ガムレル捕物帳
「いったい、どうしたというのですか」
どうしてこうなった。
会館に有無を言わさず押し入ってきた憲兵に包囲され、男が呻く。冷たい視線が四方から浴びせられ、男の背中にじっとりと嫌な汗が吹き出した。
憲兵たちは背負った得物こそ抜いていないものの、少しでも抵抗するそぶりを見せれば抜きかねない剣呑さをまるで隠そうともしていない。滅多なことでは崩れない男の柔和な笑顔の仮面も、どうしても引き攣ったものになる。
男は、近年規模を急拡大し、ガムレル内で第二位の規模を誇るまで登りつめたサルヴァド商会の現会長である。その第二位の座も、数年後には第一位に置き変わることを男自身も側近も信じて疑っていない。
急逝した父の跡を継ぎ、商会長を務める若き俊英として恣に財を成してきた男は、引き攣った笑顔の下で目まぐるしく思考を回転させる。
何が漏れた?
どこから足がついた?
抱き込んだ憲兵隊のエムハオは何をしていた?
これは、一体誰の差し金だ?
「穏やかじゃありませんね。第一位商会の嫌がらせにしては、少々度が過ぎると思うのですが」
押し入ってきた憲兵隊にざわめいていた出入り業者や商人が見守る中、焦りを押し殺し、男はよく通る落ち着いた声で抗議する。
商人どもの間を駆け巡る噂や憶測は、ときに狩人の放つ矢よりも速い。儲け話の噂ならば甘い汁を吸いに我先にと群がり、醜聞と見るや嵐の前の小鳥より早く行方を眩ます。それが商人という生き物だ。
だから、男はこの突如訪れたピンチをエルノイ商会の差し金であると糾弾する。それが事実かどうかはどうでもいいのだ。
男にとって、それは慣れた仕事だった。
敵対派閥の幹部の仕業に見せかけて先代商会長を毒殺した時も。
目障りな商店をゴロツキに営業妨害させ、助けてみせることで傘下に加えた時も。
泥酔した実行犯を川底に沈めた時も。
自身の損害を少なくし、仇敵へと押し付ける。そうやって時間を稼いでいる間に事態の沈静化、ないしは矛先を逸らしたり、真犯人を作り出してやればいい。
愚かな民衆を操ることなど造作もない。劇的で、もっともらしく辻褄の合った物語を用意して、これみよがしにヒントをそこらに転がしておけば、あとは勝手に『真相』を見出して吹聴してくれる。自分たちが頭を捻ったつもりになって見つけた『真相』は甘美であり、地味で面白みのない『事実』など民衆は興味がないのだから。
この場を凌ぎさえすれば、あとのことはどうとでもなる。そして舐めたことをしてくれた首謀者を見つけ出し、落とし前をつけさせるのだ。
男の目論見は、しかし。憲兵分隊長の有無を言わせぬ指示ですぐに瓦解する。
「連れていけ」
「ちょっ……待ってくださいよ。これだけの人の目がある前で、なんの咎かの告知もなしに横暴を働くっていうんですか、憲兵は。そんなことになれば商人が黙っていませんよ!? ねえ!?」
この場を凌ぐ機会すら与えられないかもしれない、と途端に焦りが再燃した男は聴衆を味方につけるべく捲し立てる。分隊長は冷めた目で見返し、それが男を余計に苛立たせた。
「そもそも、あんたらが本物の憲兵かどうかも怪しいもんだ。おい、誰か詰所に行って――」
「自分の咎が知りたいのなら答えよう。ここで公表しないのはサルヴァド商会への慈悲って話だったが――素直に従わなきゃ公表していいことになっている」
男の言い分を遮って分隊長が淡々と告げる。成り行きを見守っていた商人たちのざわめきが静まり返った。一言も聞き漏らすものかという共有された意思のもと作り上げられた沈黙に、男がごくりと固い唾を飲む音が響く。
ほど近い距離にいたある商人は気づく。憲兵たちが商会長の男に注ぐ視線は冷たい、と思っていたが、あれは単に冷たいんじゃない。軽蔑だ。
