僕らの決戦前夜
宿の話をするとしよう。
カップル専用。冒険者御用達。用途別に聞かせよう。ガムレルの町は宿屋に満ちていると。
ガムレルの町は、ゴコティール山に抜ける北門、セスタス海岸側へと向かう西門、王都へと向かう東門の三方位に大通りが敷かれており、流通の拠点のひとつとなっている。
王都からさほど近くはないため、大きな都市というほどの規模でもないのだが、昼間に見た通り町は活気に溢れていたし、多くの人々が暮らしている。
また、流通の中継地点という立地上、ガムレルの町には宿屋が多かった。
ベッドだけが並べられ、安くて寝られればそれで良いというような冒険者が主に泊まるようなもの。
最高級の料理、最上級の酒を最良の部屋で楽しめるもの。
カップルがしっぽりと洒落込む用のものーーこれは娼館が併設されていたりもする。
他にも、他国の文化を取り入れ、その国の人が居心地よく逗留できるように工夫されたもの。
宿屋の中に風呂を備えたもの。
などなど。僕とシャロンがリーズナル邸で勧められたり、自分たちで吟味したりして見つけた宿屋はいろんな種類があったのだった。
そして、僕らはその風呂付き宿を選んでいた。
無論、専門の風呂屋に比べるとその広さは比べるべくもないのだが、それを差し引いても宿の中で水浴びができるというのは結構な贅沢なのだった。
この宿屋では、風呂を使いたければ30分で銀貨2枚を支払えば水浴びができる。宿の者にお湯を用意してもらおうと思うと、追加で銀貨が3枚必要だった。
昨夜はこの宿を選んだものの、風呂を利用はしなかった。
当然のようにシャロンが僕と一緒に入りたがったためであるし、その前にリーズナル邸で浴場を借りたためでもあった。
リーズナル邸の浴場はそれはもう、町の風呂屋が霞むようなすごい広さ、すごい清潔さであったのだが、カイマンと裸の付き合いをする羽目になったことだけが未だに解せない僕だった。
まあ『魔道具暴走埃まみれ事件』が勃発しなければ風呂を借りることはなかっただろうし、そうなっていれば一緒に風呂に入りたがるシャロンを拒むのも難しかったかもしれないので、結果的には良かったのかもしれないが。
この宿屋の風呂は3つあり、それぞれが個室のような作りになっている。
ちょうど空いていた2つを借り切り、銀貨10枚ーーつまり金貨1枚を支払って僕らは風呂を楽しむことにしたのだった。
2日連続で水浴び、しかもお湯が使えるなどと豪遊しすぎな気がしないでもないが、お金には幸い余裕があったし、アーニャを汚れたままにしておくわけにはいかなかったのだ。
あちこち汚れている獣人を伴って宿に戻ってきた僕らは、受付のおばさんからじろりと見咎められたものの、アーニャの分の追加宿泊料金を少し色を付けて渡したところ、とくに問答もなく素通りさせてもらえた。
そういう現金なところ、僕はあまり嫌いじゃない。
そんなこんながあって、浴室の前までやってきた僕ら。
シャロンはるんるんと楽しげだった。
変に聞き分けよく付いてきたなと思っていたが、僕が浴室を2つ借りたことによって、僕とシャロンが1室、アーニャに1室割り当てるつもりだと都合よく解釈していたことが判明した。そんなわけあるか、僕だぞ!?
「シャロちゃん、シャロちゃん。
なんかすっごい煙でてるんやけど」
水浴びをする、と聞いて大人しくついてきていたアーニャは、いざ浴室を目の前にすると、思っていたものと違ったらしく明らかにびびっていた。
獣人にはお湯を使う文化がないのだろうか。
「アーニャを一人で放り込むわけにもいかないだろ、頼むよシャロン」
「うう。謀りましたね、オスカーさん」
「いや、謀ってはないけれど。
それとも僕とアーニャが一緒のほうがいいか?」
「いやいやオスカーさんですよ!?
そんなのあるわけないじゃないですか」
確かにその通りなので二の句が継げない僕。言ってて自分でもないなと思ったし。
ただ、なんでその正常な判断が、自分だけは除外されると思うのかは謎だった。
「なー、シャロちゃん煙でてる」
「ああもう、わかりました。わかりましたよもう!
