールをしていた。
「あなた方が立てた此度の計画も期待できそうですね。〝島喰み〟に出くわしたときにはあまりの不幸を嘆いたものですが」
「〝島喰み〟も有効活用する台本をご用意しています。扇動を学んだお姫様がちょうどいらっしゃることですし」
「敵いませんね、シャロン様には。ええ、そうです。レピスラシア様に課せられた政略結婚は、婚姻関係を結び、子を成してさえ、誰も信用できぬ道でございました。家を弱らせ、派閥の弱みを探り、扇動し亀裂を入れる。主人を立てる傍らで足を引っ張り、自らの子に不和の種を吹き込み派閥の団結を崩せと。まさか、無尽のグリスリディアが一蹴されて派閥が壊滅するなどとは、誰も予想だにしませんでしたから」
全部たまたまの話でしかないが、僕の膝の上でぜぇはぁ身悶えしているレピスは、既定路線だとろくな人生が歩めなかったらしい。
やっぱり今からでもエタリウム王家潰したほうがよくないか? いやわかってるよ、シャロンの立てた計画のほうが最終的に僕の意を汲んだものになるだろうし、下手な動きをしてそれを歪めるわけにはいかないってことくらいは。ただ、むかつくものはむかつくのだ。
「それじゃ、さっき言ってたレピスを救ったって話はムー……尽のじいさんを倒したことか」
「はい。それと、その後のことも含めて、でしょうね」
「その後、ねえ」
なんかしたっけ? タコ獲ってきたこととか?
「レピスラシア様は日ごとに表情をなくされました。当然のことでありましょう。政略結婚までは王族の責務として捉えておいででも、その先に待つのも表向きは微笑みかけながら裏で伴侶を貶める人生。もしうまく派閥の解体が成っても、連座で自身も子も命を失いかねない、そんな道が提示されたのです。そういった非道の技術を教え込まれ、日に日に表情をなくしていくレピスラシア様を、非道に勘付いていながらわたくしは何もできず――ただ見守ることしかできませんでした」
ミーシャは、それこそ数年前にこの企みが動きはじめた頃からずっと、苦悩を抱えてきたのだろう。
それをいま懺悔しているのは――いや、なんで今なんだ?
「軽蔑、しましたか?」
「ん?」
「ミーシャの語った通りですわ。わたくしの婚姻は、相手を害する毒ですもの。わたくしにその意志がなくとも、それが知れた今、旦那さまに距離を置かれても仕方ありませんわ」
いつのまにかくすぐりから復帰していたレピスが、暗い声で言う。
ああ。なるほど。それで今か。
手を引くなら、エタリウムにまでレピスを送り届けた今をおいて他にないから。
そして移動中の馬車なら、漏れるとまずい会話も漏れにくい。
シャロンはともかくリリィまで同じ馬車に乗ると言って聞かなかったのは、決裂による口封じを警戒してってところか。
いやはやまったく。見縊られたもんだ。
「ミーシャは責めないでくださいまし。何もできなかったなんて言って、きっと陛下にそれとなく手を回してくれていたわ。一時期、そういった調略関連の教育が途切れてたことがあったもの」
いつものレピスと違い、平坦で硬い声が膝の上の少女から発せられている。
これがミーシャが数年にわたって見守り続けるしかなかった、何をも諦めたレピスの声か。普段のほうがいいな。よし、くすぐろう。
「……っふぁっ!? ちょぉっ、やめっ、ふっ、いま、わたくしまじめにっ……やぁっ!」
「よしよし、声は元に戻ったな」
「はぁ、はぁ……声、ですの?」
「そうそう。むすーっとしてるより、いつものレピスの声のほうが、ぽわぽわしてて可愛いだろ」
「っ……!」
腕の中のレピスがびくんと震える。今はそこまでくすぐっていない。
「護衛対象の心拍に乱れが発生」
「スカーレットさんは不意打ちの専門家ですからねー」
「人聞きが悪い」
なんだよ不意打ちの専門家って。暗殺 者か。
そんなに不意打ちしてなくない? 覚えがあるのは蛮族の本拠地埋め立てたのくらいだぞ。
「ミーシャもミーシャだ、回りくどいんだよ。レピスに表情が戻って嬉しいならそう言え。本人が嫌がる話をして僕らを試そうとするんじゃねぇよ」
「お叱り、いちいちごもっともにございます」
相変わらずレピスの後頭部に隠れて見えないが、ミーシャからの反駁はなかった。
手を引く? ここまで来ておいて、そんなわけないだろ。準備も万端なんだぞこっちは。
「そんでレピス」
「っ……はい」
「僕、絶対に王族ってやつにはなれないわ。政略結婚だ? 知るか馬鹿って言って飛び出しかねない」
「それは……旦那様が強いからですわ」
「いやー、どうかな? 今と違ってめちゃくちゃ弱っちいガキの頃にも、親と喧嘩して家出してるからなぁ」
しかも夜に嵐が来たおかげで死にかけてるしな。嫌だから逃げ出すのに強さとか関係ないわ。
あの時助けてくれた獣人の姉ちゃんたち、どこかで元気にしてるだろうか。
「むしろそんなひっどい任務を言い渡されて数年だっけ? 耐え切ってるレピスのほうが、よっぽど強いと僕は思うけど」
「そう、でしょうか……」
レピスは釈然としない様子だったが、馬車がガタンと揺れた拍子に、ちょっと腕に力を入れて抱き直すと、びくぅっと体を強張らせた。
やっぱりくすぐりすぎたっぽいな。体は正直だ。
「僕は王族なんてまっぴらごめんだよ。だからさ、レピスも今回の計画が終ったら王族やめたらいい」
「あの、えっと。いちおう、すでに王位継承権は返上済みですわ」
「王族やめるのってそれでいいのか。仕組みがわからん。そんじゃ、全部終ったらレピス = ハウレルな」
「っ!」
いやレピスラシア = ハウレルか?
なんかミドルネームも名乗ってた気がするけど、そのへんの扱いもわからん。シャロンに任せたらいい感じにしてくれるだろう。
「良妻ですからね」
「それな」
なんかひさしぶりだな、思考に直接返事されるの。
「レピス」
「っ、ひゃいっ!」
「レピスが旦那様って呼んでる男には頼れる妻に、音より速くなった猫耳妻、最近愛が重めな気がする猫耳妻、かわいい弟分に、距離感のおかしい友人、妻を名乗る妻の姉、あとなんか血に飢えた騎士とかも近くにいる」
「おいたわしやリジット義姉妻さま……」
「軽蔑されるとかは考えなくてもいいけど、出し抜こうとか考えてるようならやめたほうがいい」
「……そんなことしませんわ、とわたくしが言っても……信じてもらえるかどうかは別でしょう?」
「信じるって言っても不安にはなるだろうし、あとは行動で示すしかないよな。お互いにさ」
「示しますわ。なんとしてでも!」
レピスの声に気力が完全に戻ったと同時に、ようやく馬車が止まった。白爵のお屋敷とやらに着いたようだ。
さぁて、明日からは山羊を潰そうとする馬鹿野郎どもに、山羊の偉業を知らしめてやるとしようか!
侍女「なんかすごい闇深い話を聞いちゃった気がするんですけど、いまの話、わたし聞かなかったことにできませんかねぇ!?」
良妻「一蓮托生ですね」