しかし、ここで『はいそうですか』と引き下がれるような性質であれば男は商会長をしていない。そんなのは男の矜持が許さなかった。その選択が商会の凋落を決定付けるとも知らず。否、知っていたとしても結末は変わらなかったかもしれないが。
「不当な食料の買い占め、価格の吊り上げ。商店への嫌がらせ。食いつめた民に借金を負わせてのタダ働き。借金を盾に行商人を襲わせるなどの不法行為の指示。町上層部への賄賂。談合。そして父親の謀殺」
「な……なっ……」
「よくもまあ数年でこれだけやらかしたものだ」
斯くして、罪は明かされる。
男の口から漏れるのは、言葉にならない呻き声。
居合わせた商人や出入り業者は、そのやりとりの全てを耳にした。
商館がシン、と静まり返ったのは一瞬。ざわめきが広がり喧騒に変じるまで、そう時間は掛からない。
「な……なんの、証拠があって」
「事実無根だ、とでも言うかね? 逆に聞くが――なんの証拠もなく領主様がこのような告発に踏み切るとでも?」
「……」
「毒薬を調達した薬師も、恫喝に使ったゴロツキもとっくに消した以上、どこからも漏れることはないと? 毒草採取クエストも別人に出させたようだしな?」
「は、はは……ははは…………」
乾いた笑い声のような音を口から漏らしながら、気力も尽きて立っていられなくなった男は、その場に力なく頽れる。
ありえない。
人を介し、細心の注意を払って事を為したはず。もちろん書面になど何も残していない。どうして今になって。どうして。どうして。
不理解に包まれ、もはや抵抗する気概もない男は、ざわめき合う商人たちの間を憲兵に引きずられていく。
なぜこうなったのかわからない男は、けれどこれだけは理解していた。
逃げ場など、もうどこにもないのだと。
◆
「班をふたつに分ける。ふたりついてこい。副隊長と2名、ここで待て。ヤツが戻ってくるようなら押さえろ。常にふたり以上で動いて連携するように」
「了解!」
ざかざかと軽装の鎧が擦れる音とともに、小路へと踏み込んでくる複数の足音が反響する。憲兵だ。
「チッ――」
このまま進んでも挟み撃ちに遭うと察した女は、思わず舌打ちを落として踵を返した。
少し手前の脇道に逸れると目論見通り道幅が狭くなっていた。女は壁に足をかけると、今度は反対側の壁へ向けて飛び上がる。いわゆる三角跳びの要領だ。
女は三度目の跳躍で雨樋に指をかけ、握力だけで体を支えてぶらさがると、反動をつけて反対側の屋根へと降り立った。
「ふう……」
涼やかな風が頬を撫ぜていくも、その表情は優れない。
彼女は業界では《幽霊》の名で知られる工作員だ。とはいえ名が知られているだけで、その姿まで知る者は一握りにも満たない。
神出鬼没。出没自在。諜報や敵地潜入からの破壊工作に長けた《幽霊》は歳格好はおろか性別まで不明で、敵を疑心暗鬼に陥らせるために吹聴された架空の人物なのでは、なんて説がまことしやかに囁かれる存在。それが彼女だった。
誰にも捉えられない。それが《幽霊》が《幽霊》たる所以である。
コトを終えたあとになっても彼女の介在が露見しないことは珍しくなく、逆に言えば今回のように行動を起こす前に察知されたことなど、これまで一度たりともなかったのだが。
どうしてこうなった。
なぜバレた、と自問しても思い当たるフシなどない。
自分は何らヘマをしていないし、考えられるとすれば依頼主側から足がついたか。
今回は容易い任務だったはずだが、女はけして楽観したつもりはなかった。
油断は判断を鈍らせる。一瞬の遅れ、瞬きほどの気の緩みであれど、その差が命運を分ける。それを彼女は理解していたし、依頼を受けた以上、万全を期して事に当たってきた。そのはずなのに。
