僕のなりふり
さらに翌日。シャロンの見立てだと晴れているはずなので、今日は島へと向かう。
今回はこれまでのように僕とシャロンだけでなく、アーニャ、アーシャ、ラシュにルナールまでついてくる。もちろん、昨日作ったばかりの釣竿も忘れない。
島に住んでいるのはかつて人間に酷い目にあわされていた獣人たちだ。恩人として慕ってくれている僕らはともかくとして、ひとまずのところリジットたちは連れて行かないことにした。人間に慣れていくのはもうちょっと信頼関係を強固に築けてからでも遅くはあるまい。
らっぴーも一緒に来るか聞いてはみたものの、彼女――一応、らっぴーは雌だ――は留守番を選んだ。海はそんなに好きではないらしい。潮風には独特のベタつきがあるし、その気持ちもわからんでもない。
魔道具に対する不信感があるのか、転移魔道具を起動させる際にはルナールがガチガチに縮こまってしまっていたけれど、ラシュが微笑みかけてぎゅっと手を握ってあげてからは少し緊張感も薄れたようだ。なんか知らんあいだに弟分がイケメンムーヴをかますようになってる気がするんだけど、いったい誰から学んだんだか。僕の予想ではカとかイとかマとかンとかいうやつだと思う。けっ。
「なんや? ははーん、カーくんもしかして羨ましいん? しゃーないなー、お姉ちゃんがついとるやん。むぎゅー」
「もちろん私もいますよ。良妻ですから」
「アーシャも! アーシャもいるの!」
ラシュとルナールのやりとりをじぃっと見ていたのをどう解釈したのやら、アーニャが僕の背中に覆いかぶさるようにしがみつく。シャロンは僕の右腕を抱いて頬をすりつけながらすましたドヤ顔を披露するという無駄に器用なことをやってのけ、それを見たアーシャまでもが空いた左手をぎゅっと掴んで胸に抱く。それぞれ異なる柔らかさに圧迫され、これはこれで極楽ではあるもののさすがに身動きが取れない。女の子特有のどことなく甘い良い香りが鼻腔をくすぐる。
「なにやっとるんじゃ、ぬしらは。移動するんじゃろ」
いつのまにか呆れた様子でじとーっとこちらを見ていたルナールからは、すでに緊張した様子は感じられなかった。け、計画通りだな、うん。そういうことにしておこう。
島に移動したあとは、気配を察知してぞろぞろと集まってきた島民たちにお互いを紹介した。
意外だったのは、誰に対しても人見知りしがちなルナールだけでなく、島の獣人たちまでもがどこかよそよそしいことだ。もじもじそわそわと落ち着かない様子で、なんとなく居づらそうにしている。
「どうかしたのか?」
「いえ、そのぅ……主様のご趣味にケチをつけたいわけじゃないんですけども……」
いつもハキハキしている彼らにしては、なんとも歯切れが悪い。なんだ、僕の趣味って。
「その。目のやり場に困るといいますか、なんというか……」
「目の、やり場? ああ……」
「ん? ウチ?」
そういう彼らがちらちら見ている視線の先で、きょとんとした顔で首を傾げるアーニャを見て、僕もようやく彼らが何を言わんとしているのかを察した。
主に動きやすいからという理由でアーニャは薄着を好んでいる。僕の趣味で薄着をさせているわけではない。断じてない。
アーニャはこの日も腿が剥き出しになる短いズボンを履き、鎧でいえば胸当てに相当する部分のみを覆う装いだ。その他の部分は褐色の肌を惜しげもなく晒しており、豊満な胸なんて殊更に強調されている風ですらある。僕らにとっては見慣れたアーニャの普段着だが、長らく男所帯だった彼らにとってはいささか刺激が強すぎたようだ。
町でもアーニャみたいな格好で出歩いている人は見掛けないので、どちらかといえば僕らの感覚のほうがおかしくなってるのかもしれん。いやはや、慣れっていうのは恐ろしいね。
「とりあえず、これ着といて」
ひとまず僕が着ていた上掛けを一枚、アーニャの肩から掛けておく。素肌が多少隠れるぶん、幾分マシだろう。胸は全然隠れてないけども。
嫌がっても少しの間だけ我慢しておいてもらおうというつもりだったんだけど、アーニャはアーニャでまんざらでもなさそうな様子である。肩に掛けた服の匂いをすんすんと嗅いでみてはにへらぁっと頬を緩めている。え、臭う?
