僕と押しかけ姫と海の草
「というわけで、旦那様。わたくしをダメにした責任とってくださいまし」
「というわけもなにも、知らん間に勝手に駄目になっただけなんだよなぁ」
僕が譲ったタコサシをペロリと平らげてから、レピスは僕らに今日あった出来事を語って聞かせた。
話に出てきた『食べ物が喉を通らなかった』とは何だったのかと疑いたくなるほどいい食べっぷりだったので、よほどタコサシが好きなのだろう。
僕らが厨房でタコと格闘していたころ、実はレピスも屋敷内にいて、保衣眠の中で寝こけていたらしい。
そのあと目覚めたレピスは屋敷内で遭遇したシャロンから『祖国の料理だったら食べられるのでは? スパイの人なら店を知っているはずですよ』と提案され、ここを訪れたんだとか。海神様のお導きというか熊殺しの女神に導かれてるじゃねぇか。
「保衣眠でダメにされた人の責任なら、オスカーさまはメイド隊さんみんなの責任を取らなくちゃなの」
「勘弁してくれ」
アーシャがくすくす笑うが、僕はげんなりした。
洗濯魔道具を兼ねたスライムベッド『保衣眠』――通称、人を駄目にするベッドは、いまやリーズナル家メイド隊の士気を保つ根幹となっているという。
嘘か真か「嫁入り先には保衣眠がないから」なんて理由で縁談を断ったメイドさえいるという噂も耳にした。よく知らんが大変なんでしょ? 婚期とかさ。このままでは本気で責任問題になってしまう。
「いつのまにか寝てしまっていたことにも驚きましたが、目覚めてからというもの体が軽くてびっくりしてしまいましたわ。それに体中どこも痛くありませんの!」
「そりゃよかったな」
拳をぐっと握り、目をきらきら輝かせて力説するレピスは微笑ましいが、彼女にとっては切実な悩みだったろうことは想像に難くない。
なにせ、海を越え野を越え慣れない長旅を馬車で揺られてガムレルまでやって来たのだ。肩や腰には相当な負荷が掛かっていたことだろう。
保衣眠には美容効果の他に治癒促進効果も持たせてある。軽度の擦り傷、切り傷、打ち身に炎症くらいまでならある程度の症状緩和が見込める。さらには、使用者が痛いと感じるぎりぎり手前の強度で各部位を締め付け、揉みこみ、血行を促進させて筋肉のコリをほぐし、疲労回復を助ける効果も盛り込んである。
風呂で弛緩した体なら、さらに効果的だ。長旅疲れにはさぞかし効くだろう。
そんな話をしているあいだにタコサシの次の一品ができたようだ。
「お待ちどうさんでごぜぇます。タコのスノモノです」
調理工程を全く見ていなかったが、白く透き通っていたはずのタコはその姿を大きく変えていた。
小さな器にぶつ切りに盛られたタコは、表面が赤く、中の部分は白い。
酢漬けのようなものだろうか。酸っぱい独特の匂いに反応して、口の中に自然に唾液が湧き出てくる。
見た目を大きく変えたタコに添えられているのは薄く切ったハミ瓜と、黒い――なんだこれ。
「なんだこの、なんだ? 黒い……紙?」
「そいつぁワカメっていう……言ってみれば海の草だぁな。パリッパリに乾かしておけば長持ちすんだよ。そいつを水にもどしてやるとこんな感じになるんだわな」
「祖国の特産品ですわ」
「へぇ」
まだレピスの存在に慣れていないっぽい料理人のティモが心なしか丁寧に説明し、レピスがそれに追随する。
海の草が食べられるとは思っていなかったので気にも留めていなかったが、もしかしたら『島』の側にもあるかもしれない。今度適当に刈り取って持ち帰ってみよう。……これが美味しければ、だが。
タコは茹でられて火が通ったことで色が変わったらしく、生のタコサシに比べれば幾分いけそうな気がする。
アーシャやレピスの分は別々の器に盛られているようで、僕の前に置かれた小さな器は僕ひとりで食べる用なのだろう。
おそるおそるスプーンで掬いあげ、タコを口に運ぶ。
「ん……」
ぷにぷにというか、こりこりというか。独特な舌触り、歯触りだ。
肉厚な歯応えの中にしっかりとした味があるが、これまで味わったことのない種類の味わいである。
噛み切りにくいが、噛むたびに独特の味が湧いて出て、なかなかどうして嫌いじゃない。
それにタコの肉厚な味わいと酢の酸味がうまい具合に調和しており、さっぱりとして食べやすい。
「へぇ。なかなか美味いな」
「へっへ、なかなかイケんだろ?」
僕が思わず声を漏らすと、ティモ氏は得意げに頷いた。
レピスまでなぜか嬉しそうに顔をほころばせている。
アーシャは……僕が一口食べる間に自分の分を完食して、なにごとかふんふん頷いていた。研究熱心である。
「わたくしもいただきますわ」
レピスの小さな口がタコを咀嚼するのをティモ氏は不安そうに窺っていたが、微笑んだレピスが二口目に取り掛かるのを見て、安心したように厨房へと引っ込んで行った。
アーシャは僕とレピスをしばらく見比べていたようだったが、僕の脇腹あたりに尻尾をぐりぐり擦り付けてからティモ氏のあとを追った。
まるで匂いでも付けるかのように擦られていたアーシャの尻尾は、ちょうど、昨日解毒剤で酔ったレピスが撫で回してきたあたりだったように思う。なんかあんのか、僕の脇腹……?