入りますよ、入ればいいのでしょう」
半ばヤケクソ気味なシャロンだった。
早く入れと視線で促してくる宿の人の圧力に押される形で、僕らはそれぞれ浴室内に踏み入るのだった。
浴室に入ると、服を置いておく棚がある。宿の人が見張っているとはいえ、物品の管理は原則的に各々が行う。
もっとも、僕らに限っては板さえ持っていれば"倉庫"が使えるために、そこに放り込んでおけばいい。
"全知"の眼鏡や服をまとめて"倉庫"に突っ込む際、きちんと畳まれたシャロンの服一式と、乱雑に重ねられたアーニャの服が"倉庫"に設えた棚に置かれているのが目に入る。
そういえば、今日、ナイフを持った男を蹴り飛ばしたシャロンが。たしか『黒ですよ』とか……
ぶんぶんぶん。
一人きりの脱衣スペースで頭を振る不審者。"全知"を外していて良かった。
あの眼鏡は無駄に働きものなので、きっとその真偽から材質までいろいろと教えてくれたことだろう。
不審な行動はそれくらいにして、早くお風呂に入ろう。30分は思ったほど長くはないのだ。
脱衣スペースからまた更に仕切られた奥には、木製の、普通のものより一回りほど大きい樽の下半分がででんと鎮座している。その中にはお湯がある程度の量まで張られており、横に備え付けられた水を加えて温度を調節するのだ。
まずはお湯を桶にとり、水と混ぜ合わせてちょっとぬるいくらいのお湯をつくると、がしがしと身体や髪を洗っていく。
汚れや老廃物の類は魔術でぱぱっと除去してしまうこともできる。だがそれは可能というだけで、やはりお湯などで身を清めたほうが、実感としてさっぱりできて気持ちが良いのだった。
すぐそばのもう一つの浴室からは、楽しげな二人の声が響いてくる。
「ちょ、シャロちゃん。あかん、あかんて。
シャロちゃ……かっ、カーくん、助けてっ、おっぱいとられる!!」
何をやってるんだ、あの二人は。
「何を食べたらこうなるのですか。
あなたの妹さんもこんなだったら許しませんよ」
「何って、木の根っことか、鳥とか。
あ。さっきむっちゃ美味い肉食べたで! むふー。
アーちゃんは、ああ、ウチの妹な。アーちゃんはぺったんこやで」
「その根っこ売り出せば一儲けできそうな予感です。
なんなのです、なんなのですか。このけしからん肉はっ」
実に仲が良さそうなことだった。
ただ、僕はおろか宿の人や、もう一室を使っている人にも丸聞こえなので、恥ずかしいのでやめてほしい。
「ちょっ、だからあかんてシャロちゃん、とれる!
おっぱいとれる!」
「ふたつついてるんだから、いっこ取れても大丈夫です」
「あ、そっか」
そっかじゃねぇ。
僕がゆっくりとお湯に浸かっている間も、二人は時にきゃーきゃーと、時に楽しそうに風呂を楽しんでいるらしかった。
30分くらい、延長しておいてやろうかな。
ーー
湯浴みを済ませた僕らは、宿の一室に戻ってきていた。
この宿屋を選んだ際、僕はシャロンと別々のベッドで寝られるよう、2つベッドのある部屋を選んだのだった。
が、シャロンはその片方にアーニャを半強制的に配置すると、当然のように僕が腰掛けるベッドのほうに自身もぽすっと腰掛けた。
まあね、そうなる気はしていたともさ。
シャロンは湯浴みの結果、しっとりと貼り付く、艶やかな金の髪が美しくも儚げな雰囲気を醸し出している。昨日購入した、薄手の白くふんわりしたワンピース型の寝巻きもよく似合っており、その裾からのぞいているふくらはぎがベッドに押し付けられ、実に柔らかそうにその形をふにふにと変えていた。
アーニャもシャロンにしっかりたっぷり洗われてきたようで、毛並みや髪が元の綺麗な色を取り戻していた。褐色の肌、その大きく開けた胸元に髪がぺっとりと貼り付いており、こちらはこちらでシャロンとは違うなまめかしさのようなものを濃密に匂い立たせている。
当人は水気を拭き取るためにガシガシと布で力任せに髪や耳を拭っており、早くも髪がぼさぼさになりつつある。また、勢いよくわしわしと拭くたびに、その勢いに連動して胸がすごいことになっている。こう、なんか、すごいことになっている。
「んなぁー! ウチ、あんまり水浴び好きやないねん! 拭くの面倒くさいねん」
がしがし、ゆさゆさとしているアーニャ。
いつのまにか、そんな様子を眺める僕をじとーっと見ていたシャロンは、自身の髪を拭っていた布を頭に乗せると、おもむろに僕の足と足の間に座り直した。
「私も、拭くのちょっと苦手です」
アーニャを一人にするのも不安だったため、シャロンにはアーニャについていってもらっていた。
ご褒美を所望する! というようにこちらを蒼い瞳の上目遣いで見上げてくるシャロン。
