僕と…………誰?
噂話が蛇を呼ぶ。
誰が言い出したのかは知らないけど、昔の人はうまいことを言ったものだ。
「お出かけをしましょう」
「いいよ、どこに行く?」
「町に出るつもりです」
「わかった」
間諜がうようよ来ているという話をカイマンから聞いた数日後、シャロンが言い出したそれを、僕はとくに疑うこともなく承諾した。
らいぶ会場の目処も立ち、あとは転移魔道具用の魔石精製と衣装の仕上がりを待つばかり。仕事を探せばいくらでもあるけど急を要するものもなく、今日はとくにこれといった予定もなかったのだ。そこまで見越してのお誘いかもしれないけども。
「アーシャさんも一緒に行きましょう。オスカーさんも、いいですか?」
「ん? そりゃ構わないけど」
「わかりましたなの。おともするの」
アーシャは嬉しそうに耳をぴょこぴょことさせ、表情を綻ばせた。
町に出るっていうのはてっきりデートのお誘いかと思ったのだけれど、どうもそういうわけではなかったらしい。なにをするんだろう、と疑問に思っているとシャロンから重ねて問いかけが。
「ときにオスカーさん、肥料はまだ残っていますか?」
「肥料って、畑に撒くあれか? えーっと、どうだろう」
植物が育つには単に水を与えていればいいってわけでもなく、育つのに必要な栄養が土の中にないとだめなんだとか。それをてっとり早く補充してやるのが肥料の役目だ。人で例えると、パンだけでなくたまには肉も食べないと力が出なくなってくるのと同じようなものだな。
海の水から製塩するときに副産物的にできる粉や、砕いて粉々にした魚の骨なんかを混ぜ合わせた肥料は、『オスカー・シャロンの魔道工房』に常に並べていた商品のひとつだ。
とはいえ、植物が育つために土の栄養がうんぬんという知識は一般的ではない。僕もシャロンから教わるまでは知らなかった。なので工房では『植物を元気にする魔法薬』として安価で売り出して、たまーに売れていたような気がする。
ちなみに僕は作るだけで、どの商品がどこにどのくらい残量があるかなんて、ほとんど把握してない。なくなったら作るかー、くらいの緩い感じだ。が、
「まだ残ってるの。ぜんぶで銀貨2枚分くらい」
「さすがアーシャ、頼りになるなぁ」
「えっへへぇ」
さすがはうちの看板娘、ばっちりと在庫を把握していた。
倉庫の中を定期的に掃除してくれていたのもアーシャなので、商品や素材の在庫数に関してはおそらく他の誰よりも詳しい。
アーシャは褒められたことで、嬉しそうに僕の胸に頭をすりすり擦り付けてきた。よしよしと頭を撫でると、僕の手の動きにあわせてアーシャの猫耳が撫でられる体勢にそっと倒れる。ちょっとおもしろい。
「ところで、肥料なんて何に使うんだ?」
僕の知る限り、肥料には畑に撒く以外の使い道はない。
でもシャロンに限ってそれはないはずだ。なんというか、控えめにいってシャロンは植物を育てるのに向いていない。言葉を選ばないで表現するなら、壊滅的と言っていい。
『農業モジュールさえあれば私にもできます』とは、かつて種籾を粉砕した直後の本人の弁解だけど、残念ながらというかなんというか、彼女は未だ豪快にして大雑把なままである。
『植えた植物を僕だと思って優しく接してみたら?』と提案したときには『オスカーさんを――埋める――????』と本気で困惑していたようなので、やっぱり向いてないんだと思う。
そういう、ちょっと残念なところも含めてシャロンは可愛いので、それはそれで問題ないよ、うん。なんなら僕も水やりを忘れてすぐに枯らすし、人のことをとやかく言えはしない。
