僕と恩
数十日も経てば人々は大激震の衝撃からずいぶん立ち直ってきたようで、町はそれなりの活気を取り戻したように見える。
でも領主様が言うには行商人の動きはものすごく鈍いままだそうで、町に入ってくる物資は平時に比べてかなり少ないというし、その数少ない行商人の売りつける商材は軒並み高い。とりたてて品質が良いわけでもなく、慢性的な物資不足のため高くても売れるが故の高値だ。いわゆる足元を見た暴利ってやつだが、向こうも商売だしそのへんは仕方ない。
少々恨みを買ったところで稼げる時に稼ぐのはそう間違った判断じゃない。苦しい時に親身に寄り添えば、信頼を得たり恩を売ったりもできるだろうけど、そういうのはある程度精神的にも金銭的にも余力がある者にのみ許された振る舞いなんだろうな。皆、生きていくのに必死なんだ。
「ヒンメルさんのとこはもっと儲けてもいいんじゃないかって思うけどな」
「いえいえ、十分に儲けさせていただいておりますよ? あ、これペイルベアのブラッドヴルスト。血や心臓や脂をたっぷり詰めて煮上げた、昨晩できたばかりのやつです。黒っぽくて見た目はいまいちで癖もありますが、慣れてくるとこれがなかなか美味いですよ。こちらは食べる前にしっかり焼いてくだされ」
「あ、ども」
「それでこっちは鳥腿の燻製です。廃鶏ですが柔らかく出来たので、是非オスカー殿に食べてほしい、とエリナが申しておりました」
ガムレルからほど近いゴコ村に店を構える商店主ヒンメルさんが、僕を訪ねてリーズナル邸にやってきたのは昼食を終えてすぐ、昼下がりと言えるくらいの時間だったけれど、僕らへのお土産を降ろしたあとの馬車の荷台はほとんど空っぽだ。村から積んできた商品は朝のうちにすでに町で売り終えたんだろう。残っているのは縄や毛布、小さな布袋など。これは常に荷台に積み込んでおくものなんだろうな、たぶん。
「くれるのはそりゃありがたいけどさ。これだって売ったら結構な稼ぎになったんじゃないか?」
『ちょっとした土産』だと僕の目の前に降ろされたのは、そこそこ大きい壺が3つ。シャロンによるとブラッドヴルストというのが6.44kg、燻製が815gあるようです、とのこと。ヒンメルさんの口ぶりだと、燻製はエリナが作ったらしい。
ガムレルに来るヒンメルさんに、たまにくっついて一緒にやって来るエリナは、僕とシャロンが初めてゴコ村を訪れたとき、蛮族に攫われそうになっていた村娘だ。
僕に対しては蛮族にブチ切れていた時の印象が強いのか、それとも死にかけた痛みの記憶が連想されるのか知らないが、遠巻きに見つめてくるだけで、目があうとすぐに隠れてしまうほどの怯えられっぷりだ。じつはちょっとへこむ。
ただ、アーシャとは仲が良いらしくたまに盛り上がっているのを見かける。歳が近い同性の友達ってことで気が合うのかもしれない。もっとも、僕が見てるのを察知されると途端に物陰かアーシャの陰に隠れられてしまうのだけれど……。そういうときはきまって、アーシャが『まったく、やれやれなの』とでも言いたげな視線を投げてくる。たぶん楽しいお喋りを邪魔したことへの抗議なんだろう。すまんとは思ってる。
まあそんな感じの、僕に対してかなり怯えてるエリナをして「是非食べてほしい」と言わしめる燻製肉はきっと会心の出来なのだろう。自分たちで食べるならご馳走だし、売るなら売るできっと良い値がついたろうに。
ブラッドヴルストとやらは、聞く限りでは僕の故郷ではスス・クルルダと呼ばれていたものと似たようなものだと思う。
赤身肉を詰める腸詰めに対して、売り物にも干し肉にもならないような屑肉やすぐに傷んでしまう内臓を詰めたもので、栄養豊富だが日持ちしない。これも村で食べられる数少ないご馳走だ。
合計7kg以上の肉となると、やっぱりけっこうな量だよな、これ。
領主様たちの分も含んでるのかもしれないけど、それならそれで最初から領主様宛にすればいいものを、僕に恩を売ったところで特に得るものもなかろうに。そんなようなことを言うと、ヒンメルさんは恰幅の良い腹を揺すりながらカラカラと笑った。
「恩を売るなんてとんでもない! むしろ少しずつでも返していきたいくらいですからな」
「商人の言う『それを売るなんてとんでもない』が聞けるのは勇者の特権ですよ、オスカーさん」
「然り、たしかにオスカー殿はゴコ村にとって勇者と言うに相応しいでしょうな!」
たぶんシャロンの戯言はそういう意味じゃないと思うけど、そういう部分にツッコむと話が進まなくなることを僕は経験則で知っている。人間は学習する動物なのだ。
”念話”で『肉をもらったよ』とアーシャを呼ぶと厨房からすっ飛んできた。喜んでぴょんぴょん飛び跳ねるアーシャを、ヒンメルさんは目を細めて微笑ましげに見守っている。
