僕はべつにスパ界に詳しいわけじゃない
たびたび更新遅れましてすみません_:(´ཀ`」 ∠):_なんで土曜日すぐ死んでしまうん…
リーズナル邸に居候をはじめてしばらく経っているので、お屋敷に僕を訪ねてやってくる人もそれなりにいる。
そのうちの多くはゴコ村とガムレルを行き来しているヒンメル商人だけど、そうじゃない場合は魔道具の修理依頼だったり、回復薬茶を自分の店にも卸してほしい商人だったりする。
なかには、カイマンの活躍を聞きつけたっぽい、名の知られているらしい冒険者だとか余所の貴族だとかが「この俺が使ってやるから黒剣を寄越せ」と鼻息荒く詰め寄ってきたり、「どうしても弟子入りしたいんです!」と小さな女の子が訪ねて来ることもある。
とはいえ、貴族のお屋敷だけあってあからさまに変なやつはそう訪れないし、もし来たとしても門前払いされているようなので、僕が直接対応しないといけないケースはそんなにない。
家格の高い貴族だとかその使者だとかは、リーズナル家の立場上門前払いするわけにいかなくて……と謝罪されたりもしたけど、それ以外に対応してくれるだけでも随分楽だ。相手が貴族の場合はリーズナル卿も間に入ってくれるしな。
もし仮に工房が健在だったとしても、こういう手合いを全部自分たちで相手にしないといけないことを思えば、以前のように気ままに店を続けていられただろうか。正直なところ、難しい気がする。
まあそんなわけで、リーズナル家にお世話になっている現状、僕が変な客の相手をしないといけない事態は少ない。
そして今日はどうもその数少ない事例のひとつのようで、呼びに来たメイドさんのちょっと困った顔からそれを察した僕は、やや気合をいれて――ただし余計な魔力が漏れないように気をつけつつ――応接室の扉を潜る。
「や。お邪魔してるっすよ」
「邪魔してる自覚があるなら帰ってくれ」
「そうしたいのは山々なんすけどね。いやもうほんとに。でも残念ながら仕事っす、シゴト」
そこには、つい10日ほど前にシャロンにやり込められたはずの、どこぞの国のスパイの姿があった。名前はなんて言ったっけな。
疲れたように溜め息をつく姿は、どこにでもいそうな青年のそれ。ただし身分は他国の送り込んできた間諜に違いなく、そんな男がなにゆえ貴族の応接室でのんびり茶なんぞ飲んでいるのだろうか。
「なんかカーくんの知り合いにしてはふつーな感じやね」
「ああ、うーん。知り合いと言えば知り合いか? なんか普通のスパイだよ」
うしろからひょこっと覗き込んだアーニャがなんとも言えない評価を下す。まあ、言わんとするところはわからんでもない。なんかキャラ濃いのが多いんだよな、僕の周りにいるのって。そういうアーニャ自身も大概濃ゆい。僕はキャラが薄いのでちょっと羨ましい。
自分で言っておいて『普通のスパイ』ってなんだ、と思わなくもないけれど、この青年のキャラの薄さには少しだけ親近感を抱いている。
「スパイってそう簡単にバラすもんでもないっすけどね……。今日はさる豪族の使者としてお邪魔してるっす」
「猿剛族……ウチは聞いたことないんやけど、獣人なん?」
「どうだろ、敵ではない、と思う。たぶんな。名前は、えーっと。あ、そうだ確かスーパだかなんだか」
「猿剛族のスーパな。ウチは猫人族のアーニャ。そんでカーくんの嫁ね」
「や、これはどうも……ってもう滅茶苦茶じゃないっすか。なんすかスーパって。スパイから離れるっすよ。ノーバっす。ノーバって名乗っるっす」
「猿剛族のスーパノーバね。なんか強そうな名前やね」
「や、あの……うーん、それでいいっすよもう……」
どこか遠い目をしながらスーバはまた溜め息をついた。
なんというか、溜め息をつく姿が妙にサマになっている。すごくしっくりくるというか、溜め息をつくためにそこに居るかのような安定感とでもいうか。スパイってすごいな、溜め息をつかせたら右に出る者はそう居ないんじゃなかろうか。
「なんすか、なんで微妙に羨望の眼差しを向けてくるんすか。むしろジブンのほうが羨ましいっすよ」
「羨ましいって、なにが? 僕の溜め息力は低いぞ、たぶん」
「溜め息力ってなんすか。いや、いいっす。たぶんどうでもいいことなんで。……羨ましいのは、決まってるじゃないっすか、嫁さんっすよ! なんすか。なんなんすか。来る日も来る日も代わる代わる違う可愛い嫁さんたちを堪能して羨まけしからんったらありゃしねぇっす! ジブンは家にも帰れてないのに!」
青年の悲痛な声が応接室に響く。壁際に控えているメイドさんの肩がぷるぷるしている。あれは笑いそうになるのを堪えているな。たまたまこの場に居合わせた不運を嘆いてくれ。
結局、青年は家に帰れていないらしい。シャロンの予測通りってわけだ。
今日もそうだけど、ハウレル家との折衝のためにいいように使われてるんだろう。ご苦労なことだ。
「『可愛い嫁さんたち』やって! 『たち』って! なあカーくん、ウチも入ってるんかな?」
「うん? そりゃ入ってるだろ。アーニャもアーシャも実際可愛いんだし。連れ立って町に出るたびに嫉妬とか殺意の籠もった視線を向けられるのも、いい加減慣れてきたしな……」
「にゃっははは、自分で聞いといてなんやけど、不意打ちはずっこいわー。さも当然のように言われると照れるやーん」
「えー」
なにかがツボにはまったらしいアーニャは、青年の向かいのソファに腰掛けた僕の後ろから腕を回し、首あたりにきゅっと抱きついて身悶えしている。僕の頭は胸置きじゃないんだけど、まあいいか。上機嫌みたいだし。
