僕とお礼 そのいち
領地経営は、書類との戦い。
つまりリーズナル卿の戦場は、椅子の上と言っても過言ではない。
そして、装備を整えるのは戦いにおける基本中の基本である。
「沈下率、想定より3%増大。頚椎ならびに腰椎への負荷が1%増大します」
「今度はちょっと柔らかすぎるか。安定感との両立が課題だなぁ」
馬車に巻き込まれた子どもの治療をした翌日。あまりに熱心に頼まれたこともあって、僕はリーズナル卿のための魔道具をせっせと拵えている。
メイド隊の面々とは違い、領主様には洗濯機能も美容効果も不要だろう。
かわりに疲労回復やマッサージ機能を追求した、スライム張りの椅子を作ることにしたのだ。
正しい姿勢を長時間支え、それでいて快適。夏は蒸れず、冬は寒くないように――と考え出すと、これがなかなか奥深い。
「2層構造はうまく機能してるように見えるし、いっそ座面を固定する3層目を作るかな?」
「これ以上座面を厚くすると立ち上がりにくくなるおそれがあります」
「あー、そっか。どうしたもんかな。層を薄くしすぎると、人の重みでスライムが死ぬのはさっき試したところだし」
「主、提案です。椅子の枠に使っている樫材のほうに傾斜をかけてはいかがでしょう」
「なるほどな。じゃあ座面は2層のままで、次はそれをやってみるか」
「はい。御心のままに」
シャロンの姉を自称する魔導機兵、リリィに手伝ってもらいながら試作した魔道具を検証し、少しずつ改善していく。
一発でうまくいくことなんてほとんどない――むしろ一発でうまくいくと、逆に見落としがないか不安になるくらいだ――けど、こうして段々と完成度が上がっていくのも、また楽しいものだ。
「じゃ、そういうことなんで立ってくれ」
「……もう十分だと思うのだが」
「なに言ってるんだ、まだまだこれからだろ」
「勘弁してくれ……」
リーズナル卿の椅子を作る、と言ったら二つ返事で検証への協力を受けてくれたはずのカイマンは、手で顔を覆って嘆いた。
若く、また冒険者業をやっていただけあって筋肉量はカイマンのほうがあるけれど、それでも実の父親であるリーズナル卿とは背格好がよく似ている。僕やリリィが試すよりも、よっぽど良い検証ができるだろう。まさか忙しい本人を連れてくるわけにもいかないし。
朝から作りはじめて半日程度。まだまだ開発は始まったばかりだ。少なくとも、あと2、30回は試したい。3日くらいあれば納得いく仕上がりになると思うよ、たぶん。
渋々といった様子でカイマンが立ち上がる。
「この面に沿わせる形が理想です」
「うぅっ……」
「え、どこ?」
「ここから、ここです」
「あー、ここか」
うしろに颯爽とまわりこんだリリィが、たおやかな指先でその臀部から内腿にかけてを指し示したり触れたりして、僕がそれに追随。そしてカイマンが小さく呻く。さっきからずっとこんな調子だ。
「なあカイマン、もうちょっと腰を落として、そう、そのまま尻を突き出してくれないか」
「そ、そうは言ってもなぁっ!?」
「おい悶えるな、じっとしてろ。ああもう、尻の形がわからないだろ!」
「勘弁してくれぇっ!」
じたばたするカイマンに悪戦苦闘していると、コンコン、と。ノックの音が控えめに響いた。
「ん? なんだろ。はーい?」
「あの……えっと、そのぅ。お、お楽しみのところ失礼します……」
ぎこちない声はすれども姿は見えず。どうも扉の外からメイドさんが呼びかけてきているらしい。なんの用だろうか。
お楽しみといえば、まあ、魔道具を作るのは楽しいけども。今はなぜかカイマンが暴れるので苦労しているところだ。
「……ま、待て! その声フランキスだろう!? 誤解だ、誤解だぞ!」
「ごっ、5回!? 5回もっ!? ナニを!? いえその、あの、なんていうか。坊ちゃんの趣味嗜好がそっちとは思ってなかったというか。あのね、でもね、お、応援してますねっ……!」
「勘違いするんじゃない、なにも疾しいことはしていないからなっ!? ほら、オスカーからもなにか……いや、いい! 余計こじれるだけだった」
ひどい言われようである。僕はただ純粋に尻を見せてほしいだけなのに。
カイマンは疲れてしまった様子で、作りかけの椅子にぐてぇっと身を預けた。大怪我から復帰して日が浅いし、立ったり座ったりを繰り返したのはしんどかったのかもしれない。椅子作りはひとまず中断だな。
