僕と彼女と心の在り処 そのに
「まずは落ち着きましょう。人質交渉は初動が肝心です」
その言葉を、人質に取られている張本人であるシャロンが言うのはかなりシュールじゃなかろうか、と僕は思う。思っても言わないけどさ。
「ところでオスカーさん。つかぬことをお尋ねしますが――」
「だ、黙れッ! 人質は人質らしく、おとなしくして……」
「静かにしていてもらえますか? 今、大事な話をしています」
「アッ、ハイ」
よ、弱い……!
震える手でナイフを突きつけている御者の男が声を荒げるが、逆にシャロンにぴしゃりと叱られて小さくなってしまった。至近距離からの威圧は効くよな、うん……。
例えるなら、無害だと思っていた相手が、ほんの少し掠るだけで死ぬ猛毒を持った蛇だったことに気付かされたようなものだ。
それを思えば、武器を取り落としてへたり込んだりしないだけ、まだ頑張っている方かもしれない。たぶん、崩れ落ちない程度にシャロンが加減したんだろうけども。
「こほん。ええとですね。オスカーさんは、人質に取られたときに『涙ながらに助けを求めるか弱い女の子』と『自分のことは構わず攻撃するよう求める気丈な女の子』なら、どちらが好みですか?」
「うーん。どちらにしても、今からやるのは無理があると思うよ」
「そんなことないです、まだ人質にされたてほやほやですから!」
「シャロンがまだ人質を堪能できてなくても、人質に取ってる方はもう立ってるのもやっとみたいなんだけど……そもそもどうしてシャロンが人質に取られてるんだよ」
「それなんですが、盗賊とグルだと思われたんじゃないでしょうか。オスカーさんが現れた途端、盗賊たちがやけにあっさりと退いたように見えたのでしょう」
推測を語りながら、シャロンが小さく目配せをしてくる。実際とは違うけど『そういうこと』にするってわけだな、了解。
なら、今のは僕への返事というより、まわりに――すぐ近くにいる護衛の冒険者たちに聞かせるためだろう。となれば、もちろん僕もシャロンの思惑に乗る。
「まあ実際僕らが怪しいことに間違いはないか。味方だと思って招き入れたら背中からグサリ、ってこともある。なあ、あんた、馬車は動かせるか?」
「お、俺か? 出来なくはないが……」
「なら、一番近い町に行って憲兵に報せてくれないか。今なら包囲もないし、行けるだろう」
もともと馬車の護衛をしていた冒険者たちは僕の申し出に逡巡していたようだったが、今を逃せばまた盗賊が包囲を狭めてくるかもしれないこと、馬車が遠のけば僕らが盗賊の仲間だという誤解もとけて人質が解放されるであろうこと、捕まえた盗賊を運ぶためにも結局憲兵の手を借りる必要があることなど、この場を早急に去る理由をいくつか並べたところ、不承不承といった様子ながら引き受けてくれた。
「助かったぜ、どこかで会ったら一杯奢らせてくれよな!」
「機会があればね」
去っていく荷馬車に小さく手を振って応じる。
その姿が見えなくなるまで警戒してみたものの、遠巻きにこちらを窺うばかりで、盗賊B集団は結局動くことはなかった。
「さて、それではこちらの用件も済ませてしまいましょう」
ぽきん、と小枝が折れるような軽い音を立て、シャロンの指に摘まれたナイフが呆気なく折れる。
それまで辛うじて二本の足で立っていた男はついに腰を抜かし、地面に尻餅をついた。
「ひっ、ひぃいいっ……!」
「そんなに怯えなくても、とって食ったりしませんのに。ほら、お腹壊しそうでしょう?」
お腹を怖さなければ丸飲みにでもしそうな物言いだな。
シャロンが何かを食べてお腹を壊したことなんてないので、怯えさせるためにわざと言っているのだろう。
シャロンは、強い。強いから心配ないのはわかっていても、だからといってナイフを突きつけられるのを見て、僕が心穏やかでいられるわけでもない。たとえ何らかの事情があったにしても、この男に対して少なからぬ苛立ちを感じていたのは事実だ。
そのあたりの仕返しも兼ねているのだろうけれど、頬はこけて、ろくに食べていなさそうな印象すら受ける男が、地べたで顔面を蒼白にしている様を見るのは、溜飲が下がるを通り越していっそ哀れに思えた。
「いいよ、シャロン。そんな怖がらせなくても」
「そうですか? わかりました。では行きましょう」
シャロンはへたりこむ男を掴んでひょいと持ち上げ歩きだしたので、僕もその後を追う。
目指すは、農具で武装した盗賊B集団だ。
「お、おい、こっちさ来だど?」
「どうすっぺ」
「どうったってな。逃げんね?」
「無理じゃあ。あげな魔物、よう逃げらん」
「何言われてもシラぁ切んぞ、それっけねえ」
「んだべな」
ひそひそ、ざわざわと囁きを交わす声は、
「この人、あなた方のお仲間ですよね? 見ての通り、この人の手引きで馬車を襲う作戦は頓挫しましたので、降伏をおすすめします」
シャロンの投げかけた降伏勧告を前にピタリと止まった。
「…………どうすっぺ?」
「どうったって、なぁ……」
互いの顔を見合わせた彼らは、この時になってようやく、切れるシラなどないことに気付いたようだった。
僕が盗賊Bと勝手に呼んでいた集団は、この領地の端に位置する寒村の村人だと語った。