少しくらい、働きに報いて甘やかしてもバチは当たるまい。
「よしよし、ありがとうな、シャロン」
言いつつ、僕はシャロンの頭に手を置くとーー"剥離"と"抽出"を並行発動する。
一瞬で、シャロンの髪に残っていた余分な水分は分離され、僕の目の前でふよふよと浮かぶ水球を形作った。
「うわ、カーくんすっご! すっご! ウチにも、それウチにもやって!」
目を爛々と輝かせて、こちらにやってきてぐいっと前屈みになるアーニャ。
そういう姿勢になられると、嫌でも強調されてしまう部位ーーシャロンにもがれそうになっていたであろうソレを意識しないよう、つい、ふいっと目線を逸らしてしまう僕。
やはりカイマンと同じ反応をしてしまっている自分に思い至り、再び地味にダメージを受ける。
望み通り、ぱぱっと水分を取り去ってやると、アーニャは「乾いた! すごい、カーくんすごい!」とご満悦だ。
反面、シャロンは「何か違う」みたいな表情で頭に布を乗せたまま、むすーっとしていた。アーニャも同様に構ったことで、へそを曲げてしまったのかもしれない。
「あのーーその。カーくん。シャロちゃん」
ふかふかのベッドに座り直し、アーニャが尻尾をあっちにくねり、こっちにくねりとさせながら、僕たちに声を掛けて来た。
「なんですか?」
「どうしたんだ、改まって」
「うん。感謝と、あとはーーお願い、やな。
カーくんも、シャロちゃんも。あとはあのカイ……なんとかいう兄ちゃんも、ほんまにありがとうな」
カイマンの扱いがわりと哀れだった。
「ずっと不安やってん。ずっと後悔しててん。そんで、たぶんずっと焦っとった。
ウチ、おねえちゃんやのに、大事なときにあの子らの側におれんかったから。
今日の、ウチらが会うた時な。あの男らふたりくらいなら、なんとかなってたと思う。たぶんな。
でも怪我しとったかもしれんし、なんとかなったとしても、きっとその先に続かんかった。どっかで、行き詰まって。そんで捕まってたと思う」
アーニャは獣人なので、人の法は彼女を守らない。
仮にあの場を凌いだとしても、遠からずきっと破滅が訪れていた。それは、アーニャ自身も自覚しているとおりだし、僕も同意見であった。
「今やって、焦りはある。
あの子らがひどいことされてたらどうしよって、腑煮えくり返りそうんなる。
でも、焦ってもしゃあないいうんも、わかる。わかるくらいには、美味いもん食べてちょっと冷静になれた。
それに、カーくんたちのおかげで、やつらへの渡りもついた」
アーニャの目には、怒りとか憤りとか、そういった感情が見え隠れしている。でも、そのなかに、出会った頃にはなかった希望みたいなものも、また見えるような気がした。
「やから、今日はちゃんと寝る。んで明日、妹と弟を取り返す。そんで仕舞いや」
努めて明るく振る舞ってはいるようだが、先ほど自身で言っていたように不安や焦りが消えたわけではないのだろう。
それでも、明日。そこに希望は繋がったのだから。
「明日、頑張ろうな。
それで、お願いっていうのは?」
僕が先を促すと、アーニャはちょっと困り顔になった。
シャロンは静観の構えらしく、僕の左太ももをなでなでしている。なんでさ。
「えっと、そのな。約束を違えるつもりは、べつにないねん。
いけ好かないヤツやったら途中で逃げたろと思わんかったわけでもないんやけど、ほんまに妹弟が助かったなら。そのときはウチを好きにしてくれてええ。
ウチは恩に報いれるもんを、ほかになんも持ってへんからな」
若干しどろもどろになりながらも、僕らに要望とやらを伝えようとするアーニャ。
なんか視線が僕と、その足の間にすっぽりと収まるシャロンを行ったり来たりしているような気はする。
「でも、あの。交渉とかできる立場にないんはわかってるつもりなんやけど、な?
カーくんの持ち物になるんは、あの子らを助けられてから、ってことにしてほしいんよ」
「その内容についても、僕は了承したつもりもないんだけどーーああいや、助けるつもりがないってことじゃない、ないからそんな泣きそうな顔をするんじゃない。
まあ内容はどうあれ、最初からそういう話じゃなかったっけ。何か心配があるのか?」
「ぅ……。えっと。あの。その。まだウチはカーくんの持ち物じゃないから、そのな。夜伽は今晩は勘弁してほしいなーって。にゃはは……。
あの、ウチ、そういうの初めてやから明日戦えヘんなったら困るし……さすがに体力も限界っぽいねん」
呆れるやら、シャロンとは違った困るパターンが来たなとか思って出遅れた僕のかわりに反応したのは、そう。シャロンに他ならない。
「さっきも言いましたよね!?
