紫輪、蹂躙
質量は、力である。
その点において、仰ぎ見るほかないほどに巨大な超硬岩石兵は、まさしく力の化身と評するにふさわしい。
だというのに。
正面から相対する少年は、開口一番で駄目出しをした挙げ句、つまらなさそうに鼻をならした上で、黄金に輝いていたほうの瞳もその輝きをフッと薄れさせた。
「シャロン、こっちはもういいや。怪我人の対応をお願い」
「はい。お屋敷への連絡もしておきましょうか」
「あ、うん。それも頼む。こっちは大したことなさそうだし、あっちは警戒を緩めないように伝えといて」
「はい。私の命に代えましても!」
「重い重い」
上空で警戒しながら待機していたシャロンは〝蒼月の翼〟をしゃらんとはためかせて村の中心部へと飛び去って行く。
ちなみに空にいる間、シャロンの白い太ももは陽光を受け、いっそこれ見よがしなほどに眩しく燦めいている。
女に飢えている襲撃部隊の男たちだけでなく、村の若い男たちもどうにか下から覗こうとしては側にいる女性に耳を引っ張られたりしていたが、スカートの中は見えないように〝蒼月の翼〟が巧妙に隠していた。無駄に洗練された無駄のない無駄な技術である。
オスカーたちはゴコ村からの緊急事態を報せる魔道具によって急行したものの、村への襲撃が陽動という可能性もあった。それを見越して、リーズナル邸には留守番を申し付けられて無表情でぶーたれるリリィとカトレアのほか、十分な戦力が居残りしている。
スパイからもわざわざ事前にあれだけ警告されたのだから、少なくとも『災厄の泥』クラスの敵が3、4体は出てくるに違いない。
そんなふうに考えていたオスカーにとっては、まさか総戦力がこれっぽっちなんてことは想像の埒外であった。肩透かしを食らった気分、あるいは拍子抜けとでも言おうか。
ただ、その態度を襲撃側がどう感じるかなんてのはまた別問題であり。
「我らが『無尽』の超硬岩石兵を愚弄するか」
その舐め腐った態度に、威信をいたく傷つけられた襲撃者たちの指揮官、ゼバイルがぎりぎりぎりと奥歯を噛み締める。
べつに愚弄してもいなければ、おちょくっているつもりもないオスカーは、ゼバイルがなんでキレているのかもわからない。キレていることなんて全く気にしておらず、というか気づいてすらおらず、興味は別のところに向いていた。
「超硬岩石兵ね。超硬岩石か……うーん。なぁカイマン、どう思う?」
「どう、とは? 魔術的な話を私に振られても困るのだが。なにしろさっぱりわからないからね」
「……思ったんだけどさ。あのデカブツ、超硬岩石なのって核だけじゃん。で、他は圧縮砂岩だし、それで超硬岩石兵って名付けるのもさ、なんか詐欺くさくない?」
「たしかに魔術的な話ではないかもしれないけれど、そんな話を振られても困るのだが!?」
「だってほら、普通に紛らわしくない? 超硬岩石だって聞いてたのになんだこのガッカリ感は、みたいな」
「…………実物を目の前にしてなおそう言ってのけるのは、たぶん君くらいのものだと思うよ」
「あっ、やべっ。作った奴の前で言うことでもないよな。失礼だよな、たしかに。そこまで気が回ってなかった。さすがカイマンだな、これが美青年の礼儀力ってやつか……」
「失礼だとかの意味で言ったわけではないのだが……」
というか礼儀力ってなんだ、とカイマンはマイペースな友人にツッコミを入れたいのだが、そんなことを悠長に問答している場合ではない。場合ではない、はずなのだが。
「や、言わんとするところはわかるよ。どんな名前を付けるのも作った奴の自由だもんな。紛らわしいけど。あれだよな、たぶん『強く育ってほしいから英雄の名前を子供につける』みたいなもんなんだよな。紛らわしいけど」
「どうやら君が私の『言わんとするところ』をわかってくれてはいなさそうなのは伝わったてきたよ。それと、君があれを脅威だとみなしてないらしいってことも」
「あえて言えば、あんなに割り込みしやすそうな術式を前面に押し出しておきながら前衛に立たせる割り切り方は、驚異的だと思う」
「『きょうい』違いじゃないかな、それは」
カイマンはなんとも言えない顔をした。
到着と同時に颯爽と黒剣を構えて今もそのままにしているのが、なんだかひどく場違いなことのように思えてくる。なにも間違ったことはしていないはずなのに。
もちろんオスカーには、今の一連の発言に挑発の意図も、虚仮にしたつもりもない。ただ空気を読まない感想を述べたまでだ。
ゼバイルは、そして彼の部下たちは、そうは受け取らなかった。
「実に、実に小賢しい! 世迷言を並べて煙に巻くつもりだろうが、そうはいくものか。せいぜい己が見識の甘さと浅慮を恥じたまま死ぬがいい!」
びきびきと額に青筋を浮かべ、ゼバイルは怒鳴りつけた。
強い使命感によって耐えに耐えて耐え抜いてきた、慣れぬ土地での長旅によるストレスに加え、軟弱者の穏健派に強く出られぬ不甲斐なさ、祖国を裏切る工作を打ってまで求めた魔術師が礼節も知らぬこんなガキであることなど、それらすべてが相まって、ついに爆発したのだ。
ゼバイルは当初の『屈服させて本国へ連れ帰る』という最良手を即刻棄却し、『他国の手に渡る前に亡き者にする』手段を採用する。加えて、できるだけ惨たらしく殺すことを決意した。
