僕と事情説明
その後、事故に遭った子どもは無事に一命を取り留めた。
途中、母親からの輸血のさなかに目を覚ました赤子が、力の限り泣きじゃくり、一同を右往左往させるハプニングこそあったものの、おおむね問題なく処置そのものは終えている。
意識は戻らないまでも、血の気を失い土気色になっていた頬には朱が戻り、規則正しく胸を上下させる我が子をみとめ、母親は涙で声を震わせながら何度も頭を下げ、礼を述べた。
治療を終えたとはいえ安静にしておかなければいけないことに変わりはなく、熱も上がりはじめていたため、しばらくの間は治療院に預けることとなりそうだ。
あとのことは任せろと妖精亭のマスターが請け負ってくれたこともあり、数日後にまた様子を見に行く約束を交わした僕らは、治療のために一角を占拠していた店のおかみさんから『あんがとね! これ持ってお行き! ほらこれも。たくさんお食べ!』とのご厚意によって満載された、山盛りの芋や蕪、豆などを抱えてその場をあとにすることとなった。
「……とまぁ、だいたいそんな感じ」
ざっくりと今日あった出来事のあらましを語り終えた僕は、いつのまにか音もなく供されていた、おかわりのお茶を啜った。思わず、ほぅ、と深い溜息が漏れる。
すっきりとした飲み口とともにじんわりとした熱が喉を滑り落ち、後味にほのかな甘みが残るそれは、ハーブに並々ならぬ情熱を燃やすメイドさんの特製薬草茶だろう。
「なるほど。それはご苦労だったね。疲れたろう」
リーズナル邸1階、領主様の執務室。書類やらインク瓶やらが散乱した執務机の隣。
低い机を挟んで向かいの席に深く腰掛け、僕の話を静かに聞いていたリーズナル卿が労ってくれる。どうやら疲れが顔に出ていたらしい。
治療中は気にも留めていなかったけれど、”全知”に”紫電”まで駆使したこともあって、それなりに疲労感を覚えている。やりとげた達成感で肩の力が抜けたというのも多分に関係しているかもしれない。
事故現場に遭遇した妖精亭のマスターは、どうも、町で僕に声を掛けてきたおっちゃん以外にも複数人を捜索に駆り出していたらしい。
僕が屋敷をあけている間に幾人もが緊急で訪ねてきたり、シャロンが唐突に飛び立って行ったり、『女神様が舞い降りた』と騒ぐ住民を宥めに憲兵隊が出動する事態になったりしていたようで、事情を聞かれていたのだ。
魔物の軍勢の侵攻による衝撃も冷めやらぬなか、つい先日も他国の強襲部隊がゴコ村を占拠しようと躍動したばかりだ。不安の芽があるならば、早めに把握しておきたい気持ちはよくわかる。
「今回は君たちがいてくれたおかげで事なきを得たようだが、ここのところ、そういった痛ましい事故の報告が相次いでいるのだ」
「そうなのか?」
「ああ。ほら、例の税制があるだろう。あれのおかげでガムレルを訪れる行商人が激増していてね。なかには、この町に新たに支店を構えた商会まである」
「賑わってるなとは思ってたけど、そんなことになってたのか」
シャロンたち魔導機兵組が草案を作成し、リーズナル卿が認可した『復興特別減税』。
『大激震』からの復興のため、領民の困窮を賄う一時的なものという名目で採用されたそれは、もともとの租税が半値だったところを3割に引き下げるという、ずいぶん思い切ったものだ。
『領民は生かさず殺さず、日々を生きていけるぎりぎりの税をかけるべし。その見極めに長けたものが優れた領主である』
そんな貴族の中での常識に反し、他の領地が6割や6割半といった調子で税を引き上げる中、まるで逆行するように減税施作を打ち出したリーズナル卿を、耄碌したと揶揄する口さがない者も少なくはないというけれど。
「祭りの時期でもないのに町がこんなに賑わっているのは、私には経験がない。先代にも、おそらくないだろう。社交界シーズンの王都にも比肩し得るほどの活気に満ち満ちている。それ自体は喜ばしいことだ。が、どうにも、いいことばかりというわけにはいかなくてね」
リーズナル卿は湯気の立つカップから薬草茶を一口飲み下し、苦笑を浮かべる。
髪には白いものが混じり、目尻には皺も多いという違いこそあるものの、困ったように笑う顔はカイマンにそっくりだ。むしろ息子であるカイマンのほうが、彼に似てるというべきかもしれないが。
「いまや、賑わいを見せているのは大通りに面する店だけではなくてね。路地を入った先の商店や職人街、宿屋に花街にまで人が溢れている。ただ、そういった路地には路面や見通しが悪い区画も少なくない」
「……そういや今日の事故現場も、見通しは悪かったな」
道幅はさして太くなく、張り出した露店の屋根なんかで死角も多かった。立っている大人ならいざ知らず、小さな子どもであれば、飛び出してきたわけでなくとも、角度によっては御者から見えないってことも大いにあり得るだろう。
「そういうわけで、子どもが安全に遊べる場所はかなり減ってしまっているだろう」
「遊ぶな、ってわけにもいかないもんなぁ……」