服は今朝着替えたばかりだし、そんなに臭くもない――とは思うんだけど、人間より遥かに優れた五感を持つアーニャにとってはそうでもないのかもしれない。
「むぅー……」
不満げな唸り声の出処はアーシャだ。珍しいな。
人前で相好を崩す姉を恥ずかしく思っているのかな、なんて思っていると僕の袖が控えめにくいっと引かれる。
「うん?」
「オスカーさま、アーシャも。アーシャもお服ほしい」
アーシャのこの発言に、僕はさらに驚き目を見張った。
アーシャが自分から何かを欲しがることはかなり稀なのだ。
しかもアーシャは姉と違ってそんなに薄着はしていない。
普段から薄着していないのに加え、海辺は少し肌寒いこともあらかじめ伝えてあったため、いつにもまして少し厚着をしているくらいだ。
アーシャが想定していた以上に寒さが厳しかったのだとしても、彼女の首輪に拡張した『倉庫改』に予備の服も入っているはずである。僕やアーニャが準備をしていないことはあれど、アーシャがそのあたりの用意を怠るとは考えづらい。僕らの中でそこらへんの下準備に一番長けているのがアーシャだからな。
とはいえ、人前では『倉庫改』を使わないように言い含めてあるので、そういう意味でわざわざ僕に聞いてくれたのかもしれず、それを無下にするのもしのびない。
『倉庫改』の存在を表沙汰にしたくないのは、その存在が商人の耳に入るのを避けるためだ。
異空間に物品を保管しておく『倉庫改』は空間魔術を幾重にも織り込んだ魔道具で、おそらく現状では僕にしか作れない。その僕でさえ"全知"の補助があってようやく少しずつ作れるというシロモノなので、これを求めた商人に殺到されると大変に困ることになる。荒っぽい手段を取るやつがいないとも限らないしな……。
少々ガラの悪いやつらが差し向けられたところで、シャロンたちがいればそうそう遅れを取ることにはならないだろう。『災厄の泥』クラスまでなら難なく迎撃もできる。対策もしてあるしな。けど、周囲の人たちに迷惑がいくのは避けたいし、いらん混乱を招くくらいならばその存在をひた隠しにしたほうが良い。
でもまあ、それは町にいるときの話だ。獣人たちが6人住んでいるほかは、魔物や野生動物くらいしか存在しないこの島においては、その心配もないだろう。
袖口を引っ張り上目遣いで見上げてくるアーシャに、僕は『倉庫改』から引っ張り出した上掛けをふわりと掛けてやる。洗濯したばかりなので臭かったりもしないはずだ。しつこい汚れやこびりついたニオイでさえも、洗濯魔道具『保衣眠』の前にはまるで無力なのだ!
「むぅー……!」
それでもアーシャは不服なようで、ぷくぅ、と頬を膨れさせてしまったが……。
僕の『倉庫改』には女の子用の服の備えはさすがに置いてないので、これで我慢してもらうしかない。
「ねー、おさかな。おさかなは?」
釣竿の先っぽをみょいんみょいん振りながら、ラシュが反対側の袖をくいくい引っ張ってくる。待ち切れなかったらしい。
「よし、それじゃ行こうか。そういうわけだから、今日は人数多いけどよろしく頼むな。海にはそんなに慣れてないから、もし危ないことをしそうだったら止めてやって――ん、なんだ、どうかした?」
「いえ、なんでもねぇんです。主様が慕われてるのがよくわかったもんですから」
「そういうもんかね」
「そういうもんですとも」
今までの流れのどこを見てそう思ったのかはわからんが、彼らは皆一様にどこかホッとしたような、なんとも微笑ましいものを見るような目をしていた。彼らの『元の』雇い主との関係を思えば、殊更そういうふうに感じるのかもしれない。
まあ、うん。ありがたいことに慕ってもらってるよ。
「うみだー!」
「慌てずとも海は逃げぬぞ」
燦々と太陽が照りつけるなか、海を見るのはこれで三度目になるラシュが竿を片手に駆け出していく。
それを追うルナールは海を見慣れている様子で、落ち着いたものだ。こことは違うけれど封印の祭壇があった島にいたんだから、そりゃそうか。
「みずがいっぱいあるねえ」
「海じゃからなぁ」
ラシュとルナールののんびりとした声と波音とを聞きながら、僕とシャロンは目星をつけてあった崖の地点に仮設の波力回転機構を設置していく。
ちゃんと動いているかどうかをただ見ているのも退屈なので、見守りついでに魚釣りと洒落込むのが今日の趣向なのだ。さて、設置はこんなもんでいいかな。
「釣り餌はこのへんがおすすめですぜ」
案内してくれたのは獣人たちの中で最年長の、白っぽい垂れ耳の男だ。名を、たしかロブといったか。
ロブがごろりと裏返した石の下からには、突然晒された日の光から身を捩るようにして逃げだそうとする虫がうぞうぞわしゃわしゃと蠢いている。端的に気持ち悪い。これを捕まえて、針を隠すようにつけて餌にするのだ。
カイマンと一緒に釣りをしたことがあるラシュはともかく、アーニャやアーシャもとくに怖がることもなく、わしゃわしゃしてるのを掴んで針につけていく。
「そりゃまぁ、ウチらはもともと森ん中に住んどったしなぁ」
とはアーニャの言い分だ。慣れてて当然ということらしい。
