僕と厄日
宝を自称することなんてそうそうない珍事だと思うけど、レピスはエタリウム国が差し出してきた人質なわけだ。
元婚約者の失脚によって国内での価値は落ちても、姫は姫だ。僕みたいなただの平民からしたら雲の上の存在ってやつだ。姫をくれてやるという誠意を見せたのだから、不幸な行き違いはこれで手打ちによう、ってことだな。
あとは血縁関係を結んだ僕をエタリウムの戦力として取り込みたい思惑だろう。『無尽のグリスリディア』を討ち倒した僕を。もちろんお断りである。
「……そんなに露骨に嫌そうなお顔をなさらずとも良いではありませんか。わたくし、けっこう尽くす女ですわよ?」
「そういう問題じゃない。そもそも僕は妻帯者だぞ」
「そこになんの不都合がございましょう。聞けば両手の指では足りないくらいの妻をお持ちとか。そこに新しくわたくしが加わったところで、何の問題もないはずですわ」
……おかしいな、僕の妻は今のところまだシャロンだけのはずなんだが。
アーニャとアーシャは、まあ、わからんでもない。前々から僕に好意を寄せてくれているし、なんならシャロンがふたりを僕とくっつけようと後押ししているくらいだ。なんだか最近は外堀を着々と埋められている感じがする。
それでも3人でしかない。いや3人も妻がいれば十分すぎるけど、僕の両手の指はもうちょっと多い。
もしかして、リリィやカトレア、らっぴーまで含まれてやしないだろうな。あとは――カイマンとか?
「……」
「うん? どうしたんだい」
「いやなんでも……」
カイマンからちょっと距離をあけて座り直したら、カイマンはあけた距離以上に距離を詰めて座り直した。どうして。
尽くす女のお宝お姫様たるレピスが毒殺されかかっている理由は、いわゆる跡目争いだろうというのがシャロンの見立てだ。それにはレピスも同意していた。渋々といった様子だったけど。
「オスカーさんを取り込むために動く派閥があれば、それを邪魔する派閥もあるということです。おおかた、お姫様を毒殺した犯人をオスカーさんだと断定し、それを大義名分に軍でも動かすつもりかと」
「軍かぁ」
「強襲部隊が一方的に負けただなんて風聞が広まれば国の面子が保てませんからね。どうにか有耶無耶にできないかと考える派閥が出てもおかしくはありません」
面子のために戦争をするなんて馬鹿らしい、と思わなくはないけれど、あちらさんにとっては死活問題なんだろうな。
『そこらにいるただの魔術師に負ける国』なんて風評が立てば、まず間違いなくナメられる。ナメられるとどうなるかといえば、圧力をかけられて貢ぎ物を要求されるだとか、商品を安く買い叩かれるとか、場合によっては侵略戦争を起こされるかもしれない。そんなに弱い国なら、容易く侵略できるはず……ってな具合に。
そういう恐れを抱く者にとっては、面子の回復は急務なわけだ。
「軍と言ってもエタリウムは海洋国家ですし、歩兵なら二千も用意できたら頑張ったほうだと思います。問題なく蹴散らせるでしょう」
レピスの後ろに控える騎士は顔を顰めているが、食って掛かってきたりはしない。安い挑発だと思われているのかもしれないな。ただの事実なんだけど。
シャロンひとりが正面から相手をしても、たかだか歩兵二千人が相手なら余裕で捌けそうだ。なんならわざわざ相手をしてやる必要すらない。
『蒼月の翼』や『宙靴』で矢も届かないくらい上空をおさえ、『倉庫改』に貯めた岩やら木やらを空から落とし続けるだけでいいのだから。
全滅させるまでやらなくたって、一方的に半数でも蹂躙されれば士気も戦線も保てるわけがないから、あとは勝手に逃げるだろう。この方法なら二千どころか数万が相手でも、落とす岩を増やすだけで対処できる。
