無尽、出撃
「改めてここに宣言する! 諸君、我らは真に祖国の行く末を想い、蒙を啓くべく立ち上がった憂国の士である! 負け犬根性が骨の髄まで染み付き、耄碌した軟弱者どもの舵取りごっこで我らが映えあるエタリウム帝国の理想を体現できようか。――否! 断じて否である!」
森の中、やや拓けた場所で58名からなるエタリウム諸島連合王国離反部隊を前に演説を行うのは、武官めいた厳しい貴族の男、ゼバイルである。
ゼバイルは剣の腕に優れ、数々の武功を打ち立てた前線指揮官であった。
持ち前の血気盛んな勇猛さで血路を切り開いては祖国に勝利をもたらしてきた将であり、部下からの信頼も厚い。中年期も半ばに差し掛かった今でさえ、その武勇にはいささかの陰りも見られない。
「我らが! 我らこそが! 祖国をより良い形に導くに相応しい! 弱腰な軟弱者に任せておくなど、断じてできぬ!」
ゼバイルは地の底から届くような、怒気の籠もる声を響かせた。
彼はいわゆる『過激派』――当人たちは忠国派を名乗っているが――に属しており、領土の拡張に情熱を傾けがちなエタリウムの中でもとりわけ暴力的な手段で事を成そうとする一派である。
ゼバイルの部隊は『国の方針に恭順せずに離反した者たち』ということになっているが、そんなものは、もし何か事を構えたとしても本国は無関係と言い張り、国同士の問題へと発展することを避けるための、表向きだけのことだった。現に国から追手を差し向けられることもなく、それどころか資金や物資の出処を追えば簡単に本国へと辿り着くありさまだが――こと政治においては、そういった建前が必要とされることもある。
武官でありながら、そういった政治的視点をも知悉しているからこそ、ゼバイルは離反者部隊の将などという不名誉を背負って動いている。もちろん、一時の不名誉などとは比べものにならない戦果を期待して。
エタリウムは四方を海に囲まれた島々の寄り合い所帯であるため、海洋資源は豊富なのに引き換え鉱物資源が圧倒的に不足しており、大陸側の領土を持つことは古くからの国是となっていた。
大陸側の国家と幾度となく小競り合いを繰り返し、奇襲によって一時的に湾岸都市を占領できることはあれども、本国から離れた地域ゆえ領土の維持は難しい。とくに海が氷に閉ざされる季節には本国からの増援を送り込むのは物理的に不可能であり、結局は占領した都市を奪還されてを繰り返してきた。
そんなエタリウム本国にとって、少ない手勢で都市を防衛できる戦力は総身が手に化けるほどに欲しくてたまらず、そんななか聞こえてきたのが『黒き魔剣』の噂だった。
町に迫る軍勢を単独で退けた黒き魔剣の勇士。黒き魔剣は、まるで土塊を砕くかのごとき容易さで、ただの一振りで数百の魔物を屠ったといい、斃した魔物の総数は5万とも10万とも囁かれる。まるで御伽噺の英雄譚の一幕である。
そんな与太話を信じる奴は頭がどうかしている、とゼバイルは今なお考えているが、祖国の軟弱者ども――『穏健派』連中の入れ込みようが尋常ならざるのもまた事実。
『黒き魔剣』と、その製作者『紫輪のハウレル』。騙りであれば、軟弱者どもが無様を晒すだけだ。国庫に負担をかけた咎を追求もできよう。しかし、万に一つ。噂が単なる噂でなかったならば。その万に一つは、他国にも、軟弱者どもにもくれてやる選択肢はないのだ。
「此度の最終目標は『紫輪』および『黒き魔剣』の奪取、ないしは抹消にある。まずは拠点とするために近隣の村をおさえるが……いいかよく聞け、いつもみたいにお行儀良くしてやる必要はない。占領して領土にするわけではないからな。いくら恨まれようが知ったことではないのだ。この意味が、わかるな?」
ニヤりと歯を剥いて嗜虐的な笑みを浮かべるゼバイルの問いかけに呼応して、兵たちの瞳にも危険な色が宿る。
「好きに奪い、好きに犯せ! ただし皆殺しだけは許可しないから気をつけるがいい、町に救援を呼びに行かせる者がおらねば『黒き魔剣』を呼び寄せられぬからな。なに、町ひとつ程度の兵力など知れたものであるし、『黒き魔剣』も『紫輪』も、我らが『無尽』にかかれば敵ではない。そうであろう!?」
ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!
