僕らと交渉
「お待ちいただきたい。貴国の奇襲部隊によって我が領地や領民に被害が出ている事実についてはどうお考えか」
「そのようなものはどうとでも言えよう。貴殿は事実と口にしたが、その被害とやらが実際にあったものかどうかさえ疑わしい。まさか、そちらの手の者が検分した言い分がそのまま通ると思っているわけでもあるまいな?」
「逆に言えば、そちらの憶測がそのまま通る道理もありますまい」
領主の名代としてこの場に立ち会っているカイマンが怒りを押し殺した険しい顔で反論する。町娘たちが見たら、口々に黄色い悲鳴をあげそうな珍しい表情だ。顔がいいやつは何を言っててもサマになるからずるいよな。たぶん干し肉齧ってるだけで絵になるぞこいつ。
そんな反論を意に介さず、偉そうな小太りの甲冑男は踏ん反りかえって、自分に都合の良い理屈を並べ立てる。正当性がどうとか、名誉ある我らのなんたらかんたらとか。
なんていうか、面倒くさいなぁほんと。
要求を蹴るなら蹴るでハッキリそう言ってくれればいいのに、本当に奇襲はあったのかどうかまで遡って舌戦をする必要なんてあるか?
事前に『要求を呑む』と伝えてられていたとはいえ、僕だって彼らが素直に国宝を持ってくると頭から信じていたわけじゃない。そりゃ、そうなってれば話は早いなーとは思うけどさ。約束をきっちり守るような相手なら、そもそも奇襲なんぞを仕掛けてきたりはしないだろう。
シャロンによる事前の見立てでは、『貸し出す』と『反故にする』が半々くらいで、『貸し出す』場合でも要求にすんなり応じる可能性は、高く見積もってもいいとこ1割くらいだと言っていた。
『貸し出す』場合での残る内訳は、『適当な物品を国宝だと偽って持ってくる』とか、『途中で野盗に遭い紛失したとか言ってその責任を追求してくる』とか、あとは『国外に持ち出せないのでこちらから出向くように交渉してくる』あたりがあり得る線だろう、と。
そして『反故にする』場合は襲撃の事実そのものをしらばっくれるだろうと予測していた。そんな部隊のことは知らない、だからそんな不当な要求には従わない、ってわけだな。
強襲部隊は国の所属を示すような徽章をどこにも持っていなかった。そうやって言い逃れる余地を残しておいたのだと思われる。
あらかじめそんな細工をしているくらいだから、しらばっくれてくる可能性が一番高いとシャロンは言っていたし、僕も同意見だった。
まさか、無関係を装うどころか『旅行中の彼らに、僕らのほうから襲い掛かった』だなんて言いがかりをつけてくるとまでは予想できなかったが、全員を生かして捕らえられた時点で、しらばっくれるのは無理だと判断したのかもしれない。それにしたってなぁ、という気はするが。
もっとひどいのは、この妄言としか言いようのない言いがかりを、この小太りのおっさんが本気でそうと信じ込んでいる場合だけど……さすがにそれはないと思いたい。ない、よな……?