戦争に駆り出された者たちにとっては災難以外のなにものでもないけど、甘い対応をせずに叩き潰したほうが、二度と挑む気にはならないだろうし、最終的な犠牲者人数は少なくなるはずだ。恨むならば仕えた君主を恨んでくれ。
とはいえ、戦わないで済むならそれに越したことはないけどな。岩を降らせてべこべこになった農地を元の状態に戻すのも大変そうだし。
「今度はわたくしがお尋ねしてもよろしくて?」
「いいけど、答えられるかどうかはわかんないぞ。あと嫁入りはお断りだ」
「うぐっ……! そちらが本題ではありますが、今はそちらではなくて、その。それはなんですの? それも解毒剤の材料なのかしら?」
どこか不安そうなレピスの視線は僕の手元に注がれている。
「これはガルジュラの毒腺。もちろん解毒剤の材料だ。傷口に付着するとそこから腐っていく猛毒を持ってる」
「ひえっ」
ガルジュラはグレス大荒野で見つけた、魚のような、蛇のような、なんとも捉えどころのないニョロっとした細長くヌメヌメした魔物である。
獲物に牙を突き立て毒を流し込んで狩りをするんだけど、毒を蓄えておく毒袋と牙を繋いでいるのが、今僕の持っている毒腺だ。見た目は黒々として、ぬらぬらしているのでちょっと気持ち悪い。
「……それでは、あの、そっちは?」
「これか? いや、こっちか。これはスヴェから採れる蜜だよ。幻覚作用のある毒だ」
「ひっ」
スヴェはいわゆる蔦植物だ。白い花から白濁した蜜が採れる。この蜜で昆虫や小動物を従えて仲違いさせ、栄養を獲得したり、種を遠隔地に運ばせているんだってさ。植物なのに賢いやつだ。
ガラスラ瓶入りのスヴェの蜜をひと掬いして刻んだガルジュラの毒腺に混ぜると、レピスはあからさまに顔を顰めて少し後ろに下がった。下がったところで、あとでこれを飲むという事実は変わらないぞ。
「で、では、そこの何かの実みたいなものはなんですの?」
「実? ああ、これはセルヴェロの胆嚢。実じゃなくて内臓だな。気をつけろよ、汁が目に入ると失明するから」
「ひぃっ……わ、わたくしにいったいなにを飲ませる気ですの!?」
「解毒剤だよ」
「むしろトドメを刺されそうですわよ!?」
レピスはもう完全に涙目になっている。
そうは言うけどな。毒も使いようによっては薬になるし、薬だって用法を間違えば毒になる。極端な話かもしれないけどヒトが生きるのに必須な塩だって、摂り過ぎれば毒になるのだ。なにごとも使い方次第だ。
「それで、あの。その。どう見ても、どう考えても、旦那様の鞄から出てくるにはちょっとモノが多すぎるかなー、なんて思うのですけれど」
「見た目より入るんだよ、この鞄。ポケットもいっぱいついてるし」
「見た目より入るとか、そういうレベルで済ませていい量かしら!?」
レピスが狼狽するのも無理はない。むしろここまでよく耐えたほうだ。見れば、後ろに控えている者たちも『よくぞ言ってくれた』とばかりに頻りに頷いている。
天幕内には僕が鞄から出した――ように見せかけて、実際は『倉庫改』の異空間からだけど――調合器具や素材、薬瓶が数多く並べられていた。
ごまかすのが面倒なことになるのは最初から分かりきっていたんだけど、調剤のために別室を用意させたところでどうせ監視はつけられるし、レピスや侍女と離れると容体の急変に対応できない。
荷物の量を不審がられるか、魔術で全員眠らせてその間に薬を完成させるか、さもなくば彼女らを見捨てるかくらいしか実質的な選択の余地がなかったのだ。
「そんなに多く見えますか?」
「どう見ても多いですわ!? だってあの大きさの鞄ですのよ。これも、それも、あれも、そこのぶよっとしたのもあのぐちょっとしたひぃっ! やぁっ! なんか動いてっ……うぅ……。あれもそれも全部あの鞄から出てきましたのよ!?」
