僕とお礼 そのに
「ごめんなさいね」
しばらくして落ち着きを取り戻した母親・フランは、赤くなった目許を擦り、少しだけバツの悪そうな苦笑を浮かべる。
抱かれた赤子が、「あぅー」とか「だぅー」とか言うのに対して同じように返事をしていた僕とリリィは居住まいを正した。
「あとになって……聞いたんです。あれだけの大怪我を治せるのは、国中を探しても他にいないかもしれない、って。ほんとに運が良かったんだ、って」
事故に遭って運が良かったというのも変な話だけど、運が悪いまま命を落とすのは、そう珍しい話でもない。
僕の他にも、勇者のあんちくしょうとかなら助けることはできたんじゃないかな。助けてくれるかどうかも、国内にいるかどうかも不明だけど。大激震の最後に協力してくれたし、おそらく死んではいるまい。
「このご恩はけして忘れません。でも、うちにはご恩に報いるだけのお礼をすぐに用意する余裕が、ないんです。なので、せめてこれを」
心苦しそうにぽつり、ぽつりと語りながらフランが躊躇いがちに差し出したそれは、宝石のついた首飾りだった。
「これは……黄水晶かしら?」
「いいえ。トパーズです」
リジットが瞳を瞬かせ、リリィが小さく首を振った。
人差し指の爪ほどの大きさの、ぼんやりと曇った茶色っぽい宝石には、表面に細かな傷が無数にある。
留金には錆びが浮いており、一部が歪んでいるが、これは経年のためというよりも元々の造りが甘いためだと思われる。括り付けられている革紐まで傷だらけで、年季の入りっぷりが窺えた。
魔術的な加工がされているわけでもないし、宝石に詳しいわけではないけれど、そう価値のある代物ではない。少なくとも、その来歴に縁のない、僕にとっては。
「大事なものなんだろ?」
「……亡くなった母にもらったものなんです。母も、祖母からもらったものだと言ってました」
形見だこれ!
そんなの、受け取れなくない?
「わたしも、いずれは娘に譲るつもりで……ですが、あなたが助けてくれなかったら、娘の命もなかったんでしょう?」
「そりゃまあ、そうかもだけどさぁ……」
でも、だからって受け取れなくない?
輝石としての価値がなくたって、家族の想い出が詰まっていることくらい、簡単に察せられる。
「だぅぁー、ぅだー、ぁー!」
首飾りが気になるのか、赤子がしきりに小さな手を伸ばしている。
もともと、お礼がほしくて助けたわけじゃないんだ。それじゃ気が済まないっていうなら何年かかってでもいいから、少しずつ支払ってくれたら……とやんわり受け取りを断ろうとしても、母親は困った顔をするばかり。
旦那は朝早くから夕方まで働いており、蓄えもほとんど無い。子どもが小さいうえに、自身には読み書きするだけの学もないので働き口もない。そういう母親は多いのだ、とフランは疲れの中に自嘲を滲ませた。
途中、空腹を訴えて泣き出した赤子に、授乳をするというので、その様子を見ていたいというリリィとリジットをその場に残して、僕は応接室の外で半ば押し付けられるようにして渡された首飾りに目を落とす。
母は強いということなのか、おどおどしたところがありながらもフランはそれなりに頑固だった。そのまま返そうとしても受け取ってくれないだろう。僕も受け取りたくはなかったんだけども。
「……留め金の補修でもするか」
ただ待っているのも手持ち無沙汰だったので、押し付けられた首飾りの留め金の錆を落とし、銀スライムで表面を薄く保護しておく。この先、数百年程度なら普段使いはおろか、潮水に浸かった程度でも錆びたりしないはずだ。
留め金は作成段階のものと思われる歪みや凹みも随所にあった。装飾職人が手掛けた作品というよりも、素人が手間暇をかけて拵えたような風情がある。
留め金の、石に隠れる部分には『愛情』を意味する古めかしい単語が彫り込まれていた。フランの祖父か、もしくはそれよりも先代が求婚のために拵えたものなのだろう。なおのこと僕がもらってしまうわけにはいかない。
