僕はざりざりした
獲れたての魚を贅沢に使った昼食を腹いっぱいに詰め込んだあと、僕は釣りを一旦切り上げることにした。すでに十分な量の魚も手に入ったしな。僕が海水ごと釣り上げた魚は瓶の中を元気に泳いでいるので、鮮度も申し分ない。町へのいいみやげになるだろう。
そんなわけで僕は魔道具の調整をすることにして、他の面々は島の散策へ向かった。あちらにはシャロンとアーニャがついているので滅多なことにはなるまい。いざとなればラシュだってそこそこ戦えるし、アーシャの"調律"の神名もある。うん、ただの散策にしては過剰戦力だな。
釣りを始める前に設置しておいた波力回転機構は、これまでのところ動作良好な様子だ。波の強い弱い程度の差はあれど、常に止まらず術式に力を伝え続けている。
潮の満ち引きによっては不具合が出るかもしれないけれど、大筋はこのままで良さそうだ。
ただ、問題がひとつもないかといえば、そういうわけでもない。たとえば海面に浮かべられた草玉と回転機を結んでいるロープの摩耗がひどい。
波が寄せるたびに重りが持ち上げられ、波が引いたタイミングで重さの分だけロープが引かれるわけだが、崖の端と触れ合っている部分がガリガリと擦れつづけている。摩耗するのも当然だな。まだ仕掛けてから半日も経っていないので崖のほうに変化は見られないが、長時間放っておけば当たっている部分が削れていくだろう。
これについては滑車を作れば解決するはずだ。桶で井戸水を汲み上げるときにロープを引っ掛けておく円盤がついていたりするけど、まさにあんな感じだ。ロープは滑車に掛け、崖と擦れ合わないようにすれば摩耗もずいぶん抑えられるだろう。傷んだロープを取り替えないといけない頻度が減るし、擦れることで無駄になっている力を引っ張る力に上乗せもできるから回転機の稼働効率も上がる。
「うーん、材料をどうするかだな」
滑車の仕組み自体はかなり単純なものだ。ある程度の強度があって形さえ同じようにできるなら材質はなんでもいい。
石は丈夫で潮の影響も受けにくいが加工しづらく、重い。鉄はそれなりに丈夫だけど合金にしないと錆びるし、加工もやや難しい。木材は石や金属には丈夫さで劣り、潮風を浴び続けたらそのうち腐ってくるだろうが、加工は比較的簡単だし材料も手に入りやすい。どれも一長一短だな。
「ひとまずは木材でいいか」
石や金属のほうが長持ちするだろうけど、どうしても重くなってしまうのは避けられない。軸を基点にして地面からは浮かせておく必要があるから、軽いに越したことはないだろう。木材で作ったところで風に飛ばされてしまうほど軽くなるわけでもないしな。
材料となる木は島のそこら中に生えている。乾かすのに時間はかかるけど、あらかじめ木材用に伐採しておけばいい。石や鋼に比べればナイフで削れるぶん加工も簡単だ。イチから作るのは難しくとも、島民たちだけで修復くらいはできるようになるはずだ。すぐに駄目になるようなら、そのときあらためて合金で作り直せばいい。
そうと決まれば早速作ろう。
近くにいたロブを呼び寄せ、僕が滑車を作っているところを見学していてもらう。作り方を知っておいてもらったほうが、壊れたときに修理しやすかろうという判断だ。必要があればロブから他の島民に教えてくれるだろうし。
ただ、真剣に見てくれるのはいいんだけど距離が近い。僕が一歩分距離を開けると二歩分詰め寄られた。ひぃ。
気を取り直して。まずは滑車の本体になる円盤を作るぞ。
使う木材はリーズナル邸の地下に劇場を作ったときに余ったものだ。魔術も駆使して木の内部に含まれていた水分がなくなるまでしっかり乾かしたものなので、加工したあとで伸び縮みして割れたり曲がったりといった心配をしなくて済む。
