僕らは討伐隊
明朝、まだ暗い町の通りを北門に向けて歩く僕らは、果たして先に待っていたカイマンと、その連れと落ち合うことができた。
朝というにもまだ早い時分だったが、通りには冒険者風の人々がちらほらとそれぞれ門へ向かって歩いていたりする。
ある程度遠出するためには、これくらいの時間に出発する必要があるのだろう。なかなかに大変そうだ。
「おはよう。どうやら気合十分、といった感じではなさそうだが。どうしたんだオスカー」
「いわゆる寝不足」
普段起きる時間よりも何時間も早いためというのも、もちろん理由のひとつではある。
しかし、大きな原因はそちらではない。
一昨日、眠りについたときには僕とシャロンは別々のベッドであったのだが、昨日はアーニャが増えたために今まで通り一緒のベッドで就寝することとなったために、反動でもあったのかシャロンはすごい甘えたモードだったのだ。
アーニャをお風呂に入れたりなどでシャロンには頑張ってもらった手前、結界などで弾き出すのも忍びなく、また、横になると同時に一瞬で眠りに落ちたアーニャを起こさないようにという配慮もあった。
最初こそ、シャロンの愛情表現は僕の腕を枕にしたり、胸板に頬を擦り付けたりなどと可愛いじゃれつきだった。
しかし、僕が抵抗しないことで(文字通り)目を輝かせたシャロンは、僕の手を自身の胸元に運んでいこうとしたりなどと徐々にエスカレートしていったため、結局僕は結界を使う羽目になったり、はじき出されたシャロンがしくしくさめざめと悲しみの声を上げ始めたり、妥協点として腕枕だけは許可したり、などなどの攻防戦を繰り広げている間に睡眠時間と僕の精神力はガリガリと削られていったのだった。
一方、しっかりと睡眠がとれたと思しきアーニャは決戦に備えての緊張はあるようだったが、尻尾をふりふり、耳をぴこぴこ、調子は良さそうだった。
僕と攻防を繰り広げていたシャロンは、もともと睡眠が必要ないと豪語していただけはあり、いつも通りにしゃんとした様子で僕の少し後ろをついてきていた。
「ウチはいつもより体調いいかも。ベッドふかふかやったし。
おっぱいとか腰とかめちゃくちゃ揉まれたけど、なんか身体も軽い気ぃする」
アーニャがあっけらかんと言い放つと、カイマンが僕の方をしらーっとした冷たい目線で見やる。違う、誤解だ。僕じゃない。
「紛らわしい言い方をするんじゃない」
「でもあんな揉まれたん、ウチはじめてやったし。おっぱい取れるか思たんよ」
「ああもう、カイマンもそんな目で僕を見るな。
やったのはシャロンだ、僕じゃない」
「私がやりました」
その褐色の頬を赤く染めてくねくねするアーニャ、僕の後ろでなぜかドヤ顔で胸を張っているシャロンに、目を白黒させるカイマン。
決戦への出発前とは思えないほど、呑気なものだった。
馬車の前でカイマンの同行者として紹介されたのは、メイソンとクレス両名であった。リーズナル家としての行動ではなくカイマン個人としての蛮族討伐なので、家の力は頼れないのだろう。もしリーズナル男爵がこの行動を知っていれば、こんな戦力で死地に赴くことを許可はしまい。
両名は、僕とシャロンにとってはペイルベアを瞬殺したときから見知った人物であったので、紹介と言っても主にアーニャのためのものだ。
よく食べてそれなりに寝て、精神的に少し安定したからだろうか。アーニャも、見覚えのない男たちに過度に怯えることはしなかった。それでも、基本的に僕とシャロンの陰から前に出はしなかったが。
「よ! 2日ぶりか。今度は獣人の美女か? 節操がないねぇ、おたくも」
「あんまり人聞きの悪いことを言わないでくれ。アーニャとは昨日出会ったばかりだし、単なる成り行きだ」
「そのわりには、えらく懐かれてるじゃないか」
メイソンが言っているのは、僕の背後に隠れ、服の裾を掴んで離さないアーニャの様子を指してのことだろう。
「これは単なる人見知り、というか人間の男にいいイメージがないんだと思うけど」
「いや、お前さんも人間の男なんじゃ……まあ、細かいことは言いっこなしだな! がはは」
見ず知らずの人よりはマシで仕方なく僕の服の裾を掴んでいるのだと思っていると思われるので、べつにアーニャが僕に特別打ち解けているかというと、そういうわけでもないと思う。昨日出会ったわりには、何故か信頼されている気もするけれどね。
シャロンはそれに対抗してか、僕の左腕を胸に抱き込んでおり、自分こそがパートナーである! というアピールに余念がない。
アーニャは出会って半日しか経っていないが、そういえばシャロンともまだ出会って10日も経っていないのだった。そのうち3日ーー僕にとっては3年だったらしいがーーは意識がほとんどなかったため、実際にはまだ7日程度の付き合いである。
すごく濃い時間を過ごしたためか、それとも四六時中一緒にいるためか。もうわりと長いこと一緒にいるような気がしていたのだけれど。
そんな僕らの様子を、僕の後ろに隠れるアーニャのような様子で、メイソンの後ろに隠れつつ見守っている者がいる。もう一人の同行者、クレスだ。
「あのクレスさんは、なんで隠れてらっしゃるのですか?」
「ひゃいっ!? しゃ、シャロンさま、本日はお日柄もよく」
「?
