姫君の憂鬱 そのに
腹痛でダウンしていたので更新が1日遅れました _(⌒(_´-ω-`)_申し訳なしです
予定が折り合わずオスカーには拒まれてしまったが、この町の領主とは面会の約束を取り付けることができたので、レピスは少数の手勢を引き連れて天幕を出る。
手勢の内訳は、レピスより少しばかり年上の侍女がひとり。彼女には武術の心得があるため、護衛を兼ねている。
長年側仕えとして勤めあげてきたミーシャは、レピスを狙った毒を毒味役として一緒に受けてしまった。レピス同様オスカーによって解毒してもらい生命の危機は脱したものの、主を危険に晒したことで消沈してしまい、しばらく療養するよう言いつけてある。
ほかに、護衛の騎士がふたりに馬車の御者を兼ねる諜報員がひとり。
この諜報員は相手方にも顔が知られているため、もはや外交官とでも言ったほうが適切かもしれない。面会の約束を取り付けてきたのもこの諜報員である。
あまり多くの戦力を引き連れて町を訪れれば、無用な警戒を生みかねない。
強襲部隊の蛮行によってただでさえレピスらの国は信用がないのだ。帯剣した騎士をぞろぞろと何人も引き連れての行動は愚策中の愚策である。
下手に刺激して余計な悪感情を煽ったところで、得るものよりも失うもののほうが多い。
だからこそ、旅の間はある程度の護衛を付けざるを得ないレピスたち使節団一行は、わざわざ町の外に天幕を張って逗留しているのだ。
必然的に、外遊は必要最小限の人員で行うこととなる。
「頼みますね。くれぐれも粗相のないように」
「はっ!」
町へは北門から入るように指示されている。使節団の天幕はガムレルの町の南門から出てすぐの街道沿いに設営しているので、ちょうど町をぐるりと半周する形だ。
馬に跨る騎士の先導に従い、馬車はレピスと侍女を乗せてゴトゴトと街道を北上した。
途中、東門付近を通りかかったとき、レピスの喉からヒュッと息を呑む音が鳴った。侍女も顔色を悪くしている。
「話に聞くのと、実際に目にするのとでは大違いですわね」
「はい……」
夥しい破壊の痕跡が、抉れた大地や半壊した市壁に深々と刻まれていた。
未だ濃く蟠る瘴気は、この場所で血と臓物をぶち撒け大地へ還った魔物の軍勢が、千や二千では到底足りないことをありありと物語っている。
町が健在であることさえ夢や奇跡の産物に思えてくるが、これだけの暴威を黒き剣の騎士はなんとほぼ独力で退けたのだという。そこまでいくと、もはや悪い冗談か何かに聞こえる。
「陛下たちが『黒き剣』を欲しがるわけね」
「……私には、ヒトが持つには過ぎたる力に思えてなりません」
侍女の言い分も、それはそれで正しい。少なくとも、拠点防衛においてはこれまでの常識を覆して余りある力を持っていることに、疑う余地などない。
個人が持つには大きすぎる力ゆえ、その存在を知った者たちにとって、放置するという選択肢は選べない。
頼もしい味方とするか、はたまた敵に回る前に潰すか。
レピスがこの町にやって来たのも、元を辿ればそうやって逸った過激派連中の尻拭いである。
過激派連中がしでかした失点を補い、妾扱いでもなんでもいいから『紫輪』か『黒き剣の騎士』のもとに潜り込んで媚を売り、あわよくば寵愛を受ける。そのためにちょうどよい人員として選ばれたのが、レピス――レピスラシア=エクシト・ナセ・マリス=コルムラード姫殿下だった。
身も蓋もない言い方をすれば国家規模のハニートラップである。
『黒き剣の騎士』は筋骨隆々で、見上げるほどの大男だろうなとレピスは考えていたが、この戦場の有様を目の当たりにしたことで、よりその想像が強まっていた。
きっと筋肉が鎧を着て歩いているような無骨な男であろう。祖国の近衛騎士団長がちょうどそんな感じだ。
レピスは実際の黒剣の遣い手たるカイマン = リーズナルとすでに顔をあわせているのだが、まさか彼が『黒き剣の騎士』だとは微塵も想像していなかった。
体の大きさは威圧感に直結する。がっちりむっちりした筋肉の塊は、有り体に言ってちょっと怖い。あと声もデカい。ちょっと怖い。
政略結婚で好みだなんだと言っていられる立場でないのは重々承知しているけれど、レピス個人の好みとしては、筋肉はしっかりつきつつも引き締まった細身が理想だ。……そういえば昨日、酔っ払ったどさくさで撫でまわした彼の腹筋は、しっかりした厚みがあって実に良い触り心地だった気がする。次は是非とも意識のはっきりしているときに触りたい――
「――でんか。姫殿下?」
「はっ!?」
「やはりお加減が優れませんか? ……どこか目が虚ろでしたが」
「心配には及ばないわ」
心配顔の侍女に覗き込まれていることにようやく気付いたレピスは、こほん、と小さく咳払いをした。
ついでにちょっとこぼれそうになっていた涎をバレないようにさりげなく拭う。
そうこうしているうちに、馬車は北門に辿り着いた。
