僕らとヘッドハンティング そのに
「だいたいねぇ、無理っすよ、無茶っすよ、無謀なんすよ! 本国の連中はなんもわかってねぇんすよ。自分らのあげた報告をいったいどう分析したら『弱小貴族家と懇意にしているのは権力への執着があるから』なんてハナシになるんすか。『権力が欲しいなら王家にだって簡単に取り入るだけの力がある』って報告は無視して、見たいものを見たいようにしか見てないんすよ、あいつらは。分析じゃなくてもはやただの願望なんすよ。いつもそうっす。無責任な指示で現場がどれだけ駆けずり回る羽目になるかなんて想像もしてねぇんすよ、きっと」
「お、おぅ」
テーブルにべちゃあと突っ伏したまま、光のない目でノーバと名乗った青年は仕事の愚痴をつらつらと吐き出した。なんかいろいろ、溜まりかねたものがあったらしい。
「貴族同士で牽制して足の引っ張り合いするのは勝手っすけど、その皺寄せが来るのは自分ら現場なんすよぉ……。見栄や面目のために化け物の相手させられる身にもなれってなもんすよ、まったくもぉ……」
かなりお疲れの様子だ。
僕のイメージでは、スパイってもっとこう、なんというかさ。人に紛れ、社会に溶け込んで情報操作したりする職業の人だと思ってたんだけど、実際は上の指示によっては化け物の相手まで押し付けられるものであるらしい。いっそ冒険者業と大差ないんじゃなかろうか。
「それは、えっと。大変だな?」
「当の化け物に同情されたっす……」
「ん?」
「なんでもねぇっす」
ちょっとばかりノーバのことが気の毒というか、可哀想になってきた。これを狙ってやっているのだとしたら、彼のスパイとしての仕事は大成功だろう。
ようやくテーブルにはりつくのをやめたノーバは座り直し、シャロンに向き直る。
「……これでも職務に忠実なほうなんで、いちおう駄目元で聞くんすが、ご夫人はそれでもいいんすか?」
「それでも、とは?」
「ほんとはハウレル家ごと引き抜くのが理想なんすが、ご主人のご意向は伺ったっす。断られたのはぶっちゃけ想像通りっす、本国のお偉方にとっちゃどうか知りゃしませんがね。なので、残るはご夫人っす。望むなら、貴女だけでも迎え入れる準備が本国にはあるっす。もちろん貴族待遇で」
「なるほど、話はわかりました」
「それじゃあ――……!」
「その上で。一度目なので聞き逃して差し上げても構いませんが、これ以上私をオスカーさんから引き離そうとされるなら、あなた方の国を滅ぼそうかなと思います」
「末永く仲睦まじいままでいてほしいっすね!」
シャロンは『次はないですよ』とにっこり笑顔で応じ、ノーバは身震いして即座に引き下がる。山をひっくり返して蛮族の根城を丸ごと生き埋めにしたあたりの話も耳に入っているんだろうな、鮮やかな引きっぷりだ。
「ご要望にはお応えできませんが、こうして顔繋ぎができたのはスコティノヴァさんが初めてですから、ご故国で穏健派の成果として数えられるのではないでしょうか」
「………………あー、なるほど理解したっす。今回の接触はそれが狙いっすか……ただ、あの、仕事仲間すら知らないはずのジブンの本名をなんで知ってるのかなんて、どうせ聞いても教えてくれないんすよね」
「すみません噛みました」
「どんな斬新な噛み方したらそんなことになるんすか……はぁ……もうやだおうちかえりたい」
ノーバと名乗った、本名スコティノヴァ青年は再びテーブルに突っ伏した。もはやそこが定位置であるかのような安定感だ。
ちなみに彼の本名は、隣にいるシャロンからわざわざ”念話”で聞かれたので、先ほど同じようにテーブルにへばりついて上層部への愚痴をこぼしている間に、一瞬だけ発現させた”全知”で視させてもらった。彼らが駆けずり回って地道に集めた情報であろうと、一瞥するだけで識ることができるのだから、それこそスパイの人たちにとってはたまったものじゃないだろうな。
「ご存知の通りとは思うっすけど、穏健派は現在勢力を弱めているっす」
「たくさん捕まりましたからね」
「完全に他人事っすけど、捕まえたの貴女っすよねたぶん」
「捕まえたのは憲兵隊ですよ?」
「その憲兵が『女神は人遣いが荒い』って嘆いてたっすよ」
「それはそれは。こわい女神がいたものですね」
「まったくっすよ」
シャロンは朗らかに笑う。青年は深々とため息をついた。
「穏健派と過激派、だったか? 派閥が弱まるくらい捕まえたのか」
「入れ食いでしたね」
「そっすね、捕まったっすね。じゃんじゃか捕まったっすね……そんで捕まってなかった自分も泳がされてただけなのが今日わかったっすね」
「ようやくご理解いただけてよかったです」
「そして今新たにわかったこともあるっす、ご夫人はジブンのこと嫌いなんすね、そうなんすよね!?」
「いいえ。とりたてて嫌いとか、そんなことはないですよ。でも勘違いしないでくださいね。もちろん私が大好きなのはオスカーさんです」
「いまその情報なんの足しにもならねっす。旦那さんのほうからもなんとか言ってくださいっすよ……」
「え? 可愛いよな、僕の嫁」
「そういうことが聞きたいんじゃないんすけどねぇ! もうやだこの夫婦!」
