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やがて無尽となる男

 『無尽のグリスリディア』として名を(とどろ)かせた男がいるが、生まれはグリスリディア家ではない。

 (さび)れているというほどではないが、栄えているとも言い難い漁村の、村で唯一の(まじな)い師の息子。それが彼だった。


 気難しい面はありつつも、呪い師として、さらには医師としての役割も持つこともあって村の皆から頼られる父。

 海草や貝を取る(かたわら)で育児に奔走(ほんそう)する働き者の母。

 頭の回転が早い、しっかり者の兄。

 ようやく寝返りがうてるようになったばかりの、生まれて間もない妹。

 そんな家族に囲まれて、5歳の誕生日を迎えた彼。

 豊かではないが困窮しているわけでもない。とくに珍しくもない、ありふれた家庭の、ありふれた生活を営んでいた。


 地域最大の勢力を誇った豪族エタル家と、長年ライバル関係にあったトリウム家の間に婚姻関係が結ばれ、エタル = トリウム王国が成立して数年。

 国の形が変わろうとも、一般家庭の生活はなにも変わらない。せいぜい税を納める相手が変わるくらいで、その税の取りまとめにしたって村長が行う。


 彼も、彼の家族も、代わり映えのない日常を過ごしていた。

 平凡な日々が(もろ)くも崩れ去るなんて、少しも想像することなく。



 それは、大きな嵐だった。

 風が唸り、今にも引き裂けそうな家は絶叫をあげるかのごとく嫌な軋み声を響かせる。


「壁より先に柱を補強するんだ!」

「わかった!」


 (たけ)る風にかき消されないよう、外から怒鳴り声を響かせる父に叫び返し、彼は家の内側で柱を補強してまわる。

 彼は父から魔力を扱う素養を受け継ぎ、とくに土の属性に適性を示した。幼いこともあって威力や精度は知れているが、今にも折れてしまいそうな柱に土の鎧を(まと)わせるくらいはできる。正直、気休め以上の効果はないが、なにもせずに(ちぢ)こまっているよりも幾分かは気が紛れる。