ここから、ざっくりこのくらいかな、程度の円形を切り出していく。
"全知"を制限なく使えていた頃には"剥離"術式一発で綺麗な円を切り出せたものだけど、今は無理だし、なにより獣人たちに真似ができない方法でやっても意味がないので地道にいくのだ。
多少歪な部分はあるものの、それなりに円に近い部品が切り出せた。その中心あたりに小さな穴を開け、軸になる棒を通しておく。軸は鋼製だけど、これを作り直すことはそうそうあるまい。滑車が壊れたときには古い滑車の軸を新しいものに挿し変えればいい。
次に、軸を中心として"念動"術式を使って円形の木材を回転させる。いわゆる独楽のような感じだ。ロブが耳をピクピクさせながらしきりに瞬きを繰り返し、食い入るように見つめているのがなんだか面白い。
回っている円状の部分にナイフをそっと押し当てると、果物の皮剥きのようにスルスルと表面が削れていき、やがて綺麗な円になった。
僕は魔術でやったけど、ロブたちがやる時にはズレないよう、それと怪我しないように気をつけながら手で回してもいい。いや、待てよ――? ちょうどいいのがあるじゃないか。
「主様、いったい何を?」
「いやなに、せっかく『回るモノ』があるんだから、こいつを使わない手はないと思ってさ」
僕が言っているのはもちろん、波力回転機構のことだ。
ロブに重りに繋がるロープを持っておいてもらい、回転をいったん止める。
刻んだ術式を崩さないようにだけ気をつけながら、回転機の中心部分に小さく穴を開ける。ちょうど、滑車の軸が嵌まる程度の穴だ。そこに軸を突き刺して、ロブに押さえてもらっていたロープを離してもらえば――
「おぉー……!」
回転機の駆動とともに音もなくスーっと回り始めた滑車を前に、ロブが感嘆の声を漏らした。
よし、狙いどおりだな! あとはさっきと同じ要領で削ってやればいい。
「これは使えそうだな」
波の都合があるからずっと同じ速さとはいかないが、とくに力を加えなくても止まることなく回り続ける機構は様々なことに応用が効きそうだ。先ほど円環を作るときは『果物の皮を剥くように』と喩えたけど、それこそ野菜や果物を棒に挿してくるくると回してやれば、ナイフを押し当てるだけで皮剥きができそうである。僕は"剥離"魔術がそれなりに得意だから必要ないけど、量があったらそれなりに面倒な作業だと聞くし。
それに――
「悪いけど、もう一度ロープを持っててくれるか」
「もちろん構いやせん。次はいったい何を見せてくださるんです?」
「次は、これだ!」
取り出したのは、さっき滑車の軸にしたのと同じような鋼の棒である。これも木材と同じく劇場を作ったときの予備部品で、同じようなものがあといくつか残っている。
取り出した棒に"剥離"魔術をまばらに施し、表面をざらざらした状態にする。鑢状ってやつだな。
滑車と入れ替える形で回転機の真ん中にざらざらした棒を設置する。回り始めたそれに、円盤を作ったときに出た木片を押し当てると、多少の抵抗感とともにざりざりざり! と木片が削られていく。
思った通りだ。腕が疲れなくていいな、これ。
削れた木片の断面はまだ荒い部分も残っているものの、それなりにすべすべした肌触りになっている。椅子などの家具や、皿やコップなんかの食器を作るくらいなら十分にこなせそうである。
ロブにも試すよう木片を渡すと、最初はおっかなびっくりしながら、慣れたあとは喜色満面で木片を削っている。その気持ちはわからんでもない。なんか楽しいよな。
おっと、いけない。思いつきが功を奏したことで忘れかけていたけど、滑車を作ろうとしていたんだった。かと言って無駄なことをしたわけじゃないぞ。滑車作りにもこの回転鑢は大活躍する。