まだ日は出ていませんけれど」
僕の左腕にしがみつきながら、はてな、と首を傾げる様子のシャロンと、メイソンの背に半分隠れながら挙動不審なクレス。シュールな図であった。
クレスはシャロンによってペイルベアの脅威から救われて以来、どこかシャロンを神聖視しているきらいがあった。ゴコ村にて"熊殺しの女神"の二つ名を拡めていたのも、主に彼の仕業である。
2日前、僕とシャロンが村を旅立つ際にも、それはもう悲しんでいたものだった。僕より歳上の青年なのに、村の子どもたちに混じって大泣きであった。それが、再会を果たした途端にこれである。
ちょっと覗き見してみると、もはや彼は《シャロンさまの御姿を拝見できるだけで幸せ》《声をお掛けいただくなど恐れ多い》という状態になっているようだ。大丈夫なのだろうか、あれ。
「カイマンはカイマンだからまあいいとして、二人とも、今日の相手は危ないぞ。
命の危険だってあると思う。本当にいいんだな?」
「お前さんの坊ちゃんへの扱いがようわからんが。
お前さんらがいるなら、怖いもんなんてないわな。
なあに、シータの仇討ちがしたくてたまらんのはカイマンだけじゃあない。その機会がもらえてむしろ嬉しいくらいだ」
僕が念押しをすると、メイソンはニッと人好きのする笑みを浮かべて応える。
そうか。カイマンの想い人だった故人は、ゴコ村の村娘だったということは、彼らとも関わり深い人物であった可能性は高い。
「わかった。
それともうひとつ。帰ってきたときに大人数でも入れる、ガムレルの町でもご飯の美味い店を知らないか?」
「……お前さん、実のところは命の危険が、とかこれっぽっちも気にしてないな?」
メイソンに呆れられたりもしつつ、そんなこんなで。
僕らが乗り込んだ馬車はごくごく一般的な、冒険者が乗り合い馬車として使うような風情のもので、シャロンに出会う前にカランザの町に向かう僕たち一家が乗っていたようなものと同等なものだ。
二頭立ての中規模な馬車であり、荷台には僕とシャロン、アーニャ、カイマンの4名だけ。あとは人一人分には満たない大きさの魔道具が端っこに鎮座しているだけで、僕らは広めの荷台でのんびりごとごとと揺られている。
聞くところによると、帰りには蛮族から解放した人たちがある程度一緒に乗る想定なので、この規模の馬車を選択したとのことだ。ちゃんと後のことまで考えて手配する馬車を選べるカイマンは、冷静であればしっかり有能なのだった。
行きは御者台にクレスが座り、その横ではメイソンが前方警戒をすることとなっていた。
昼休憩で交代がある予定だが、僕とアーニャは馬の制御などはやったことがないため、御者役からは除外される。
シャロンも同様に経験がないはずなのだが、少し見たら覚えるとのことだった。普段は残念な発言が多いだけについ忘れがちになってしまうが、シャロンの学習速度や、知識となったものを扱う技術の高さには驚かされる。なぜか料理はあまり得意ではなかったようだけれど。
道中の警戒に関しても御者台に座るメイソン以外に、僕かシャロンか、あるいはその両方が常時ある程度の索敵は行なっている。
普通、街道を行く分には魔物や蛮族への警戒はさほどする必要はない。魔物や蛮族が蔓延り流通が滞ると、都市や国家の経済の停滞を招くため、優先的に討伐隊が組まれるためだ。
しかし、今回向かっているのはその普通が通用しない蛮族の本拠地であり、警戒しすぎて困るということもないだろう。
「今日もやけに荷物が少ないが、そんな装備で大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
カイマンの心配ももっともである。僕らの出で立ちは、ほぼいつも通りだったからだ。
僕とシャロンはヒンメル夫人に仕立ててもらった服一式を身につけ、アーニャは昨日の薄着のままだ。
武器としては、僕は父親の剣を背負っているくらいで、あとは小物入れだけしか持っていない。
剣のほうはいつぞやのように抜き身ではなく、きちんと鞘を用意してある。そして小物入れには"倉庫"にアクセスする用の板が忍ばせてあるため、実質的に持ち物に不安はないのだった。
シャロンに至っては、服に取り付けられている小物入れだけだ。こちらも、同様に"倉庫"にアクセスできるように板が入れてある。
ペイルベアとの戦闘時にはカモフラージュも兼ねて剣を持たせていたなぁ、ということに思い至ったのもカイマンと合流した後であり、用意するには手遅れであった。
