僕と嫁気取りの姫が来たワケ
「――とりあえず、事情は解毒剤作りながら聞くから最初から話して。あと頭を上げて。座って。……床じゃなくて椅子に」
こっちは善良な一般市民だ。土下座している女の子と楽しく語らう特殊な技能や性癖は有していない。
「まったく、勘違いも甚だしいです。オスカーさんの性癖は嗜虐趣味ではなく甘えたい側ですからね」
「ややこしくなるからシャロンはちょっと黙ってて」
「甘えたい……わかりました。その、うまくできるかわからないけれど精一杯がんばってみますので、ご指導お願いいたしますわ」
やや目を伏せてこちらをちらちらと見てくるレピスは頬を少しばかり赤らめる。
「掘り下げるべきは僕の性癖の話じゃないんだわ! ていうか、致死毒を飲まされてるわりに余裕があるな。あんたのとこの術者が”解毒”に失敗したばかりだってのに。怖くはないのか?」
「怯えて嘆き悲しめば毒が消え去るのでしたら、もちろんわたくしもそうしております」
そりゃ、いくら嘆いたところで現実は変わらないけどさ。頭でそう理解していたところで、感情が理解に伴うかといえば別問題ではなかろうか。命の危機だぞ。
「それに、わたくしは信じていますから。わたくしの、未来の旦那様を」
「それだよそれ。降嫁だかなんだか知らないけど、どういうつもりなんだよ」
「もちろん言葉通りに受け取っていただいてかまいませんわ。未だ生娘の身でありますから、至らぬところも多々ありましょうが……そこはそれ、あなた様好みに仕上げる楽しみと思っていただけましたら幸いにございます。その、甘やかすのも研鑽を積みますので」
頬を赤らめたまま、両手で拳を作って「むん!」と気合を入れるレピス。
言葉は通じるのに会話が通じていない気がするし、あとシャロンが口走った内容からは一旦離れてほしい。切実に。
「僕が聞きたいのは経緯だよ。僕ら初対面だよな? それがなんで嫁だなんだって話になるんだよ」
「初対面だなんて非道いですわ、わたくしは何度もあなた様を夢に見ましたのに……妻のちょっとしたお茶目な冗談ではございませんか。じとーっとした目で見るのはおやめくださいませ」
誰が妻だ、誰が。とでもツッコミを入れようものならすかさず『もちろんわたくしですわ』とかなんとか言われる予感がしたので華麗に放置しておく。その反応が気に食わなかったのか、レピスは唇を尖らせて、ぷぅと膨れてみせた。
「でも、あなた様を何度も夢に見たのは本当のことでしてよ。もっとも、夢の中のあなた様はいつも、もっと粗暴で偏屈で恐ろしい方でございましたけれど。『無尽』を圧倒した稀代の魔術師、オスカー=ハウレル様」
こらそこ。アーニャにカイマン。「偏屈は偏屈やんね?」とか「敵と定めた相手への容赦のなさは恐ろしいとしか言えないが」とかバッチリ聞こえてるからな。
シャロンは静かだな……と思ったら、僕がさっき言った『ちょっと黙ってて』を忠実に守ってくれてるらしい。エタリウムの面々への牽制のためにも、しばらくはその調子で微笑み続けていてほしい。シャロンには女神の貫禄みたいなのがあるからな。黙ってさえいれば。
「アテが外れたか?」
「ええ。と言っても良いほうにですわ。旦那様が優しいに越したことはないですもの」
「わかんないだろ、優しいかどうかなんて」
解毒剤をちゃかちゃか作りながらでは語るに落ちている感じがしないでもないけれど、これは厄介ごとをさっさと精算してしまいたいがための行動なので、優しいとかそういうのじゃないから。
押しかけ嫁入りを仄めかす姫が即座に毒殺された――なんてことになったら、絶対に面白くない事態になる。この解毒剤を賭けてもいい。作りかけだけど。
「わかりますわよ。英傑が好色であるのはしごく当然なことですけれど、その人となりは囲っている娘を見れば知れるもの。力で無理やり侍らせた子たちが、僅かの媚びも怯えも打算もなく、たっぷりと慈愛だけが籠もった眼差しを向けるはずがございませんわ」
レピスの視線を追うと、シャロン、アーニャの順に注がれていたようだった。僕が好色家と思われているらしいのは今に始まったことでもないので置いておくとして、本心で言ってるのか、それとも王族貴族の嗜む巧みな甘言なのかはわからない。
「……そこでなぜ私を見るのだ友よ」
「いや。カイマンからも慈愛の眼差しとやらを注がれてたらどうしようかなと思って」
「注いでほしいかい?」
「町娘相手にそういう商売をしたら小銭を稼げそうだ」
「なんだい、照れなくてもいいじゃないか」
「照れてないですわ!」
カイマンが変なことを言うせいで、咄嗟にレピスの言葉遣いが移ったみたいになってしまった。照れてないわ!