「オスカーさんがなにやら失礼なことを考えている気がしますが、オスカーさんから蔑まれるのさえ私にとってはご褒美なので抜かりはありません」
「その発言の残念さには抜かりしかないと思うんだけど」
「ありがとうございます!」
「え、もしかして今の蔑んだ判定になってる!?」
「それと、肥料は『おみやげ』にしようと思っています」
「急に本題に戻られると、それはそれで混乱するからな!?」
いや、何に使うんだって聞いたのは僕だけどさ。会話に緩急がありすぎて捻挫するわ。
――
僻地も僻地、寒村も寒村で生まれ育った僕にとって『町に出る』と言われれば、なんとなく大仰に聞こえてしまうのだけれども、実際のところは居候しているリーズナルのお屋敷から通りを下り、中央通りに出てくるだけのことだったりする。
『大激震』の前後に比べると町の中は随分と活気づいていた。
命の危機が去ったというのもあるけれど、税を大幅に引き下げるというお触れの影響も大きいのだろう。
引き下げられた税の分だけ領民たちは大いに買い物を楽しんで、表通りには活気と喧騒、陽気な笑顔が溢れている。
彼ら彼女らが身にまとう服も「兄姉たちが代々着古したものをなんとか着ています」みたいな感じではなく、それなりに見栄えのする古着や、そこそこいい仕立ての真新しいものが多いように感じられる。
食い繋ぐために頭を悩ませていた領民たちが、降って湧いたお金を使える機会を見逃すはずがない、というシャロンたち魔導機兵組の目論見が見事に的中したわけだな。
お金を持っていても、安全に保管しておける場所を持っている者はごく僅かだ。下手に余剰な金銭を持っていても奪われてしまっては何にもならないので、使えるときに使う。買えるときに買う。
それはとりもなおさず、商人たちにとっては今こそまさに稼ぎ時ってわけだ。食べ歩きができそうな屋台がいくつも出ているし、見たことのない色彩の敷物に異国情緒溢れる商品を所狭しと並べる行商も目に入る。
「こっちです」
「わかった。アーシャ」
「はーいなのっ!」
とくに目的がないのなら通りをひやかすだけでも楽しめそうだったけれど、僕の手を引いて人波の中をぐいぐいと進んでいくシャロンには、今日はどうも明確に定まった目的地があるらしかった。
肥料は『おみやげ』だという話だし、誰か人に会うのだろうと推測は立つんだけど、わざわざアーシャを伴って肥料を渡す相手に、まるで心当たりがない。
はぐれないよう、シャロンと繋いだ反対の手でアーシャの手を引くと、アーシャの少し体温の高い両手が、きゅっ、と僕の手を包む。
「うぉっ、見ろあれ! すっげぇ美人! ……と、なんだアイツ」
「どこだよ。えっ!?」
「……………………ああっ、女神様……!」
シャロンが通りを進むたびにあちこちで声が上がり、幾多の視線が集中する。頬を紅潮させる者、焦点の怪しい目でぽーっと見つめる者。目を限界まで見開き口をあんぐりと開け、売り物の果物をぼとりと取り落とす商人など、それまでと趣の異なる喧騒が巻き起こる。
釘付けになっているのは男のほうが多いが、少なくない女の目も引いているあたり、さすがシャロンという他ない。喋らなければ神秘的な美少女だもんな。喋らなければ。
「ちょっと俺、声かけてみようかな……」
「馬鹿! おまえ、あれはハウレル家だ! 死にてぇのか!?」
「はぁ? お貴族様か?」
「そんなチャチなもんじゃあ、断じてねぇ。もっと恐ろしいものだ……」
……なんか一部、変な声も聞こえてくるんだけど、なにをやったんだ?