道中で僕が作ったフリをして"倉庫"から取り出してもいいが、どうせシャロンはまともに剣を振らなくても物凄く強いので、それならば余計な剣を持たせないほうがいいのかもしれない。
それにゴコ村で単独行動させたシャロンに怪我を負わせてしまった反省もあり、今回僕は彼女らと別行動をとるつもりもなかったし。
アーニャは昨日と同じ、かなりの薄着である。獣人はあまり寒さを感じないのだろうか? と聞いてみたところ、普通に寒いとのこと。
「じゃあなんでその服にしたんだ」
「ウチも、もうちょっと分厚いのがよかったわ。
でも、おっぱいが入りそうなん、パッと見た感じでこれしかなかってん」
「お、おぅ……」
自分で聞いておいて、反応に困る僕だった。
そのアーニャには、見様見真似で作った投げナイフを2本ほど与えおいた。
僕らと出会ったときにはすでにカラになっていたが、彼女のむちっとした太ももに巻きつけられたホルスターには元々は1本ナイフが収められていたらしい。
今はそこに、真新しい2本の鈍く光る投げナイフが挿してあった。
「なぁなぁシャロちゃん。カーくんってふともも好きなんかなぁ」
「なんですか、藪から棒に。
ああ、でも例の『至福タイム記録No.33 半日膝枕』のときはいつになく和んでいらっしゃいましたか。
それがどうかしましたか?」
「やー、なんかふとももに視線を感じたんやけどな。
そっかそっか、じゃあ今度ニャーねぇちゃんも膝枕したるな!」
女性は、自らが見られている部位に対して敏感であるという。
そういえば、結界内でもフリージアと似たようなやりとりをしたような覚えがあった。
単に僕の行動や目線が分かり易すぎるだけなのかもしれなかったが、ある程度健全な男の子たる僕としては、反応に困る話なのだった。
「その役目は譲りませんからね」
「ええー。なんでよー」
女子二人がきゃいきゃいと言い争うのを横目に、カイマンのじと目をもやり過ごしつつ僕は無関係無関心を貫くのだ。
だって何か言ったら、いらぬ広がりかたをするのが目に見えているので。
がたがたごとごと。
規則正しい車輪の音が、少しずつ僕の眠気を誘う。
シャロンとアーニャは楽しそうに談笑をしている。
アーニャが何か言って、シャロンがそれにわーっと食いついて。
または、アーニャがふっと不安そうな顔をしそうになると、シャロンがそれとなく話を振ったりつついたり。
表面上は楽しそうにしていても、アーニャに関しては内心気が気ではないだろう。しかしそれも、後少しの辛抱だ。
僕とシャロンが何とかする。アーニャの妹弟も助け出して、町に戻って万々歳、だ。
きっと。僕一人だけではなくアーニャとも仲良く触れ合うことで、シャロンにもヒトとしての楽しさとか。
村でのたのしそうなシャロン、美味しいものを食べたときのシャロン、アクセサリーを物珍しそうに眺めていたシャロン。いろんなものをみて、きいて。ヒトとしての楽しさとか、幸せとかーー
そういう魔導機兵としての役割から解き放たれるような、そういう、なにか、へんかがーー
そうなれば、きっと。僕だってシャロンとーーシャロンにーー
がたがたごとごと。
車輪が僕らを運ぶ。
こっくり、こっくりと、いつのまにか僕はまどろみの中に落ちていた。
ーー
がたん
ひときわ大きな揺れにより、僕の意識は覚醒した。
どうやら、寝てしまっていたらしい。
「おはようございます、オスカーさん」
「お? カーくん起きた? おはよ」
頭とふくらはぎのあたりがふにふにと柔らかな感触だ。
そしてこれは、少し前に覚えがある感覚だ。
頭上から聞こえる、鈴の音のような優しげな声は、やはり僕に膝枕をしているらしいシャロンによるものだ。蒼く輝く優しい瞳が、僕を見下ろしている。
また、アーニャの声は僕の足の方から聞こえてきた。
ふくらはぎに感じる柔らかさ以上のふよふよとした感覚が、たまに膝を掠めている。
むくりと上体を起こしてみると、僕の足を抱き上げるようにして自らの膝に載せているアーニャとも目があった。
ということは、先ほど感じた柔らかみーーというよりも今なお抱きかかえられている脚に感じるこの温もりは。
どくどくと、アーニャのその心音すら脚を通して伝わってきそうなほどに密着されているそれは。
そこまでを視界の端と思考の端で認識して、僕は飛び起きた。
「わ、元気やね。
それで、カーくん、寝心地どうやった?