「なんか、なんもかんも虚しくなってきたっす……かえりたい……」
はしゃぐアーニャとは対照的に。死んだ魚のほうがまだなんぼか感情豊かなほどに、青年の目が虚ろだった。家に帰れないのがつらいのだろう。
「やりたくもない仕事をするのはしんどいよな」
「そっすね……それなりに使命感持ってやってたはずなんすけどね、この仕事。まあでも本国は無茶振りばっかだし、家に帰れないし、目の前で好き放題イチャつかれるし、なんでこの仕事やってるのか見つめ直す良い機会かもしれねっす」
見つめ直したところで辞められもしないんっすけどね、ははは、と口では笑っていても、青年の目は完全に濁っていた。泥だらけのササ芋を洗ったあとの水でもこうは濁るまい。
「ほんっと、余計な仕事ばっか増やして予算も人手もそのままで、現場が回るわけねえんっすよ。こっちはもうほぼすっからかんっす、どこぞの女神なご夫人に絞られ切ったんで。無駄なことに掛ける金があるならこっちに回せってんですよ」
はぁああ、と何度目かわからない深い溜め息が落とされる。ナイス溜め息。
「知ってます? 本国じゃ、顔の整った胸の貧……失敬、それほどでもない少女に絞って魔術師を募ってるらしいんすよ」
「あー、カーくんの好みがそっちやと思ってんね。シャロちゃんはともかく、アーちゃんもリジにゃんもそういうとこあるもんね」
「ご名答っす、笑っちまうっすよね。今日の報告を上げたらその条件がどう変わるか見ものっす」
「恥ずかしがってるだけで、カーくんおっぱい好きやけどね?」
「ちょっ、やめっ、アーニャ、人の顔を挟むな。……で、僕の好みがなんだって?」
「ジブンとこの本国の企みっすよ。女送り込んで懐柔しようってハラっす」
それで僕の好みに合わせた女の子を用意して……って話になるのか。
アーシャだけじゃなくリジットまでその根拠に含まれているのは、たまに一緒に町をブラつくことがあるからだろうな。
ただ、リジットを嫁として推挙してるのはセルシラーナの与太話だけでの話なので、本人の意志を無視してそんな対象に含まれてると知ったら、また頬を膨らせて怒りそうなものだけれど。
血に飢えた少女騎士のことはともかくとして、このあいだ弟子入り志願してきた子はそうやって送り込まれてきた子なのかもしれない。妙に必死に頼み込んできていたのを、シャロンがとりつく島もなく追い返してたけど。というか。
「いいのかそれ、あんたが僕らに教えても」
「いいんすよべつに。旦那さんはともかく、そういう計略があのご夫人に通るわけねぇっすから。なら、その分誠実に手の内明かして信用を積み重ねるほうが得策っす」
「そういうもんかね」
「そういうもんっす」
とかなんとか言いつつも多少は打ち解けてきたように感じるあたり、スーバの目論見通りってことなのかもしれない。冴えない男で、食えない男だ。
「いろいろ考えるもんなんやね。猿剛族ってみんなそんななん?」
「どうだろ? さすがにスーバだけじゃないかな」
「……ノーバっす。や、いいんすけどね。どうせ偽名っすし……それで本題なんすけど」
「本題あったんだな」
「そりゃあ、あるっすよ。どこの世界に茶飲みついでに雑談して帰るスパイがいるんすか」
「そう言われてもな。べつにスパ界に詳しいわけじゃないし」
「略されると途端になんのことかわからんくなるっすね……じゃない、また話が逸れるとこっすよ」
「まあ落ち着け、ゆっくり息を吸って吐くといいらしい」
「おっぱい揉むと落ち着くってシャロちゃんが言うとったよ。あ、でもウチのはカーくん専用やから堪忍な」
「アーニャ、だから、あの、挟まないでってば」
「照れんくてもええのにー」
「なんでジブンが振られた感じになってて、そんで何を見せられてるんすかこれ。虚しいっす……無情っす……かえりたい……」
ナイス溜め息。じゃなくて。
「本題話せよ、ほら」
「ええー……ジブンが悪いんすかこれ……釈然としねぇっす。ただまあ、そっすね。本題に入るっす。早く帰りたいっすし」
そう言って。青年は一度お茶で舌を湿らせたのち、ゆっくり息を吸い込んだ。
「過激派の一部、魔術師部隊が本国――エタリウム諸島連合王国から離反したっす。ハウレル家を重用しようとしてる上層部に対する反発と見られているっすが、そんなかに『無尽』がいるっす」
「むじん? いるのかいないのかどっちなんだ」
「無人じゃなくて、尽きることがない無尽っす。『無尽のグリスリディア』。旦那さんと同じで、二つ名持ちの魔術師っすよ。『紫輪のオスカー = ハウレル』さん」
そいつらは、ハウレル家に恨みや危機感を抱く者たちを近隣の国からまとめ上げ、近く行動を起こすかもしれない、と。ノーバはそんな警告を残して帰っていった。
なんか知らんうちに恨まれて、すごい魔術師に付け狙われる羽目になるらしい。勘弁してくれ。
「女の子を送り込まれるのも困るけど、恨まれるのもやだな……」
「有名になるんも考えもんやね。まあシャロちゃんもおるし? もちろんウチらも味方やし大丈夫やって。元気出してカーくん。そや、おっぱい揉む?」
「いや、あの、ちょっとアーニャ。メイドさんが見てるから。すっごい笑いそうになって肩とかぷるっぷるしてるから」
「照れんくてもええのにー」
事態は面白くない方向に転がっていきそうだけれど、かといってあんまり深刻にもなりきれないのだった。