僕とメイド隊とカイゼン計画 そのに
洗濯当番の朝は早い。
窓を開ける町人に追い立てられた小鳥が甲高く囀りながら上空を飛び去るなか、洗濯物を満載した籠を背負い、さらには木桶を抱え、4人のメイドさんと僕、そしてシャロンは、道ゆく人もまだほとんどいない中央通りを下っていく。
「早く行かないといい場所が埋まっちゃうんですよ〜。るるぅ〜」
ガムレルでは、町の中で洗濯をしていい場所が定められている、らしい。エリアが限られていれば、当然良い場所は取り合いになるのが定めだ。
恥ずかしながら家事の一切はアーシャに任せきりになっていたために、僕はそのあたりの事情について詳しくない。
当のアーシャも工房では屋上に設けた風呂の設備を使って洗濯をしていたはずなので、そういった町のルールを知っているかどうかは微妙なところだ。人付き合いに並々ならぬ労力を割いているアーシャのことだから、知っていそうな気もするが。
洗濯できるエリアは南地区にあるので、北地区の中央寄りにある領主様のお屋敷からは、そう近いとも言いがたい。
買い出しの時と同じく、この程度の日常業務では馬車を出してもらえないといい、多量の洗濯物を皆で分散してえっちらおっちら背負って運ぶ。
「『行き』はまだいいんですよ〜。これが『帰り』となると洗濯物は濡れて、登り坂で、もっと寒い時期になったら凍えちゃって力も入らなくなるんです〜……るぅ〜……」
「ああ、それはキツそうだ……」
水を吸った布は重く、冷たい。運搬だけでも一苦労だ。しかも急いで帰って干さないと、とくに冬場はなかなか乾いてくれないだろう。
どうして洗濯できる場所が定められているのかというと、水質保全のためだという。
ガムレルは、すぐそばの運河から町の中に水路を引っ張ってきており、町の中央平場には大きな噴水もある。
人々は町から出ることなく、もっぱらこの水路から水を得ている。パンを捏ねるのも、飲み水も、飯の煮炊きにも水路の水が用いられる。行商人や冒険者でもないのに町の内と外を行ったり来たりするのはかなりの少数派らしい。
となれば、おのずと水路の水質が町民全体の健康に関わってくる。汚い水を飲めば腹をくだしたり、病気になるからだ。そのため洗濯だけでなく、革の鞣しや鍛冶仕事などの水資源を汚す仕事は水路の下流、南地区に専用の区画が設けられているのだという。
ちなみに、かつての僕らの工房があったのは、西地区の表通りから一本奥まったところである。今にして思えばけっこう良い立地だ。
そんなところの物件をほいと寄越してくれたのは、ゴコ村やカイマンを助けた功績もさることながら、僕やシャロンがこの町から出ていかないように繋ぎ止める意味もあったんだろうな、たぶん。
その工房も、今となっては瓦礫の山なので町を出ていこうと思えば簡単だ。けど、まあ積極的に出ていく必要もないしな。いろいろと人の繋がりもできたことだし。
住んだ期間こそ短いけれど、僕にとってはガムレルはもう第二の故郷のようなものだ。シャロンやアーニャたちとの思い出が詰まった町。願わくば、シャロンたちにとってもそうであってほしい。
「いつでもどこでも、オスカーさんのいるところが私の在るべきところです」
僕の考えをまるで見透かしたように、隣を歩くシャロンが僕を見上げる。
「そしてオスカーさんが望まれるなら、いちゃいちゃからえっちぃことまで、いついかなるときでもばっちこいなシャロンちゃんです!」
「なんかひさしぶりだな、無理矢理な角度からぐいぐいくるその感じ」
背中に担いだ洗濯物の満載された籠もなんのその。僕の腕にぎゅむぅとしがみついたシャロンが頬ずりしてくる。肘に押し当てられた柔らかな質量が、1歩足を進めるたびにふにゅふにゅと形を変える。朝日に金の髪をきらきらと輝かせながら、蒼い双眸がいたずらっぽく笑む。