テーブルに横たわったままの青年の目は半ば虚ろだ。その、なんていうか、元気出せ。
「……間諜ってーのはとにかく金が掛かるんっす。間諜としてやっていける技術を仕込むのにも時間と金が掛かるっす。育った間諜をいろんな町に送り込むのにも金が掛かるっす。移動とか、賄賂とか。もちろん町に入り込んで終わりじゃないっす。欲しい情報はその辺に転がってたりしないっすから」
「スパイの人たちは金払いがいいんです。宿もそれなりのところに泊まりますし、酒場や市場で情報収集するときにはとくに羽振りが良いです」
「そのほうが相手の口が軽くなるっすからね」
そりゃそうだ。商品も買わない余所者に、親身に色々教えてくれる商人なんてそう居ない。
そんな感じでお金を町に落としてもらい、手持ちの金を使い切るくらいの頃合いを見計らって身柄を押さえ、今度は保釈金と捕まえている間の宿泊費・飲食費の名目でさらに金をせびり取り……というのを何度か繰り返していたらしい。
「いい稼ぎになりました」
「むごい」
「そうなんす、そうなんすよ! わかってくれるっすか! しかも一度捕まったスパイは面が割れてるってことっすからね……この町はおろか、近隣の町に配置するのも難しくなるっす……」
「なので、この町の税金が安いというのを他所の都市で広めるのにも役立っていただいています」
保釈され、どこか別の場所で任務につく間諜は、そこで情報を仕入れるために酒場や市に繰り出すだろう。そこでは他所のお得な情報も武器になる。たとえば前の任地――ガムレルが、驚きの税率によって商人たちの楽園と化している事実なんかが、商人の口を軽くするための武器として使われるのだ。
つまり、他国のスパイからお金を搾り取れるだけ搾り取り、放流したあとは町の広告として勝手に広めてくれるのを期待した策略。
「えげつない」
「そうなんす! そうなんすよ……!」
「それで弱体化するってことは、入り込んでたスパイってのは穏健派ってところが多いのか」
「まあ……隠したところで意味なさそうなんでバラしちゃうと、そうっすね、ウチの国からはほとんどが穏健派っす。ていうか過激派連中はスパイ自体あんまり持ってねぇっす」
「そりゃ穏健派の屋台骨だけ傾くわな」
ようやく僕にも今日のお出かけの趣旨がわかってきた。
あまりに穏健派ばかりが弱体化してしまうとまずいから、シャロンはそのあたりのバランスをとりたかったのだろう。釘を指すついでにな。
「もうちょっと財力に余裕があるはずだったんですが、どうも近海で強力な魔物が出たらしくて計算が狂わされてしまったんです」
「ウチの経済基盤は海産物と海洋貿易で成り立ってますんで海洋封鎖は厳しいんすよね……ただ、あの、つかぬことをお尋ねするっすが、自分ですら昨日知らされた話をなんで掴んでるんすかね、ご夫人は」
「ちょっとした良妻の嗜みですよ。ちなみに魔物対策にかこつけて戦費を大胆に中抜きしていた政府上層部の存在も明るみに出て、疑心暗鬼で大変みたいですよ」
「それは自分も初耳なんすけど……もうやだ……おうちかえる……」
「そうされるのがよろしいかと。ちょうど『おみやげ』もありますし。農家の奥様にはお喜びいただける品だと思いますよ」
シャロンがにこやかに指し示したのは、青年の隣の席、この店に入ってすぐに置いたままになっていた、肥料入りのガラスラ壺が鎮座している。青年にはもはや、ガラスラに映る自身の引き攣った笑みを眺める他には、できることがないようだった。
――
ほくほく顔のアーシャと合流して店を後にする頃には陽も天頂近くなり、昼食を摂るのにいい時間になっていた。
僕らは活気のある市場をぶらつきながら食べ物屋台をひやかし歩くことにした。
ついさっきまで他国のスパイとやりあうシャロンを見ていたので、そこいらで買い食いをしている客たちが皆怪しく思えてしまう。
「あの人、この後どうするんだろうな。最後の方では『もうやだかえる』しか言わなくなってたけど」
「少なくとも、間諜を辞めさせてはもらえないと思いますよ。唯一、オスカー = ハウレルと繋ぎを作れた上に未知の魔道具を持ち帰る『戦果』もあげていますからね」
「それでガラスラを入れ物に使ったのか」
「そして今日は散々こちらの『底知れなさ』を見せつけておいたので、彼がいる限りいい牽制になるでしょう」
シャロンが「何もかもお見通しだ」という動きを再三示していたのは、そのためだったらしい。ちょっかいを出してくるかもしれない国に、脅威を知る者を置くために。
二手先、三手先を読んだ打ち手。僕には真似できそうもない。
「なるほどなぁ。最初からそれが目的だったのか」
「いえ、そっちはついでです」
「ついで?」
一国を相手取っての立ち回りが『ついで』になるようなことが何かあっただろうか、と僕は首を傾げる。
「はい。主目的の方も無事達せられています。ね、アーシャさん」
「はいなの! シャロンさま、どうもありがとなの!」
「『島』との交易を再開させるにあたり、かねてから魚料理のレシピにレパートリーがほしいと相談されていましたからね」
「いろいろ教えてもらえたの、大満足なの! むふー」
ああ、そっちかぁ……