少女、奮闘
(来たっ、来た来た来たよ、ほんとに来たっ!? シャロンさんの言ってた通りになったっ!)
巨大ゴーレムを前に啖呵さえ切ってみせたエリナは、内面ではわりとてんやわんやになっていた。が、表面上それを出さずに毅然とした態度を取れているのは、この奇襲も前もって警告されていたためだ。
いくつもある可能性の中でも、とくに短絡的なもののひとつであり、相手がよっぽどのバカでもない限りは取らないであろう手段として。
つまりは相手がよっぽどのバカであったということなのだろうけれど、エリナたちゴコ村の住民にとっての脅威度は変わらない。
エリナには巨大ゴーレムを倒す気はない。というか、倒せる気がしない。
挑発し、からかってみせることで敵の目を自分ひとりに引き惹きつけること。つまりは陽動、時間稼ぎが目的だ。
村には老いて足腰が弱り、すぐに逃げられない者もいる。身重の、もうすぐお母さんになるひとだっている。
エリナが幼い頃から面倒を見てくれた、大好きなお姉ちゃんだ。エリナはお姉ちゃんの子が産まれるのを、もうずっと楽しみにしている。
わるものたちが一気になだれ込んできたら、彼らはひとたまりもない。絶対に、ここから先へ行かせるわけにいかなかった。
大人たちが止めるのにも耳を貸さずに、エリナがひとりで敵の前に飛び出したのはそういう理由からだったが、勝算がまったくないわけでもない。
可能性は低かったといえ、襲撃を見越しておきながら、なにも対策を打っていないはずがない。すでに緊急連絡用の魔道具によって、ゴコ村のピンチは領主の知るところとなっている。
ゴコ村とガムレルとは、森を突っ切る最短ルートを馬車で半日の距離だ。馬車を引かず馬をとばせばもっと早いだろう。
それに、エリナが稼いだ時間を無駄にすまい、と村の大人たちも動いている。家の陰や、まだ残っている防壁の裏側で、弓の扱いに慣れた狩人らが息を殺し、一斉射のタイミングをはかっている。
驚異的な大きさを誇る岩石の巨人はたしかに恐ろしいが、術者を倒せれば動きが止まるはず、というのが村に住む魔道具技師たちの見立てだ。
(あたしはやれる、頑張れエリナ! 足を止めるな、あたしはやれる!)
ともすれば震えて立ち止まりそうになる足を叱咤しながら、エリナは巨大なゴーレムの前をうろちょろと逃げ回る。
(あたしがどうやってゴーレムをやっつけたか、敵はわかってないはず。なら、止まらずにまとわりついてる限り、デカブツはあたしを無視できない! ……はず!)
崩れた防壁から侵入してきたゴーレムを阻んで見せた秘密は、エリナの持つ槍にある。
試作型・爆裂槍。槍の両端の刃に爆雷を仕込んだ危険物。
刃が簡単に外れるようになっていて、槍を突き刺すなどの衝撃を与えると、少しの猶予のあと爆裂、敵を内部から破壊する仕組みになっている。
もちろん、こういう頭のおかしい武器を、考えるだけでは飽き足らずにホイホイ作ってしまうやつはひとりしかいない。
もとは外殻が固く、内側はそうでもない魔物を想定して試作された武器だったが、前と後ろの刃がなくなった後はただの棒になるので、村人たちからのウケはあまり良くない。
これはゴコ村に限った話ではないが、基本的に村人というのは貧乏性が染み付いている。使い捨てよりも長く使えるものの方が喜ばれる傾向にあるのだ。
そんなわけで、先の大激震においてさえ、村人たちの貧乏性によって使われずに残っていた爆裂槍の、その二つしかない牙の片方で見事にゴーレムを討ち取ってみせた、というのがエリナの挙げた戦果の内情だ。
つまり。倒せるゴーレムはあと一体のみ。
犠牲を厭わず数を頼みに押し込まれたら、どうにもできずに踏み潰されるしかない。
さらには、動く岩の塊であるゴーレムを破壊するのには躊躇せず槍を突き入れることができたけれど、生身の人間が向かってきた場合、年端も行かぬエリナは相手を爆砕してのける自信がない。
たとえ相手が先に手を出して、こちらを殺そうとしてきたのだとしても、その瞬間にはきっとためらってしまう。
(壊せるのはあと一回だけ! うぅう、村の外にまだめちゃくちゃいるし、人もいっぱいいるよう……しかも視線が粘っこくてきもちわるい……ええい、女は度胸! あたしはやれる!)
