僕と草といい感じの棒
波間を照らす陽光が橙色に変わる頃、僕らはこの日の作業を終えた。
今日作った波力回転機構は材料調達や加工が容易な木製の、いわゆる試作品だ。
”全知”を無制限に使えた頃ならいざ知らず、最初から完璧なものなんてそうそう作れるものじゃない。実際に使ってみて、得られた知見をもとに調整を重ねて試作品の精度を上げていく必要がある。
最終的な完成品は腐食や摩耗に強い素材で作るつもりだけど、使い続けるわけでもなく、基本的な動作をみるだけなら木製でも十分事足りる。
「今夜から明日いっぱいくらいは雨になりそうです」
「わかった。じゃあ設置はまた今度にするか」
「それがよろしいかと」
空に雲はまばらで、潮風が冷たいことを除けば十分に良い天気だ。それでもシャロンが降ると言えば降る。十中八九どころか十中じゅっちゅ降る。
それはもはや天気の予測なんて生やさしいものじゃなく、予知の領域といって差し障りない。シャロンは『大気の計測を統計的に分析したものであり、絶対ではないです』とかなんとか言っていたが、これまでに天気の予測を外したことがない。
右眼と融合している”全知”を使えば僕にも似たようなことはできるだろうけど、結構な負荷が掛かるからわざわざやろうとは思わない。”全知”を使ったことはシャロンには即座にバレるし、しょうもない理由で使おうものなら僕に待っているのはお説教である。
シャロンが僕を叱ることはないけれど、彼女から話を聞いたアーシャによって、懇々と、切々と、その上ものすごく悲しそうに叱られるのだ。なるべくなら避けたい。
まあ、それはいいか。とにかく、雨が降るというのなら設置は次回来たときにするまでだ。そのうち雨天での動作も確認したいところだけど、最初は普通の状態のほうが望ましいからな。
草玉やらロープを作ったり、魚を獲ったりしていた獣人たちにも雨が降る旨を伝えたところ、彼らもすでに撤収作業に入っていた。どうも、僕らが伝える前から雨が来ることを知っていたように感じられる。
わけを尋ねると彼らは一様に苦笑を浮かべた。
「奴隷連中には多いんですけどね。雨が来る前には古傷が疼くというか、突っ張るような感覚があって気付くことが多いかと。あとは――そこの白い草があるでしょう?」
ん? 白い草? ああ、これか。
草玉を作るために周囲の雑草が刈り取られるなか、木の根元付近に生い茂る草だけが残されており、彼はそれを指差していた。白っぽい草はあまり背が高くなく、ぎざぎざした葉っぱがくるんと内側に折り畳まれた形をしている。ガムレル周辺で見た覚えはないように思う。
「晴れてる時は茶色なんですがね。どういうわけか雨が近くなると、この草は白っぽくなるんでさァ」
「へぇ。面白いな」
どうも、彼らは古傷が疼くことで「雨かな?」と感じ、この草を見て「雨だな!」と確信を得ているらしかった。便利なので草玉にせずに残しておいたんだな。
見渡してみれば崖付近の木の根元にいくらでも群生しているようなので、手っ取り早く木の端材で簡単な鉢を作り、土ごとごっそり数株ほど植え替える。どうせ明日は雨だというし、ガムレルに持ち帰って調べてみよう。
土産に魚やエビ、貝なんかをもらい、転移魔道具を介してガムレルへと帰還する。クロイムは駄目になってしまったし波力回転機構のほうもまだ設置していないので、今日のところは手持ちの魔石を追加で置いてきた。
そろそろ手持ちの魔石が心許なくなってきたので、はやいところ波力回転機構の検証に入りたいものだ。魔石は魔道具の動力源として優秀なので、手元にあるとついつい使っちゃうんだよな。波の力で余分な魔石が沢山作れるといいな。
「こちらでは雨が降らなさそうです」
茜色に染まりつつあるリーズナル家のお屋敷を見上げ、シャロンが言う。
島とはかなり距離が離れているから、あっちで雨が降っていても、こちらでは降らないなんてこともあるんだろう。
鉢植えにした草を取り出してみてもまだ白っぽいままだ。そんなにすぐに色が変わったりはしないのか、もしくは海辺でないと駄目なのか。急ぐ理由もないし、気長に観察しよう。
その後。風呂に入ったり、生きたエビを掴んでカイマンを追いかけまわしたり、カイマンが「オスカーがっ! 嫌がる私に無理やり……」とか言ってメイド隊をザワつかせたりしている間に鉢植えの草はいつのまにか白さが薄れていた。そして夕飯を終える頃には完全に茶色っぽい色になっていた。丸まっていた葉も開いている。雨の到来を判別できるという話の信憑性が上がったな。
いつまでも『草』と呼ぶのもあれなので、とりあえず名前をつけるとしようか。天気がわかるから天気草……うーん、いまいちパッとしない。晴れ……雨……雨の草……天草……天草でいいか。うん。なんとなくしっくり来る。
内陸と孤島だから当然と言えば当然だけど、ガムレル周辺と島とでは植生が大きく異なる。天草に限らず、面白い性質をもったものもあるだろう。
とくに海中は今のところほぼ手付かずである。どうにかして海の中も探索したいものだけれど、”結界”魔術あたりでなんとかならないもんかね。四方から常に水によって押され続けるわけで、魔力の消耗が尋常じゃない気がせんでもないけどさ。
