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僕とけじめ そのいち

当作品は、<R15>指定です。

 はたして、()()は"紅き鉄の団"の本拠地入り口からほど近いところに掲げられていた。

 見張りを欺き、罠を回避し、本拠地が視界に収まる地点までようやくやってきた僕らを出迎えたのが、()()だった。


 やつらの本拠地は山肌を()り抜いたように築かれており、一方は山に阻まれてその存在は見えず、またその逆側の一方は険しい崖であり奇襲は困難だ。

 戦略拠点としては、あまりに山間に位置し過ぎているために有用ではなさそうだが、砦としての性能だけで見ると、守に易く攻めるに難い、理想的なものであるのだろう。


「くっーーそ……」


 ()()を目にしたカイマンが、すんでのところで嗚咽だか叫び声だかを()み下す。


 先頭を進んでいた僕とカイマンだったが、殿(しんがり)を務めるシャロンはいざ知らず、中程に位置するアーニャ、クレス、メイソンたちが()()を目にして叫ばないとも限らない。

 カイマンは後ろにも状況を伝えるために、音を立てないように戻っていった。


 僕は、その間、()()から目を逸らせずにいた。


 思考はやけにクリアだ。

 自分の身の内から湧き上がってくる、どす黒い感情の奔流さえ、どこか他人事のようにさえ思える。


 ゴコ村で蛮族相手にひと暴れしたときとも違う。

 ただただ、"紅き鉄の団"は一人残らず逃さず許さず生きたまま剥がして擦り潰してやらないといけない、という煮えたぎるような使命感だけがある。


 僕が目を離すことのできない()()は、オブジェのようだった。

 絵画や造形物に対する審美眼には全く自信がない僕だが、それでもこれを醜悪だと評することに、些かの躊躇いもなかった。


 羽虫が(たか)()()は。

 裸に剥かれた人間を、杭や槍で串刺しに突き破り、そのまま放置したであろうものだった。


 いくつもいくつもいくつもの腕、死体、腕、骨、首、腐り落ちた肉、鞭打ちの痕を痛々しく刻んだ腿、死体、腕、頭ーー

 それらが、尖った面を空に向けた杭や槍で、高々と掲げられ、もしくは近くの木から首吊りの要領でぶら下げられている様は。

 まともな人間では吐き気を催すこの現場を、嬉々として作り上げたであろう"やつら"の残虐性を、嫌が応にも示していた。


 昇ってきそうになる胃液を無理やり嚥み下すが、流れ落ちる涙は止めることができない。


 ぽろぽろ、ぽろぽろと。

 声にならないまま、涙の粒は零れ続ける。溢れ出てきて、止まろうとしない。


 最初からずっと目は釘付けで、逸らすことができない。


 だって。

 ()()の中に、変わり果てた、懐かしい顔を見つけたから。


 もうずっと前にも感じるけれど、その実、たったの10日前に。

 僕を"やつら"から逃すために最期まで戦った、母の苦悶に満ちた貌を見つけてしまったのだから。




 僕の母、キルシュ = ハウレルは、賢い女性であった。

 王都でも、庶民に通える学校の中では最難関と呼ばれていた学舎にて、首席を勤めていたこともあるという。

 魔術の素養にも優れていたことで、卒業後は引く手数多(あまた)であり、見た目もそれなりだったために貴族からさえお誘いがかかるほどだったとか。

 しかし母は、その立場について、やっかみだとか、女のくせにだとか、面倒になってしまって『勢いで辞めちゃった』というとんでもないことをやらかす、フットワークの軽さも同時に持ち合わせていた。


 そんな母が父と出会ったのは、父の属していた冒険者パーティが、王都からどこぞかへ向かう乗合馬車の護衛を引き受けたときだったという。

 護衛の間を抜け、乗合馬車に迫ったなんとかいう魔物を、父が身を呈して防ごうとしたところを、馬車の中から魔術で焼き払って救ったのが母だったらしい。

 ちなみにそのときの魔物の話は、父が僕に語るたびにどんどん強力に、どんどんおぞましいものに変貌していたため、実際に何だったのか僕は知らない。

 母は『そんなに強い魔物じゃなかった』と言っていたけれど、それでも父がその身を呈して守りに来てくれたことは、本当らしい。


 そのときのパーティリーダーの猛プッシュにより、なし崩し的に冒険者となった母は、いつの頃からか、強くないのに無茶をする父を放っておけなくなってしまったと言っていた。


 父は酔っ払ったとき、よく僕に母の勇姿を語って聞かせたものだった。でも母は頑張り過ぎるから、自分が居ないと駄目なんだと笑っていた。

 母はその逆で、父がいかに無茶で無謀かという話を僕に聞かせた。『オスカーは、ちゃんと考えて動く大人になりなさい。あの人は私がいないと大変なんだから』なんていうふうに、優しく笑いながら。


