僕と異文化コミュニケーション
"転移"した先は海岸にほど近い、雑木林の側だった。僕とシャロンはそのまま連れ立って海沿いを歩く。
寄せては砕ける潮騒は途切れることがなく、町や村とはまた違った賑やかさだ。
町は多くの人の行き交うざわめきに満ちていて、夜になると静まり返る。村は一日中を通して虫や蛙の大合唱に生活が彩られる。
近頃では肌寒い日が増えてきたので、村でも蛙の声に眠りを妨げられることはなくなるかわりに、毛布の内側にまで染み入ってくる寒さに起こされる日々がやってくるだろう。冬が間近に迫っている。
砂浜が見えるところまでやって来たところで僕らは島民を発見した。島に残してきた獣人たちのうちのひとりだ。どうやら向こうもこちらに気付いたらしい。
「主様!? 主様だ! 奥様も! あぁぁるぅうううじぃいいいさぁぁあああまぁぁぁぁあぁああああうぉおおおおおおおおおお会いしとうございまうぶえっ」
驚きに目をみはり、よたよた足を引きずりながら走って来ようとした彼は、そのまま砂の上に派手にすっ転んだ。砂浜に顔が半分以上めり込んでいる。
「……大丈夫かな?」
「姉たちと少しカブりますもんね」
「呼ばれ方がカブる心配をしてるわけじゃないんだよ」
むしろ僕の呼び方はもうちょっと統一してくれてもいいんじゃなかろうか。
さん付け、さま付け、アダ名に主呼び、ハウレル姓の方でもさん付けや様付けなどなど。呼ばれてるのがわかれば支障がないとはいえ、みんなで頑なにバラバラの呼び方をしている方がどちらかといえば不思議だ。
いや、呼ばれ方はどうでもいいんだよ。ついついシャロンにつられてしまったけどさ。
この島にいま住んでいるのは、もとは獣人奴隷として使役されていた者たちだ。
僕は、彼らが元の『所有者』によって、逃亡を防ぐためという名目で足の腱を傷付けられていたことを思い出していた。
かつてレッド・スライムとやりあった時には治してやることができなかったけれど、今の僕なら、カイマンの腕のように新しく作り直してやることもできるはずだ。時間は掛かるし、移植はめちゃくちゃ痛いと思うので希望者だけということにはなるだろうけど。
「主様に再びお目にかかれるこの時を、我ら待ち侘びておりました!」
「「おりました!!」」
「なんか懐かしいな。この感じ」
騒ぎを聞きつけて続々と獣人たちが集まってくる。その上、彼らは僕らを見るなりその場に平伏して動かなくなるので、仕方なく"念動"で吊り下げて運んでいる。ぷらーんとぶら下げられた状態でも気にせず話しかけてくるあたり、かなり肝が座ってるよな。
「なんか雰囲気が変わったか?」
「体重が平均で20%の増加、並びに栄養状態も改善しているようです」
全体的に肉付きもよくなってガッシリしたような印象があるな、と思っていたらシャロンが頷いて肯定する。
「好きなだけ寝て食べてができますからね。もちろん体も鍛えとりやす。全ては主様のお役に立つために!」
「「立つために!」」
「声を揃えなくていいから普通に喋ってくれ……」
「「主命とあらば!」」
「……いや、もう、うん。好きにしてくれ。そういえば、お前らって全部で5人だっけ? あとひとりいなかったか?」
そう問いかけると、彼らは宙に吊り下げられたまま器用にしゅんとうなだれ、ある者は目を伏せ、ある者は遠い目をする。
「あいつは……遠いところに行っちまったんです」
「ほんと、魔物相手に無茶しやがってよぅ……」
なにか――悲しいことがあったのだろう。
「悪い、辛いなら無理に話さなくていい」
「主様が悪いなんてこと、あるわけがねえです! 主様に覚えてもらえていたと知ったら、あいつも喜びまさぁ……」
「あとで聞かせてやらねぇとなぁ……」
「今もどこかで俺らのこと、見守ってんだろうしなぁ……」
片耳が半ばから無い壮年の男が鼻をスンと啜り、まだ若い男が茶色い尻尾を力なく振った。その様子をなぜかシャロンが微妙な表情で見ているけど、なんだろう。
「墓があればあとで案内してくれ。そうだ、そいつの好きだったものがわかるやつはいるか?」
もし『倉庫改』の中にあれば墓前に供えておこう、なくても今度来るときには持ってこよう、と思っていると彼らは皆一様にきょとんとした顔で僕を見る。
「はか……ですかい?」
「うん」
頷くと、彼らはどこか困った表情で顔を見合わせた。
あれ? もしかしてそういう文化がない感じ?