「うーん、入るんじゃないでしょうか。だって実際に出てきたんですし」
小首を傾げてシャロンはすっとぼけるが、当然レピスは納得しない。
「さすがに無理がありますわ!」
「もし解毒剤の材料が足らず、あなたと侍女がこのまま毒でお亡くなりになって、いずれかのご兄弟の意図通りに仇討ちの軍が派遣されたとしましょうか。そうなれば『無尽のグリスリディア』率いる部隊を一蹴したオスカーさんと、万の魔物を討ち滅ぼした『黒剣』があなたの祖国の民から成る軍を刈り取ることになるでしょう。もしかしたらそれ以上の報復をしたくなっちゃうかもしれません」
「……」
「もう一度お聞きしますが、よく見てください」
「…………」
「鞄からそんなに多くのものが出てきたように見えますか?」
「……………………」
こちらからは見えないが、おそらくシャロンのにっこり笑顔(威圧付き)が炸裂しているのだろうな。怖いんだよな、あれ。
やがて、レピスが折れた。人の身でありながら女神に対抗するのは土台無理な話である。それが機械仕掛けの女神ならばなおさらのこと。
「……どうやら気のせいだったようです。申し訳ないですわ。毒が回って変なことを言ってしまいましたかしら」
「毒のせいなら仕方がないと思います。怖いですね、毒」
「まったくです。解毒剤の完成が待ち遠しいですわ。うふふ」
なんか知らんうちに、ふふふ、うふふと微笑み溢れる空間になった。いやぁ、シャロンは交渉上手だなぁ。
その後、完成した解毒剤を侍女と『不味い、苦い、責任をとってわたくしを嫁に迎えるべきですわ』とごねるレピスに飲ませたり、いい加減帰ろうとしたら解毒剤に含まれていた酒精でべろんべろんになったレピスに『つまをおいてどこへいくおつもりかしら?』とウザ絡みをされるなど、散々な目に遭った。
使節団が持ってきたレピスじゃない他の『宝』は、ごてごてと宝石がついた何の魔術的価値もない剣と、馬車丸々一個分の大きさでありながら個人の魔力形質の色を判別するだけの機能しか持たない魔道具で、期待外れでしかなかった。
似たようなものはもう作ったし、アーシャの舞台で使ったよ! 持ち主の魔力で発光を変えるペンスラはナイフ程度の大きさだし、観客も大盛り上がりだったよ! ちくしょう!
絡むだけ絡んで酔い潰れて寝てしまったレピスを置いてどうにかこうにか天幕をあとにする頃には、ゴコティール山の稜線が茜色に染まっていた。
今からアーニャと約束した『一杯ひっかけて帰る』をやると夕飯に間に合わず、屋敷で帰りを待っているアーシャが悲しむことになる。あちらを立てればこちらが立たない。まったく、散々な日だ。
「アーニャ、すまんが飲みにいくのはまた今度にしよう」
「ぶー。しゃあなしやで。あーあ、カーくんとデートしたかったにゃー」
護衛の憲兵と別れ、ぶーたれるアーニャを宥めながら、シャロンやカイマンとともにリーズナル邸に帰りついた頃にはもう完全に日が暮れていた。はぁ、ようやくゆっくりできそうだ。
メイド隊の面々が頭を下げたままの広間を進むのもいい加減慣れたものだ。
「おかえりなさいなのっ!」
僕らの帰りを聞きつけて、ぱたぱたと出迎えにやってきたアーシャが、ばふっ! と勢いよく僕に飛びついてきて――
「……………………知らない女の臭いがするなの」
このときようやく、僕は散々な一日がまだ終わっていないことを知った。
Q. 小太り卿は結局何がしたかったの?
A. 決闘でオスカーを打ち破ればレピスラシア姫が手に入る、と唆かされてしまったおじさん。ほんとに決闘で打ち破ってしまったらそれはそれでいいし、レピスを毒殺して大義名分を作ってもいいし、という二段構えの謀略に利用された人。