僕と魔石と緑の玉
クロイムが潮風に弱いのはわかった。ならばクロイムが直接潮風を浴びないように、太陽の光を遮らないもので防護してやればどうだろうか。……と思っていた時期が僕にもありました。
「ふーむ」
ガラスラに塩をぱらぱらっと振ってみて、待つことしばし。
ほんの少し前までは透明だったガラスラは、塩を振った部分とその周囲が白く濁ってしまっている。硬さはあまり変わってなさそうなので器として使う分には支障がないかもしれないけれど、これではあまり太陽光を透過できそうにない。
硬質化している分、クロイムよりはまだ潮風に耐性がありそうではあるものの、長く使うのは難しいだろうな。つまりこれも失敗ってことだ。ただ失敗というのも癪なので、うまくいかない方法が新たにひとつわかった、とでも強がっておくか。
ガラスラじゃなくて本物の硝子を使うならこのやり方でもなんとかなるかもしれないけど、硝子って高価いんだよなぁ……。そのうえ、一般に出回っている硝子はそんなに透き通ってもなければ薄くもない。クロイムにまで届けられる光が減ってしまう。
”全知”で調整したら薄く加工することもできないではないだろうけど、薄ければ薄いで嵐でも来ようものなら呆気なく割れてしまいそうだ。海からの暴風を防ぐものが何もないからな、ここ。
高価な硝子をそのつど設置するのは、あまり取りたい手段ではない。他になにも方法がなければそうする他ないけど、いまのところクロイムが駄目だっただけで他の方法を試したわけでもない。
とりあえず、次は水車あたりだろうか。水量が一定で、ちょうど良い高低差のある川とかがあれば話は早いんだけど。なければ水路を引いてもいいか。生活用水の確保はどのみち必要なのだし。
「よし、それじゃあまずは水源の――って、なにやってるんだ?」
「草を集めてやす!」
「枝を集めてやす!」
「木の皮を編んでやす!」
「奥様のご指示です! きっと主様のお役に立つはず、と」
「シャロンの? へぇ」
僕がクロイムやガラスラを前に唸っている間に、シャロンは獣人たちを連れて何かしらの作業を頼んでいたようだ。
彼らは周囲に好き放題に生い茂る雑草を刈り取って集め、落ちている枝を拾い、表面を剥がした木の皮を裂いて紐を作ったり、その紐を編んでロープを作ったりしている。町で買ってきたナイフが早速役立っているみたいだな。
シャロンはたまに彼らの作業に意見はするものの、手を出す様子はない。なにか考えがあるのだろう。
僕も水源を探しにいくのは後回しにして高みの見物を決め込むことにした。じっさい、屋根の上から見ているので物理的に高い。……そろそろ降りるか。
獣人たちが数人掛かりで集めた草や枝をひとまとめにし、木の皮のロープでぐるぐる結んで束ねていく。やがて、結構な大きさの緑の玉が出来上がった。
「完成ですね」
「おぉー。できました、できましたよ主様!」
「おつかれさま。で、なにこれ?」
「……さぁ? 草の、玉?」
僕の理解度とさしたる差がなかった。彼らも何を作っているのかわからないままに作らされていたらしい。やり遂げた満足げな表情と困惑が入り混じっている。
緑の玉は僕が膝を抱えて縮こまっているのとだいたい同じくらいのサイズで、これだけより集まると草や枝とはいえどもそれなりに重い。ラシュくらい? もうちょっと重い? あとすっごい草の匂いがするし、抱えるとチクチクする。
玉からは5、6歩分くらいの長さの木の皮のロープがにょろりと伸びている。
シャロンが完成と言うなら完成しているんだろうけど、なんなんだろうなこれ。
「それを持ってついてきてください」
そう言って歩き出したシャロンのあとを、僕は獣人たちと連れ立って追いかけた。
足が悪い彼らのかわりに玉は僕が担いで行こうとしたんだけど、「主様に持たせるわけにはいきませぬ!」「それは我らの仕事です!」「どうしてもというならばこちらを!」とロープの先を渡された。そんなわけで僕が引っ張るロープの後ろで、獣人たちが玉を担いでついてくるという変な図が形成されてしまっている。