シャロンは虫を怖がっているわけではないけど、摘んだ段階で潰してしまって針につけるのに苦戦している。いわく力加減が難しいとのこと。優しく手を握ることはできるのに、料理やこういうところで躓くのは不思議な感じだ。
わしゃわしゃする虫を普通に気持ち悪がっているのは僕とルナールくらいのものらしい。
それでもなんとか餌を付け終えて、僕らはそれぞれ糸が絡まってしまわない程度に散らばって、丸太を輪切りにしただけの簡単な椅子に腰を降ろした。海辺でさえなければスライム座布団でふかふかの座面にもできるのだけど、使えないものは仕方がないので贅沢は言うまい。
釣り糸を垂らして、寄せる波間にきらきらと光る海面を眺める。すこし湿った潮風が頬を撫ぜていき、ゆったりのんびりした時間が流れる。たまにはこういう日もいいもんだ。
これで昼食分の魚が確保できれば言うことはないのだけれど、波を除けば僕の釣竿はぴくりとも揺れる気配を見せない。まあ待て、まだ慌てる時間じゃない。なんたってまだ釣り始めたばかりだし。
なんかあっちのほうではラシュとルナールがばかすか釣り上げている喜びの声が聞こえてくる。
「ほわぁ!?」と小さな悲鳴が聞こえ、何事かと視線を向けてみればアーシャの仕掛けにも魚が食いついたらしい。よくしなる枝を見繕った甲斐があったようで、まもなくけっこうな大物を釣り上げて目を輝かせている様子が見て取れた。
「つ、釣れたのっ! はじめてだけど釣れちゃったなのっ!」
嬉しくて仕方がないといった様子で、さっき掛けた上着を羽織ったまま小さくぴょんぴょんと跳ねながら、釣り上げた大物を僕に見せるために駆け寄ってくる。まさに大興奮といった様相だ。
「すごいな」
「むふー」
耳をぴこぴこさせて『撫でられ待ち』をしている頭をわしわし撫でる。ひとしきり撫でると、アーシャは満足したように釣りに戻っていった。
アーシャが戻ってすぐ、アーニャにもアタリがきたらしい。やや小ぶりだけど生きのいいやつをびちびちと跳ねさせながら僕のところに見せに来る。アーニャも僕の上着を着たままだな。どうやら返してくれる気はないらしい。
「ウチも釣れたで! ほれほれ!」
「おぉ、おめでとう」
「えー、それだけ?」
そう言って少し前屈みになり、胸を強調――じゃないな、撫でられ待ちしてるのか。アーシャと同じようにわしゃわしゃと撫でると、同じように満足そうな笑みを浮かべて戻って行った。
続々と釣果報告されるのに、僕の釣竿はぴくりとも揺れる様子がない。まだだ、まだ終わらんよ!
「オスカーさん、次は私です」
「おお、シャロンも釣れ……なあシャロン」
「はい、なんでしょう」
「シャロンの持ってるのはなに」
「魚です」
シャロンの持っているのも、彼女が言う通りたしかに魚なのだろう。より正確に言えば、つい先ほどまで魚だったものなのだろう。すごい力で頭が丸ごと千切れ飛んでいったような断面をしていることに目を瞑れば、釣果には違いない――いや待てさすがに釣果ではなくない?
とりあえず、シャロンには小石で魚の頭を吹き飛ばして持ってくるのは禁止にしておいた。小石を禁止にした途端、大きめな石を手に取っていたので石全般を禁止した。
僕だってなりふり構わないのであれば海の水を一箇所に固め、"結界"やら何やらで魚を逃さず捕らえることも可能だろうが、今日は『釣り』をしにきたんだからな。
「でもそうなりますと、オスカーさんの『釣果なし』はほぼ確定してしまいますが」
「どういうこと?」
「オスカーさんの周囲には魚がほとんど居ないですから。魚どころか貝やヒトデすら逃げていますし」
「え」
貝が逃げるって何? 貝って動けるの?
そんな馬鹿な、と"探知"魔術を起動して探ってみる。
海中は地上とは勝手が違い、いまいち判然としなかったが――注意深く探ってみても、たしかにシャロンの言う通り、魚の影はないような……。
場所が悪いのかもしれない、とラシュとルナールが釣り糸を垂らしているあたりまで移動してみる。
「おさかな、いなくなった……」
「すまん」
ラシュにすごく悲しそうな顔をされた。
僕が悪いのか? 僕が悪いのか。うん……。ごめんな……。
すごすごと元の場所に戻り、再び腰を降ろす。
"探知"魔術には不鮮明ながら、近くに戻ってきていた魚がふたたび散り散りに逃げていく感覚が引っかかる。
どうやら森の魔物と同じく、魚も僕の気配に怯えて全力逃走をはかるらしい。そんなのってないよ、あんまりだよ……。ええい、こうなれば仕方ない。
「シャロン」
「はい」
「『なりふり構わない』のもアリにしよう」
「いいと思います」
言いながら、シャロンはさっそく小石を拾い始める。
僕も釣竿を置いて、ふぅ、とため息をひとつ落とした。
いい感じの棒を吟味して仕立てた渾身の釣竿も、魚がいなければただの針と糸の繋がった棒でしかない。
でも僕には無力な棒に頼らなくても、幸いなことに魔術がある。
どんな手を使おうとも…………最終的に魚が獲れればよかろうなのだァアアアアアアッ!!
――とりあえず、さっきの頭がはぜていた魚の分、シャロンも撫でておくことにした。