しつこいナンパを何度かこらしめ[婉曲表現]たことがある? 買い物中のアーシャが絡まれてるときにたしなめ[婉曲表現]た? そりゃ仕方ないな。
喧騒を掻き分けて中央広場付近まで来たところで、「そろそろいいでしょう」とシャロンは呟いて、来た道を引き返しはじめた。
道を間違えたなんてこと、シャロンに限ってあるはずがないと思うんだけど、と首を傾げながら、僕とアーシャもその後に続く。
再び雑踏を進み、
「いまならお話ができる、かもしれませんよ」
「え?」
「いえ、こちらの話です」
聞き返した僕へ、にこりと微笑み返しながら、シャロンは中央通りを左に逸れた。
えっと、こっちは北――じゃなくて西の区域か? わからん。少なくとも、僕が訪れた覚えはなかった。もしかしたら通ったことくらいはあるのかもしれないけど、特に用はないな。
アーシャのほうを振り向いても、興味深げにあたりをきょろきょろと見渡している。馴染みのある場所ではないのだろう。
シャロンは迷いのない足取りで、通りの突き当たりの扉を押し開けた。
看板も何も掛かっていなかったし、もしかして民家じゃないのか!? と内心少し慌てかけた僕の目に飛び込んできたのは、こぢんまりとしながらも清潔感のある、隠れ家的な酒場だった。
テーブル席はひとつしかなく、あとは数席のカウンター席があるのみ。工房の近所にあった『妖精亭』をどこか彷彿とさせる。
客の来店を告げるためのものだろう、からんからん、と扉に付けられたベルが澄んだ音色を響かせた。
「悪いね、まだ準備中…………――――ッ!?」
「入っていいですね?」
カウンターの内側で仕込みでもしていたのだろうか、男が入ってきた僕らに目を向けたかと思うと、息を呑んで固まった。
店員っぽい男は準備中と言ってたけども、そんなことは知ったことかとばかりにシャロンが畳みかける。
「い い で す ね?」
一言ひとこと噛んで含めるように言うシャロンに、男はこくこくと小さく頷いた。
僕とアーシャはそのやりとりを呆気にとられて見守るしかなかったけれど……アーシャは何かに気づいたかのように目を瞬かせると鼻を小さく、すん、と鳴らし、「海の匂いがするの」と呟いた。……海?
「ンゴルピをひとつ」
「へ、へい。お飲み物は……?」
「なくていいです」
ンゴ……なんだって?
まだ面食らっている男にシャロンはよくわからないものを注文してテーブル席に向かったので、僕とアーシャもついていく。
「どうぞ、オスカーさん」
「お、おう」
僕は促されるまま長椅子の奥側へと腰掛ける。
シャロンは僕の向かいの席にガラスラで包んだ肥料を置いた。例の『おみやげ』というやつだ。
ガラスラは、屋敷の割れた硝子窓のかわりに作った透明度の高いスライムで、魔力を通しておけば固いまま保持できる。今回は肥料を入れておく器として使うために、壺方に整形してから固めてある。粘土で作ったものに比べて中身の残量もわかるし、なかなかいいんじゃないだろうか。
ちゃんと透き通ってる硝子は馬鹿みたいに高価いというので、こんな用途には使えたもんじゃないだろうけど、ガラスラなら適当に魔力付与した水と小粒の魔石でいくらでも作り出せる。光を反射して見栄えもいい。
本物の硝子の精製は国家機密に指定されているとかで、あんまりガラスラを大々的に売り出すと余計な軋轢を生みかねない。僕がこれをあまりに安価で放出したら、硝子職人や硝子の原料を取ってくる者が職を失うかもしれないし、硝子に投資している商人にとっては大損だ。もしそんなことになれば、過激な者がハウレル家の排除を――たとえば暗殺を企てたとしても、なんの不思議もない。
暗殺者など返り討ちにしてやる自信がないではないが、四六時中気を張り続けるのも疲れるものだし、それにそもそも勝てるからいいや、とはならない。襲われる心配をしないですむほうが、よっぽど平和な人生だ。
そんなわけで、ガラスラは広めるにしても少しずつ、影響がなるべく少ないようにするつもりだ。今回は、シャロンが必要だというので使ったけどな。
長椅子に腰掛けた僕の隣にはシャロンが座り、その正面にアーシャが座り……かけたところで、シャロンから待ったがかかる。
「アーシャさんもこっちです」
「――? はいなの」
というわけで、手前からアーシャ、シャロン、僕の順で、二人掛けの長椅子になぜか詰めて座ることになった。アーシャは小柄だし、シャロンも岩とかぶん投げるわりに驚くほど細いので狭くはないけどさ。そして僕の前にはガラスラ製の壺に入った肥料。なんの図だこれ。
狼狽える僕をよそに、ドアベルがからんからん、と新たな来客を告げる。
本来準備中であるはずの店に入ってきたのは、これといって特徴のない青年だった。特徴のない魔術師の僕としては、なんかちょっと親近感を覚えるな。
青年はどうも店員っぽいくはないのだけれど、店員の男とは懇意の仲なのだろうか。なにごとか物を言いたげに数瞬見つめ合っていたが、やがて覚悟を決めたように足を進めると、テーブル席に腰を下ろした。
そう、僕、シャロン、アーシャの、テーブルを挟んで向かいの席だ。
…………。
え、だれ?