「頼りになるなぁ、お前ももうお兄ちゃんだもんな」

「ほぉら、お兄ちゃん頑張ってるよ。応援してあげましょうね。お兄ちゃんがんばれー、がんばれーって」


 兄におだてられ、幼い妹の手をとって応援する母に見守られて、彼の肩にも自然と力が入る。


「任せてよ。僕がみんな守ってあげるから!」


 凄まじい雨と風の音に内心かなり怯えていたが、彼は幼い妹にお兄ちゃんぶりたい気持ちで胸を張ってみせる。

 その時、うねる風の轟音に紛れて、家の外からくぐもった低い(うめ)き声が聞こえた。同時に、重たいものが水の上に叩きつけられる音も。


「父ちゃん? 父ちゃん! ねえってば!」


 彼はたまらず声を張り上げたが、応える声はなかった。

 危険を承知で父が外に出ていたのは、家の周囲に風除け結界を構築するためだ。


「俺、見てくるよ」


 兄が家の外へ向かい、ほどなくして大声で母を呼んだ。


「行ってくるわ。この子のこと、お願いね」


 母から妹を任されて、彼は不安と心細さを押し殺して頷いた。

 彼はお兄ちゃんだ。妹を守らねば、という使命感が幼い彼を支えていた。

 小さな腕の中では、さらに小さな妹が「だー」とか「うー」とか元気に喋っている。


「大丈夫だぞ。兄ちゃんがついてるからな」


 ごとごと、みしみしと柱が軋む。

 隙間風で冷える家の中で、暖かい妹の体温が彼にとっては心強かった。


 やがて、母と兄は肩にぐったりとした父を担いで、叩きつける雨によってずぶ濡れになりながら帰ってきた。

 父は頭から血を流しており、体は冷え切っていて意識がない。風に飛ばされてきた何かが頭に当たったのだろう、と母と兄が話し合い、血を止めるために忙しく動き回る。

 彼はその様子を眺めながら妹を抱きかかえて、泣き出しそうになるのをじっと堪えていた。


 悪いことは、さらに続く。


 暴風雨の合間にカァン! カァン! と響き渡る、異常を知らせる鐘の音。

 外で村人が怒号をあげて走り回っている気配がする。けれど、雨と風が強すぎて、何を叫んでいるのかわからない。

 仕方なく、兄が再び外へと出て行った。状況を確認するためだ。


「逃げる準備をしておきなさい」


 ぐったりした父を介抱しながら、母が硬い声で言う。

 ぐずりはじめた妹をかかえ、おろおろしながら彼が皮袋に飲み水を用意していると、泥だらけになった兄が転がるように家に駆け込んできた。


「逃げよう! 波がッ――!!!!」


 息継ぎする間さえ惜しみ、兄は差し迫った状況を伝えようとした。しかし、その言葉が最後まで発される前に、()()は来た。

 嵐によって高くなった波が海岸を越え、村を襲ったのだ。


 どん、という重い音のあと家が致命的な軋みをあげ、彼が補強を施した柱は呆気なくその役目を放棄して、小枝のようにへし折れた。家が倒壊する。


 家の奥にいた母は、逃げ遅れた。

 意識のないままの父を助け起こそうとしていたためだ。


「逃げなさ――……」


 兄の判断は、早かった。

 母の意思を汲み取って、戸口の近くにいた彼を外に引っ張り出したのだ。

 彼が目にした母の最期は、泣きそうな笑顔だった。


「やだ、やだ、父ちゃん! 母ちゃん!」


 猛り狂う波は、村を全て飲み込んで押し流してしまった。

 彼は腕の中の妹を絶対に離すものかと抱えこみ、その彼と妹をさらに兄が抱える形で濁流に飲まれ、もみくちゃにされて、そのまま沖に流された。彼が大きな怪我をせずに済んだのは、強い運と、兄の咄嗟の術に()るところが大きい。

 海水で()せ、咳き込みながら大泣きする妹を沈まないように抱き直し、波の間に漂う木の葉のように頼りない木片に掴まる。


「兄ちゃん! 父ちゃんと、母ちゃんが!」

「ああ…………」

「どうしよう、どうしよう!?」

「聞け。いいか、とにかく浮いていることだ。そうすれば、そのうち助けがくる。お前の術で浮いてる材木を束ねて、しがみついているんだ。できるな?」

「わ、わかった」


 弱々しい魔力でなんとか材木をひとまとめにする。

 朦朧とする意識で、打ち付ける雨と唸る風に晒され、ほとんどなにも見えない中、彼が行動を迷わなかったのは指針を示してくれる兄がいたからだ。


「頼りになるな! 妹を頼むぞ」

「兄、ちゃん……?」

「兄ちゃんは、父ちゃん母ちゃんを助けに行ってくる。そんでついでに船を呼んでくるからな。助けがくるまで頑張るんだぞ」


 稲妻が照らした兄の顔は泥まみれで、おまけに傷だらけだったが、それでも兄はニカッと歯をみせて笑っていた。

 ――後になって思えば、助けなど呼んでこられるはずがないのだが、幼い彼は兄を信じていた。


「わかった、兄ちゃんもがんばって!」

「…………おう! 兄ちゃんは、兄ちゃんだからな」


 そう言って、木片から手を離した兄はすぐに見えなくなった。


 波に流された時、兄は彼と妹を守るのに手一杯で自分の防護はできなかったし、彼と妹に施したそれすら死力を尽くして行使した術だ。魔力欠乏状態で意識喪失していないのがおかしいくらいの状態で、さらには流される際にあちこちにぶつけた手も足も変な方向に折れ曲がってしまっていた。

 波に浮かぶ端材は子ども3人を支えておくには心許(こころもと)なく、飲み水は彼がたまたま妹と一緒に抱き抱えていて無事だった皮袋の、ほんの(わず)かのみ。

 だから、(さと)い兄は自分の命に見切りをつけたのだと、冷静になって考えてみればわかる。このとき兄は(よわい)にして7つだったか8つだったか。もし生きて成長していれば傑物(けつぶつ)になったろうに、と彼はこの先何度も、何度も考え、生き残るべきは兄だったのに、と思い悩むことになる。そして、何年、何十年経っても、兄がひょっこり会いにくる夢を見るのだ――。


 嵐の足はそれなりに早かったため、打ち付ける雨は弱まり、波や風もやや収まりつつあったが、波に浮かぶ他になすすべがない彼の体温は容赦なく奪われていく。

 何度も途切れそうになる意識を繋ぎ止めたのは、妹を任された使命感だった。


「守らなきゃ……僕が……お兄ちゃんが、守るんだ…………」


 妹の顔が海に浸からないよう、幼い彼は必死に耐えて、耐えて、耐えて、耐えた。耐え続けた。

 意識が落ちそうになるたびに皮袋の水を少しだけ飲む。妹が起きたら分けてやるため、少しずつだ。


 嵐が過ぎ去り、長い長い夜があける頃、ようやく助けの船が来た。船に取り付けられた篝火(かがりび)が近付いてくるのを認識して、ああ、兄ちゃんが助けを呼んでくれたんだ、と彼は安堵した。