あ。聞いて聞いて、シャロちゃんに教えてもろてんけど、足と頭をちょっと上げとくと寝やすいんやって」
「寝心地は、良かったよ」
そりゃあ、昨日ちゃんと寝られなかったぶんを取り返すほどにしっかり寝られたし、固い木の床の、揺れる馬車の中とは思えないほど心地良かったけれども!
いえーい! と手を打ち合わせているシャロンとアーニャを横目に、はじっこの方にいるカイマンを恨みがましく見てしまう。
カイマンも、そんな荷台のはじっこでじっとしていないで、止めてくれても良かったのではなかろうか。
「そんな目で私を見るのはお門違いだぞ、オスカー。
彼女たちは、実に甲斐甲斐しく、楽しそうに君の世話をやいていたのだから。
まるで私などここに居やしないかのような振る舞いで」
若干言葉に棘が混じる彼は、彼なりになかなか辛かったらしい。
広いとはいってもそこは『馬車としては』という言葉が頭につくので、空間としては相応に狭い。
そんななか、自身に全く関心を示さずに、甲斐甲斐しく他の男のために尽くす美女2人の様子を何時間も見続ける羽目になっていたのだろう。僕が同じ立場だったら、いかに重要な決戦前でも知ったことかと帰りたいような光景だった。なんかすまん、という気がする。
「そんな君に、良い報せと悪い報せだ」
髪をぐしぐしと掻き揚げ、ゆっくりと背中を伸ばし、持って回った言い回しをしつつカイマンが続ける。そういうキザな動きがーーいや違う、これ単にずっと座り続けて身体が凝ってるだけだわ。
「まず、良い報せとしては、ここまでは何事もなく進んできていること。
むしろ予定より順調だな、ここで休憩して昼食を摂ったらあと2時間ほどで目的地付近だ」
いよいよ敵本拠地の目前まで迫っている、ということだった。
僕も思った以上にしっかり寝ることができたため、羞恥心でくじけそうな以外では、体調は整っている。
「それで悪い報せっていうのは?」
「偵察に出てくれている者の話を昨日しただろう? ほら、蛮族の本拠を突きとめてくれた者だが。
その者との連絡が途絶した」
「うん?
馬車の中から連絡をとる手段があったのか。あの魔道具か?」
「ああ、その通りだ。
あれは、対となる同じ魔道具と文字のやりとりができるものだ。
とはいえ、4種類の文字を1字ずつ送るというものだから、自由な文字を送ることはできないのだがね。
その文字を送る順番によって、あらかじめ取り決めた連絡をするんだ」
たとえば己の無事を示すような文字の並びをあらかじめ決めておいて、決まった時間で相手に送ることで、擬似的な連絡をとっていたということらしい。
シャロンが何故かしみじみと「物凄く原始的な無線暗号通信みたいなものですね」と魔道具を撫でている。彼女の知る、昔の時代の産物に似たようなものがあったのだろう。
「それで、その連絡がつかなくなった、ってところか」
「そういうわけだ。
無事であれば良いのだが」
心配そうに呟くカイマンの様子は、単に雇い主としての義務としての心くばりというよりは、共に仇敵に挑む戦友とも呼ぶべき者に向けてのもののようだった。
しかし、結論から言うと。
残念ながら、彼の願いが届くことはなかった。




