僕と美青年と哀れな丸太
たびたび投稿が遅れて申し訳ありません、難産続きでして…。
魔物に思いっきり逃げられたのは僕にとっても初めての経験で、さすがにちょっとばかりショックを受けた。
エムハオみたいに元から臆病な魔物が逃げるならまだわかるよ。けど、『災厄』に侵食された魔物まで脇目もふらず全身全霊で逃げ出すってどういうことだよ。驚異的な末脚だったよ。
思い当たるフシはといえば、あるっちゃある。というかありすぎて逆に絞れない。
災厄戦で一度肉体を失ってから肉体を再構築したあれか?
それとも、その時に囚われてた再現魂を内包してたからか?
もしくはアーシャの"調律"との組み合わせで、あまたの人の魔力を束ねたあれか、はたまた……
「はっはっは、それでいつになく膨れっ面なわけか」
「笑い事じゃないんだよなぁ」
リーズナル家の裏庭で、昨日リジットと伐採してきた丸太を干しながら。
朗らかに笑い飛ばされて僕は唇を尖らせるけど、それを見たカイマンがますます笑う。むう。なんだこのやろー。実害だってあるんだぞ。
魔物や小動物に逃げられるとなれば、森の中での食料や素材の調達に手間が掛かるようになる。
罠とか、逃げられるより遠くから仕留めるとか、逃げるのに追いついて倒すとかの手段が無いわけではない。けど、今までは向かってくるやつを倒すだけで良かったのに比べると、どうしても手間が掛かるのだ。
威力や特定部位への攻撃なんかの調整もやりにくくなるしな。仕留め切れなくても駄目だけど、肉が粉々に弾け飛んで大地の染みになっちゃうようだと、何のために狩りをしてるのかわからない。
「はぁ……」
まあそういう実害よりも、えげつない見た目をした魔物たちから『ば、化け物だッ! 化け物が追ってきやがったッッ!!!』みたいな恐怖に染まった視線を一身に受けたのが一番堪えてるんだけども。
それだけならまだいい。いや良くはない、良くはないけど。全然良くないけど。でもそれ以上にショックだったのが、逃げ切れないと察した魔物の中には、最期に一矢報いる……どころか、せめて楽に逝けるようにぐったりと全身を脱力させる奴までいる始末だった。ゴコ村に急行するためにというのもあるけど、完全に無抵抗な相手を害するのもなんとなく気が引けて結局見逃してしまったけど。はぁ……
「おかしい。ただの魔術師なんだけどな、僕」
「そろそろ諦めたまえ、ただの魔術師は世界を救ったりはしないさ」
「いや、わかんないぞ? たまにはそういう奴もいるかもしれないだろ?」
言ってる自分でも説得力がないのはよくわかっているけどさ。
ただ、あれに関してはどっちかというと僕よりもシャロンとアーシャの手柄が大きいのも事実だ。
そりゃー僕だって頑張ったよ。でも僕が頑張れたのはシャロンが支えてくれ、アーシャが後押しし、父さんや母さん、ジェシカ姉ちゃんやフリージアたちが最後の瞬間まで見守ってくれていたからだし、アーシャが"調律"の権能を発揮し続けられたのは、アーニャや、リジットにセルシラーナ、ここにいるカイマンらの奮闘があってこそだ。それに僕らが『災厄』との戦いを勝利で終えられたのは、ラシュやルナールが封印の祭壇をなんとかしてくれていたからで――どこか少しでも歯車が狂い、誰かの力が欠けていたら、きっと世界はそのまま呆気なく滅んでいたのだろう。や、『災厄』のいう理想郷に作り替えられていたというべきかもしれないが。
だから、お前が世界を救ったんだぞ、みたいな言われ方をしてもあんまりピンと来ないんだよな。やっぱりただの魔術師だよ、僕は。
……などと、言ったところでどうせ納得は得られないだろうから、話を逸らすことにした。
「それより腕の調子はどうだ?」
「見ての通り、快調だとも」
枝葉のついた、まだ乾いていない丸太はかなりの重量を誇る。
いまカイマンが担いでいるそれも成人男性が12、3人分くらいの重さがあるんだけど、本人はまるでその重さを感じさせない。
カイマンの体組織を培養して作った新しい腕は、刻んだ"怪力"の術式共々、うまいこと馴染んでいるようだ。
「よし、いい感じだな。これで『島』にいるやつらの足も治してやれそうだ」
「例の、魚を採ってくれる者たちかい?」
「そうそう。阿漕な商会で船漕ぎ奴隷をやらされてたんだけど、足の腱を切られてるのも居てな」
「それは……なんともむごいことをする……」
カイマンは思いっきり顔を顰める。攫われて奴隷として扱われ、そのまま殺された幼馴染のことを思い出しているのかもしれない。カイマンに抱えられたままの丸太からメキメキと軋む音がする。尊い犠牲だと思うことにして、あの丸太は諦めよう。薪や炭くらいにはなるだろうし。
一度切られた腱は、放っておいても一生治らない。走ることはおろか、足を引き摺らずに歩けなくなる。船から落ちたら自力で泳ぐことも難しくなるので、過酷な環境におかれた獣人奴隷の逃亡を防ぐためにやったのだろう。
逃げられたくないのであれば労働環境を良くしろよと思うけれど、労働環境を整えるよりも、潰れた分だけ買い足すほうが商人にとって安いということなんだよな。まったく腹立たしい。