 きっと。僕を逃すために、父が死んだから。

 母から遠くに離れて逝ってしまったから。だから、母も駄目になってしまった。死んでしまった。


 《キルシュ = ハウレル 死後4日》


 僕を逃すために、血反吐を吐いてまで魔術を使っていた母。決然とした、その最期と思われた顔を思い出す。いま目の前で串刺しにされている苦悶の表情では、断じて無い。

 あの段階で、母はまだ生きていたのだ。僕は、それを見捨てて逃げてしまった。


 僕を逃すのは、両親の願いだった。

 だからといって、シャロンを見つけたすぐ後に、シャロンと共にあの場に戻って居たならば。


 "全知"がなくたって、僕とシャロンの二人で発動する魔術があれば、何かしらあの時点で脱出できる術はあったはずだ。

 そうしてあの場に戻ってさえいれば。シャロンにとって、蛮族の5人や10人、敵ではなかっただろう。


 しかし、そうはならなかった。


 僕が、母を見捨てて逃げてしまったから。

 裸に剥かれ、陵辱され、苦悶の表情で杭に貫かれ、死後も羽虫に辱められている。

 かつて才女と呼ばれた母が、いま蟲たちの寝ぐらにされているのは、僕自身のせいなんだぞ、オスカー。



 どさっ、という重い音に我に返った僕が振り向くと、アーニャがその場に尻餅をついて、へたり込んでいた。

 僕が見つめていた()()らを見たのだろう。


「そんーーアーちゃ、ーーラッくんーー?」


 ぼろぼろと涙をこぼし、イヤイヤと首を振っている。

 髪を搔き乱し、噛み締めた唇からは血が流れ落ちている。

 獣人である彼女の血は、僕たちと同じく赤かった。


 果たして、人でなしの"やつら"の血の色は何色なのだろうか。

 それはこのあといくらでも確かめれば良いことだった。

 やつらを許すべきではない。許すはずがない。


 もっとも、いくら暴れたところで、物言わぬ母が蘇るわけではない。

 そんなことはわかっている。わかっているんだ。わかっていても、やつらを引き裂かないことにはどうにもならないんだよ、僕は!!


 

 一人残らず、すり潰す。

 漏れなく、全てだ。


 そのためには、どうする?

 僕の"探知"では足りない。


 人間や魔物の探知はできても、それが即ち"やつら"だと断じることができないし、範囲を拡げると精度が落ちる。


 かつて、結界の中に閉じ込められた彼女(フリージア)は言っていた。『出力が安定するまで、しばらくは控えたほうがいいかもね〜、らぶらぶ魔術』だったか。

 そんな場面でもないのに、思い出して僕は苦笑する。僕とシャロンはそんな関係ではないというのに。

 彼女の僕に対する好意、いや好意に見えるものは魔導機兵である自身のマスターだから、という一点に集約される。僕が(オスカー)だから好意を向けてくれているわけではなく、僕がたまたま(マスター)だから。それだけだ。


 だから、僕はシャロンに多くのものを見せたかった。

 広い世界を一緒に見て、いろんな人と出会って。

 そして、お互いにたくさんの価値観を知る中で、改めてお互いに好意を持てるなら。そう、思っていた。


 そんな彼女を、僕は結局力のために利用しようとしているのだ。やつらが外道だというのであれば、僕だって立派に人でなしだ。


「シャロン」


「はい」


 自分でも、驚くほど低く掠れた声が出た。

 短く応えた彼女は、いつのまにか僕のすぐ後ろに控えている。そこに居るのが当然というように、ごく自然に。


「手をかして。"探知"をする」


 声がうまく出ないし、口を開くと胃の中身が元気に外界に『こんにちは!』しそうだが、今は。一刻も早く、やつらを叩き潰す。

 突然の僕の協力要請にも驚かず、そのうえ何も疑うこともなく、シャロンは僕の左隣に立ち、その手を差し出してくれる。


 そっと触れたシャロンの掌の温もりに、自身の手が冷え切っていたことがわかる。

 思考も、なにもかも。冷え切ってしまったかのようで。繋いだ手から伝わる、彼女の温もりだけがあたたかい。



 シャロンの身体を通して、無詠唱で"探知"の魔術を発動する。範囲はやつらのアジト周辺、この場も含め、崖から山から全ての範囲。精度は個人の特定ができるほどにまで。

 僕の魔力が流れ込んだ瞬間、ぴくんとシャロンが震える。が、彼女は何も声を上げなかった。


 僕の魔力がシャロンに流れ込み、そうして外界に薄く、広く。瞬く間に浸透していく。


 そうして"探知"が効力を発揮する。僕は一瞬で後悔した。


 いろんな物語のシーンをめちゃくちゃな順番、滅茶苦茶な角度から適当に、大小様々に、脳内に叩き付けるように、ばらばらばらばらと流し込まれているかのような支離滅裂な感覚が僕を襲う。死体、蛮族、死体、蛮族、なにか、蛮族、アーニャ、岩、扉、死体、草、なにか、鳥、虫、死体、なにか、なにか、なにか、なにか、死体、なにか、なにか。