昼下がりの森に、男たちの獰猛な咆哮が響き渡る。
血気盛んな若い兵たちは、祖国を遠く離れての長旅にストレスを溜めており、その鬱憤を晴らすべく揃って目をギラつかせた。――ただひとり、ゼバイルから少し離れた位置で大岩に腰掛ける老人、『無尽のグリスリディア』その人を除いて。
「……お嫌いですかな、こういった行いは」
「嫌いというよりは、価値を感じぬな。女を抱く暇なぞあるならば魔術の研鑽に励め、と馬鹿弟子どもを叱り飛ばしたいところじゃ」
「皆が皆、貴方のようにはおれぬのですよ」
「知っておるよ、知識としてはな」
すげなく切り捨てる老人に、ゼバイルは苦笑いで応じる。
御年70歳にも届こうかという背中の曲がったこの老人は、祖国の誇る最高戦力であり、生涯独身、その一生のほとんどを魔術の研鑽にのみ注ぎ込んできた、ある種の逸脱者であった。
此度の遠征における人員の内訳は、グリスリディアを筆頭に、その弟子たちから成る魔術師が46名。ゼバイルを含む、魔術師を守護するための騎士が10名。ほかに斥候が2名の計58名という、魔術師に偏った部隊構成となっている。歩兵戦力が明らかに足りないように感じられるのは、『無尽』の名を知らぬ者のみである。
「では、征くとしようか!」
ゼバイルの号令に、飢えた男たちの雄叫びが重なる。
グリスリディアは心底どうでも良さそうに溜め息をひとつ残し、彼の腰掛けていた大岩がゆっくりと起き上がる。
核となる稀石が放つ青白く怪しい光が明滅し、不可思議な文様が大岩を覆う。大岩の周囲の地面から砂が巻き上げられ凝集して乳白色の岩石となり、手足を形成していく。やがて森の木々を粉砕しながら完成した人型の全高はゆうに6メートルを超える。
これこそが、エタリウム諸島連合王国の誇る最高戦力、『無尽のグリスリディア』の超硬岩石兵の姿だ。いくら武勇に優れようとも、ただの人間なぞ踏み潰されてお終いである。
動きは鈍重であり、魔力供給元となる魔術師部隊が必須であるために弓兵部隊との相性が悪く、奪い取った都市の防衛には残念ながら向かないものの、歩く災害と怖れられるテンタラギウスとさえ、真正面から殴り合えるという自負がグリスデリディアにはある。
超硬岩石兵には遠く及ばないものの、弟子たちが創造したゴーレムも前衛としての任を果たすには十分だ。
森の木々を薙ぎ倒しながら少し進むと、部隊の前にはガムレルから一番近い村――ゴコ村があらわれる。
「ほう」
斥候から予め報告を受けてはいたものの、その村の様子を直に目で見てゼバイルは少しばかり驚いた。
ただの製材拠点とは思えないほどに、その村は発展しているのだ。
村の外周はぐるりと防壁で囲まれている。防護柵ではなく、壁である。それも、木材と石材を組み合わせた堅牢なもの。
村からも超硬岩石兵が見えているからか、村の門扉は固く閉ざされ、跳ね橋が上げられている。王都でもあるまいに、ただの村に跳ね橋がある奇妙さにゼバイルの口の端が笑みの形に吊り上がる。
防壁のそのまた外側は少し掘り下げられており、その溝は側を流れる川に接続されている。おおかた、有事の際は油でも撒いて火を放ち、侵入を拒む役割を果たすのだろう。
「だがまあ……相手が悪かったようだな」
ゴーレムに火は効かないし、恐れを抱きもしない。