『”なぁカーくん、ちょっと散歩しに行かへん? あっちの白いのからなんか変わった匂いがすんねん”』
アーニャはこの状況に速攻で飽きたみたいだ。首輪に仕込んだ”念話”で話しかけてくる。いちおう、声に出さないだけの配慮はあるらしい。
『あっちの白いの』は他の天幕のことを言っているようだ。僕らがいるのが『こっちの白いの』ってわけだな。エタリウムの使者団はけっこうな大所帯でやってきたようで、街道から少し距離をあけていくつか天幕が並んでいる。
アーニャの気持ちもわかる。僕だって面倒くさいもん、すごく。
面倒くさいうえに、カイマンのように相手の戯言に付き合ってやいのやいのとやりあうつもりもないので、ありていに言って暇なのだ。
だからといって、この場で魔道具の調整をはじめたら怒られそうなので、さすがにそれは自重している。誰か褒めてくれたっていいんだぞ。
『"もうちょっとおとなしくしてて。帰りに1杯付き合うからさ"』
『"ほんまに? わーい! じゃあ来るときに見つけたとこ行こ、自家製エールってのがあるんやって!"』
嬉しそうなアーニャについつい頬を緩める。それを見咎めたらしい小太り男は苛ついた様子でこちらをぎろりと睨んできた。
嫌味や挑発が効かなくてムカついているのだろうな。効かないというか話そのものを聞いてないんだけど。聞く価値のある話をしてくれないんだもん。
『”ウチこのおっさんきらーい。はやく飲みに行きたーい”』
アーニャはもう完全に酒を飲む気分になっている。
さっさと切り上げたいってのには僕も完全に同意である。
『”このおっさんの狙いはなんなんだろうな?”』
『"おそらく決闘に持ち込みたいのではないでしょうか"』
『"決闘?"』
『"はい"』
僕の疑問に、推測ですが、と前置きしてシャロンが答える。
『"あちらの論理は襲撃者を生きて捕らえている時点で瓦解しています。死んでしまえば余計なことを喋る心配はありませんが、生きている以上、口を割らせる方法はいくらでもありますからね"』
拷問、懐柔、取引。50人以上捕らえているのだから、そのうちの数人に口を割らせるのはそう難しくないだろう。
話に応じた最初の数人だけ助けようとでも持ち掛ければ、仲間に抜け駆けされまいとして、率先して協力的な姿勢をみせるやつもいるはずだ。自分だけが口を噤めば良い場合とは状況が違う。関わる人数が多ければ多いほど漏れやすいものだ、秘密なんてものは。なんならすでにムー爺が応じてるしな、取引。
『”そうなると、とり得る手段はそう多くありません。一番手っ取り早いのが、双方合意のもとで立ち会って相手を消してしまうことです。下手に暗殺でもしようものなら、国同士の戦争に発展する危険もありますから”』
『”それで決闘ね。僕を怒らせて、向こうはそれに応じただけという立場をとりたいわけだ。つくづくくだらないなぁ……”』
『”はい。愚かしいことです。オスカーさんを敵にまわすくらいなら、まだ国同士の戦争をしたほうが勝ち目もあるでしょうに”』
『”そこまでじゃないと思うけどな……”』
いつものことながら、シャロンは僕のことを買い被りすぎではなかろうか。
僕を敵に回したところで、せいぜい宝物庫・武器庫・食糧庫の中身を全部持ち去っていく程度だぞ。ついでに大理石みたいな珍しい建材を使っていたら、ひっぺがして持って帰るのも吝かではない。
でもまぁ……その考えなら、挑発混じりに無理筋な理屈をまくし立てている意味もわからなくはないか。
決闘に持ち込みさえすれば勝てると思っている根拠はたぶん、小太りの着込んでいる甲冑にある。
薄銀に輝くそれは、おそらく魔鋼製であろう。純度も結構なものとみた。
見事な拵えであり、精緻な彫刻が施されている。落ち着いた、それでいて大胆な波を思わせる意匠。その佇まいが名のある職人の逸品である自負を帯びている。このおっさんに着せておくには勿体ないな。決闘に勝ったらくれないかな、これ。鎧はいらないけど魔鋼はほしい。ちょっとだけやる気が出てきたぞ!