話は通っているのだろうが、門番は険しい表情で道を譲らなかった。馬車の中を検めるという。
騎士たちが不快感を示すが、レピスはそれを制した。
「職責に忠実で、大変結構なことです」
自分たちには、宣戦布告もなく村を強襲した『前科』がある。信用がないのだ。いや、『何かやらかすかもしれない』という信用があるのか。嫌な信用だ。
一部の派閥が勝手に、などというレピスたちの側の理屈は彼らにとっては知ったことではない。大きな被害が出なかったのは結果論に過ぎず、彼らにしてみればこちらは蛮族と変わるまい。警戒して当たり前だ。
剣呑な雰囲気ではあるものの、ことさらに横柄であったり、侮蔑的であったりということもない。言外に袖の下を要求されたりといったこともなかった。
これが逆の立場であったなら――もしエタリウムに『前科』のある国が外遊に来たとしたら、きっとこうはいくまい。散々侮って掛かり、外交関係の亀裂をより大きくするであろうことが想像に難くない。
厳しく、されど公平に。
ガムレルの町では、税を引き下げると同時に、門番及び憲兵への徹底的なしごき――もとい、教育が行われている。
シャロン・カトレア・リリィの全面監修のもとリーズナル卿が義務と規律、服務規定を定め、少人数にわけて座学、実地研修を含む訓練を受け、試験に合格した者のみが『公務』に就ける。
それまで長年に渡って憲兵として従事してきた者であろうとも、この課程に例外はない。
憲兵という身分に胡座をかき、自らが偉くなったと勘違いして甘い汁を吸ってきた者たちは篩にかけられ、現在ガムレルで従事している憲兵隊の練度は非常に高い。
そのハードルの高さゆえ、高額報酬にもかかわらず慢性的な人手不足に悩まされてもいるが……。
おかげで商人たちからの評判もよく、賄賂を渡して禁制品を持ち込もうとする輩は余さず摘発され、人の出入りが活発なわりに治安は良好で、ガムレルの市民はある種の黄金時代に大いに盛り上がっていた。
そのため、たとえやらかした相手であろうとも、手続きは公平に行うのが今の憲兵隊の職務であり、誇りでもある。
積荷の確認のためいくつか侍女が質問に答えたりして、粛々と臨検は終わった。
「こちらです」
そのまま、ひとりの憲兵が先導して歩き出した。道案内を兼ねた監視要員だ。
信用されていないのが丸わかりで、侍女は「姫殿下を迎える態度ではありませんね」とご立腹な様子だったが、むしろ変に泳がされるよりもわかりやすくて良いとレピスは考えていた。
(アジェアル姉様や妹のクラフトラなら機嫌を損ねていたかもしれないけれど……だからこそ、わたくしが抜擢されているのでしょうね)
重要な使命に抜擢されたといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ貧乏くじのようなものだ。レピス自身はそういった部分は割り切れる性格をしているが、それに付き合わされる配下の者たちの心中が、穏やかなものばかりでないことにも薄々気付いている。
異国の魔術師に切り売りされる姫の側仕えなんて出世コースから外れるどころの話ではない。昇進が見込めないばかりか、祖国にいる家族や友とも会えず、食をはじめとする文化風土だって異なる。
いっそのことレピスの暗殺が成功すれば――なんて考える者が配下にいたとしてもなんら不思議な話じゃない。
毒殺が失敗に終わったところで、レピスの安全が以後約束されたわけではないのだ。次なる刺客が差し向けられない保証がどこにある。
「……どうなさいました?」
「いいえ、なにも」
怖い想像をしてしまい、小さく身震いしたレピスに、侍女が怪訝な目を向ける。
その視線は主を労っているようにも、疎んでいるようにも感じられる。
レピスは侍女から視線を逸らし、窓の外に向けた。
(……だめね、自分で思っている以上にわたくしの心は弱ってしまっているみたい)
毒を盛られたことに加え、うまく眠れなかったこと、なにも飲み食いできていないことが、心を雁字搦めにして視野を狭めている。それでいて片時も気を休められないのだ。弱って当然だった。
今のレピスが信じられるのは、たったふたりだけだ。
ひとりは、レピスを長年世話してくれ、同じ毒をその身に受けた侍女長のミーシャ。
そしてもうひとりは、すごく面倒くさそうにしながらも簡単にレピスとミーシャを救ってくれた、旦那様になるべき少年。
彼は今のところ、レピスに対して害意どころか興味すら抱いていない。それはそれで、嫁入り志願の姫としては思うところがないでもないのだが。
(あなたはいま、どこでなにをしていらっしゃるのでしょう)
ごとごと進む馬車の窓から賑わう町を見やりながら、レピスは深く溜め息をつく。
その横顔は恋する少女のようでもあり、捨てられた子犬のようでもある。
まさか、思い浮かべた彼が遠く離れた孤島で角兎小屋を建てるのに忙しくしているなどとは思いもよらない。