工房で並べていた塩の在庫はアーシャが『倉庫改』に退避させてくれていたので、そのうちの半分くらいをお返しとしてヒンメルさんに持たせるよう、壺に詰め替えておいてもらおう。
いかに善良とはいえヒンメルさんも商人であり、『倉庫改』を見せるわけにはいかないので、手間にはなるけどアーシャには一旦塩壺から移し替えてもらうという行程を踏んでいる。というか何も言わないでもそのようにしてくれてる。さすがアーシャ、気遣いのプロだ。
塩、そう、塩だ。そっちも対処しないとなんだよな。
塩の供給は現在完全にストップしてしまっている。
前までは『倉庫』、つまりは研究所地下にあった転移装置を経由して海水を引き入れ、それを魔術でちょちょいっと分解して塩を作っていたのだけれど、大激震での災厄戦で『倉庫』は完全に没した。
製塩ができないと、行商人の持ってくる粗悪な岩塩を買わねばならなくなる。しかも高い値段で。
レッドスライムのいたあの島との交易も『倉庫』頼りだったため、海産物も手に入らない。
魚がそう簡単に手に入らなくなってしまい、魚好きのラシュが微妙にしょんぼりしていたりもするので、近いうちになんとかしようとは思ってたんだよな。あの島に残してきた者たちの様子も気になるところではあるし。
”希望の轍”を元に転移魔道具を一揃い作っておけば、あとはあの島に一度行って設置するだけで転移交易路が再び構築できるはずだ。ただ、その『一度行って』というのが問題なんだよな。
あの島まで行くには陸路のあとに船か、もしくは”転移”が必要だろう。僕には島の場所はわからないけど、シャロンがいればそのあたりは問題ないと思う。
魔道具で二点間を繋げるのではない純粋な”転移”魔術は、魔力消費がすこぶる激しい。そしてその魔力量は距離と、転移させるものの量によって増大する。
魔力が足りなければ中途半端な位置に出てしまうのは、らっぴーと出会った時に実証済みだ。陸地があればまだいいけど、海のど真ん中に出てしまったらそのまま溺れ死んでしまう。
うーん。どうするかな。
僕の魔力だけじゃ心許ないなら、魔石で加算するとか他の人の魔力に頼るかくらいしかない。もしくは陸路で島にできるだけ近づいてから”転移”するとかか。
――まだ構想段階だったけど、やるか。
「シャロン、近いうちにやろうと思う」
「子作りですね! お任せください、なんなら今夜にでも。アーニャさんとアーシャさんもまとめてどうです? いっそリジットさんにも声をかけてみますか?」
「リジット!? リジットナンデ!!? いやそういう問題でもないけどさ!?」
待て待て待て待て。明け透けすぎる。昼だから。まだ昼だから!
聞こえないフリをすることにしたのか、塩の詰め替えをしながら耳だけぴこぴこさせてるアーシャの顔も真っ赤になってるし、「いやはや。お熱いですな」とか言ってヒンメルさんも反応にちょっと困ってるし! ああもう!
違うからな、昼からそんないきなり破廉恥なお誘いをかけたりしないからな僕は。……いや、元を正せば何をやると言わなかったのが悪いか。
「違うよ! あれだよ、あれ、ほら。なんて言ったっけ、らいぶ? とかいうやつを、やろう」
「わかりました。子作りはそのあとですね」
「いったん子作りから離れよう……?」
シャロンは今日も絶好調だが、聞こえないフリのアーシャはシャロンの唐突な子作り発言に巻き込まれたことで心ここにあらずのようだ。そろそろ塩、壺から溢れるぞ。
「いやはや。若いっていいですなぁ。エリナが聞けば悔しがりそうです」
「本気にしないでくれ……ていうかなんでそこでエリナが出てくる……」
「はっはっは。知らぬは本人ばかりなり、ですな。ところで、オスカー殿は先ほどから私の馬車に何を? いえ、べつに好きに触っていただいて構わんのですが。そのう、なんだかぬらぬらしているな、と」
「ん? ああ、これな。前に直した車輪の様子を見るついでにちょこっと調整をしようと思って」
今では『ハウレル式の車輪』だとか呼ばれている荷馬車の第一号が、このヒンメルさんの馬車だ。それなりに思い出深いね。
あれからちょくちょく新しいことを思いついては試させてもらっているんだけど、今日は車軸の上に衝撃吸収スライム『ピタスラ』を、御者台に『ひとをダメに』……もとい、座椅子型に加工した小さな『保衣眠』を設置している。腰や背中に負担がけっこう来るんだよ、馬車の揺れ。
「腰は男の命ですからね」
「シャロン、さっきの話の流れでそういうこと言わないで」
ほらまたアーシャの手元がおぼつかなくなってるから!
揺れが軽減されれば積荷が傷んでしまうことも減るだろうし、何往復かしてみたらまた感想聞かせてよ、みたいなことを頼んだら、ヒンメルさんは嬉しいやら困ったやら複雑な顔で「恩が返し切れる日は、はたして来るのでしょうかね」としみじみ呟いていた。