右眼に魔力を籠めて、”全知”の力を呼び覚ます。体にかかる負荷が大きいのでほんのちょっとだけだ。ちょっとだけ、ほんのちょびっとだけだから! 脳内アーシャに弁明しつつ、”全知”の右眼で甲冑を観察する。
甲冑にはどうやら特殊な術式が付与されているわけではなかったけれど、抗魔力に秀でている。さすがは魔鋼製というべきか。アーニャたちの首輪の抗魔力の1/3……いや、1/4くらいの強度はあるな。対魔術師を想定するなら、たしかに良い装備品だ。
これなら僕が全力で”剥離”を当てても、せいぜい全身の骨が脱臼するくらいで済むかもしれない。
”火炎”術式なんかだと一撃で焼き尽くせそうな気もするけど極力使わないほうがいいだろう。せっかくの魔鋼を駄目にしちゃいそうだからな。
「ん?」
「ひっ」
ふと、先ほどまで聞き流していた小太り男のねちっこい物言いが途切れているのに気づいた。
僕が視線をあげると、男の口から小さく引き攣った声が漏れる。
次いで、ドタッ! と重たいものが倒れる音がした。壁際に控えていたひとりが尻餅をつき、もうひとりなんかは完全に倒れて口から泡を吹いている。顔は青白いを超えて土気色である。
「え、なに? あれ大丈夫?」
「ぁぁああああああああああッ、あぁああああ、あぁああああああああああああッッッッ!!?!?」
突然、別の男が大声をあげるものだから僕は思いっきりビクッとしてしまった。
男はそのまま、足をもつれさせて天幕から転がり出ていく。あれは最初から僕らを睨みつけてたやつだな。まるで化け物が唐突に降って湧いたかのような慌て具合だった。
「びっくりしたな……」
「ああ、だが友よ――たぶん彼らもびっくりしたんだと思うぞ」
「? 自分で叫んでおいて自分でびっくりするか?」
ああいや、違うか。突然同僚が泡を吹いて倒れたのに驚いたのか。それにしても驚きすぎだと思うけど、彼は人が倒れることに対してトラウマでもあったのかもしれない。いろいろあるよな、人間だもの。
「ともかく、あれ助けたほうがいいよな」
「いや、君はじっとしていたほうがいいと思うが……」
「泡を吹いて倒れてる奴をそのままにしとくわけにもいかないだろ」
「友のお人好しがひどい方向に作用している……」
「敵を助ける必要はないってカイマンの気持ちもわかるつもりだけど、こんな状態だと話の続きもままならないだろ?」
「どうしよう、わかってもらえている気がまるでしないのだが」
ぼやくカイマンをその場に残し、僕がそちらに足を向けると、残っていたエタリウム兵の間に動揺が走った。
そのうちのひとりが這うようにして僕と倒れた兵の間に割り込んでくる。どうやら腰が抜けているらしい。そのままの姿勢でこちらを見上げる目には、懇願と怯えが色濃い。
「お、お助けを……どうぞお慈悲を」
「うん、助けるから、そこどいて」
ごん! とすごい音が響くほどに頭を地面にぶつけ、そのエタリウム兵は平伏する。
「どうか、どうか! この通りです」
「わかったけど邪魔」
「どうか、どうか……お慈悲を! あぁああああの、あのっ、すべてダルシエル卿の独断なんです!! けして祖国の総意ではなく……!」
平伏したまま動かない兵士は、倒れているやつとよっぽど仲良しなのだろう。
そんなに言われなくても助けるつもりだけど、君がそこにいると処置の邪魔なんだよな。あとダルシエル卿って誰。
「――ダルシエル卿。独断とはどういうことか? お聞かせ願おうか」
後ろでカイマンの低い声。ああ、あの小太り男がダルシエル卿というらしい。そういや名乗ってたような気もするけど、全然話を聞いてなかったからなぁ……。あの偉そうな小太りには甲冑以外に興味はない。
そんな阿鼻叫喚に陥った天幕の入口で。
「この騒ぎは何事ですか」
凛とした声が響き渡る。
そちらを見れば、スパイの男と騎士の装いをした男の間に、銀の髪を靡かせて、すらりとした女がひとり。そういえばスパイのあいつ、いつのまにかいなかったな。この人を呼びにでも行っていたのだろうか。
女は見るからに華奢で、荒事に慣れていなさそうだ。しかしどこか有無を言わせぬ佇まいと風格を持っている。何も応えないのはまずかろう、と僕は口を開く。
「ちょっと今忙しいから後にしてくれない?」
あちゃあー、とばかりに手で顔を覆うスパイの男以外、動く者はなかった。