 妹をなんとか守り切れたのだ。きっと自分ひとりだったら途中で力尽きていた。


「いも、うと……おねがい……」


 掠れる声で、近づいてくる船の大人たちに伝える。

 大人たちが息を飲んだ理由もわからぬまま、限界をとっくに越えていた彼は意識を手放した。


 ――生まれてまだ1年と経たない妹が、冷たい水に漬かったまま生きていられるはずなどなく、その鼓動をとっくに止めていたと知ったのは、数日眠り続けた彼が目を覚まして、さらに数日が経ってからだった。


 生き残ったのは、彼ひとりだけだった。

 ありふれた日常はいとも容易く奪い去られ、残ったのはありふれた悲劇だ。



 災害救助は地域を治める豪族だけでなく、近隣の有力者が一丸となって取り組む。

 この時ばかりは普段いがみ合っている権力者たちも表立っての(いさか)いは控え、被害低減に尽力する。明日は我が身に降りかかるかもしれないのが災害である。


 波間に漂う彼を助け出した船はグリスリディア家のものだった。

 漁船も家屋も港も甚大な被害を受けた嵐のなか、彼の救出された場所は遠目からでもわかるほど廃材が一箇所に寄り集まっていた。まさかそれが5歳の幼子が死力を尽くして繋ぎ合わせた()()だとは誰も思わない。救助船に乗っていた者たちは、潮の流れの関係でそうなっているのだろうと考え、生存者も流れ着いているかもしれないと判断して真っ先にその場所を目指し、おかげで彼は助かった。あとほんの少しでも救助が遅れていれば、きっと結果は違ったものになっただろう。生死の境目のぎりぎりのところで、兄の最後の助言が彼を生者の領域へと引っ張り上げたのだ。


 グリスリディア家は代々騎士を排出する名門の家系で、幼いながら妹を救わんと力を尽くした彼の姿に騎士の本懐を感じた当時の当主は、身寄りをなくした彼をそのまま養子として迎え入れた。


 平凡にして幸福な日々は濁流に押し流され、彼はその日起こったことはすべて鮮明に覚えているのに、自分の名も、家族の名も思い出せなくなっていた。

 後年、彼は自嘲気味に『もとの名を持つ子は、あの日家族とともに命を燃やし尽くしたのでしょう。いまの()の身は()()()()のようなものですよ』と述懐している。

 当時のグリスリディア家当主はその()()()()にセイル = グリスリディアという名を与えた。数十年後、『無尽』の二つ名とともに畏敬される名だ。


 彼と同じ村で生存が確認されたのは、彼の他には嵐の日はたまたま高地に薪拾いに出ていて無事だった2人のみ。

 他にも壊滅的な打撃を受けた村がいくつかあったほか、人的被害が大きくない漁村でも大破、転覆した漁船が多く、巻き上げられた海水によって塩害を被った農地もあり、飢饉(ききん)が発生。さらなる人口減少を招いた。


 それから年月が経ち、セイルが成人する頃には、エタル = トリウム王国は周辺の細かな島々を版図に加えたり同盟を結び国力を伸長させ、国号もエタリウム諸島王国連合へと改めていた。


 国の形が変わろうとも、彼のやることは変わらない。彼は寸暇を惜しんで魔術の研究・開発に(いそ)しんだ。

 (まじな)い師だった父からの口伝でのみ術の鍛錬を行っていた彼は、グリスリディア家のコネや財力によって体系的に魔術を学べるようになった結果、岩石兵(ゴーレム)の研究にのめり込むことになる。


 彼の大いなる野望は、頑丈で壊れず、必要な場所に動かせて、川の決壊や海の高波を()き止められる岩石兵を開発し、それをゆくゆくは国中に配備することだった。

『無尽』の超硬岩(ヴァルマイト)石兵(ゴーレム)が砂材を現地調達して岩腕を生成する機構になっているのは、そうやって生成した『壁』を必要な箇所に置くなりして、本体は別の場所に移動するために編み出された技術なわけです。

それをおかわり自由の石材だと認識した主人公がどこぞにいるらしい。

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― 新着の感想 ―
[一言] ムー爺ーーーーーー!!!。゜(゜´ω`゜)゜。 オスカーさんと、なんかいろいろ失った経験まで似ていたんですね…
[良い点] ららら無尽くんとかネタにしててごめんなさい……。 [一言] ある意味で、彼もオスカー君がいつか辿り着いたかもしれない姿の一つなんですね。その違いはやはりシャロンちゃんや多くの仲間たちとの出…
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