考えてみれば、僕は彼らについてほとんど何も知らない。
いや、彼らどころかアーニャたち猫人族の文化や風習についても知っているとは言い難い。
猫人族の女は母親の名を一部受け継ぎ、男は父親から受け継ぐからアーニャとアーシャの名前は似ているがラシュは似ていないとかは聞いた覚えがあるな。
あとは強い雄に雌を選ぶ権利があるとかなんとかも言ってたっけ。アーニャは自分より強いやつじゃないと嫌だったから僕に惚れたとか――うん。『なぁなぁ』で済ませてきたけど、わりとずっと明け透けに好意を寄せられているんだよな……。そりゃへたれ呼ばわりもされようというものだ。このままずるずると先延ばしにするわけにもいかないのはわかっているんだけど。
――考えが逸れたな。
これまでの僕は自分のことでいっぱいいっぱいだった。それは認めよう。認めた上で、これからは彼らのことを知る努力もしていかなくちゃならない。
僕には、彼らを縁があって助けた責任がある。主と呼んで慕ってくれてもいる。いや主人であると認めたわけじゃないんだけど、なんか勝手に仕えている。
まずは、彼らの――そして亡くなったひとりの名前を知るところからだよな。うん。
「墓がないなら無いでいいんだ」
「いいんですかい? 主様がご所望なら墓の十や二十、すぐにでも作りやすが」
「「作りやすが!」」
「いや、さすがに多くない? 亡くなったのがひとりなら1個あれば十分だし……それに、本当に無いなら無いでもいいんだ。それぞれの悼み方があるもんな」
僕らにそれぞれ生きてきた歴史や文化があるように、彼らにも拠り所としている文化があるはずなのだ。
それを、慕われているからといって僕のやり方を押し付けて、彼らのやり方を踏み躙っていいわけじゃないしな。
「だれか、亡くなったんですかい……?」
「え?」
「え?」
気遣うようにそっと問いかけてくる白い耳の彼――最初に砂浜に顔から埋まってた人だ――と見つめ合い、首を傾げ合う。んん?
「オスカーさん、残るひとりなら私たちの右斜め後方65mの位置におりますよ」
「え?」
「離れてこちらを窺っているようです」
どういうこと?
シャロンの言う方向に"探知"を飛ばしてみると、たしかに誰かいるようだ。魔力量が極端に少ない。獣人の反応で間違いないな。
僕が魔力を解放したことで「ひゃあ」とか「あ、主様!?」といった声がそこかしこから上がる。ごめんて。
「遠いところに行ったとか、魔物相手に無茶しやがってとか今も見守っているとか何とか」
「へえ。今朝がた、無茶しやがって返り血べっとべとで臭いのなんのってんで、とても主様奥様の前に顔を出せたもんじゃないんですよ」
「今も、どっか遠い風下からこっちを見守ってるんじゃないかなと思うんですが」
「紛らわしいわ! 綺麗にしてやるからはやく出てこい!」
それでシャロンは微妙な顔をしてたんだな。はやく言ってくれ。変な勘違いをしちゃって恥ずかしい。
……でも、うん。みんな元気なのは素直に良かった。
バツの悪そうな顔でやってきた最後のひとりは、たしかにべっとべとでひどい匂いを放っていたけれど、他の者たちも多少の差はあれそれなりに汚れていたので、まずは風呂に入れてやることにした。病気に罹らないためにも体を綺麗に保つのは大事だ。
僕でさえ潮風を浴びた髪がぺとつくのが気になるくらいなのだから、耳や尻尾がもふもふしている彼らにとってはもっと深刻な問題だろう。
何日かに一度は水浴びに出かけているというが、これからの季節に冷たい水はきつい。
まずは木造平家建ての彼らの住居の裏手に穴を掘る――掘ると言っても"剥離"で地面を吹き飛ばすだけなので楽なもんだ。
こんなに便利なのに"剥離"魔術の人気がないなんて、世の魔術師は見る目がないよな。爪も地面も、『世界の災厄』だって剥がせるのに。とはいえ『災厄』を剥がす機会なんてものは、この先もう二度とないと思いたい。
吹っ飛ばした地面には、風呂の底となる一枚岩を敷く。おなじみのムー爺のゴーレムから奪っ……貰ってきたやつだ。
あまり大きな風呂を作っても水を運ぶのが大変なので、2、3人が同時に寛げるくらいの大きさに留めておく。
壁も同様に一枚岩で囲み、排水用の穴だけ開けておいた。使う間は板で湯を堰き止めておけばいい。排水穴はみんなで作った即席の空堀へと繋げておく。いつぞやレッドスライムを誘導した、あの溝だ。あるものは使おう。
湯の用意は、川から水を引っ張ってくるか、井戸でも作って地中から引き上げるか悩ましいところだが、今回は『倉庫改』にあらかじめ貯めておいた水があるのでそれで代用する。こんなこともあろうかと、ってやつだ。水は魔術で出せないこともないけど、すでにあるものを使ったほうが楽に済む。
異空間に貯蔵した水をだぱだぱと風呂に注ぎ入れる僕とシャロンを彼らは口々に褒めそやすので、少しばかりこそばゆい。
あとは魔術で湯の温度を調節してやれば、海の見える露天風呂の完成だ。
その後、『主様と奥様を差し置いて一番風呂をいただくなどできぬ』派と『主様の命令が第一』派で意見の食い違いから起こった言い争いは、
「みなさんがお風呂で綺麗になっている間にオスカーさんと砂浜デートしてくるので、邪魔しないでくださいね」
というシャロンの一声によって見事に沈静化した。
シャロンの機転はさすがだなぁ、と思ったのも束の間、シャロンはシャロンで『砂浜で鬼ごっこという定番シチュエーション』がやりたかっただけと発覚。
「さあオスカーさん、私を捕まえてください!」
と言い残し、素足で砂を巻き上げながらすごい勢いで走り去るシャロンの背中を、僕は必死で追いかけながら、「ダビッドソン使っちゃ駄目かなぁ……」と、ひとりボヤいたのだった。