オスカーによってちょいちょい魔改造を施され、どんどん機能追加されていく首輪の中で、いま発揮されている術式は"肉体活性化"。"肉体強化"よりも身体への負荷が小さく、その分効果も控えめだ。体が大きくなるのに大事な時期だから、と負荷の高い機能は組み込んでもらえなかったのだ。
走るのに邪魔な槍を持ったまま、極度の緊張で攣りそうになる足を動かす。
巨大ゴーレムに叩き潰されるのも御免だが、爆裂槍に下手な衝撃を与えて自爆なんて死に様は絶対にお断りだ。オスカーは「たぶん大丈夫だよ、たぶん」と言っていたが、「たぶん」を2回言うあたりがすごく信頼性を下げている。
そんな緊張感もあって、呼吸は浅く、目がチカチカしてくる。
もうかれこれ何時間も走り続けているくらいに疲れ果て、汗だくになっていたけれど、実際にはさほど時間は経っていない。
動き出した巨人にいつ蹴り殺されるかわからない重圧は精神にくる。
けれどエリナの疲弊を知ってか知らずか、巨人の肩の上から見下ろす老人は難しい顔をするばかりで、積極的に攻撃を仕掛けてこなかった。ゴーレムをやっつけた手段を警戒しているのかもしれない。
(それに、きっとあたしを生かして捕まえたいんだろうしね)
村の外をぐるりと取り囲んでいる男たちからは粘ついた視線が向けられ、時折下品な笑いが起きている。
かつて蛮族にも拐われそうになった程度には若い女としての価値があるのだ、とエリナはある意味冷静に理解している。
べっとりと絡みつく嗜虐的な視線は不快でしかないけれど、男たちの欲のおかげで問答無用で殺されるのを免れているのであれば、その欲を利用させてもらう。
逃げ回るしかできない、哀れな少女を甚振る優越感に、せいぜい浸っているといい!
(けど、やっぱりそううまくもいかない、よねぇ……!)
最初のうちはよかったものの、ちょろちょろと巨大ゴーレムの前を逃げ回り続けるエリナに、相手方もいい加減焦れてきたとみえる。
最初の一体がやられたために出方を窺っていた小型の――といっても村の誰よりも大きいけれど――ゴーレムが、ついに崩れた防壁から侵入を再開した。それも、何体も同時に。
これ以上持ちこたえるのは無理だ、と判断したゴコ村・大人陣営の行動は早かった。
「撃ぇ!」
号令とともにあちこちから発射された矢は、その全てが巨大ゴーレムの肩の上にいる老人目掛けて疾駆する。
エリナが時間を稼いだあいだに集められた、ありったけの矢が惜しげなく浴びせかけられる。けれども。
「まったく、拍子抜けじゃな」
「そんなっ! 当たらない!?」
思わず足を止め、目を瞠ったエリナには、その絡繰がかろうじて視認できた。
砂だ。細かな砂粒が老人を守るように渦巻いて、矢の軌道を捻じ曲げている。
巨大ゴーレムから距離が近く、"肉体活性化"の効果を受けているエリナが見えるギリギリの、薄い砂の壁。
矢を止めるほどの防御力は持っていなくても、当たるはずだった軌道を逸らすくらいはできる。
そうして砂粒によって不意打ちさえ凌げたなら、狩人たちが対応できない間に巨大ゴーレムが左腕を持ち上げて、老人の防御を固めてしまった。
もちろん超硬岩石の腕には、矢が刺さるどころか傷ひとつさえついた様子がない。
「次は何を見せてくれるのかと時間稼ぎに付き合ってみれば、この程度とはのう。遠距離攻撃の対策をしておらぬはずがなかろうに」
まるで興醒めだと言わんばかりの態度だ。
エリナをはじめ村人たちには知る由もないが、老人は相手方の最高戦力でありながら、なんのためにわざわざ身を晒しているのかといえば、実はエリナと同じく目を引くための囮でもあった。