これが、もし生身の人間だけの部隊であったならば攻略に手こずったかもしれないが、あまりの相性の悪さに憐れみすら覚えるほどだ。
「しかし、これは嬉しい誤算だ」
この村には何かがある。ただの村であれば、これだけの防衛策を有しているはずがない。
それは単純明快な論理の帰結であり、ゼバイルは村からの略奪の実入りに胸を躍らせる。
当の『紫輪』の魔術師がフラっと訪れるたび、この村に越してきた魔道具技師たちと悪ノリした結果、過剰防備になっているだけなどとは思いも寄らないのだ。
突撃命令を今か今かと待ち侘びている部下たちを見渡し、ゼバイルは厳かに、告げた。
「全部隊、突撃」
殺到する先遣隊ゴーレムによって一方的な蹂躙劇が始まる――と思われたのも束の間。
ゴーレムたちが堀へ殺到したところで、村側からも動きがあった。火が焼べられると思っていたそこに、勢いよく放水が開始されたのだ。
無論、ゴーレムは少々濡れた程度で破壊されたりしないが、水に勢いがあれば足を取られるのはどうしようもない。一体がもんどりうって転倒すれば、巻き込まれた周囲のゴーレムも倒れ、砕け、続々と無力化されていく。
「なかなか味な真似をしてくれるではないか。しかし」
『無尽』の。超硬岩石兵の敵では、ない。
地を揺るがす地響きを引き連れて、村の防壁へと迫った超硬岩石兵が、その白腕を振り下ろす。圧倒的な質量による一撃で、防壁は轟音とともにひしゃげる。
村の内側から悲鳴があがり、直後、閃光が駆け抜けたと同時、爆炎が巻き起こったではないか。
「……ほう!」
今度こそ、ゼバイルは素直に瞠目した。巨岩兵の肩で同じく目を見開いている老人へと声を張り上げる。
「グリスリディア殿、今のは?」
「壁が爆ぜおったのう。ただでは壊れぬ、道連れに相手も吹き飛ばす防壁とはの。わしのゴーレムがこれほどの損傷を受けたのも久しいわ。頭のおかしいことを考える者もおったもんじゃな」
驚いてはいるものの、二人の声には未だ余裕があった。
グリスリディアの言葉の通り、超硬岩石兵の右腕は、純ヒュエル結晶の仕込まれた防壁の炸裂により浅くないダメージを負っていた。
けれど、これこそが『無尽』の『無尽』たる所以。超硬岩石兵は損傷した右腕をあっさり切り離すと、稀石が再び青白く明滅をはじめ、まもなく周囲の砂から無傷の新しい腕を復元してしまった。
たしかに驚かされはしたが、それだけだ。
哀れな村が蹂躙されることに変わりはない。
超硬岩石兵が防壁に開けた穴から、グリスリディアの弟子のひとりが使役するゴーレムが村への侵入を果たし。その前を小柄な影が横切ったかと思うと、ゴーレムはたちどころにくずおれるように倒れる。
「あんた、魔術師?」
幼さの残る声は少女のそれ。
それが、くずおれたゴーレムを足蹴にしながら、超硬岩石兵の肩に腰掛ける老人を見上げて放たれる。
「いかにも」
「ふーん。魔術師にも、あんたみたいなカッコ悪いのがいるんだね」
首元の装飾品から眩い真紫の光を放つ少女は、身の丈に余る槍をひゅんひゅん振り回しながら、怒れる瞳で、あろうことか『無尽のグリスリディア』を挑発した。
「あたしの知ってる魔術師は、こんなダサいことしないからさ」
今度は一体どんな余興を見せてくれるのか、と。
ゼバイルは、ただの村娘の参戦に気色を滲ませ目を細めた。
スゴイカタイゴーレム、なんと『あの』テンタラギウス(黒剣の主な原材料)と殴り合える