そうだ、抵抗とも呼べないほど小さな抵抗だけど、今後そういう商人とは取引しないようにしよう。売るのも買うのもだ。シャロンたちなら流通経路も割り出せるだろうから、そういった商人が関わる経路もなるべく遮断する。
獣人たちの腱を切り裂いて得た収益に結託する形で、アーニャたちを養うことはしたくない。完全に僕の自己満足だけどな。
「足と、あとはできれば歯も治してやりたいな。碌なもの食わせてもらってなかったみたいでボロボロだったし」
「歯まで治せるのかい?」
「やってみなきゃわかんないけど、たぶんね。口から火の玉くらいなら出せるようになると思う。ほら、歯を噛み合わせて術式を起動できるようにしてさ」
「普通に治すだけで十分だと思うが……?」
「なんでだよ、便利だろ? 火打ち石と打鉄がない時でも焚き火が起こせるし」
「しかもやることが微妙にショボい!」
ショボいとはなんだ。慣れるまで大変なんだぞ、火打ち石で火起こしするの。火口がちょっと湿気っているだけで火がつかないし。
「釈然としてない顔だが、友よ。一応言っておくと、足や歯を普通に治せるというだけで王室お抱えの魔術師の座は約束されたようなものだからね?」
「王室も火起こしを軽視するのか、わかってないな」
「そういう意味じゃないし、それに君は単に思いついた発火術式を仕込んでみたいだけだろう。……いや、そこで『なんでばれたんだ!?』みたいな心底不思議そうな顔をされてもね。ある程度君と付き合いの長い者なら誰でもわかると思うが」
そんな馬鹿な、と言いたいところだけど、周りにいる人たちの反応を見る限り、僕は結構考えていることが表情に出ているらしい。
ようやく丸太を置いたカイマンは、やれやれ、と肩を竦めてみせる。どこか芝居掛かったそんな動作さえいちいちサマになるのだから、顔がいいやつはズルいと思う。
「そんなこと言われても、ただの魔術師なんだけどな、僕は」
「今日はやけにこだわるじゃないか。君の自己評価が低いのは今に始まったことではないけれど、世間はそう思っていないということさ」
「そんなもんかね」
「そんなもんさ。いいかい、歯を治せる、失った手足を生やせる――それはもはや、死んでさえいなければ熟練の兵士をいくらでも蘇らせられるということだろう。王室だけじゃない、為政者なら誰だって手元に置きたいはずさ。現に、今のガムレルには他国や他領からの間諜がうようよ来ている。おかげで宿屋や酒場は儲かっているようだけれどね」
「間諜?」
間諜。諜報員。そんなものが、なんでまた。
というか間諜ってバレてたら駄目なんじゃないのか? と思ったら、どうもシャロンが全部ばっちり見抜いた上で泳がせ、町に十分にお金を落とさせた上で捕まえる采配をしているとのこと。ああ、最近のリーズナル卿の胃痛の一部か、と僕は理解した。
「リーズナル家や隣国のお姫様を探る動きもあるようだけれど、狙いはほとんどがハウレル家だそうだよ」
「はぁ……? そりゃまた、変なやつらがいるもんだな」
「君は、自分の価値を低く見積もりすぎだ。それは多くの場合美徳だが、そうではない場合もある」
いやに真剣に僕をまっすぐ見つめるカイマンを相手に、一瞬返事に詰まった。
「彼らの狙いは君の――君たちの、引き抜きだろう。それが叶わないとなれば、最悪の場合……暗殺を企てる者がいてもおかしくはない。自分のものにならない力ならば排除しておきたいという為政者はどこにでもいる。これに関してはローヴィス家も対策に動いているらしいけれどね」
ローヴィス家といえば、たしかこの国の汚れ仕事を嬉々として引き受けてる変わり者の家系だっけか。あそこの当主、ダビッド = ローヴィスとは何度か顔を合わせたことがある。剣の腕だけなら、たぶんリジットより強い。飄々とした顔の下で何を企んでいるか知れたものではないおっさんだ。あまり関わり合いになりたくない。
「やけに詳しいな」
「むしろ君が知らされていないことに驚いているよ……私だって、半分以上はシャロンさんに聞いた話だからね」
「あ、そうなの? まあ、それなら大丈夫なんじゃないかな。必要な話なら僕に教えてくれてるだろうし、そうじゃないなら不要ってことだ」
少なくとも、今はまだ。
思いつくまま好きなことをしていても構わないというのであれば、僕はそれに甘えさせてもらう。シャロンもそう望んでいるから伝えないのだろうし。
「しかし――」
「それに」
それに。自分のものにならないなら暗殺するだって? そういう理不尽なやり方は大嫌いだ。ただの魔術師だって、怒るときは怒る。
「もし仕掛けてくるようなら、容赦はしない」
あくまでも淡々と言ったつもりだったのだけれど、何かをカイマンは口を閉ざし、小さく身震いした。
いや、べつに自分から暴れ回るつもりはないよ。理不尽を仕掛けてきた者は、それ以上に圧倒的な理不尽で踏み潰す。それだけだ。
「……どこかの間抜けが龍の寝床に石を投げ込まないように祈っているよ」
カイマンの呟きは、シャロンがこの場に居たらこう言うんだろうなぁ、と僕も深く息を吐いた。『それ、フラグですね!』と。