傷だらけの革紐は表面だけでなく内側までぼろぼろだったので取り替えてしまうことにした。
ちょうど試しに鞣した革があるので、端の部分を切り揃えて革紐をつくる。原材料は『災厄』の影響を受けた雄牛型の魔物の皮だ。強靭すぎて並のナイフ程度では傷すら入らないので、加工はもっぱら極限まで研ぎ澄ませた”剥離”で切断することになる。
魔力の浸透性も申し分ないので、ついでに疲労軽減術式を付与しておこう。首からさげるという性質上、肩凝り改善や血行促進効果が見込めるはずだ。
他にも宝石の表面を磨いて傷を補修するさなか、宝石に魔力を篭めると曇りが薄れ、深みのある澄んだ黄色になることを発見したりと、なかなか充実した暇つぶしとなった。普段触らない素材を扱うと新しい発見があるね。
「ハウレル様、リジット様がお呼びで……えっ。…………えっ」
授乳が終わったことを知らせにきたメイドさんが、僕の手の中で輝きを放つ宝石を2度見していた。
――ちょっとやりすぎたかもしれないけど、おもいっきり目を細めて見たら、元とあまり変わらない気がするから大丈夫だと思う。たぶん。誤差の範囲内だよ。しれっと返しておけばバレないバレない。……と思っていたんだけど、残念ながらリジットにはひと目でばっちりバレたうえ、やれやれとため息まで吐かれた。
「オスカー、あんたねえ……ちょっと放っておくと大貴族の家宝クラスの魔道具作る癖やめなさいよ。フランさんに返すつもりなんでしょ? 受け取りにくくしてどうするのよ、まったくもう」
「そのフランさんは――」
「いま眠ったところよ。お腹がいっぱいになった赤ちゃんが寝ちゃって、つられて一緒にね。ちゃんと寝られてなかったみたいだから。起こさないように魔術で運べるかしら? 楽な姿勢で寝かせてあげたいわ」
「まかせろ」
長椅子に座った姿勢でうつらうつらしていた母親を、"念動"でそっと持ち上げ、メイドさんが持ってきた毛布を敷いた長椅子に寝かせておく。体も精神も疲れ切っていたのだろう。回復薬茶もしっかり飲み切ったようで、テーブルの上のカップは空になっていた。
保衣眠まで運べれば睡眠効果としては一番良いのだろうけれど、母親と赤子を引き離すわけにもいかない。ひとまず同じ部屋で寝かせている分には大丈夫だろう。
あどけない寝顔の赤子をじぃーっと無表情で見つめ続けるリリィの隣で、リジットは優しげに目を細める。
「ね、赤ちゃんってちいさいでしょ」
「うん。よく生きてるなって不安になるくらい小さいな」
しかも、ふにゃふにゃのやわやわだ。
手が滑って落としでもしたら、それだけで致命傷になるんじゃないかと心配になる。
「もちろんお腹も小さいから、そんなにいっぺんに飲んでおけないんですって。それで夜中に何度も泣いて起こされるそうよ」
「そりゃ、目の下に隈もできるか」
加えて、普段はもうひとりの子も見ていないといけないのだから、おちおち昼寝もしてられないだろう。なんといっても、目を離したら一瞬で死にかけるのが子どもという生き物なのだから。
「こうやって誰かが代わりに見守ってれば、交代で休んだりできるんだろうけど、乳母を雇える家ばかりじゃないからなぁ……」
「あなたの子どもに関しては、そのあたりは全く心配いらないわね。稼ぎもいいし、なにより『お母さん』がいっぱいいるし。ほら、わ、わたしも、いるし。……って何言ってるんだろ、忘れて、今のなし! なしだからね!」
「お、おう」
髪の先を指に巻きつけながら、ひとりでもにょもにょ言って赤面しているリジットのことは、そっとしておこう。血に飢えた騎士にちょっかいをかけると拳でばしばし殴られることを、僕は経験則から知っている。
「うちは、まあ……特殊だから参考にはならないんだよな」