詳しく聞くと、魔物が暴れまわった影響で田畑が荒れ、そんな状況なのに領主は助けを寄越すどころか税を引き上げたという。
そういえばリーズナル卿が言ってたっけ。ガムレルに魔物の襲撃があったことを受け、防備を固める名目で王都が税を引き上げ、各貴族の治める他の領地もそれに追随しているとかどうとか。
増税を通達してきた領主の元に抗議しに行った村長の息子は帰らず、おそらく捕まっているであろうこと、このままでは村は冬を越せずに飢えて死ぬしかなく、座して死を待つくらいならばと盗賊行為を働こうとした、と。
もともと御者として働いていた村人が協力し、獲物となる商人らを乗せて襲撃予定地点である山間部まで通りがかったのはいいものの、ここで誤算が紛れる。たまたま同じ馬車を狙った他の盗賊がいたのだ。
あとは僕らの知っての通りで、盗賊A集団を粉砕した流れで盗賊Bもやっつけようとした僕を止めるために後先考えず人質騒ぎを起こした、ということらしい。
「この人も、栄養状態から見て1日か2日はほとんど何も食べていなさそうです。なのに鞄にはパンと干し肉がいくつか入っているようだったので、御者をしている間に商人たちから出された食事を持ち帰るつもりだったのだろうなと推理しました」
それで訳有りと踏んで、おとなしく人質にされて――いや、おとなしかったかどうかはともかく、人質になっていたようだ。
洗いざらい全部白状した村人だか盗賊予備軍だかは、皆一様にうなだれた。
「悪事を働いたわいらがとっ捕まんのはいい。や、良ぐねっけど、仕方ねえ。ただ……残された家族が飢え死ぬのは我慢ならねえ……我慢ならねえよ……」
ある者は大きく溜め息をつき肩を落とし、またある者は目頭を抑えて鼻を啜る。
もともと貧しい小さな村には蓄えなんてほとんどない。あっても、税を引き上げられたら吹き飛ぶ程度でしかなく、そのうえ畑が壊滅とあっては……僕も小さな村の出身だから、わかる。体力がない老人や幼子から飢えて死んでいき、次の麦の月を迎えられる者はごくわずかだろう。
「シャロン」
「はい」
「……。盗賊にかける情けはない、と思う」
「はい」
「でも……僕は、彼らを助けたいよ」
「では、助けましょう」
なんてことないふうに、シャロンはにっこりと笑った。
「ある程度の食べ物を持たせて彼らは一旦村へ帰し、その上でリーズナル領へ移住させる方向で話をまとめましょう。リーズナル卿からここの領主に働きかけて移住を認めさせる必要がありますが、その程度で返しきれないほど貸し付けてありますし、ここの領主の弱みもいくつかリストアップ済みですので大きな問題もないでしょう」
え、俺ら助かるの? 村も助かるの……? と盗賊改め、村人たちがざわめき出した。
シャロンを拝み始める気の早いやつもいる。また広まりそうだな、『熊殺しの女神』伝承。
「詳しいことはわかんないけど、任せるよ」
「はい、任されました!」
たぶん、シャロンは彼らがこういう事情を抱えている可能性を予期していたのだ。それも、かなり最初から。
彼らを盗賊として無力化するのは容易いけど、あとでこの『事情』を知るようなことがあったとき、きっと僕は思い悩み、後味の悪さに苦しむことになっただろう。
ここで僕が彼らを憲兵に突き出すことを選んでも、シャロンは淡々と従うのだろうけど、きっと彼女には僕が彼らを助けたいという結論を出すこともお見通しだったんだろうな、とも思う。まったく、いつまで経っても勝てる気がしない。
「いつもありがとうな、シャロン」
「良妻ですからね! いい女でしょう?」
「この上なく」
「えっへへぇ」
出会ってすぐの頃のシャロンだったら、僕の内面を慮った行動なんてできなかったように思う。
今回のようなことがあったって、きっと一緒に盗賊をとっちめて終わりだった。それもまたシャロンらしいといえばそうなのかもしれないけど。
でも僕は、数々の出会いや経験を経て、ヒトとともに生き、僕と一緒に苦難を乗り越え、『心』を成長させた今のシャロンが好きだ。大好きだ。
「……いつもありがとうな、シャロン」
「お礼ならさっき――いえ。でしたらひとつお願いを聞いてはいただけませんか?」
「もちろん。僕に叶えられることなら」
「では。今日中にガムレルまで帰る予定でしたが、このとおりいろいろあって疲れたので、途中の町で泊まっていきましょう」
見た目は人と変わらないシャロンは、その実、人とは体の作りが異なる。彼女の中で稼働している〝螺旋宝珠レクレスティア〟はすこぶる快調で、文字通りに疲れ知らずのはず。
そのシャロンが言う『疲れたので』が言葉通りの意味でないことは、すぐ至近から上目遣いに見上げてくる蒼い瞳が雄弁に物語っている。
ごくり。と。思わず喉が鳴る。
「たくさん、可愛がってくださいね?」
追撃がきた。
言わんとすることが僕に正しく伝わったことを察したシャロンは、瞳を妖艶に細め、小首をかしげてみせる。
それに対して僕の喉は「うん」だか「おう」だかよくわからない声を絞り出す。くすくす笑う、銀の鈴を転がしたようなの声が耳にこそばゆくて、僕の頬はますます熱を持つ。
――いとも容易く行われるえげつない桃色空間によって村人たちが揃って白目を剥いていることに僕が気付くのは、もうちょっとだけ後のことだった。