「……っ」
レピスはなぜか僕と視線が合わないように微妙に顔を逸らしているが、頬がちょっと赤い気がする。な、なんかあんのか僕の脇腹!? ここから魔力が漏れてるとか?
首を傾げつつも、僕は残ったタコとハミ瓜、ワカメなる海の草に向き直る。
ワカメはそれ単体で食べるとあまり味が感じられず、もにょもにょとした不思議な食感がするものだったが、ハミ瓜やタコとともに口に運ぶと、これがまたいい具合に酸っぱさを緩和してくれた。ハミ瓜単体で食べるには酸っぱすぎると感じたのだが、どうやらワカメと一緒に食べることを想定した味付けになっているようだ。うまいこと考えてあるんだな。
しばらくのあいだ、遠く表の通りの喧騒と、厨房で新たな料理を用意する音だけが店を支配していた。が、やがて僕がスノモノを食べ終え、レピスの器も空になったところで、彼女はゆっくりと口を開いた。
「オスカー = ハウレル様。あなた様は『無尽』のグリスリディアの名を――妄執に取り憑かれた憐れな男をご存知かしら」
レピスの声がわずかに固く、冗談めかした『旦那様』呼びでもなかったことから真面目な話と判断した僕は、歯の裏側にひっついてしまったワカメの切れ端を”剥離”で剥がして飲み込むと、空っぽのスノモノの器から視線を彼女へと移す。
「ムーじ……いや。その名前は聞いたことがあるよ。ゴコ村に攻めてきた奴だろ。妄執がどうとかは知らん」
レピスの護衛騎士が一瞬殺気立ったのは”剥離”の魔力に反応したのか、それとも会話の内容か――レピスはそれを見もせず手で制した。
「ええ。あなたが倒した、祖国随一の魔術師の名です。ああ、責める意図はこれっぽっちもありませんわ。仕掛けたのがこちら側、あなた様は無辜の民を理不尽な暴力から救ったのですから」
レピスが何を言い出すのか、侍女や騎士も内容を知らないようで怪訝そうに視線を交換している。
「本日、領主邸を訪ねてわたくしは確信しましたの。オスカー = ハウレル様、あなた様は『無尽』に似ておりますわ。容姿ではなく、その在り方が」
レピスの薄い色素の瞳はどこか悲しそうな色で、僕をまっすぐ見つめている。
「かの者が亡くなった今、その想いの真実を知る者はごくわずかで、そのわずかの者も口を開くことなく、想いは忘れ去られていくでしょう。それはあまりに無体で――また、その想いはわたくしの願いとも、わたくしが見誤っていなければ、あなた様の想いにも沿うものですわ」
「とりあえず、料理を待ってる間でよければ聞くよ」
僕の想い、ね。保衣眠を作っている間はスライムに術式を刻みながら魔力消費量をどうやって抑えるかを熱心に考えていたくらいだけど、レピスから見たらまた違った見え方をしたのだろうか。
面白い話が聞けたら、亡くなったことになってるムー爺を今度煽りに行こう。
タコパクパクですわー!