リーズナル卿は頷き、深い吐息を漏らした。
「困りごとは事故だけでもなくてな。人が増えたことでゴミも増え、それによって鼠や羽虫なんかも増えていると報告を受けている。このところは酔客の喧嘩も日に10件はざらにあってな。金回りはよくなったものの、飲み屋近くの住民からの苦情も増えていると聞く」
「ああ……そりゃ大変そうだ」
酔っ払いは、喧嘩するし、物を壊すし、その上さらに吐くからな……。
近隣住民からすれば堪ったものではないだろう。寒さが本格化し始めるような時期だからまだいいものの、これがもっと暑い時期だったら最悪だ。涼をとろうと窓を開けようものなら、吐瀉物の饐えた臭いに家中が容赦無く蹂躙されることになるだろう。
「ただでさえ町に出入りする者が激増している分、門番の仕事も増えているし、揉め事の対処に駆り出される憲兵たちにも疲れが溜まっていてね。激務続きで満足に休みも与えられていないのが現状だ。退職を願い出る者も出始めている……今のところ、全員に特別給金を出すことで慰留しているが、金よりも休みをくれと嘆願されてしまってな」
「憲兵隊に新しい人を雇う、ってわけにはいかないの?」
「そうしたいのは山々なのだけれどね。憲兵は町の治安を預かる者だ。読み書き計算はもちろんのこと、ある程度の教養も必要だ」
僕の場合は、母さんが学府を出ている関係で、『将来絶対役に立つから』と教え込まれたため、”全知”を使わなくても一通りの読み書きはできる。計算も、複雑じゃなければある程度まではできる自信がある。どんな言語や計算もシャロンを頼れば解決しそうだけれど、自分でできるにこしたことはない。
文字の練習なんかより外で遊びたい、と当時は嫌がったものだけれど。そんな僕がアーニャたちに読み書きを教える立場になったりするのだから、人生何があるかわからないものだ。
教養に関しては、うーん。貴族に対してタメ口をきいている時点で駄目だろうなと思う。
貴族を相手にする丁寧な言葉遣いや所作なんかは教わっていないし、母さんもまさか僕が貴族の屋敷で長々とやっかいになるなんて思ってもみなかっただろう。
リーズナル卿は粗野な言葉遣いでも気にしないというので厚意に甘えているけど、貴族によっては無礼打ちされるらしい。貴族こわい。もちろん、斬りかかってくるようなら反撃はするけどね。
「他にも、賄賂をはじめとする不正を跳ね除ける意志、特権に胡座をかいて横暴を働かぬ自制心も求められる。もちろん、荒事にも対処できるだけの技能や体力もね。そのような人材はそこいらに転がっていたりはしないのだよ」
「それもそうか……」
もし仮に、商会やら冒険者組合やらに条件に合致する人がいたとして、そんな優秀な人物を商会がみすみす手放すかといえば――まあ、難しいだろう。そこで二つ返事で引き渡されるような人物であれば、どこかしらに瑕疵があるのかと逆に疑ってしまいそうだ。
「ランディルトン嬢やリリィ嬢はその点、理想的なのだけれどね。彼女らが憲兵に従事してくれるならば心強い」
ランディルトン? ああ、リジットか。シンドリヒト王国では騎士だもんな、礼儀作法もそつなくこなすことだろう。たまに戦闘狂な面が顔を覗かせて、血に飢えている時があるのを除けば、たしかに理想的だと思う。
リジットはともかく、名前をあげられているリリィと同じ性能を有するはずのシャロンやカトレアが除外されているのが微妙に面白い。癖が強いもんな。
リジットにしろリリィにしろ、憲兵に誘われても首を縦には振らないだろうし、リーズナル卿もそれをわかってわざわざ誘うようなことはしていないだろう。
「人を増やしたくとも、条件に見合う者がなかなかいないのだ。探させてはいるけれどね。少なくともしばらくは、今いる人員でやりくりせねばなるまいよ」
そんなぎりぎりの人員でどうにかこうにかやっているところに『女神降臨騒動』だもんな。事情を聞きたい気持ちもわかる。
今日に関しては緊急だったので結果的には仕方ないけれど、できればやめてね、と釘を刺す意味合いもあるのだろう。
「憲兵の疲れをとるために『保衣眠』をもう何基か拵えるかな」
保衣眠――通称『メイドを駄目にするベッド』だとか『眠りに誘う底なし沼』だとか言われているそれは、洗濯兼、メイド隊の慰労のために作った魔道具である。汚れや角質の除去、美白効果に疲労回復等の機能を持っている。
疲労回復に絞った簡易なものなら、小ぶりな魔石でも十分に対応できるだろう。
僕がなんとなしに落とした呟きに、リーズナル卿の目がくわっ! と見開かれる。
「私の分も! 頼む! 是非頼む!」
「あっ、はい」
がしぃっ! と両手で包むように手を握り締められては否とは言いにくい。
メイド隊から借りようにも断られていたというし、よっぽど欲しかったんだな……。
「いくつか作っておくよ」
「たのむ、たのむぞ……!」
必死すぎてちょっとこわい。思わず顔が引きつってしまうほどの圧に、僕はこくこくと小さく頷くしかできなかった。