メイドさんの要件を聞いてみれば、どうも僕に来客が来ているとのことだった。
人が僕やシャロンを訪ねてくるのは、そう珍しいことじゃない。
どこぞの貴族の使いだったり、どこぞの商会だったり、どこぞの魔術師だったりが、やれ魔道具を作れだの、儲け話があるだの、弟子入りさせろだのとやってきては門前払いをされている。門前払いをされてないということは、逆に言えば『そういうの』じゃないってことだ。
スパイのなんとかさんかなと思ったものの、どうやら違うようで、フランと名乗る女性だという。よっぽど奇抜だったり印象に残る何かがあったら別だけど、僕は人の名前を覚えるのをそう得意としていない。
誰だろう? と首を傾げていると「赤ちゃんを抱いておられました」という追加情報が得られた。昨日の事故にあった子の母親かな、とあたりをつけ、リジットにも声をかけておくように頼む。セルシラーナと一緒に、庭かどこかにいるだろう。たぶん。
応接室に案内しておきます、と言い残してメイドさんの気配が扉から遠ざかっていった。
たそがれるカイマンをその場に残し、リリィを連れて応接室へ向かう。
予想に違わず、そこには昨日の母親が気後れした様子で佇んでいた。
そういや名前を聞いた覚えがなかったな、とほんとうに今さらになって僕は思い至る。
僕とリリィ、そしてその後ろから入ってきたリジットに気付き、女性はたどたどしい動作で、深々と一礼した。
「昨日は、ありがとうございました。ほんとうに。ほんとうに、ありがとうございました。おかげで、今日の昼頃にウルが……娘が、目を覚まして、それで……うぅっ……おかあさんって、呼んで、くれてっ……」
すかさず、リジットが泣き崩れそうになった女性に手を貸して、背中を優しくさすりながら一緒に長椅子に腰かける。
「ゆっくり、そう、ゆっくり息を吸って、うん。吐いて。大丈夫よ、ゆっくりで」
「うぅ……ごめ、なさっ……」
昨日も思ったけど、リジットは人を優しく宥めるのがとても上手いんじゃなかろうか。
いつぞや、セルシラーナが『リジットは学院通いをしてたときはモテまくったそうなのですよ、おもに後輩の女の子に』なんて言ってたが、さもありなん。
僕とリリィも、テーブルを挟んでふたりの向かい側に腰掛けることにした。
それを見計らったように、控えていたメイドさんがお茶の用意をしはじめたので、ヒルポ茶の小瓶を渡しておく。
リジットにさすられて呼吸を整えている女性の目の下には隈が目立つし、昨日よりも一層やつれて見える。輸血のために血を抜いたのも原因のひとつだろうが、精神的な負荷も大きかっただろう。昨晩は一睡もできなかったに違いない。
メイドさんは心得たもので、何も指示せずとも小瓶のヒルポ茶を温め、女性の分のカップに注いでくれた。
香りや風味は淹れたてのお茶に劣るものの、体力回復効果は保証する。
「主、主。笑っています」
「笑ってるなぁ」
「ふにゃふにゃです」
「ふにゃふにゃだなぁ」
僕の隣で、リリィは相変わらずの無表情だったけれど、見開いた蒼い瞳で、母親に抱かれる小さな命をじぃっと見つめていた。
落涙する母の腕に抱かれた赤子は、姉が事故に遭ったことも、一命を取り留めたことも知らず、柔らかそうなほっぺたいっぱいに笑みを浮かべている。それは、見る者まで思わず頬を緩めてしまうような、そんな笑みだった。
いまは泣いてるお前の母親も、大怪我をした姉ちゃんも、あとは会ったことないけど父親も。みんなで笑える日が、そう遠くないうちにきっと来る。
僕が父さん母さんと笑い合える日はもう来ないから、かわりにいっぱい笑顔になってほしい。それでこそ、助けた甲斐があるってものだ。
ふにゃふにゃ笑う赤子をじぃ〜っと見つめるリリィを横目に、口に運んだ湯気の立つお茶は、じんわり優しい味がした。
ふたりの子連れで買い物をしていた母はフラン、事故にあった子(3歳娘)はウル、赤ちゃん(生後90日息子)はルガル。
治療院にいるウルは現在父親が見ています。
父親は一般的な小作農民(土地を持たず、地主から借りて農作物を育てる人)で、彼ら一家に家名はありません。むしろ、この時代は家名を持たない人のほうが多いです。
ハウレル家はもともとオスカーの母の家名で、貴族ではありませんが、魔術の素養があった彼女を学府にやれるくらいには良家でした。