オスカーさんの童貞を渡す気はありませんと」
がるるる、とシャロンが威嚇する。
あんまり、はじめてはじめて言わないでほしい。
きゃー、と赤面しているアーニャと同様、僕もきゃーと顔を覆ってしまいたかった。足の間にシャロンが居るので、それも叶わないのだったが。
「オスカーさん、ご安心ください。
あなたのシャロンはいつでも準備万端です。
今晩だって、朝までだって、いくらでもお相手いたします」
「なにを安心しろというのか」
「安心してください、まだ穿いてます」
しばらくちゃんと穿いててください。
「ええ? 嘘やろカーくん。ほんまに?
ほんまに、こんな可愛い子と添い寝とか膝枕までしてもろても手ぇだしてへんの……?」
あっ、なんで添い寝や膝枕の件を知ってーーさては、僕がお風呂から上がってから牽制をかけたな、シャロン。
「それは私も知りたいところです。
私の身体に不満がおありなのでしょうか」
なんで僕が責められる流れになっているのか。
決戦を明日に控えているはずなのに、今日も今日とて、なんて締まらないことか。
不安さよりも若干憐れみが色濃く出たような視線で、おずおずとアーニャが僕に提案してくる。
「あっ、あの。カーくん、この戦いが終わったら、猫人族に代々伝わる"げんきになるくすり"もらいに行って来よか?」
「それは一体おいくらですかっ」
なにが元気になるかは聞かないほうがいい気がする。
そしてシャロンも食いつくのをやめてほしい。
こと僕らに関しては、明日の出立に際して前準備のようなものはとくに必要ない。
すべて"倉庫"に放り込んであるためだ。
アーニャが軽装すぎるので、防御力的にも目のやり場的にも、できればもうちょっと着込んでほしかったのだが、あいにく彼女に合うようなサイズの服の持ち合わせはなかった。
ゴコ村でもらった村人の服を着せようとしてみたものの、胸がぱっつんぱっつんでつかえてしまったので、やむなく元の服装に戻っている。その様子を見ていたシャロンは己の胸元を見下ろし、悲しげにぺたぺたしていた。
べつにシャロンが小さいわけでは決してないと思う。女性らしく整った身体つきは、表情の愛らしさと超然とマッチし、製作者の『これが完成された究極にして至高の美である』と言わんばかりの拘りが伺えるような、あるべくしてそうある美しさ、可憐さ。それがシャロンだ。
対してアーニャは、女性らしさという意味ではそのメリハリを極度に強調したような、そんな身体つきをしている。おへそを出すような服装が、さらにその腰のくびれなどを際立たせ、時折揺れる尻尾や、濃いめの肌の色が独特の艶かしさを持っている。僕の視線に気づくと、アーニャは照れ臭そうに「にひひ」と笑うのだった。
「ウチはこういう服のほうがええな。軽いし動きやすいし」
「とはいえ、寝るときまでそれじゃあな。
まあ、今日は仕方ないし明日帰りにでも寝巻きを買って帰るかー」
明日の帰り、という話をしたところ、アーニャは猫が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「明日、そっか。そやね。明日、妹弟を取り返して。それでぜんぶ終わりじゃなかったんやった。
明日のあとも、これからもずっとまいにちは続くんやね」
何かを噛み締めている様子のアーニャだったが、僕としては何を当たり前のことを、という気分だ。
「そりゃまあ、そうだろ。
明日の帰りって話なら、アーニャの妹と弟、あとはカイマンとその連れのことを考えると、人数的に食事は妖精亭じゃ厳しいかな。
ううん。まあカイマンならどこかしら良い店を知ってるだろ。ーーどうした、アーニャ。何か良いことでもあったのか」
「ううん。なーんも。
強いて言えば、カーくんシャロちゃんに会うたことが、ウチにとってはめっちゃええこと、かな」
なんだそれ。
まあ、アーニャにも何か彼女なりの考えがあるんだろう。
「よくわからんが。
明日は早朝から動くんだから、そろそろ寝よう。
ああ、全くそんな心配はしてないんだけど、念のため。
この部屋を探しても特に何も僕らは置いてないし、僕らに危害をもし加えるつもりがあってもシャロンが気づくからやめといたほうがいい。
ただ、僕らが寝ている間に出て行きたくなったなら止めはしないから、好きにするといい」
「せーへん、せーへん。そんなんチラリとも考えてへんし、ウチになんも得ないわ」
カラカラと笑うアーニャの様子に、もとより全く心配はしていなかったが、やはりその彼女の言葉に嘘はない。
"全知"の眼鏡は便利だが、表層心理が見えるというのは、疑い深くなってしまっていけない。
アーニャからの純然たる感謝の念を視てしまった僕は、少しバツの悪い気分で、なおさら反省を深めるのだった。
唐突なお風呂回です。シャロンちゃんは普通に髪を拭いてほしかった。
町のおっきいお風呂屋さんなんかでは「刺青の方お断り」くらいのカジュアルさで「獣人お断り」とかされたりします。