「チッ――」
再び舌打ちを落とし、彼女は移動を始める。
屋根の上は目立つ。目立つということは、人に記憶されるということだ。
存在を希薄に保ち、誰からも覚えられない。それが彼女を《幽霊》たらしめる。
どんな大仰な二つ名を持とうとも女は生身の人間であり、壁を蹴り付けて屋根に登れば振動が伝わる。
家主が家をあけていれば都合が良いが、そう期待するのは愚かが過ぎる。彼女が愚かであったなら、名うての工作員なぞやっていない。
屋根伝いに移動し、古い集合住宅の階段を伝って地上に降りた女は、手早く表通りの人混みに紛れながら思案する。
憲兵は、明らかに女があの場を訪れることを知って網を張っていた。あのまま路地を逃げたならば、追い詰められていたのは時間の問題だったろう。
一度、町から離れて体勢を立て直すべきかと自問して、否と即座に自答する。
女を《幽霊》と知って追い立てたならば、今慌てて町から逃げ出そうとすれば、自分から網に絡め取られに行くようなものだ。
町を離れるにしても、少なくとも3日はあけるべきだろう。網を張る方も、四六時中緊張を保ち続けていられるものではない。警戒が緩んだ頃を見計らって町を出る。
そうと決まれば、女が足を向ける先は隠れ家だ。
隠れ家に辿り着けば、日持ちする糧食や、僅かながら路銀の蓄えも用意されているはずだ。
もちろん昨日まで使っていた場所には戻らない。念には念を。
彼女は仕事を侮ったことはないが、今はいつも以上に細心の注意を払っている。
なにせ、行動を起こす前に《幽霊》を見つけたやつが敵にいるのだ。
女はのんびりと露天をひやかす風を装いながら、堂々と表通りを歩く。
こそこそしていたり、足早に通り過ぎるなんてのは三流のやることだ。
表情に出さず。歩調に出さず。呼吸に出さず。憲兵の傍を通る時には速度を落とし、背中の剣に視線を注ぎさえした。それが普通の町娘だからだ。忙しなく動いている憲兵になんの注意も向けないなど不自然極まることを、彼女は熟知していた。
神出鬼没。出没自在。人に溶け込み、誰にも捉えられない。それが《幽霊》なのだから。
緊張感は最高潮に、けれど所作には一切漏らすことなく町を歩き、さも『これを買うために出歩いていました』という程度に買った安い炭を抱えて隠れ家の扉を潜った彼女は、深く、深くため息をついた。
「誰ですか、人を呼びますよ! ……って喚いたところで無駄なんでしょうね。はぁ〜……いったい、どうしてこうなったのかしら」
「さてな。女神様の気まぐれとしか言いようがない」
「なにそれ。ああもう、やってらんないわ。まったく」
女は炭袋をぽいと放ると、不貞腐れたようにその場にしゃがみ込んだ。
隠れ家で彼女の帰りを待ち構えていた憲兵たちの視線は、やや同情気味であった。
◆
「どうして……」
弱いのに単独で森に入る冒険者を殺して装備や金品を奪っていたならず者の集団は決定的な瞬間を抑えられて呻き、
「どうして!?」
怪しげな水を薬と称して売りつけていた占い師を自称する女が絶叫する。
――わずかに、2日。
財政に頭を悩ませたリーズナル家当主がハウレル夫人に書類整理の助力を請うてから、サルヴァド商会の巧妙な不正を暴いて動かぬ証拠を喉元に突きつけ、他領の間者の潜伏地と協力者、行動予定を割り出し、盗賊組織のアジトを見つけ、蠢動する人攫い組織の萌芽を壊滅させ、怪しい薬売りを摘発するまでに要した期間である。
「どうしてこうなった……」
突然の激務続きで休暇を嘆願する申請を各憲兵隊から突きつけられまくった領主はひとり、執務室で頭を抱えた。
領主様の胃のライフポイントを生贄に捧げ、不穏の芽を一斉摘発!