謎の玉を担いで練り歩く謎の集団。怪しい以外のなにものでもないけれど、幸いにしてこの島には僕ら以外には誰もいない。誰にも気味悪がられないのはいいがツッコミ不在ということでもあるので、本当に幸いなのかどうかは微妙なところではある。
やがてシャロンが足を止めたのは、彼らの住居からまばらに生えた木立を抜けた先、少しだけ高い崖になっている波打ち際だった。シャロンが言うには岬とかいう地形らしい。
寄せては砕ける白い波の飛沫が時折こちらまで跳んできて、少しばかり冷たい。
「しっかり持っていてくださいね」
「うん。結局なんなの? これは」
「浮きであり、重りです」
浮きで重り? この玉で魚でも釣るのだろうか。エサも針もないけども。
「すぐにわかります。説明するよりも体験していただく方が早いですから」
そう言って、シャロンは僕と一緒にロープを掴むと後ろを振り返る。
「ではその玉を海に投げ入れてください」
「「はいよろこんでぇ!」」
獣人たちは口々に声をあげて頷き、担いでいた緑の玉を「そぉい!」と海に投げ入れた。
玉は僕とシャロンの掴んだロープに繋がっているためそう遠くまで飛ばず、ばしゃんと大きな水音を立てて海の上に浮かぶ。手に着水の衝撃がロープを伝いにズシリとやってくる。
「私は手を離しますが、オスカーさんはしっかり掴んだままでいてください」
「え、あ、うん。でもこれって……うぉっ!?」
言いさして、シャロンの言葉の意味がようやくわかった。
たしかにこれは、説明を受けるよりも体験するほうが早い。
なんだなんだ、と崖から水面を覗き込んでみる獣人たちの前で、ロープに繋がれた緑の玉が波に揺られる。
波が寄せるタイミングで玉を持ち上げ、波が引くタイミングではその分下がる。そのたび、僕の掴んでいるロープがかなりの力で引っ張られる。波が寄せては返すたび、何度も、何度でも。
草と枝で作られた緑の玉はだいたいラシュと同じくらいの重さだったけれど、波の一回ごとに“肉体強化”なしのラシュに思いっきり腕を引っ張られたような衝撃が伝わってくる。なるほど、これは使える。
「波の力か。これはいいな」
「はい。せっかくの海辺ですからね」
シャロンは頷いて、獣人たちは首を傾げる。
「僕が作る魔道具は魔石を動力にするものが多いってのは説明したよな」
「聞いとりやす。魔石を作る黒いのがうまく働かないってんで、主様は嬉しそうに困ってらしたんですよね」
「嬉しそうに……いやまあ、うん。これがその黒いのの代わりになりそうなんだよ」
「これが、ですか?」
自分達の作った草の玉が魔道具になるなどとは俄には信じがたいのだろう。彼らは皆一様に目をまんまるに見開いている。
もちろん、木と枝を集めた玉が直接魔石を生み出すわけじゃない。この玉が波の力で引っ張られることを利用して車輪を回せば、”回転”術式を逆転させる手法で魔石を取り出せる。仮に名を波力回転機構とでもしようか。
玉はずっと海の上をぷかぷかしているので、腐ったり、少しずつ解けてしまったりするだろうし、ずっと引かれ続けることになる木の皮ロープに掛かる負荷も高い――つまりは摩耗しやすいってことだけど、その摩耗しやすい部分は全部獣人たちで作れるというのもいいな。というか、そのためにシャロンは指示を出すだけで彼らに手を貸さなかったのだろう。彼らだけで作れることを示すために。
クロイムやガラスラは他の者には生成できないから、壊れるたびに僕が直す必要がある。波力回転機構なら壊れやすい部分を全て彼らに任せられるのだから、その意味は極めて大きい。僕が島に居ないときでも直せるってことだからな。
「そんな! 回して魔石が作れるなら我らがいくらでもやりますよ、主様!」
「こんな草玉にできることなら我らにだってできますぜ」
「むしろ我ら、回すためにここにいると言っても過言じゃねえです」
「さすがに過言じゃないか、それは」
あ、まずい。彼らの「役に立ちたい欲」のようなものが「草玉なんぞに負けてなるものか」と結びついて変なことになってる!