ゴーレムに直接乗り込んだほうが精密な動作をさせやすいという理由ももちろんあるが、狙いを集中させる意味も大きい。
ゴーレムを排除できないなら術師を倒すというのは、ある程度心得のある者ならば鉄則とも言える対処法だが、これを逆手に取っているのだ。
これは魔術師に限った話ではないが、矢というのはかなりの脅威である。
理由は簡単、白兵戦の間合いに入らないうちから一方的に攻撃されるためで、誰であれ一方的に敵を倒したい思いは同じだ。必然、最初は矢の撃ち合いになる。
拠点を防衛する側は矢を備蓄しておくことができるのにひきかえ、襲撃をかける側の持ち運べる矢の本数には限りがある。そのうえ食料など、他の荷物との兼ね合いもある。
超硬岩石兵の手足は現地で砂を固めて生成するが、術式の核となる胴体は持ち運ばねばならず、かなりの重量を誇る。
超硬岩石兵を動かすのにも『無尽』のグリスリディア当人の魔力量だけでは到底足りず、その運用には多くの弟子の協力が不可欠だ。
老人のほうも後続の弟子を討ち取られるわけにはいかないため、本人が超硬岩石兵とともに前衛を努め、相手の矢の消費を誘っていたのだ。
「ようやっと足が止まったのう」
「ッ! しまったっ!?」
大人たちの一斉射撃がまったく通用しなかったことに加え、防御のために上げられた超硬岩石兵の左腕、倒壊した防壁からなだれ込んでくる増援のゴーレム。それらのことに気を取られたエリナはほんの少しのあいだ足を止めてしまっていた。そのことに気づいても、もう遅い。
防御の左腕をそのままに、振り下ろされた超硬岩石兵の右腕がエリナからそう遠くない地面に叩きつけられる。
「あっ……ゔぁ、あぁあっ……!」
凄まじい振動に立っていられず、尻餅をついてしまったエリナは巨大な岩の右手に捕らわれてしまった。骨の軋むミシリという音が聞こえ、少女の口から呻吟が漏れる。
「エリナァッ!!?」
「くそ、離せ、エリナを離しやがれこのデカブツ!」
「やめろ! エリナに当たる! 全員、射るな!」
大人たちが口々に叫ぶなか、エリナは岩の拳に握り締められたまま老人に近い高さまで持ち上げられる。
足が地面についていない心細さは、食べられるキノコに似ている毒キノコを食べてお腹を壊し、家中をのたうち回ったときの心細さに微妙に似ているなんて、できれば一生知らずにいたかったなぁ、と自分の骨の軋む音を聞きながらエリナは思う。
(けど、掴まれたときに爆裂槍を落とさなかったのは偉いぞあたし! まだ爆発してないってのも運がいいし! これをなんとか爺さん魔術師にぶつけられればっ!)
巨大ゴーレムが大きすぎることが幸いし、掴まれている今も手首くらいなら動かせる。
だから、ごりっごりに岩の食い込む痛みに苛まれながらも、まだエリナは諦めていなかった。
少女の諦めない瞳は、敵である『無尽』のグリスリディアの目には奇異なものとして映る。
「嬲られ、凌辱の限りを尽くされるくらいならば、ここで一思いに殺してやるのも優しさかと思うたが。おぬし……まだやる気か? 現実が見えておらぬ阿呆――というわけでもあるまい。なぜじゃ?」
老人の、声を落とした問い掛け。
きっと自身にしか届いていないそれに、エリナは一瞬だけ怪訝に思ったものの、答える。
「あきら、めるのは……できることぜんぶやった、あとでも……できるから、ねっ……!」
痛みを堪え、老人を睨み返して。告げるのは憧れの少年の受け売りだけれど。
少女の返事に、老人は険しかった目を開きがちにして、すぐにどこか悲しげに目線を逸らした。
(あれ、この人……もしかして)
エリナの中の違和感が明確な形を持つ前に。
蒼が、煌めいた。
ズ……ドドドドドドドドドドドドド――!!!!