「当ててんのですよ」
「だと思ったよ。ほら、メイドさんたちが見てるから。すっごい見てるから!」
「る、るぅ〜? ミテナイデスゾ〜?」
「や、指の隙間からばっちり目が合ってるんだけど……」
そんなやり取りをしている間に、靴底を叩く音が土から煉瓦床のそれへと変化する。どうやら洗濯広場に着いたらしい。
赤茶色をした煉瓦の床は隙間なくぴっちりと組まれているわけではなく、わざと少しずつの隙間をあけて埋め込まれている。なるほど、あらかじめ水の通り道を作っておくことで煉瓦を早く乾かす仕組みなんだろうな。
広場にはすでにちらほらと洗濯をはじめているご婦人の姿が見受けられる。メイドさんたちが水路に近づくにつれ、気づいたご婦人たちは手を止めて軽く会釈してくる。興味深げに僕やシャロンを窺う視線がちらほらと感じられるが、とくにわざわざ話しかけてくるほどのことでもないようだった。
他には水路のへりで藁を敷き、座り込んでいる子どもも何人かいるな。彼らに洗濯をする様子はない、どころか洗濯物を持ってきているようにも見えないが。
「あれはなにをしているんだ?」
「あれ? ああ、場所を確保しておいて売るんですよ。貧しい子たちが稼ぐ手段はあまり多くないですから」
水路に面した、洗濯しやすい場所には限りがある。場所が空いていなければ、空くまで待たねばならないし、前の人の洗い方によっては床がびしょ濡れになってしまっていたりする。
それを防ぐためにもメイド隊洗濯当番組は朝早くからこうして洗い場までやってきているわけだ。
同様に、子どもたちもああして座り込むことで、その場所を欲する人から引き換えに金銭をせしめているのだろう。実にたくましい。
確かにあれなら特別な技術も必要あるまい。そう歓迎される手段でもないだろうけど、そうした誠実さでは飢えはしのげない。
もっとも、腕尽くで無理やりどかされることもあるし、洗濯をしにきた人にとってはただの邪魔なので、子どもを助けに入る人もあまりいないとのこと。そりゃまあそんなもんだよな。
まだ朝も早い時間なのもあり、僕らは座り込みから場所を買うこともなく空いている場所を確保できた。
木桶に水を張ると、洗濯籠から取り出したシーツを放り込む。磨き灰を入れ、素足になったメイドさんたちが目をぎゅっと瞑りながら踏み洗いを始めた。
「ひぃん……冷たい……」
ふたりがぐっしゅぐっしゅと踏み擦り、それが終わったら別のひとりが棒で汚れを叩き落とす。さらにふたり掛かりでシーツの両端を持ち、ぎゅぅう〜っと水分を絞り取る。シーツの大きさのせいか、絞れば絞るだけ水が出てくる。それが終わったらなるべく皺にならないように、背負い籠に再び収めていく。これでようやく1枚が終わり。残りはまだ山のようにある。
今日の洗濯当番のメイドさんは4人で、そのうちひとりは常に作業には加わらない。
交代で休憩するのかなと思ったら、どうもそれだけの意味でもないらしい。
「ひとりは休憩と見張りを兼ねているんです。当家のお仕着せが紛失、盗難されたら大変なことになりますからね。そういうことが起こらないよう、常に周囲に『見ているぞ』と示す必要があるんです。警戒している相手からわざわざ盗みを働こうとする者はほとんどいないから、とかなんとか」
「世の中には悪いことを考える人がいますからね〜。服を手に入れたら、家の名を騙って信用買いをしたり、諜報活動をしたり、家の名を貶める事件を起こしたり……あとは、そういう悪いことを企む人に売りつけるのを目的に、下っ端が狙っていたりするんですよ」