こうまで愚弄されて引き下がれるほど、ゼバイルも、彼の部下の名誉も安くはない。
「グリスリディア殿! そこな痴れ者を誅滅なされよ!」
「し、しかしな……」
「なにを躊躇っておいでか! そのための『無尽』率いる魔術師部隊! そのための超硬岩石兵であろう!? これまでいったいどれほどの投資をしてきたとお思いか!」
「……どうなっても知りませぬぞ」
今この場において、指揮権を持つゼバイルの命令には逆らうことは国王の勅命に反くがごとしである。
少年から溢れ出んばかりの魔力の波動からは嫌な予感しかしないが、渋々ながらも『無尽』のグリスリディアは命令を実行にうつした。すなわち、超硬岩石兵に叩き潰させるのだ。
6mもの巨躯を持つ超硬岩石兵が振り上げた腕は、そのまま振り下ろすだけで物理的な破壊を撒き散らす。はずだった。
「は?」
呆けた声は、誰のものか。
誰のものであったとしても大差はない。振り上げた岩の腕、逃れ得ぬ破壊をもたらす大質量が、肩のあたりからそのまますっぽ抜けて地面にめり込むなど、襲撃者たちの誰にとっても想定外でしかないのだから。
「……え? は?」
「なにが起きた!? 攻撃されたのか!?」
「ひとりでに壊れたように見えたぞ!?」
「ええい、狼狽えるな! 魔力を回せ、再生を急げ!」
絶対の自信を置いていた兵器のまさかの醜態に、襲撃者たちは途端に混乱を来たした。
シャロンの爆撃によって他のゴーレムが瞬殺されていることで燻っていた不安が、ここにきて一気に吹き出す。
ゼバイルはそれを怒鳴りつけて超硬岩石兵の再生を急がせる。
「おおかた、先ほど受けた爆発からの再生が甘かったのであろう。万全であれば仕損じることなどあり得ぬ! 見よ、そして畏れるがいい! これこそが『無尽』の『無尽』たる由縁である! 我らの超兵器、超硬岩石兵が朽ちることはない!!」
超硬岩石兵を操作しているのは『無尽』のグリスリディアだが、破損の再生はひとりの魔力では賄えない。そのための魔術師部隊である。
もっとも、魔術師部隊のうちの誰ひとりとして、”剥離”魔術で軽ぅく腕を捥がれたなんて真相を理解してはいなかったが。
「兵器、兵器ねぇ。なんというか、そこの認識もおかしいんだよな?」
「…………」
「なあ、カイマン?」
「……え、なんだい? もしかして、今のは私に言っていたのかい?」
「おいおい、ほかに誰がいるんだよ。敵を前にしてボーっとするとか、随分余裕だな」
「君にそう言われるのはかなり釈然としないものがあるけれど、いちおう彼らが敵だという認識はあったんだね、これは朗報だ。べつにボーっとしていたわけではなく、また煽っているなぁくらいに聞き流していたものだから」
「ああ、カイマンも気付いてたか。なんかめちゃくちゃ煽ってくる奴がひとりいるよなぁって僕も思ってたんだよ。たぶんあれが指揮官だよな、服とか豪華だしさ」
「いや煽ってるのは……うん、なんでもない。なんでもないとも」
「あの豪華なおっさんが、このデカブツを兵器とか言うもんだからさ。もともとの設計コンセプトは兵器じゃないのに」
「兵器じゃ、ない?」
カイマンは怪訝な顔で、片腕が根本から外れてしまった岩石巨兵を見上げる。
もう片方の肩の上で青い顔をして狼狽している老人のことは、見なかったことにした。
「さっき言ったろ? 馬鹿正直に術式を晒しすぎだし、そうじゃなくたって設計思想がまるっきり違う。それなのに、基礎設計をそのまま流用して兵器転用しようとした馬鹿がいたんだな。適当に術式を繋ぎ合わせた馬鹿丸出しな作りになってるし、ざっと見ただけで無駄な経路が5本はある。3つほど魔力漏出しかねない箇所もある。……ていうか、なんで使われてない術式が残されたままになってるんだよ。いつか使うかも、で残しても邪魔になることのほうが多いだろうが。それに、」
「はーい落ち着け、どうどう。そうだ、干しココルを持っているけれど、食べるかい?」
「え、あ、うんもらう。ありがとう。……で、なんだっけ? あ、そろそろ腕も再生してるな。”剥離”っと」
ずぅううううううん
地響きをあげて、二本目の腕が転がる。
魔術師部隊の中から恐慌をきたした叫び声が上がった。
『無尽』のグリスリディアは、青かった顔を蒼白にして超硬岩石兵にしがみついている。
カイマンは、それらを見なかったことにした。
構えたままだった黒剣を、なにくわぬ顔ですちゃっと剣帯に背負い直す。
「超硬岩石じゃないけど、圧縮砂岩としての質は結構いいな」
「もはや素材扱い」
「大きさもいい具合に手頃だし、おかわり自由ってのも気が利いてる」
「おかわり自由」
「ちょうど地下ライブ会場の壁材に悩んでたんだよ。もうちょっと早く再生してくれたらもっといいんだけど。えーい、”剥離”」
「…………まあ、たしかに。このありさまを見たら、兵器には見えないかもしれないな」
カイマンは遠い目をした。
村の中央付近では、避難した村人たちが同じような目をしているのが見える。
「あ、あり得ぬ! 早く、早く再生を急げ! 再生を! 『無尽』の力を! 再生をぉおおお!!?」
半狂乱なゼバイルの叫びが森に響く。実に虚しい慟哭であった。