究極の洗濯を そのいち
洗濯は家事の中で最も重労働なもののうちのひとつだ。
その認識はあったし、前日までのメイドさんたちの口ぶりから、あらためてその大変さを推測してもいた。
実際にやってみてわかった。認識が甘かった。そう認めざるを得ない。
べつにナメてたわけじゃないけどさ、やってみて身に染みたというか。
いや、たしかに大変だったけど、乗り切ったは乗り切ったよ。一応な。
でも、今日のようにたった一日手伝っただけなんてのは、言ってしまえばただの気まぐれでしかない。
そりゃ、僕だってたった一日の洗濯当番を手伝ったくらいで根をあげるほどヤワな鍛え方はしていない。大激震の後、しばらく眠りっぱなしだったせいで多少鈍っちゃいるけどさ。
でも僕のやったのはあくまでも気まぐれのお手伝いでしかなく、終わりが決まっているものだ。
たかだか一回の手伝いをしただけで『洗濯当番なにするものぞ!』と見くびるのは勘違いも甚だしいだろう。
メイド隊の人たちは、メイドとして従事しつづける限り、この仕事に終わりがない。朝早くから昼過ぎまでかかった仕事をこの先もずっとやり続けないといけない。終わりが定められていないというのは、体力だけでなく精神的にも厳しいものだ。
それに、僕とシャロンが手伝ってあんな感じだったのだから、普段の人数だったらもっと大変な作業になるのだろう。死んだ魚の目になっちゃうのも頷ける。
「だからこそ、楽にできる部分は楽にしたいよな」
大量の洗濯物を抱えて南地区まで行くというのがすでに重労働なんだよ。まあ、だからといってルールを無視するわけには当然いかないのだろう。貴族の特権を笠にきた、たとえばロンデウッド元男爵のような愚か者ならいざ知らず。
運んで、洗って、絞って、その間に手出しされないように見張りを立てて、濡れた布を持ち帰って、干して……やることが多い。せめてどこか削れないだろうか。
「そうだ。シャロンが生まれた頃の洗濯事情ってどうなってたんだ?」
「現代知識チートですね! かしこまりです! ――と言いたいのは山々なんですが」
話を振ってみると、シャロンはちょっと困ったように形の良い眉根を寄せ、考えこむように唇に人差し指を当てる。
「残念ながら、洗濯という概念が一般的ではなかったようです」
どんなポーズをしてても可愛いな僕の嫁、なんて見入っている場合ではなかった。
魔導機兵ほどの存在を作り出せる文明ならば、優れた洗濯技術を持っているだろうと期待しなかったといえば嘘になる。
シャロンによると、どうも『洗濯を趣味にする人』が好きこのんで手洗いをする以外、そもそも洗濯自体がされないらしい。洗濯は衰退しました。そんなことがあるのか……。
「当時の服飾は万能素子によるものがそのほとんどを占めていました。人々は一日の始まりに、所持している意匠からその日の服装を選択、纏った万能素子がその形に分解・再構築される過程で、汚れの一切が消滅する仕組みです」
「ほぁー」
なんかすごい文明の、なんかすごい技術ということはおぼろげにわかるけど、今とは技術力が違いすぎて全く参考にならないやつだった。
僕がシャロンと初めて出会った時に着ていた不思議な服も、その万能素子とかいうのの廉価版だということが話を聞いていく上で判明した。
同じ形状にしかならないけど、分解・再構築できるものだったとか。そんなすごい服を千切って台拭きに使ったのか……。今になってわかる新事実だった。びっくりだよ。
ただ、残念ながら廉価版万能素子は長い年月を経て変質してしまっていたらしく、びりびりに破いた後に再構築はできなかったという。
研究所のあったあたりは厄神龍が大暴れしたために、地形から何からごっそり変わってしまっている。再入手は叶わないだろう。
「でも、そうか。あの服は再構築されるはずだったんだな。着てた服を躊躇わずに破いて台拭きにするなんて、シャロンはやばい娘なのかと思ったもんだよ、当時は」
「いえ、破く前から再構築できないのはわかっていましたよ。魔導機兵の走査力は世界一ィイイイイですから」
「え? じゃあなんで?」
「オスカーさんの寝床に裸で潜り込む口実が欲しかっただけです」
「やばい娘だった」
「えへへ、照れます」
「褒めてないんだよなぁ」
うんまあ、知ってた。シャロンがそういう娘なのは知ってたけども。そこはまあほら、惚れた弱みだよ。
服びりびり台拭き事件の後、〝時間凍結〟の箱から手に入れた白衣は素子ではなく布で作られていたとか。
その布も麻とか綿や毛織物じゃなくて、今では再現できない技術らしいけども。なんか地面から湧き出る油を編むらしい。わけがわからん。
もし仮に”全知”を使って万能素子を再現できたとして。それを与えて洗濯が楽になるよ、というわけにはいかないよな。相手が望んでいないものを無理に与えても、それは押し付けにしかならない。
