僕と領地と脇腹頭突き
人間の力なんてのは、ちっぽけなものだ。
大自然が気まぐれにひとたび嵐を呼べば、河川は荒れ狂い、田畑は流され、病が蔓延する。日照りが続けば小川は干上がり、山火事が起こり、食い詰めて飢えた者たちが殺し合う。
自分たちの手には負えないそういった存在を、古くからヒトは畏れ、敬い、奉り、祈りを捧げてきた。
その年の豊穣を感謝して。またあるいは、今年も無事に過ごせますようにと願いを込めて。
『らいぶ』とは、元は『生きること』を意味する神聖語であり、そうした祭典のひとつだという。魔物の軍勢が押し寄せて大打撃を被ったガムレルにおいてはちょうどいい催しになるだろう。
僕の目的はその『らいぶ』でアーシャの”調律”の神名を制御し、転移魔術を発動するに足る魔力を集めることにある。
アーシャが体内に持っておける魔力の量はごく少ない。そのまま”調律”の権能を使い続けるなんて無茶はもちろん許容できるものじゃない。足りない魔力は命を削って無理やり生み出すしかないからだ。
これを解決するためには、アーシャの魔力消費を抑えつつ補助する仕組みが必要になってくる。
仕組みのひとつは『らいぶ衣装』としてヒンメル夫人に発注済みだ。近ければ近いほど体内の魔力へ干渉しやすいので、肌に直接触れる衣服に細工するのが一番効率が良くて紛れも少ない。
術式を刻んだ魔石を核にしたスライムを、絹糸とアーシャの尻尾の毛と撚り合わせたスラ撚糸は、柔らかく滑らかな肌触りで伸縮自在。「あらあら〜。もうちょっと伸びの少ないのも作れるかしら? 作れる? じゃあ絹だけじゃなく綿や羊毛でも作れたりなんて――あらまあ素敵! うふふ〜、どんな色が映えるかしら〜」といった具合にヒンメル夫人の創作意欲もいたく刺激されたようだったので、いまから仕上がりが楽しみだ。
今のところスラ撚糸はアーシャの毛を折り込んだ専用だけれど、魔力消費を抑えられるなら一般の魔術師にとっても有用だろうし、魔力消費削減のかわりに疲労軽減でも付与しておけば冒険者や農民にも便利な代物になりそうなので、そのうち量産も視野に入れたいところだね。
らいぶ衣装の完成までにはある程度時間が掛かるだろうけど、僕のほうも『まとめるくん』で大きい魔石を精製しないと転移魔道具の作成には取りかかれないので大きな問題はない。待っている間にできるのが『らいぶ会場』の設営だ。
衣装だけでなく会場にも術式を刻んでおけば、その場で”調律”を使う限りにおいて、アーシャの負担を極限まで小さくできるはずだからね。
場所の目星はすでにつけてある。人通りの多さで考えるなら、劇団のように中央広場に場所を借りて『らいぶ』をするのが多くの人の協力を得やすいだろうけど、そうなると会場に大規模に手を入れるのは難しくなる。転移魔道具を置いておく場所としても適さないしな。
そういうわけで、今回はリーズナル邸の庭園にある地下壕を改造させてもらおうと思っている。もちろんお屋敷を僕の好き勝手にいじるわけにいかない(最近ちょっと忘れ気味だけどまだ怒られてないから大丈夫だろう、たぶん)ので、ちゃんとリーズナル卿の許可をもらうよ。いくら親しくなったとはいえ、そのあたりはきっちりしたいんだ、僕は。いやまあ覚えてる間は、だけど。うん。
まあ許可をもらうとは言っても申し送り程度で、断られることはほぼないと思うよ。ここ最近はメイド隊の仕事を楽にしたりして貢献したし、書類仕事で困っているリーズナル卿にシャロン、リリィ、カトレアの魔導機兵3人娘を参戦させたりもしたから仕事は大いに捗っているはずだし。ちょっとくらい無茶なお願いでも、きっと無碍にはされないだろう。
そんな打算もありつつ領主様の執務室の戸を叩いた僕を出迎えたのは、書類の山と戦うリーズナル卿とカイマンだった。あれぇ。
「やあ、友よ。息災かな」
「ああ……オスカーくんか……すまないが、どこか適当なところに掛けて待っていてくれたまえ……」
ようやく病床を抜け出して歩き回れるようになったカイマンはともかく、声に覇気が微塵もないことといい、目の下の隈が濃くなっていることといい、リーズナル卿の疲れっぷりが半端ではない。
「えっと、その……元気?」
「そう見えるかね……」
「遠くからかなり薄目で見たら、辛うじてそう見えなくもない、かな?」
「普通に見てもらった通りだが……まあいい、あと2枚確認を終えたら話を聞こう……」
