僕と救済計画 そのご
音もなく、まるで氷上を滑るように乗り合い馬車が街道を往く。
外見上は特に変わり映えのない幌つき馬車を装っているが、さまざまな工夫を凝らした内部は見た目とは裏腹に快適そのものだ。
車輪の表面を弾力のあるスライムで覆い、路面の凹凸を緩和。車体の振動を大きく軽減するとともに、地面を掴む力は木の車輪と比べものにならないほどに強く、車輪の回転を前へ進む力へと効率よく変換する。
車体の床板の下にも薄いスライムの層を設けており、車輪との合わせ技で衝撃のほとんどを吸収。よっぽどの段差でもない限りは揺れを感じることがない。積み込んだ水瓶の水面に波紋が刻まれることすらないほどだ。長時間座りっぱなしでも、振動によって腰痛に苛まれる心配はないだろう。
幌は内と外とを隔てる簡易の結界になっている。〝認識阻害〟術式によって外から中の様子を窺いにくくなっており、〝物理障壁〟によって何発かの矢くらいなら弾き返す。さらには〝御風障壁〟で隙間風とも無縁だ。
揺れを吸収する床下のスライムは火炎スライムに近い性質を与えてあり、魔力を与えると熱を発する。木の床板を一枚隔てた上部では、日当たりのよい春の日のように適度な暖かさが心地よい。
材料は岩石でこそないが、この荷台は概念的にはゴーレムの一種だ。ゴーレムの同期操作の応用でシャロンが掌握しており、馬で牽かなくても自走できる。僕が同期操作しようとしてみても、車輪になった自分の足をうまく動かせずに失敗したけど、シャロンは練習もなしに一発で成功した。
とはいえ馬なしの荷台が街道を走っていたら確実に目立ってしまう。乗り合い馬車に偽装しているのは目立たないためなのに、そんなところで目立っていては台無しである。それを避けるため、日中は御者に扮したレピスの護衛騎士が操る馬が荷台の前を歩いている。馬と荷台は繋がっているだけで荷台を実際に牽いているわけではないので、休憩は最小限で済む。
日が落ちてからは街道に往来はなくなる。人の目を気にする必要もなくなるので、馬を乗せる用の荷台を連結し、夜通しシャロンに運転してもらっている。魔導機兵のシャロンにとっては夜でも昼とほとんど変わりなく周囲の知覚ができるのだ。町や村、街道沿いで野営している者を迂回するため道から逸れることもあるが、馬の速度に合わせる必要もないため、むしろ夜の方が移動距離が長い。
夜の間は多少窮屈になるが簡易スライムベッドを敷き、快適な夜の旅を楽しめる。
ちなみに、レピスや、レピスのお付きの者たちにはシャロンの素性を明かしていないが、シャロンは自らの技能を『良妻ですから』で押し通している。
『わたくし、良妻になる自信がなくなってきましたわ……』とは、シャロンの高性能さを目の当たりにして若干へこんだレピスの談である。
「サファ村を通過します。あと2つ村を通過して、夕暮れ前には予定通り港町へ到着する見込みです」
幌から外を覗くでもなく、僕の右腕を胸に抱いたままシャロンが告げる。
「たったの2日で港にまで着いてしまうなんて、まるで夢でも見ている気分ですわ。行きには20日以上掛かりましたのよ」
シャロンの逆側、僕の左肩に、こてん、と頭を預けてレピスが言う。
荷台は広いとは言い難いが、こんなに密着せねばならないほど狭くもない。
なにしろ、この旅は僕とシャロン、レピスと、レピスの世話をする侍女がふたりに、今は御者台にいるレピスの護衛騎士がひとりの、ごく少人数編成だ。アーニャもついて来たがったが、潜入のためにリリィが屋敷をあけているのもあり、ガムレルに残ってもらうこととなった。
同行しているレピスの侍女の片方と騎士はずっとレピスについて回っていた者たちで、僕も見覚えがある。もうひとりの侍女は初日に毒味役としてレピスと同じ毒を受けた人物だ。老齢に差し掛かった風貌ではあるものの、以前会ったときと比べて弱々しく衰えた感じはなく、背筋はぴんと伸びて溌剌としている。毒の影響は残っていないようで、なによりだ。3名とも、脈拍、瞬き、声のトーンの変化などから間者ではないと魔導機兵三姉妹からのお墨付きが出た人物である。
その他のレピスの従者はガムレルに留め置かれたままであり、自らの主人が町を離れていることすら知らされていない。
