究極の洗濯を ふぃなーれ
リーズナル家メイド隊に異変が起きていた。
メイドたちは日を追うごとに、ひとり、またひとりと抗うことも叶わず撃墜されていく。
ついにはメイド長までもがあえなく陥落することとなる。
「いやー、とはいえ無理でしょこれは」
「これは〜ひとが抗えるものじゃないですよね〜るぅ〜」
その日の仕事を終えた宵の口。通算三度目になる、絶賛陥落中のフランキスとルゥナーは、それの威力を実感していた。
それは邸宅1階端のほう、メイド隊の面々が住み込んでいる区画の一室にある。
住み込みのメイドたちは2人もしくは3人につき1室が割り当てられており、この部屋も元はそんな使用人部屋のひとつだった。
大激震前に職を辞した者たちが退去したことで空き部屋となったこの部屋は『洗濯部屋』と名を改められ、客人によって設計・開発された魔道具が運び込まれた結果、元の使用人部屋から大きく様変わりしていた。
部屋の真ん中は大きな衝立で仕切られており、窓は完全に塞がれている。
衝立で隔てられたそれぞれの領域には、大人が足を延ばして寝そべることのできる大きさの石の枠があり、枠の内側は濃紫のブヨッとした物体で満たされていた。
ルゥナーとフランキスはわずかに肌着だけを身に着けた状態で、そのブヨッとした紫の上に――半ば埋没するように横になっていた。顔まで埋まると窒息してしまうので、頭を乗せておく布張りの場所が枠のはしっこに設けられており、頭以外の四肢を浸けた状態だ。
部屋の四隅に架けられた『スランプ(ガラスのようなスライムの内側に魔石灯が仕込んであり、ぼんやりと広範囲に光が拡散する)』による優しい橙色の明かりと、癒やし効果のあるハーブ香によって否応なく促進された眠気。今の自分がどうしようもなく無防備な格好なのをわかっていながら、欠伸を噛み殺すのを失敗したフランキスの口から「はふぅ……」と悩ましげな吐息が漏れた。
洗濯魔道具。
満を持してお披露目されたそれはシャロンによって『保衣眠』と名付けられていたが、主な利用者たるメイドたちからは畏敬をこめてこう呼ばれている。
『ひとをだめにするベッド』、と。
この魔道具の登場によって、当然ながらリーズナル家の洗濯事情は一変していた。
洗濯当番は屋敷中から集めた服や引っ剥がしたシーツを、枠内のブヨッとした紫の部分にぺいっと放り投げる。あとはほとんど待っているだけでいい。
砂や埃、垢などの汚れが付着していると、服やシーツはずぶずぶと沈んでいき、少ししてそれらが"剥がし"終わると浮かんでくる。汚れのひどいものは"剥がれ"るまで多少時間がかかるものの、特に何か触る必要もない。浮かんで来たら拾い集めて外に干す。それだけだ。
剥がされた汚れは備え付けの木桶に溜められていくので、何日かに一度、外に捨てに行く必要がある他には、手入れも特に必要ないという。
洗濯魔道具は水を使っているわけでもないので、洗い終えた洗濯物は濡れてすらいない。なので、天気の悪い日はそのまま着回すことさえできる。
ただ、熊殺しの三女神のどなたか(おそらくリリィ様)曰く、日干しにすると防虫効果が期待できるということだった。そのため、晴れている日にはこれまで通り裏庭の物干しで風にはためくシーツが見られる。
メイド隊の人員が減るまでは5名、減ってからも4名体制で取り組んでいた一番キツい洗濯当番は、今や1名でも楽々まわせる一番楽な仕事へと変貌を遂げたのだ。
傷を癒す権能を持つルゥナーは、あかぎれやしもやけ、凍傷に罹ったメイドを治療するために洗濯当番に割り当てられることがとくに多く、『ひとだめベッド』の登場に泣いて喜んでいた。いやほんとにガチ泣きしていた。その分お給金が高かろうとも、つらいものはつらい。
フランキスにしても、暑い日でも寒い日でも重い洗濯物を担いで町を横断した日々は何だったのかと思わないでもないけれど、あの苦痛を耐え忍んできたからこそ今があるのだし、真面目にやってきて良かったとも思う。
なにしろ、この魔道具が綺麗にできるのは洗濯物だけに留まらないのだから。
「ふぁあ〜……」
もはや噛み殺すことも諦めた大あくび。
一日の仕事をやり遂げた疲労感さえ、もはや心地よさを際立たせるためのスパイスのようなものだ。
衝立の向こうからはなんの物音もしなくなって久しい。たぶんルゥナーのことだから、とっくに寝ている。まだ夕飯も食べていないのにこのままフランキスまで寝入ってしまっては、ふたりまとめて朝までぐっすりコースになりかねない。
少しでも気を抜くとくっついてしまいそうになる瞼を、フランキスはなんとか持ち上げようと無駄な抵抗を試みる。
『ひとだめベッド』は強力無比だ。
ほどよく柔く、ほどよくかたい濃紫は、全身を沈み込ませると絶妙な安定感で体を支える。なめらかでありながらさらりとした、いつまでも触っていたくなる触感。ぬるいくらいの心地よい温度で、凝った腰や肩、むくんだ脚をむにむにと揉みほぐしてくれる。これがまた、たまらなく気持ち良い。
しかも、ただ気持ち良いだけじゃない。『ひとだめベッド』陥落後はつやっつやでぷるっぷるの張りのある肌が約束されているのだ。
老廃物を取り除き、肌を保湿。固まっていた筋肉がほぐれ、血行を良くしてむくみを解消。沈着した色素は薄まり、肌荒れさえも改善する。
ちなみに洗濯部屋は男子禁制である。領主様すら例外ではなく、慢性的な肩凝りが解消されてツヤツヤしているメイド長を羨んでいるとかなんとか。
メイド隊に所属しているのはほとんどが年頃の娘たちだ。己の美しさを保ち、磨いてくれる『ひとだめベッド』の価値は、どんな金銀財宝にも勝るとも劣らない。
『美』の持つ意味は、大きい。この時代においては、とくに。
メイドの身嗜みが行き届いていなければ、そのメイドが仕える家の格が軽んじられる要因にもなる。逆もまた然りだ。
美しさは、すなわち美を保つに足る、相応の資金力や人脈、教養が備わっている証と見なされる。それらの事情はもちろん縁談にも有利に働く。
――あとはまあ、ふつうに鏡から見返してくる自分の姿が美しければテンションが上がる。仕事にもハリが出るってもんだ。
町に出れば、すれ違う男たちに振り向かれることが増えた気がする。自信がつけば、余裕ができる。足取りだって軽くなる。心に余裕が生まれれば、自然と笑顔も魅力的になる。
そうだ。坊ちゃんが――カイマン様が外出できるようになったら、一緒に町に出ないか誘ってみよう。そのときには、めいっぱいおめかししてびっくりさせてやるのだ。
昔みたいに腕組んじゃったりなんかして……はさすがに無理かな? でも、隣に並んでもそう見劣りはしないはずだよね。なんてったって、今のわたしはそこそこかわいいもの。肌だって白くてつるつるのぷにぷにだもの。さすがに女神様方と比べたらアレだけれど、うん。十分いけてるはず。
ふふ、いつ以来かなぁ……。
「ふへへ……えへへへへ……」
いつのまにかそんな幸せな夢に浸っていたフランキスは、ルゥナーともども朝までぐっすりコースと相成ったのだった。
これはげに恐ろしき至宝、『保衣眠』のあげた戦果のうち、ほんの一部である。