目頭を指で揉み解しながら険しい顔で小さな文字を読むリーズナル卿の前の机には、いくつかに分けられた書類の山が聳えている。シャロンたちは仕事を手伝っていたのではなかったのだろうか、と僕が首を傾げかけたところで。
「追加。最重要1。重要3。それなりの案件が2」
「ああ……」
「では」
僕のあとから部屋にスッと入ってきたカトレアがそれぞれの山の上に書類をさらに積み重ね、リーズナル卿が呻く。カトレアは「主人成分を補給」と宣言して僕の脇腹にぐりぐりと頭突きをかましてから颯爽と去っていった。なんか知らんが流行ってんのか、頭突き。
書類の山はどうやら重要度によって分けられていたようだ。カイマンは『それなりの重要度』とされたものの1枚を手に取った。
「彼女らが『それなり』としたものは領主判断が不要なものでね。少しばかり私が補助しているんだ」
「なるほどな」
シャロンたちはちゃんと仕事を手伝っており、すでに彼女らが情報を寄り分け、精査し、要約されたものがあの山を形成しているらしい。それにしたってすごい量だが。
「シャロンたちが手伝って『これ』なら、普段はどれだけ仕事があるんだ……?」
「むしろ彼女らが手伝ってくれているからこそ、こんな膨大な仕事の量になっているのさ。長年尻尾を掴めなかったどころか気づいてさえいなかった不正の摘発から、新しい税収体制の提案まで、ありとあらゆる知恵がここに詰まっている」
「つまり、いつもなら見逃されてた仕事までまとめて降ってきてる、ってことか?」
「そういうことだね。それもすごい精度で」
突飛だったり難解だったりで確認だけでも一苦労だし、そうこうしている間にまた新しいのが積まれるんだが。とカイマンは苦笑して、リーズナル卿も深く頷く。
「たとえばだが……さきの戦いで大破した東門の補修のためにも、どうにかして税収をあげたかったのだ。増税が必要になるだろうから、民の飢えないぎりぎりを見極めねばならない――と考えていたのに逆に減税を勧められてしまったよ」
見たまえ、と渡された紙には数枚に渡って税収と領地経営指南がびっしりと書き込まれている。うへぇ。
「これ、僕が見ていいやつ?」
「書いたのは君のご夫人なのだから、いまさらだろう」
「それもそうか」
本来、領民が知るべきことでもないのだろうけど、シャロンに聞いたら全部教えてくれるだろうしな、と納得して紙束に視線を落とす。 ええと、なになに?
いまの領地の租税は半値。これは採れた麦の半分を税として納める形だな。
比べるあてがないから高いか安いかわからないが、この資料によると普通の税率だそうな。ふーん。
で、『大激震』以降税率の引き上げを行っている王都や、それに追随した領地の税が6割から6割半。政治のことはよくわかんないけど、普通の農民がそれで食っていけるんだろうか? 餓死が起こったり暴動になったりしないんだろうかね。
それで、シャロンの提案では減税後の税率が、
「……は? 2割?」
思わず声に出てしまった僕の驚きに、リーズナル卿とカイマンは口の端を歪めて同じように笑った。こうして並んでるとやっぱり親子だな、顔の作りもだけど所作も似ている。
「驚くだろう、私も驚いたとも。どうにか3割でまけてもらったが」
まけてもらった、ってあなたの領地だけれども。
「大幅な税の引き下げは『大激震』復興のため、民の困窮を賄うための一時的なもの……と説明するが、これで領地がまわるようなら継続することになろう。彼女の資料では税収減どころか少しずつ増収する見込みとなっている」
「そんなまさか……」
シャロンのことを疑うわけではないが、にわかには信じがたい。僕でさえそうなのだから、リーズナル卿やカイマンにとってはもっと信じられたものではないだろう。それを覆し得る根拠があるのかと渡された資料をぱらぱら捲ると、まあ出てくる出てくる。
とくに大きな根拠としては、ここガムレルが水運・陸運上の交易路としての緊要地であることがあげられている。税が5割から3割に軽くなれば、領民が自由に使えるお金が2割増える――という単純な話ではないらしい。ふむ。
人々は、いまの5割の税を支払ったうち、残った半分をやりくりして、食べ物や炭などの冬の備えを購入している。
もちろん、手元に残った麦を全て使うわけにもいかない。来年植える分が必要だからだ。稼ぎを全て自由に使うわけにいかないのは、農民だけでなく、武器や防具の手入れが生死に直結する冒険者であっても同じことだろう。
食べるものがないと生きられないし、そういった生活に必須なものや翌年生きるための備えをさっ引くと、人々が自由に使える稼ぎは全体の1割を容易に下回るという。