レピスがくすくす笑う。ちくしょう、なんだよぅ……。
「発言、よろしいでしょうか。レピスラシア様」
「ええ。もちろんでございます、リーズナル様」
わずかに弛緩した空気の中、話しかける機を窺っていたんだろうな、カイマンが問いかけてレピスもそれに応じる。
「レピスラシア王女殿下は王位継承権を返上してまでオスカーのもとに嫁ぎに来た、ということで間違いありませんか?」
「間違いございませんわ。王位継承権と言えども第11位でしたので、もとより飾りのようなものでしたけれど」
「ともあれ、王族には違いないのでしょう。もともとの婚約者もおられたのでは?」
「うぐっ……!」
レピスが声を詰まらせる。すわ、毒が回りはじめたのかと少しばかり焦ったが、そういうわけではないらしい。単に痛いところを突かれただけか。
これ幸いと僕もそこに便乗することにした。
現在進行形で毒に侵されている嫁入りする気満々の厄ネタに穏便にお帰りいただくための隙を、利用しない手はないのだ。
なんらかの事情があるにしたって、レピスも里帰りすら難しい他国の、しかも初対面の他人となんて婚姻を結びたくないのが本音だろう。やんわりと断る理由ができるならば、それに越したことはないはずだ。
「婚約者がいるのに他国の平民に嫁入りは問題がある、どころか問題しかないんじゃないか?」
「いえ、そのぉ……婚約者はおりません。ほ、ほんとでございますよ? ……正確にはいたにはいたんですけれど、つい最近、失脚なさいまして……ほぼ族滅のような形でお家も取り潰しとなっておりまして……」
「族滅とは、またなんとも。穏やかではありませんね」
なんとも歯切れの悪いレピスの物言いに、カイマンが露骨に眉を顰める。
その反応を見る限りあまり愉快な話じゃないんだろうが、結局どういうことだ? レピスの婚約者は今はいないってこと?