僕らがこれからずっとこの屋敷に留まっている保証はない。またどこかに工房を構えてもいいし、旅に出るかもしれない。不慮の事故にあったり病気で寝込んだりすることもあるだろう。その時に僕がいることを前提とした仕組みは破綻してしまう。
だから、特殊な服を与えるよりは、洗濯の方式をどうにかする方向性が望ましいのだ。
それなら僕がいなくなって、なんらかの事情で新方式が使えない状態に陥っても、今のやり方に戻すという方法が取れるからな。
ただ、万能素子の分解して汚れを消すという考え方は魅力的だ。どうにか使えないだろうか。
「万能素子。布の分解、再構築。う〜ん。分解、分解か」
なんか引っかかるんだよな。こう、頭のはじっこの方に、ひらめきの予感のようなものがあって。それを追いかけようとしても、するりと指の間をすりぬけていくようで、もどかしい。
考え込み、うんうん唸っている僕を、シャロンは飽きもせずにこにこ見守っている。いつも変わらぬ優しい大空の蒼。
「楽しい?」
「はい、とっても!」
少し前までは考えられなかったくらい、和やかな時間だ。
思えば。シャロンとふたり、いろんな空の色を見上げてきた。
晴れた空も、雨の空も、星のまたたく空も。今にも泣き出しそうな曇天も。この世の終焉の朱も。それを越えたあとの、ぽっかり空いた抜けるような蒼穹も。
分解。朱。あおぞら。
「――あ」
そして、思い出す。
シャロンとふたり、手を繋いで乗り越えた、かつての宿敵を。
厚く覆った雲を吹き飛ばして空を見上げたのは、『大激震』が初めてじゃない。
「なにか思いついた顔ですね」
「ああ。手伝ってくれ」
「はい、もちろんです!」
悩むそぶりもなくシャロンは二つ返事で応じる。
もともと断られるとは思ってないけどさ。それにずいぶん甘えてしまっている自覚はあるんだよ。
もうちょっと、まわりの皆に頼らずにしっかりしてるところを見せたいんだけどな、と願うのは男心というやつだ。とはいえ、その場その場の興味にいつも負けるんだけどな、男心。
シャロンにお願いしたのは研究資料の開示だ。
ほらあの、嵐やら海賊との遭遇やらが重なって船が難破して、流れ着いた島。レッドスライムがいた研究所の。
そういえば、あの島でジレット = ランディルトンと初遭遇したんだった。あの時は、のちに世界の存亡を賭けて争うことになるなんて思ってもみなかったけれど。
閑話休題。
レッドスライムを退けたあと、僕とシャロンが研究所の跡地で見つけたものの中には、大昔の情報チップとやらが含まれていた。なんかちっさい黒い板状のやつだ。
あの時は出先だったのもあるし、シャロンの中にあった宝珠の色に気を取られたり、あとはシャロンが”災厄”由来の体調不良で苦しんでいたのもあって中身の精査はしていなかったんだけど、それらも今となっては過去のこと。
あんなところにあって、レッドスライムの研究と無関係な産物ということもなかろう――という僕の推測は、果たして当たりだった。
「魔力による無機生命の創造と『世界の災厄』の再現について。これですね」
「ずいぶん大其れたことを考えるもんだな、昔の人は」
災厄の泥とレッドスライムの性質には、たしかに似通ったものがあった。とはいえ存在としての格が違いすぎるけどな。
レッドスライムは、植物でも動物でも有機物はなんでも溶かしてしまい、地面や金属だけが残される性質を持っていた。さらに水があると増えたり、魔力を探知して触手を伸ばしてくる性質もあったけど、今回の僕の考えは溶かす力に用がある。
そのままではもちろん危なすぎて使えたもんじゃないが、性質を調整してやれば、洗濯物の汚れだけを分解できるんじゃないか、と。そう考えたのだ。
ひさびさのシャロンの指先プロジェクターで内容を投影してもらい、関係しそうなデータに目星をつける。こまめに休憩を挟みつつだ。
当時の研究データなんて、そのままではほとんどわからない。シャロンの解説と推測を交えながらでも理解が難しいので、”全知”に頼ることになる。けれど右眼と一体化した”全知”の力を使うと、眼の奥が沸騰するような熱を持つため、長い間権能を保ち続けていられない。
より正確には、僕がちょっとでも長く”全知”を発動していようとすると、シャロンが指ペカーをやめてしまうので、休憩せざるを得ないのだった。
いつからだろう。僕自身のためにならないとシャロンが判断したら、それがたとえ僕の頼みであっても彼女は断ってくるようになった。
魔導機兵の在り方としては異端なのかもしれないけど、良い変化なのだと思う。
ヒトらしくなっていくシャロンと、ヒトを逸脱しはじめているっぽい僕と。自分で言うのもなんだけど、まあ結構お似合いだと自惚れたって罰は当たらないのではなかろうか。
ってなわけでちょっと休んだしそろそろ再開しない? え、まだ眼と神経の温度が高い? や、そろそろ大丈夫だよ。え、あんまり聞き分けがないとアーシャを呼んでくる? ごめんやめて怒られる。