僕らの作戦会議 そのいち
もごもごばくばくと。
アーニャは実に豪快に食べる。
食器の扱いもあまり得手ではないようで、かろうじてフォークで突き刺したり、それも無理な場合は手掴みで豪快に齧りついていた。
よほどお腹が空いていたのだろう。息付く暇も惜しいとばかりに、わしわしと食べ物を口に詰め込み、飲み込んでいく。
最初、アーニャはご飯を食べようとしなかった。
囚われているきょうだいが満足に食べられていないかもしれないのに自分だけ、というところに後ろめたさを感じているようであったし、金銭的な持ち合わせがないことを気にしているふうでもあった。
彼女が身に着けている(かなり際どい感じの)服はどうやら隊商からかっぱらったモノらしく、尻尾を出すための穴を破いたりして使っている。
アーニャは、自分たちが隠れ住む原因となっているヒト族に対しては、恨み辛みも相応にあるらしかったが、殊更に敵対したり略奪したりはしたくないようであった。
獣人のなかには、もっと人間に敵対的なものもかつては居たらしい。しかし、いかに膂力や体力に優れる獣人であろうとも、ほとんど抗魔力を持たない彼らは魔術師部隊の前では抵抗らしい抵抗もできず、みるみるうちにその数を減らしたらしい。
そういう顛末もあり、恨みはあるが、手痛いしっぺ返しを受けるのも嫌で、山あいの隠れ里で魔物を狩ったりしながら細々と暮らしていたという。
隊商から服を奪ったことに関しても、本人の言い分を信じるのであれば獣人であることを隠すために仕方なくということらしく、心苦しく思ってもいるようだった。根は正直で真面目なたちなのだろう。
僕らにはいまいちよくわからない感覚ではあったが、彼女たち獣人にとっては人間に獣人とバレることは、文字通りの死活問題なのであった。
もっとも、僕としては獣人であることを隠す前に大きくはだけた胸元とか、止まってないズボンのボタンとか、そういったところを隠してほしいと思ったりもする。
そんなこんなで、必要に迫られるもの以外に関してアーニャは、たとえ自己満足であろうとも誠実であろうとしていたらしい。
食べ物もほとんど食べておらず、飲み水に至っても、雨水や、夜中に噴水の水を飲んで凌いでいたらしい。夜中にきわどい格好をしたお姉さんが噴水で水を飲んでいる様など、子どもはおろか、気の弱い者が目撃したらトラウマものではなかろうか。
しかし、そうやってご飯を食べることに躊躇うアーニャに助け舟を出したのは、意外にもシャロンだった。
「アーニャさんはごきょうだいを助けたいのですよね?
食べられるときに食べず、助けるいざというときに力が出なかったらどうするんですか。
ここの支払いは私がしますから安心して食べてください」
そのシャロンの言葉を皮切りに、おずおずと食べ始めたアーニャは。
空腹と、妖精亭の料理の味に完全に虜となり、現在の状況と相成ったわけだ。
「むぐむぐ。シャロちゃん、ウチのこと、んぐっ。嫌いなんかと思ってたわ。ありがとうなー」
「食べるか喋るか、どちらかにしてください。
べつに私はいいのです、オスカーさんに優しいシャロンちゃんアピールができますし、アーニャさんに上下関係を教えるチャンスでもありますから。
それより、なんですかシャロちゃんって」
シャロンの若干黒い部分が見え隠れしている。それ、僕が聞いててもいいんだろうか。
しかしアーニャはぜんぜん気にしたそぶりもないようだ。
「猫人族は、親しい者にはアダ名を付けて呼ぶ習慣があるんよ。
まだお互い信頼にはほど遠いとは思うけど、終生の主になるかもしれんねんから、形から入るだけでもなと思って」
「私としては、オスカーさんからいただいた大事なお名前をヘンに呼ばれるのは抵抗があるのですが」
「むぐむぐ。
まあ慣れやろ。なあカーくん。ちょっと、カーくんってば」
「なんだそれ。僕のことか」
「うん。カーくんにシャロちゃん。
呼びやすなってええと思わへん?」
「あんまり思わへん」
アーニャの変な訛りが若干移ってしまう僕だった。
「少しはいい顔をするようになったじゃねぇか。
やっぱり美人は笑ってないとな」
「"にゃー 元気か。よかったなー"」
店主が追加の料理の盛られた皿を持ってくると、アーニャは耳をピンと立てて喜びを示した。しっぽもふりふりしている。
どうもアーニャにもシアンは見えていないようなので、心配してくれていたらしい幼子に、かわりに礼を述べておく。にへら、と花の咲いたような笑みが返ってきた。
「ふっふぉふ、ンぐ。すっごく美味い」
口のまわりをソースでべたべたにしながら感想を述べるアーニャに、店主はフッと口元を歪めるようにして笑った。
その足元でちょこちょこしている妖精幼女も、店主につられてにこにこ笑っている。
「"おかわりも いいぞ"」
店主について、シアンもぱたぱたとカウンターへと戻っていった。
後には、わしわしと食べ続ける僕たちだけが残される。