なまじ貴族としての力があるので、悪用を警戒しないわけにはいかないらしい。大変だな。
町にいる人間全てが善人などということはあり得ない。そう願うのは勝手だが、できる対策を疎かにするのは善良な人間ではなく、愚か者の所業である。
悪事の下っ端として切り捨てられるのは、たいていが貧しく教養のない者で、より大きな悪はそいつらが捕まっても痛くも痒くもないだろう。
だから隙を見せたら魔がさしてしまう人間に、悪事のきっかけを与えないというのが領主様の方針とのことだ。
人の善性を信じるだけでは領地経営なんてできないよな、そりゃ。
「数年前になりますが、実際にタハラン子爵領でそういう事件が発覚したと聞き及んでおります。当家にも子爵家の使いを名乗る不審人物が訪ねてきたことがあります」
「えっ、うそアレもうそんな前? ついこの間な気がしてた……」
「正確には4年前だね。ほら、苔牛のあれがあった翌年だったでしょう?」
「このごろ1年経つのが早くて嫌になる〜。るぅ〜るぅ〜るるぅう〜……」
同行を申し出たときには客人の道楽みたいな扱いだったものの、メイドさんたちとは作業の合間に、こうして雑談を交わすくらいには打ち解けられた。
ぱしゃぱしゃと水しぶきをあげて踏み洗いに参戦するシャロンのおかげかもしれないし、僕の出した汚れ落とし棒のおかげかもしれない。
朝イチは死んだ魚の目をしていたメイドさんたちも、驚くほど汚れの落ちる棒の出現に目を輝かせていた。
メイドさんたちがあまりに楽しげなので、近くで洗濯をしているご婦人方が何事かと覗きに来ることも何度かあったほどだ。
シャロンによってクリ棒と名付けられたこの棒は、従来の洗濯棒のように何度も布を打ちつける必要がなく、汚れに沿ってなぞってやればそれだけで汚れが落ちるというシロモノだ。ちなみにクリは清浄を示す神聖語から取ったとのこと。
クリボーの魔力消費はごく軽微なので、術式を刻むのに使った魔石墨汁の魔力だけで、かなり長い間使えるはずだ。
こういう細かいことにかけて”剥離”魔術は本当に便利に使えるのに、そのわりには不人気なんだよな。髪を乾かすにも、汚れ取りにも、野菜の皮むきにも、野盗の爪を剥がすのにも大変便利だ。
クリボーはもともと、工房の洗濯を楽にするためだけに作ったものだけれど、メイドさんたちの好評を見るに、今後は売り物にしてもいいかもしれない。それなりに丈夫な材木と屑魔石があれば簡単に作れるし。
「にしてもすごい量だな。まだ半分以上あるのか……洗濯物が……洗濯物が多い!」
「これでもまだマシなほうなんですよ〜、雨で溜まったりしてないですし〜。るるぅ〜……」
残りの洗濯物の山を見てげんなりする僕に、メイドさんたちは苦笑いを浮かべた。
まず、屋敷の大きなベッド用のシーツ。テーブルクロス。天蓋――ベッドの上についてるアレだよアレ。すごい嵩高い――あと、メイド隊や執事の人のお仕着せ、エプロン。タオルや手拭い布のたぐい。
居候している僕らを含めると、リーズナル邸で暮らしているのは30名を超える。それら全員分の、数日分の洗濯物ともなれば大量にもなろうというものだ。
わかるけど! わかるけど、多い!!
運ぶのがまず大変、洗うのももちろん重労働、冷たい水で肌は荒れ、指先はかじかむ。
洗っている間は盗難にも気を払わねばならず、水を吸った重い布を持ち帰って干すところまででようやく一連の流れだし、途中雨にでも降られようものなら最初からやり直しだ。そりゃあ洗濯当番は嫌がられるよな。
リーズナル邸の裏庭にあたるスペースに設けられた物干し台に、その日の洗濯物をすべて干し終えた頃には、すでに太陽は天頂近くに達していた。