「なあカイマン、族滅ってなんだ?」
「うーん……うちの国では滅多なことでもない限りそんな手段は取らないはずだよ。そうだな、親戚縁者、赤子に至るまで、その家に関わるものを皆殺しにて後の禍根を断つという過激な刑というか、なんというか――。ッッ!!? おい、落ち着け、友よ。魔術師じゃない私にもわかるくらい凄い気配がッ、なんか漏れて――レピスラシア殿が白目剥いてらっしゃるじゃないか!?」
「きれーなおはなばたけが……あっちはおおきな川かしら……あら、お爺様が手を振ってらっしゃるわ。うふふ」
「レピスラシア様、先王陛下はご存命っすよ! アッ、術師がふたりとも泡吹いてるっす、衛生兵、衛生兵ーっ!?」
あ、やべっ。あまりに胸糞悪い話だったために余分な魔力が漏れてしまっていたらしい。
天幕内が俄かに騒がしくなってあちこち人が走り回り、騎士が剣を抜きかけ、それをアーニャが異常な速さで横跳びを繰り返して翻弄し――……ひどい混乱具合だ。
でもまぁ、やっちゃったものはしょうがないよな。うん。僕は解毒剤の作成を続けることにしよう。えーっと、次は月露華の蜜と濃縮した酒精を手早く混ぜて、と。
「前言を撤回させていただきますわ。旦那様は優しくも恐ろしい方ですのね……かの『無尽』を捻り潰した御仁ですものね……」
少し後になってようやく落ち着いた頃、レピスに文句を言われた。
「……婚約者殿が、あー、『元』婚約者殿が失脚された『つい最近』の出来事というのは、もしかして?」
「ええ。リーズナル様のお察しの通りですわ。愚かにも旦那様の尾を踏みつけて怒りを買った一件で、勢力を大幅に失った過激派や、その傘下の家系は仲違いに責任の押し付け合いにひどい有様となりました」
「元婚約者殿もその家系のうちのひとつだと?」
「おっしゃる通りです。過激派の中核を担う家系でしたので。今はもうありませんが……」
どこまで信じていいかは別問題としても、レピスが言うには、近年勢力を拡大していた過激派との融和政策の一環としての婚約であり、元婚約者の当人とは過去2度ほどしか会ったことがないとか。そんな相手と結婚を決められるとか、貴族の感覚ってのはよくわからんね。
ゴコ村の襲撃には王家は何ら関わっておらず、『無尽』という後ろ盾を失い急激に弱体化した過激派はほとんど壊滅状態になったとかなんとか。
レピスが言うことが全面的に正しいとするのは危険だろうけど、そういう難しいことはカイマンやシャロンが考えてくれるだろう。
「レピスの婚約がなし崩し的に解消されたのは、まあ、わかったよ。だからといって、いきなり僕のところに嫁入りだなんだって話になるのはやっぱりおかしくない?」
「それは……あぅ。旦那様の望みに沿った形と言いましょうか……」
答えづらそうにもにょもにょした物言いをするレピスに半眼を注ぐ僕。
そんな僕を、隣のシャロンがつんつんと指でつついてくる。
「あ、ごめん。シャロンも喋っていいよ」
たぶん、何かわかったのだろう。性癖の話を続けるようならまた黙っていてもらうことになるが。
「オスカーさんの望み。つまりレピスラシア様は、ご自身を宝である、と主張されたいのでしょう」
「え? 宝?」
僕の望みの宝ってなんの話――もしかして、今回の件を手打ちにするかわりに貸与しろと吹っ掛けた、3つの国宝級の魔道具のことか。ということはつまり、レピスって魔道具なの!? どう見ても人なんだけど、人型の魔道具ということか? ゴーレムみたいな……。
そうか、だから毒に侵されていてもあまり動揺が見られなかったってこと!?
「オスカーさん、違いますよー。この方は正真正銘の人間です」
「なぁんだ……」
「露骨にがっかりしてやるな、友よ」
そりゃ、シャロンが精査した段階でそんな見落としはないよな。はぁ……。
「オスカーさんの望んだ『国宝級の魔道具』が、伝達ミスか意図的かはさておき『国の宝をよこせ』と曲解されたのだと推測します。そこで婚約が解消されたばかりで、曰く付きの過激派派閥との繋がりを疑われる立場の、価値の急落した王族のご令嬢がいた。これ幸いにと『宝』として差し出され、ついでに足の引っ張り合いの煽りを食らって毒殺されかけている――なんて推理が成り立つわけですが。そこのところどうなんですか?」
そんなまさかな話があるか? とレピスを見やれば、よっぽど恥ずかしいのか、赤面し、やや伏せた目は半泣きでぷるぷる震えながら。
「そうです。わたくしが『宝』でございますわ」
か細い声で、そんな風に自供したのだった。
平素より【オスカー・シャロンの魔道工房】をご愛顧いただきまして、まことにありがとうございます。
今日で連載開始よりちょうど5周年となりました。5年ですって。うわぁ。もう少しで小学校も卒業しちゃいそうです。
連載開始当初よりは成長して、読みやすく、面白い物語が紡げているといいなぁ…! なんて願いつつ、引き続き頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ご感想もお待ちしております!