レピスの従者には異なる派閥の間諜が多数紛れ混んでいるので、そいつら経由で外に動向が漏れるのを防ぐための、少人数隠密行動なのだ。
少人数で動くと水や食料の準備も少なくて済む分、さらに迅速な動きができる。敵対派閥がレピスの動きを掴んだときには、邪魔をするタイミングをすでに逸しているのが理想である。
ちなみに、このあたりの話を全部知ってしまっているスパーは……あれ、スーパだっけ? まあいいや、スパイの男は憲兵詰め所で勾留を受けている。ご飯はちゃんと3食用意されるらしいし、リリィがいないので止まってしまっている保育院立ち上げ関連の仕事を振っておいたので暇することもないだろう。仕事の出来によって給金も出すので頑張ってほしい。
そんなわけで、乗り合い馬車に偽装した荷台には僕を含めて5人しかいない。僕の他はみんな女性なのもあって肩身も狭い。さらに。
「スカーレットお嬢様。はしたのうございます」
「はぁい……」
無意識に組もうとした脚を老齢の侍女、ミーシャにぴしゃりと指摘され、僕は居住まいを正した。
僕の他はみんな女性、というのにはやや語弊があった。いまは僕も女の子なのだ。
スカーレットというのは魔道具で美少女の肉体を得た僕の仮の名であり、『紫輪』のオスカー = ハウレルの師匠にあたる女性、ということになっている。
オスカーと重なる部分があったほうが呼びかけられたときに反応しやすいだろう、という理由からスカーレットだ。最初は呼ばれていることに気づけなかったが、だいぶ慣れてきた。
僕は、弟子を取らない魔術師として魔術師界隈ではそれなりに有名であるらしい。
一時期は毎日のように工房に弟子入り志願者が訪れ、彼ら彼女らがアーニャたちを見下すのに辟易するという一連の流れをしていた頃があったが、近頃は弟子入り志願者もほとんど来ず、落ち着いたものだった。
工房が破壊されてリーズナル家に厄介になったからだと思っていたが、僕が弟子を取らないという話が知れ渡ったからでもあったようだ。どうも、僕の意を汲んだシャロンが『紫輪は弟子を取らないらしい』という噂を積極的に広めてくれていた成果でもあるとのこと。
レピスがスカーレットなる人物を護衛として雇い、多くの従者を置いて帰国を強行するには、スカーレットを信頼するに足る表向きの理由が必要となる。そこで出てきた理由が『紫輪』の師匠という立場である。
スカーレットを『紫輪』の弟子としてしまっては、一旦落ち着いている押しかけ弟子入り志願の再発を招きかねない。それを防ぎつつ、僕が僕と類似する術式を使っても『師弟関係だから』という言い訳が成り立つ妙案が、師匠・スカーレットなのだ。
表向きには、レピスは『紫輪』オスカー = ハウレルに嫁入りを持ちかけて取り入ろうとするも失敗、しかし暗殺未遂などを不憫に思った『紫輪』の師匠が個人的に助力を申し出た、という図式が成り立つ。
これによって僕に嫁入りしようとしても失敗するし、弟子も取らないという状況を変えないままにレピスの現状に介入できる。
オスカー = ハウレルは今もガムレルにおり、密かにガムレルを発ったレピスと同行するスカーレットということになっているので、この2日ほど、僕はずっと魔美肉状態だ。
ここにいる侍女や護衛騎士は僕の正体を知っているのに、老侍女からは女性らしく振る舞うことを求められていた。
エタリウムではこの姿のまま過ごすことになるので、ボロが出ないように今のうちから慣れておいたほうがいい、という理屈はわかる。わかるけど、わかるのとできるのとでは別問題である。
「はしたないっていうならレピスのこれはいいのか」
「これとは何のことかしら。できる限り護衛の側にいるのは守られる者として当然の責務でしてよ?」
「近すぎるだろ。護衛の騎士にも頬っぺたを擦り付けたりするのか、レピスラシア殿下は」
「スカーレット様とは女の子同士ですわよ? どこにも咎められる謂れはなくってよ」
「女の子同士だと普通なの、これ?」
にこにこ顔のレピスに、老侍女はどこか眩しそうに目を細めるばかりで『はしたない』判定を下す様子はないし、女の子同士の距離感がわからん。そもそも見た目は女の子でも、僕が男なことに変わりはないぞ。