翌日は島では雨が降っているはずなので、アーニャとラシュとおまけにルナールとらっぴーを連れて森へと繰り出した。ラシュを連れていくとルナールが屋根裏部屋に残されることになるので、ついてくるか聞いてみたところ、やや逡巡したあと頷いたので一緒に連れてきた形だ。ルナールはむすぅっ……とした表情をしているけれど、一定の距離をあけて僕らの後ろをついてきているので問題はあるまい。
先頭をゆくラシュは上機嫌で、拾った棒でがさがさと薮を突き回している。ある程度以上の知能がある獣や魔物の類は失礼なことに僕の気配を恐れて逃げていくので安全だけど、ハチとかヘビ、ヒルなんかには効かないようなので多少は気をつけるようにしてほしい。
「いいかんじの棒、みっけ」
「わからん……! ラッくんがどういう目利きしとるんか全然わからん!」
「わらわにもわからぬ」
早くも2本目の『いい感じの棒』を確保したラシュに、アーニャとルナールが首を傾げる。
ちなみに僕もさっき1本目を見つけたところだ。長さといい、細さといい、まさに『いい感じの棒』だ。ふふん。
「そんなに難しく考えるもんでもないと思うけどな。なんかあるだろ、『これだ!』って感覚がさ」
「そんなこと言われてもにゃぁ……」
アーニャとルナールが揃って胡乱な目を向けてくる。ほんとにそんな難しいことはないんだけどな。
以前、僕とラシュとカイマンとで釣りに出かけたときだって、3人ともすぐに各々のいい感じの棒を確保できた。もしかして男子特有の技能なんだろうか、『いい感じの棒』探し。
「お、これも良さそう――……と思ったけど、なんか違うな」
「いまカーくんが持ってるやつとの差が全然わからへんねんけど」
僕の『いい感じの棒』と、この『いい感じになりきれなかった棒』が同じだとぅ!?
「持ってみたらわかるって。ほら。こう、違うだろ? しっくりくる感じとか色々さぁ」
「一緒やん?」
「いや違うってば! なあ、ラシュも持ってみてよ」
「ん。これは、うん。いい感じの棒。こっちは、うーん……やっぱり、なんか、ちがうね」
「ほら! なんか違うよな!」
「ん、なんかちがう」
「わからへんが過ぎる」
「もうちょっと、びゅーんひょいって感じがあったら、よかったのにね」
「だよなぁ」
「わらわはもう、そなたらふたりで好きにすれば良いと思うんじゃが」
「ピピピェピ」
うーん。どうにも理解が得られないっぽいな。
自分の『いい感じの棒』を見つけられたら愛着が湧くかと思ったんだけど、見つけられないどころか、まさか『いい感じ』が伝わらないとは。
仕方がないので、ラシュとともに他にも何本かのいい感じを求めて彷徨う。
見つけた棒は釣竿に加工する。木材ならいくらか手持ちにあったけど、棒は集めてなかったからな。
『いい感じの棒』の不要な出っ張りは切ったり削ったりして落とし、握り部分をザラザラした石で鑢り、手に馴染むよう調整する。バランスを損なわないように気をつけながらナイフで先端を細くして、よくしなるように加工していく。
このしなるのが重要で、柔らか過ぎると魚を釣り上げられないし、固過ぎると折れてしまう。だからこそ、『いい感じの棒』探しに妥協は許されないのだ。
僕がまず見本として1本作り、それを真似てアーニャとルナールは首を傾げながらも自分の分の棒を加工していく。まわりをらっぴーが「ねえいまどんな調子? どんな調子?」とばかりにウロウロと行ったり来たり歩き回っているが、近づくと危ないのも理解しているようで、多少間合いが取られている。
ふたりはそれなりに悪戦苦闘しているようで、とくにルナールの棒は先端を切りすぎているように見えるけど――まあ、そのあたりまで引っくるめて愛着が湧くといいな。
ラシュは全く危なげなく自分の『いい感じの棒』を『いい感じの竿』に加工し終え、むふー、と胸を張っている。竿を振ると、ひゅん、と風を切る音が聞こえる。いい竿だな。
「シャーねーちゃんのぶん、ぼくが作るね」
「頼む。僕はシャロンの分を作るよ」
「ん。まかせて」
アーシャの分をラシュに任せ、僕はシャロンの分の釣竿に取り掛かる。とはいえシャロンは釣竿なんかなくても魚を獲ってきそうな気がしないでもない。どうやって、と言われると困るけど……手掴みとか?
釣り糸は綿花から作った木綿糸を木の汁で茶色っぽく染めたものを使う。スラ撚糸が使えれば透明に近くてもっと丈夫な細糸にもできるのだけど、スライム全般が塩に弱い関係上、残念ながら使えない。川釣りのときはそれでも良さそうだけど、今回は海なので木綿糸ってわけだ。
切れることもあるだろうから、いくらか予備を用意しておくのも忘れない。
残るは釣り針だけど、ちょうど島から持ってきた錆び錆びの短剣があるので、これを溶かして針に加工しよう。もとは難破船から回収して獣人たちが使っていたものだけど、代わりとなる新しい刃物類はすでに渡してきた。
『倉庫改』から簡易炉を取り出し、魔石――は数が残り少ないんだった。自前の魔力でいいか。鉄が加工できるまで炉内の温度が上がったら短剣を鋳潰していく。赤々と煌めく炉が眩しい。
わざわざこんな手間をかけてまで魚釣りをするより、同じ手間で魔道具でも作って売ったほうが儲けは大きいんじゃないかって? いいんだよ、これは趣味みたいなもんだし。
獲れたての焼き魚はすごく美味しかった。自分たちで釣った魚であれができたら、きっととても楽しいだろうからな。