――僕らのやってた工房は、まあ例外だよな。”全知”や『倉庫』があって、作れば作るだけ売れるなんて、他の店から見たらズル以外のなにものでもないだろうし。多くの領民には関係のない話だ。
人々の自由に使える稼ぎが1割以下なら、おしゃれや娯楽、ちょっとした贅沢などに費やすお金はその中から賄うことになる。租税で持っていかれるのが2割軽くなれば、自由に使えるのが稼ぎの1割から3割へ。つまりは一気に3倍に跳ね上がるってことか。
生活に余裕ができれば人々の不満が減るし、これまで滅多に買えなかった物を買う頻度が増える。だって、使えるお金が3倍だもんな……。
物が売れれば行商人が来る。運んでくれば売れるのだし、シャロンのこの案だと関税も同時に目に見えて引き下げるようなので、商人にとっては夢のような商売地だろう。
そして積荷が売れれば、行商人はこの町のものを買って各地に旅立つ。空荷で移動するのは行商にとっての損失だ。
もちろん、町に滞在する間は宿を取るだろうから宿屋も飯屋も儲かるはずだし、物が売れるから生産者はその分の利益を得て、そうして物が売れた分だけ税収が上がる、ということらしい。
シャロンの試算では、減税した年はわずかに減収、翌年から前年を超えての増益が見込めるとのこと。
「なるほど。経済規模の拡大、か」
誇張された熊を天使が殴っている、なんともいえない挿絵の横に大きく書いて丸で囲ってある『経済規模の拡大』っていうのがシャロンの企図していることらしい。
ぜんっぜんわからん。けどなんかいけそうな気がする。わからんけど。
それに、この作戦がうまくいけば、いまのガムレルが抱えている穀倉地帯の壊滅の影響も軽減できるだろう。
食糧不足や、その不安からくる買い占めによる価格上昇にリーズナル卿は頭を悩ませていると言っていたし、運んだぶんだけガンガン売れるとなれば行商人が食料でもなんでも売り込みに来るだろうから。
「君もたいがい並外れているけれど、彼女らも比類なき才女だと再確認したよ」
カイマンが白い歯を見せて笑う。
「幅広い分野への知識、打てば響くような思考速度。ペイルベアをものともしない強靭さに加えてあの美貌だ。いったい何者なんだい? 本当に女神様だと言われたところで、私はもはや驚かないが」
「僕の自慢の嫁だよ」
実は魔導機兵なんだ、と言ったところでそれが何なのかカイマンたちにはわからないだろう。
わからなくても、カイマンならもしかしたら納得してくれるかもしれないけど。
「……ものは相談なんだが。リリィ嬢かカトレア嬢をリーズナル家に嫁がせる気はないかね」
「うちに、っていうとカイマンにか?」
「そうなるだろうね」
リーズナル卿からの相談事に僕が問い返すと、カイマンがあっけらかんと返事をした。
自分の伴侶のことだろうに、少しも狼狽える素振りがないな、こいつ。貴族ってのはそういうものなのかもしれないけどさ。
「どうだろうか。リーズナル家とハウレル家の関係も、より強固なものとなるだろう」
「って言われてもな。そういうのは本人たちの気持ちを聞いてくれ」
「……君はそう言うだろうなと思っていたよ……はぁ」
「ネタばらしをすると、すでに当人たちからは断られているのさ。『主人の望むように在りたい』と、ね」
カイマンは僕らのやりとりを見て、くつくつとしのび笑いを漏らした。
リーズナル卿はこれ見よがしに肩を落としてみせるものの、さして残念そうでもないあたり、本人の言う通り予期した通りの答えだったんだろう。
「いっそカイマンが女であればなぁ……」
「え、なにそれ僕に嫁がせるってことか!? やだよ!?」
「べつに当家に婿に来るのでも一向に構わんが。なんなら試しに義父と呼んでみるかね」
「やだよ!?」
「つれないじゃないか、友よ」
「顔が近い! 寄んな!」
笑った顔がほんと親子だなこいつら!
……なんて思っていると。
「追加です。最重要案件、重要案件が2つずつ」
「あ、ああ……」
「では」
音もなく、すすすっと執務室へと入ってきていたリリィが新たな書類を山に追加した。直前まで笑っていたリーズナル卿の目が一瞬で死んだ。
リリィは部屋から退出する間際、「失礼します」と僕の脇腹に頭突きをかましてから颯爽と去っていった。なんなんだ、その流行り。
「…………仕事、手伝おうか?」
「助かる……」
僕が『らいぶ会場』の件を聞きそびれたことに思い至ったのは、慣れない書類確認で強ばった肩をまわしながら執務室をあとにしてからしばらくしてのことだった。