波力回転機構に限らず、回転から魔石を作る仕組みをあまり広めたくない理由がここにあるんだよなぁ……。
魔石は高価だ。硝子よりもなお高い。
それも当たり前で、普通の魔石は強い魔物の体内とか魔力溜まりになっている鉱山とかでたまに採れるものであり、珍しいものなのだ。
市場に出回る魔石はほとんどが小粒である。ごく稀に爪くらいの大きさのものが取引され、金貨何枚という値がつく。
たとえ小粒よりもさらに小さな砂粒みたいな魔石(魔砂か?)であろうと、これが人の手で作れるということが表沙汰になれば、奴隷に回させ続ける者が出てくるのは想像に難くない。この島の獣人たちはむしろ率先して回しそうだけど……。
「いいか、こういう単純作業は草玉に任せておけばいいんだ。草玉にはできないような難しいことをあんたらには任せたいんだから」
「草玉には、できないことを?」
「うん。魚を獲ってくるのだってそうだろ。草玉にはどうやっても出来ないことだ。それに関してはあんたらの腕が頼りだからな」
「我らの腕が……!」
「やります! 主様のため、ここいらの魚を根こそぎ捕まえてみせますぜぇ!」
「根こそぎにはしなくていいけども」
よかった、どうやら納得してくれたみたいだ。
べつに、適当なことを言って丸め込んだわけじゃないぞ。自動的にできることに人力を使うのが勿体ないと思っているのは本当だからな。
波力回転機構なら朝夕問わず、彼らが寝ている間であろうとも少しずつ魔石を作り出してくれるはずだ。
四六時中動き続けるなら、この「少しずつ」がばかにならない。それに波力回転機構が設置できそうな崖は、探せば近場にいくらでもあるだろう。一基あたりでは微々たるものでも、何基も作ることでカバーできる。
海沿いにしか作れないので嵐が来たときが心配ではあるけれど、クロイムのように地表に晒しておく必要もないから、石造りの壁や天井で覆ってしまっても問題がない。ロープと玉は嵐が来る前に巻き上げてもらう必要があるだろうが。
「ただ回転させるだけというのも芸がないし勿体ないよな。海水を引き揚げて製塩に使えるようにするか」
いや、いっそ引き揚げた海水を魔術的に解析できれば塩を”抽出”できるか? となれば井戸を掘るとか水路を引くとかしなくても海水から飲み水と塩を分離できるかも!
よーし、まずは簡単なやつから作ってみるとしよう。
「シャロンは僕を手伝ってくれる?」
「はい、もちろん。我が命に代えても!」
「覚悟が重いってば」
「主様! 我らにもなにか仕事を!」
「じゃあ、この玉とロープをいくつか作ってほしい」
「任されましたぞ! 我らが命に代えても、島中の草を根こそぎ玉にしてご覧にいれますとも!」
「覚悟が重いし根こそぎはしなくていいってば」
深刻なツッコミ不足だけはいかんともしがたいな!?
カイマンかリジットでも連れてくるべきかもしれん。セルシラーナもこの島なら人目を気にせずに出歩いても問題ないだろう。ラシュやルナールの遊び場にも事欠かないだろうし、いっそ気軽に泊まっていける宿みたいなものも作ってもいいかもしれない。
ま、そのへんは追々にして、まずは波力回転機構を作るとしよう。