「な、なんだっ!? なにが起きた!?」
「わかりませんっ! ですがゴーレムがっ!?」
耳を聾する轟音とともに、村の内外あちこちから悲鳴や叫び声が重なり合い。空には。
「お空に代わって、おしおきです」
女神が、降臨していた。胡乱なセリフのおまけ付きで。
蒼く透き通る翼を背負い、空に縫いとめられたように静止する女神の、青空よりなお蒼い瞳が下界を睥睨する。
太陽の燦きを束ねたような金の髪が風に流れ、戦場の空気を完全に支配していた。
シャロン = ハウレル、参戦。
馬車で半日の距離をすっ飛んできたのは、ハウレル家の正妻だけではない。
空に君臨するシャロンが遠隔操作する〝蒼月の翼〟が、少女を拘束する超硬岩石兵の手の関節を局所的に爆砕し、エリナの体は一瞬の浮遊感に包まれる。
「ぎゃああぁああああぅぁああああおぉぉおおおお落ちぃぃいいいいいるぅうううううううう!!!? ……あぇ、落ちてない?」
直前まで必死に握り締めていた爆裂槍をぽ〜いと放り出して大絶叫を放ったエリナは、しかし、いつまで経っても地面に叩きつけられる衝撃が訪れないので、恐る恐る目を開けた。視界に飛び込んできたのは。
「でっかいおっぱい」
「けっこう余裕あるやんエリエリ」
燃えるように赤い髪に、ぺたんと伏せられた猫の耳。
褐色の肌に、”肉体強化”の呪文紙による真紫の燐光の尾を引いて、エリナを抱きかかえたままで矢よりも速く空を駆け、瞬く間もなく民家の屋根に降り立つ。
その速度は女神をも超え、ハウレル家で最速。
「あ、あの、ごめんね? 耳元で叫んで」
「ええてええて。泥よりはマシやったし」
「どろ?」
「なんかな、めっちゃ叫ぶ泥がおってん」
「なにそれこわい。……その。ありがと、助けてくれて」
「ん。エリエリも、よう頑張ったな!」
「がんばったよぉ〜……」
人のことを独自のニックネームで呼び、ニカッと笑って頭を撫でられて。ようやく助けられた実感が湧いてきて、エリナはその場にへなへなと座り込んだ。
「ほんま、よう頑張った。あとはウチらに任しとき」
声は朗らかなままだったけれど、獰猛に牙を向いた顔は少しも笑っていない。
瞳孔の狭まった目で『敵』を睨みつけるその視線を、横から見ていただけのエリナにも、ぞくりと背中に冷たいものが走る。
アーニャ = ハウレル、参戦。
そして最後に。
「ぐぇえええ。締めすぎ、締めすぎだ」
「きみがしっかり掴まれと言ったんじゃないか、友よ」
「加減しろってんだよバカ! お前の腕、”怪力”付与してあんだぞ!?」
〝蒼月の翼〟で空を飛んで急行したシャロンと、独力で音速の壁をぶち破る走りを見せるお姉ちゃん系不思議生命に遅れを取りつつ、『黒剣』と『紫輪』が到着する。
超硬岩石兵以外の全てのゴーレムがシャロンの初撃で無力化され、エタリウム側の兵たちが未だ混乱から立ち直らないなか、中空に引いた”結界”の道を魔道車輪の馬ことダビッドソンが無造作に進み、ゴコ村へと颯爽と降り立つ。
相当強く掴まれていたらしく、微妙に顔をしかめながら脇腹をさする少年の片目は魔性のごとき黄金の輝きを放っている。
超硬岩石兵から見下ろし、圧倒的優位いるはずの老人は身震いし、あまりの息苦しさに、はじめて自身が息を飲むことすら忘れていたのに気付いた。
二つ名持ち魔術師同士が邂逅することは滅多にない。
もっぱら国で要職に就く彼らが、前線へと赴くこと自体が稀なのだ。
最年長の二つ名魔術師、『無尽』のグリスリディアと視線を交わした最年少、『紫輪』のオスカー = ハウレルは、表情を険しくして、ごくりと唾を飲み込む。
見れば、エリナが解放された時に手放した爆裂槍が運良く炸裂し、超硬岩石兵に傷をつけていたようで、その傷が核の輝きにあわせて完全に塞がったところだった。
「でかいな」
『黒剣』のカイマン = リーズナルは、背負った黒剣を構えながらも、巨大なゴーレムとどう戦ったものかと考えあぐねている。
「あれは、君の目から見てもやばいのかい?」
「あ、ああ……そうだな。何を考えてあんなもの……」
「ふっ、ふはは……! うはは、うわははははは!! 恐れ、慄くがいい! 我らが擁する『無尽』と超硬岩石兵に!」
屹立する威容に驚愕を禁じ得ない様子の少年の呆然とした姿に、ようやく我を取り戻したエタリウム側の指揮官、ゼバイルが哄笑を響かせる。
女神による爆撃によって『無尽』以外のゴーレムがすべて瞬殺されているのだが、どうやら逆に超硬岩石兵は破壊できなかったと解釈したらしい。
「『黒剣』と『紫輪』が揃っているとは、実に話が早い! 貴様らも格の違いが理解できたならば、我が軍門に……」
「あのデカブツ、体表にデカデカと術式の基幹部を配置するとかさ。何を考えてたらあんな設計になるんだ……? ありえないだろ……ひくわぁ」
「……は?」
眉間に皺を寄せ、心底わからんといった様子で首を傾げるオスカーの呟きが、戦場と化したゴコ村に、やけに空虚に響く。
カイマン = リーズナル、およびオスカー = ハウレル、参戦。