 "探知"の範囲と精度をいたずらに拡大しすぎて、僕の脳が情報(それら)を全く意味あるものとして処理できない。やがて、何を見ているのかすら判別できないほど、意識が混濁する。やがて魔術の効力が切れたとき、僕は脂汗をだらだらと垂らし、息も絶え絶えであったのだが……。


 しかし、同じモノを見ていたであろうシャロンは、全ての情報を正しく分析していたらしい。


「蛮族62名、内訳では、見張り12名、剣および斧など近接武器所持者20名、魔術師6名、休憩中の者16名、奴隷と思しき女性を嬲っている者4名、魔物番2名、リーダー格2名。

 魔物8頭、内訳では、大型の犬のようなものが3頭、巨大な蛇のようなものが1匹、小型の犬のようなものが4頭。

 奴隷と思しき者6名、内訳では現在慰み者になっている者4名、家事に従事している者1名、暴行を受けて打ち捨てられている者1名、こちらはもう長くはなさそうです。

 また、近隣に死体が22名分。オスカーさんの、その。お母様も含まれます。しかしこの周辺には、死体まで含めてもアーニャ以外の獣人の反応は、認められません」


 気持ちが逸って無理矢理魔術を行使した結果、僕が単に自爆しただけで終わらなくて本当によかった。


「げほっ……うえぇ。自業自得とはいえ酷い目にあった。

 アーニャ、聞いての通りだ。無事かどうかはわからないが、お前の妹弟はここには居ない」


「ほんまに……?」


 泣き晴らしてぐしゃぐしゃになったアーニャが、こちらを振り返る。なんともすごいことになっていて、おかげで少し僕は冷静になった気がする。


「ああ。本当だ。カイマンたち3人はアーニャを頼む。

 それで余裕があれば、あれを降ろしてやってくれないか」


 残虐に飾り付けられた()()を指すと、カイマンはこくりと頷いた。


「わかった。

 その。オスカー。もしかしたら、君ならーーあの人たちを助けられたり、しないだろうか。

 戦友が、いるんだ。あんな、惨い殺され方をしていいやつじゃ、ないんだ」


 カイマンまで今にも泣き出しそうなヒドい顔だ。ぼろぼろ泣いていた僕が言えた義理ではないのだけれど。

 彼が言うのは、ここまで来る道中で身を案じていた、この"紅き鉄の団"の本拠地を突き止めたという戦友、だろう。


 しかし、僕は首を横に振るしかできない。

 "全知"をもってしても、そんな方法は視えやしなかったのだから。

 きっと、彼にもわかっている。そんな手段はないと。


「すまないが、僕にも、無理だ。

 あの中には僕の母もいる。悪いけど、頼んだぞ」


「そうかーー。すまない、君の気も知らないで。

 ああ。わかって、いたさ。彼がもう、戻らないことは。わかって、いたんだ」


 俯くカイマンを、クレスが支えている。

 彼は一人ではない。きっと、大丈夫だ。


「ハウレルさん。あなたは、どうする気なんだ?」


「あんまりここでゆっくりしていても、見張りが来るだろうからな。

 そうなる前に、ちょっと"やつら"、潰してくるよ」


 問いかけるクレスに、ちょっと散歩に行くくらいの気軽さで応え、シャロンに向き直る。

 彼女は、僕の意をすぐに汲んで、いつものように頷きで返してくれる。


「シャロン、僕はやつらを一人も逃がす気はない。

 そこの本拠地正面以外に、脱出口はあったか?」


「はい。全部で2つです。

 崖下のほうに逃げ延びる道が、ひとつ。

 リーダー格の男の住居横から縄梯子が掛けられています。

 それと山側に、ひとつ。草木で巧妙に隠されています」


「わかった。奴隷たちには当てないように、補正は任せる。まずは退路を潰すぞ」


「はい。"風迅"と"念動"でしょうか」


 僕のやりたいことをいち早く察知し、それに向けて動いてくれるシャロン。本当に、僕なんかには勿体なさすぎるくらいに頼りになる。そんな彼女を、復讐のための道具として使う僕は。きっと、彼女に釣り合うべき人間では、ない。

 彼女の掌に、再び指を絡める。


「ああ。いくぞ、シャロン」


「はい、オスカーさん」


 それなるは、反撃の狼煙。

 狼煙というにはいささか過激だが、なに。やつら相手にはちょうど良いくらいだろう。


 シャロンを通して魔術を発現した僕の視界には、今まさにゆっくりと崩れ行く、山の峰が映っていた。

 石や岩といった大きさではない。山の先端部分そのものが、夕焼けに染まる"紅の鉄の団"の本拠に、真っ黒な影を落としながら降り注いだのだった。

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