究極の洗濯を そのに
シャロンの指ぺかーで見せてもらった過去の研究資料の大部分は『いかに魔力を制御するか』に割かれていた。
……どうも当時は、ごく弱い魔力ですら扱える人間がほとんどいなかったらしいんだよ。魔力を扱える人間がいないからこそ、魔力を扱うための物体、スライムを生成する研究が始まったみたいだ。そのあたりの苦労話や頓挫したアプローチが山ほど出てくるんだけど、そのへんの話は僕にとっては関係なければ興味もない。
てなわけで、当時の人が心血を注いだであろう貴重な研究内容をほとんどすっ飛ばし、スライム作りの基礎理論だけ、引き続きシャロンに手伝ってもらいながら一日かけてじっくり読み込んだ。
どうもスライムは生物というよりも、与えた命令で動くゴーレムのような存在らしい。魔力を持つ動物とも違うので魔物という分類は適切ではないようだ。
例のあの島にいたレッドスライムも、生物を食らってどうしたいという意思のようなものは存在しなかったように思う。ただそう定められたが故にそう在ったのだろう。その結果、あわや世界を滅ぼしかけていては世話ないが。
スライムの生成に必要なものは驚くほど少ない。存在の核となるものと、スライムの体部分となる液体、それらをひとつに繋ぎ止める術式だ。
素材は魔力が浸透しやすいもののほうが良いけれど、生成条件自体はかなり緩い。ふとした偶然が重なれば、人為的な生成術式なしでも自然発生してもおかしくないほどに。とはいえ、ただの雨水程度では、存在を保つのさえままならないほど弱いスライムしかできなさそうだけど。
生成条件が緩いということは、たくさんの素材の組み合わせが試せるということだ。
ひとまずは、弱いスライムも強いスライムも変わり種も、いろいろ作ってみることにした。やってみて初めてわかることも多いのだ。
その結果、
「わ〜、こらまたぎょーさんこしらえたにゃあ」
薪拾いに出ていたアーニャは、帰ってくるや否や、地下壕いっぱいに蠢く色とりどりの物体を見て感嘆の溜息を漏らした。
小石程度の大きさのものから、人よりも大きいものまで。大小さまざまで彩豊かな粘体が、床という床を埋め尽くす様はまさに圧巻だろう!
「カーくん、得意げなとこアレやけど、どっちかていうと呆れとるからねウチ」
「アッ、ハイ」
いや、違うんだよ。聞いてくれ。僕だってこんなに粘体天国にするつもりはなかったんだ。本当だ。
最初は僕らが借りている部屋、つまり領主様の部屋でスライム作りをしていたのだけれど、昼食の支度ができたと呼びに来たメイドさんに、すごく物言いたげな悲しい顔をされてしまった。
たしかに謎の粘体がうぞうぞと蠢いている横でベッドシーツの交換もしにくかろうな、と納得して、昼からは場所を移して庭園で作業を再開した。
――のだけれど、庭園は庭園で来客の目に触れるから、と大層困り顔のリーズナル卿から移動を願い出られてしまった。屋根裏はルナールに嫌がられそうだったので行ってない。
「それで地下壕で作業してたんだけど、ここはほら、外の様子もわからないし、時間を忘れて作業に没頭しちゃってさ」
「――などと、さも『地下だから仕方なく』感を出しているオスカーさんですが、部屋での作業でも集中したら時間を忘れてしまうのは日頃の実績が証明しています」
「そう言うんやったら止めたりぃなシャロちゃん……」
アーニャは、地下壕の出入り口の階段に腰掛けた僕の背中に寄ってきて、のす、と体重を預けてくる。……僕の頭は胸置きじゃないぞ。
頭皮に直に押し付けられる物量の素晴らしい感触を努めて無視しながら、僕は手元の透明な物体の加工を再開する。
「それも『すらいむ』なん? なんか硬そうやね」
柔らかいものを思いっきり押し付けながら、僕の背中でアーニャは首を傾げる。
対抗してシャロンが僕の左隣を占拠して肩に頭を乗せてくる。むぅ、作業しにくい。
「素材にもよるけど、基本的には魔力を込めれば込めるだけスライムは固くて弾力が出るのがわかったんだ。だからこうして……よっと」
「ええ感じの形になるようにこねこねしてるねんな」
「そういうこと」
「なるほどにゃー。ラッくんも好きそうやね」
たしかにな。ラシュは手先が器用で、立体造形も上手い。今度声をかけてみよう。
スライムの形を整えるのは容易い。なにせ元が液状だしな。魔力を通して少し固めた状態でぐにぐに引き伸ばし、好きな形にしてから、がっちり魔力を注ぎ込んでやれば、そのままの形で固定できる。
魔力を奪うとか、スライム自身に吐き出させるよう術式を追加するとかしなければ、一度こうして固めたスライムは固まったままだ。厳密にはごく微量ずつ魔力は漏出していくけど、僕の込めた魔力量なら十年単位で問題ないだろう。