入ってきたときは他に誰もいなかったが、今の時間はご飯時ともあって店はわりと繁盛しているようで、テーブルは埋まりカウンターにもちらほらと人がいる。
カラン カラン
来客を告げる鐘の音が響いたのは、僕らが一通りご飯を食べ終えて、お茶を飲んでいる時だった。
「すまない、店主。
オスカーという名の少年を見なかっただろうか。
こう、髪の先端が紫色になっている……」
「来たか、カイマン。こっちだ、こっち」
見知った顔がようやくやって来たので、こちらに手招きをすると、大仰な仕草で肩を竦めながらその男はこちらに近づいて来た。
このところ、よく見かける美青年である。よっ、昨日ぶり。
「突然頭の中に君の声が聞こえた時には何事かと思ったよ、オスカー。
まったく、なんでもアリだな君は。
こちらは路地裏での刃傷沙汰で、わりと大変だったのだが」
カイマンの言う通り、"念話"で彼を呼び出したのは僕だった。
その刃傷沙汰とやらには何も心当たりがないなぁ、残念ながら皆目見当がつかないなぁ。本当に残念だ。
以前、研究所でシャロン相手にやったのと同じ要領で、"探知"で見つけた対象に"念話"で妖精亭にくるように呼びつけたのである。
よくよく考えると男爵家の次男坊相手にたいした扱いだったが、まあいいだろう。カイマンだし。
突然聞こえた声に半信半疑になりながらも、指示された店にまでちゃんと出て来てくれるあたり、この青年も人がいいのだろう。
「シャロンさんも、こんばんは」
「こんばんは、リーズナルさん」
「それで。そちらのレディはーー」
ぺこりと頭を下げるシャロンとは対象的に、突然現れた男に警戒心をありありと覗かせているアーニャ。
今回カイマンをこの場に呼んだ目的に関係する彼女を、僕は紹介する。
「アーニャだ。見ての通りだが、お前に変な偏見がないと信じてるぞ。いつぞやのように剣を抜いて威嚇しないでくれよ。
アーニャ、このなんかちょっといけ好かない感じの男はカイマン=リーズナル。僕が呼んだ。たぶん敵じゃないから、安心してくれ」
「その節のことを出されると耳が痛い限りだ。結構な紹介文句も、甘んじて受けよう。
ともあれよろしく、アーニャ」
白い歯を覗かせ、アーニャに手を差し出す美青年。
しかしアーニャは初対面の男の姿に混乱しているようだった。差し出される手を見つめ、アーニャは明らかに動揺していた。
「そ、そんな。はやくもウチを売り渡す算段を……?」
飲んでいたカップを取り落としそうになり、目にはすでに涙を貯めている。
一度泣いてしまうと、しばらくは決壊しやすくなるよな。
「落ち着いてくれたまえ、レディ。
私はオスカーの友人だ」
ほんといつのまに友人になったんだろうか。
まあ友人のためなら、いきなり"念話"で呼びつけられても馳せ参じるという彼の精神性に免じて野暮なツッコミは後ですることにする。
「そ、そんなこと言ってウチにヒドいことする気やろ! 娼婦みたいに! 娼婦みたいに!!」
「お前、そんなやつだったのか」
「オスカー、君はそこで乗っかって私をいびるのではなく、彼女の誤解をとく努力をすべきだと思うよ。
ーー店主、私にも飲み物をひとつ。酒ではないものを頼む。
さて、私もどこかに腰を降ろしたいのだが」
4人掛けのテーブルの、片面には僕とシャロンが座っている。
もう片面に座っているのはアーニャだけだが、涙目でぶんぶんと首を振っている。
アーニャも哀れだが、突然呼びつけられた挙句に壮絶に拒否されるカイマンも哀れである。哀れついでに、もうあいつは空気椅子でいいんじゃないかな。
「シャロちゃん、席変わっ」「却下します」
即答である。
「じゃあせめて、ウチの隣に」「やです」
即断である。
シャロンがアーニャと並んで座るのが一番無難だと思うのだが、譲れないところがあるらしい。
アーニャは涙目だし、邪険にされるカイマンも若干悲しげである。ほんと、もう空気椅子でいいんじゃないかな。
結局、なおも食い下がるアーニャと、妥協もとい悪ノリしたシャロンの決定によって、事態は一旦の収拾をみた。
その結果、僕の膝の上にちょこんとシャロンが鎮座し、その隣に、縋り付かないまでも僕の後ろに若干隠れ気味にアーニャが座るという、なんか変な状態になってしまった。
カイマンにハーブティを運んで来た店主からも、すごく生暖かい目で見られた気がする。
どうしてこうなった、どうしてこうなった。
「なんだろうか。椅子を供してもらえたものの、すごく帰りたい気分になったのだが」
「奇遇だね、僕もだよ」
僕の膝の上で、シャロンはとてもご機嫌な様子だ。
僕の胸元に後頭部をぐりぐりしてご満悦の様相で寛いでいる。
アーニャはアーニャで、僕の裾を摘んだ状態で、不安げに尻尾をゆらゆらしている。
突然呼びつけられたかと思ったら涙目で拒否され、目の前で膝の上に美少女を乗せている相手と喋らないといけない場面に陥ったら。うん、僕なら普通に帰ると思う。
わりと付き合いの良い美青年だった。