円盤はできているので、円の外周部分にロープが嵌まるための溝を彫ってやる必要があるわけだが、そこでこの回転鑢の出番だ。鑢の先端部分に押し当てながら円盤をくるくる回していくだけで、驚くほど簡単に溝を彫ることができた。これは補修どころかロブたちだけでも滑車を作れるな。
滑車みたいな部品や、家具なんかは町では商会に依頼すれば購入できるけど、ひとつひとつが木工職人の手作りであり、それなりに値が張るものだ。そのあたりのものがこの島で作れるようになれば、もしかしたらけっこう稼げるかもしれない。魚と違って出どころを詮索もされにくいだろうし。
「どう思う?」
「主様の望みとあらば、我らに否はありませんぜ。やれと言われたことをこなす。それが我らの誇りです!」
「いや、うーん。そうか……やりたいかどうかの話なんだけどな、どちらかと言えば。ただ、お金が稼げてもこの島じゃ使い道がないもんなぁ……。あ、でもあらかじめ言っておいてくれたらさ、必要なものを町で代わりに買ってきたりはできるよ」
いい案だと思ったのだけれど、ロブは僕の言っていることがいまいちピンとこないようで、怪訝な顔をする。
「ど、どうして主様が代わりに買い物をする話に……? 学がなくて申しわけねぇかぎりですが……」
「あー、そりゃできれば自分たちで買い物したいよな。頼みにくいものだってあるかもしれないし。僕のほうこそ気が利かなくて悪いな」
なにせ、僕の気が利かなさはうちの女性陣たちには周知の事実のように扱われている。鈍感呼ばわりにも慣れたものだ。ぜんぜん威張れることではないが。
「ただなぁ……あんたら6人全員をいっぺんに町へ連れていくのも、僕らの目が届かなくて危ないかもしれないんだよ。『首輪をしてない獣人を捕まえるのは早い者勝ちだ』みたいな連中もいるからな」
もちろん、みんながみんなそういう人間ばかりというわけじゃないけどさ。
実際、それでアーニャたちが一度狙われている。用心に越したことはない。それもあって彼女らには町ではわざわざ首輪を着けてもらっているのだしな。
――そういえば島に来てからも着けっぱなしだったな、あれ。外してても構わないんだけど、本人たちが気にしていないならいいか。
「まあ、6人いっぺんには難しくても、1人か2人ずつくらいなら大丈夫かもしれない。一応、迷惑を掛けないように領主様には話を通しておくほうがいいだろうけどさ」
「ま、待ってくだせえ。我らが町に? 行ってどうするんで?」
「だから、買い物するんだろ?」
ようやく理解が追いついたのか、ロブは目を見開いて僕の顔をまじまじと見つめてくる。
「主様? 確認させてくだせえ……我らが作るものを売った金は、誰のモンです?」
「え、そこから? そりゃあんたらのもんだろ。あんたらが作ったんだからさ。とはいえ全額入るとは限らないぞ。商会に卸すにしても商人に託すにしても、商人たちの利鞘もあるからな。そのへんは馴染みの商人にいい具合にやってくれないか聞いてみるよ――ってどうしたんだ、おい。お腹でも痛いのか」
「どちらかというと頭が痛ぇですね……主様がお人好しすぎるので……」
ロブの言い分を要約すると、獣人奴隷に賃金を払う雇い主なんて居ないのだそうだ。なんか話が食い違ってるなぁと思ったらそういうことか。そもそも僕には彼らを奴隷として使役しているつもりはないんだけどな。
「いいじゃん、自分が作ったものが売れるのって結構楽しいんだぞ」
「そういう話ではございませぬ」
そのあと、土台を立てて滑車を吊るして作業がひと段落する頃まで、僕はロブから『甘すぎます』とか『お人好しすぎて心配』と詰られる羽目になったのだった。げせぬ。
『この人には自分がついてないとだめだ』と思わせる才能かスキルがある疑惑