隠穿魚の骨粉を核に、雪泣草の夜露で肉付けしたスライムはほぼ透明で、魔力浸透性も強度もなかなかのものだ。薄く引き伸ばしても弾力を損なわないのもいいし、なにより、軽い。
シャロンが〝蒼月の翼〟をぶち込んだ検証では、さすがに原形を留めずに吹き飛んでしまったけれど、小さな穴が空いた程度であれば放っておいても短時間で修復される。
「名付けて『ガラスラ』だ」
「がらすら。うわなんやこれ、固いのにむにむにしよる。けったいなもんやなぁ」
新しくできた一枚のガラスラをアーニャに手渡すと、おっかなびっくり指を押し当ててみたり、みょいんみょいんと振ってみたりしている。あまり例えるもののない、不思議な感触だよな。
ガラスラはほぼ透明ではあるものの、完全に見えないほどではなく、透けた向こう側の景色がわずかに歪む。とはいえそこいらの硝子とは比べ物にならないくらい透き通っているので、こいつを窓枠に嵌め込めば昼間の屋敷はかなり明るくなるだろう。割れた窓を打ちつけた板で塞いだ部屋や廊下は、やっぱり魔石灯だけじゃ薄暗いしな。
たまたま透明なスライムが生成されたからやってみたにしては、なかなか良い出来だと思う。
「自信作はガラスラだけじゃないぞ。たとえばほら、こいつは『クロイム』って言うんだけど」
「……なんか、うん。そやね、見たまんまって感じやね」
黒いからな。……僕に名付けの才覚を期待しないでほしい。
素材の組み合わせによってはガラスラのように透明なスライムも作れるけど、別の組み合わせだとクロイムのようにもなる。
カイマンから買い取った大量の災厄の魔物素材。その中の捩れ角の心臓から抜き取った血液と、紅蓮蝶の鱗粉から生成されたクロイムは、光沢すらない漆黒だ。
闇がそのまま固形になったかのような、自然界に存在しないほどの『黒』に、僕の背中にしがみつくアーニャから若干の緊張が伝わってくる。アーニャもガムレル攻防戦に参加してたって話を聞いてるし、もしかしたら素材になってる災厄の魔物に何か感じるところがあるのかもしれないけど。
「素材が素材だからな、こいつは結構な力を蓄えられる。あ、でも危ないものじゃないぞ。クロイムは湯沸かしに使うんだ」
「え、お湯? お湯って、あったかい水のお湯?」
「そう、そのお湯。クロイムは袋状になってるだろ? そこに水を入れておくと、クロイムで太陽の光を集めてやれば中の水がお湯になるって寸法だ」
まあ、晴れた日に限るんだけどな。
これで風呂の湯沸かしに使う薪が大幅に節約できる。
薪が節約できるってことは、薪を買ってくるお金や拾ってくる時間、薪割りの手間、火の番をする人が減らせるってことだ。
「クロイムは屋根の上に広げておこうと思うんだ。そのほうが太陽の光をいっぱい集められるしな。ただそうなると屋根の上まで水を運ぶのが大変だろ? ふふん、もちろんそのあたりもぬかりないぞ。ほら見てくれ、これがその解決策の『スラポン』だ。シャロンに調べてもらったらかなり深くに地下水脈があるみたいでさ、そこまでスラポンを挿して屋根まで水を吸い上げさせるんだ。で、どうせ水を上まで運ぶなら水道ってのを作ったらいいんじゃないかってシャロンに教えてもらってさ。いっそ町の見張り塔ごとに水を引き上げておけば町中に水路を張り巡らせたりもできるんじゃないかと思って、それなら飲水としてそのまま使えたら絶対便利だから、水を飲めるところまで綺麗にする魔道具を作ろうと思うんだよ。"剥離"と"抽出"術式を刻んだ筒に、水だけ通す性質のスライムでも詰めておけば安価で作れそうな気がするんだけど、そうすると残ったゴミをどうするかが課題なんだよな。どう思う?」
「難しいことはなんやわからへんけど、カーくんが今日も楽しそうでええなって思うよ、ウチは」
「でしょう? こんなに楽しそうだとついつい見守ってしまうでしょう?」
「わかるわー」
すごく暖かい目で見守られ、シャロンとアーニャから交互に頭を撫でられる。解せぬ。たしかに楽しいけどさ!
でも今回の目的は僕の楽しみのためじゃないんだよ。元々は人手不足が深刻なメイド隊の助けになるように……って何か忘れているような気がする。なんだっけ?
「それで、なんやっけ。メイドさんの洗濯を楽にするんやって言うてたっけ」
「あ」
――あ。うん。そうだね。そうだよ。副産物のほうに夢中になってる場合じゃなかったよ!
でもまだスライム作り一日目だし、大丈夫だ問題ない! 僕らの戦いはまだまだ始まったばかりだ!
「オスカーさんの次回作にご期待ください」
誰に向けてかわからないシャロンの宣言通り、僕はようやくのぼりはじめたばかりだからな。
この果てしなく応用が利きそうなスライム道をよ……!
未完 (つづきます)