手の掛かる子どもがいても、何人かで持ち回りで見守ることができたなら、ひとりあたりの負担は減らせる。……って今まさに僕が持ち回りで見守られてるこれが、それそのものか? 気付きたくなかった事実に気付いちゃったな。まあいい。よくはないけど。
でも、一般的な――フランや、その幼な子たちの家庭はそうじゃない。
税は軽くなっても余分な蓄えはなく。
子どもの遊び場が減って事故が増え。
母親は子育てで忙殺され、学がなければ職もない。
そんなの、どんな魔道具を作ったって、解決できそうにない。
そりゃ、この首飾りみたいな魔道具を量産して疲れが溜まりにくくしたりはできるよ、できるけど、それじゃ根本的な解決にならないんだよな。
「……だめだ、お手上げだ。ただの魔道具技師の手には余るよ」
「あなたが『ただの魔道具技師』かどうかは疑問のあるところだけれど、それなら『そういうの』が得意な人に頼るといいんじゃないかしら。ね、リリィ? 何か考えがあるんでしょう?」
「そうなのか?」
リリィは相変わらずの無表情で赤子をじぃっと見つめていたが、やがて小さく頷いた。決意を秘めた無表情だったらしい。違いがわからん。
「主、保育施設を作りましょう」
その後、リリィ発案の保育施設――保育院は、リーズナル卿の認可を得て実現することとなった。
大激震前後で家屋が倒壊し、また東門とその付近が崩壊したことによって空いた土地に、リーズナル邸に及ぶ広さの前庭と多くの部屋を擁する二階建ての建物が建設された。
超硬岩石兵・弐型の石板生成によって築かれた、内と外とを区切る石造りの壁には正門と裏門以外の継ぎ目がひとつもなく、見る人々を大いに驚かせることとなる。これを手がけたムー爺は『ふほほほほ、凄いじゃろう、凄いじゃろう!』と鼻高々だった。
超硬岩石兵・弐型の石板は石壁だけでなく、建物や遊具にも使われている。そのなかでも、建物2階の高さから地上までを一気に滑り降りる、つるつるに磨かれた斜面が大人気だ。あまりに人気すぎて子どもだけでなく大人まで夢中になったり、それどころか噂を聞きつけた他所の貴族までもがわざわざ滑りに来るなど、ちょっとした騒動が起こったこともあった。
保育院は孤児院とは異なり、朝、働きに出る親が子どもを連れて訪れてわずかな保育料金を支払い、夕方に仕事を終えた親が迎えに来るまで、責任を持って子どもを預かる方式をとる。
院で働くのは、乳母たちやフランをはじめとした母親だ。多くの子どもを数人の大人で見守ることで、それぞれの母親が数日おきにしっかりと体を休められるようになった。もちろん、働きに応じて給金も出る。フランには『働きで返せ』と言いつけて、形見の首飾りを返すことにも成功した。
日中、子どもたちは同年代の子どもたちや院で働く大人、および『ラシュにーちゃん』や『ルナねーちゃん』と広く安全な前庭ではしゃぎ周り、昼食を食べ、勉強をする。
この勉強は、読み書き計算に加え、冒険者が薬草の見つけ方を教えたりといった実践的なものや、僕が教壇に立って魔道具作りを教えたりすることもある。もちろん、ごく簡単なやつに限られるけどね。
これらの勉強会は、子どもたちが最優先ではあるものの、院で従事する大人たちをはじめ、授業料を払った希望者にも開かれている。院の運営費用は保育料金のほかに、リーズナル領の税収の一部が充てられている。人材が育てば領地経営としても得るものが大きいとリリィたちが売り込んだ結果だ。
気の長い話ではあるけれど、子どもたちが育っていくにつれ、将来的には憲兵隊の不足も解消されていくことだろう。
保育院の院長にはリリィとカトレアが就任し、そんなこんなで『熊殺しの三女神』の伝承に『知』と『子宝』が追加されたとかなんとか。
このあたりが、後年、さまざまな領地で保育院が導入される元となった『ハウレル院』が設立された顛末である。