ガムレル祝勝会 ふぁいなる
スランプ気味で大遅刻しました、もうしわけないです…!
「それで、あらたまって一体なんの話だい?」
リーズナル邸の2階。僕らが貸し与えられている部屋――領主様の部屋だが――から2つ隣にカイマンの部屋がある。
「べつにそんな身構えるようなことじゃないよ。内密の話があるとでも言わなきゃ、あのメイドさんが祝勝会に出るのを遠慮しちゃうだろ」
「なるほど。そのお陰で私は君の手で直々に粥を食べさせてもらったわけだ」
……なんかカイマンの指摘が微妙にトゲトゲしい気がする。
生ける伝説、黒剣の騎士。
ガムレルの町を救った英雄。
絶死の戦場において先陣を切って戦った、貴族のあるべき姿の体現者。
そんでもって無駄に顔のいい男。
此度の祝勝会の真の主役、カイマン = リーズナル。
カイマンは数日前まで生死の境を彷徨っていただけあって、今もまだ立ち上がることすらままならない。当然、庭園まで降りていくこともできないので宴には不参加だ。
僕が”念動”魔術で運べば顔見せくらいはできるけど、それはカイマン自身が断った。
肉はおろか、ふかふかのパンさえ食べられる体じゃないので、せっかくの楽しい空気に水をさしてしまうというのが本人の談だ。
まあ確かに、最大の功労者が全身包帯ぐるぐる巻きの満身創痍でふよふよ浮かされているのを前にして、気にせず楽しく飲み食いできるかというと、それはちょっと難しい気もするな。
だから僕は庭園では顔見せと乾杯だけ付き合ってから早々に引き上げ、カイマンに特製麦粥を持ってきたわけだ。
「なんだよ、美味かっただろ。アーシャの力作だぞ、しかもらっぴーの卵入り。それともやっぱりメイドさんについててもらわないと寂しいか?」
「いや、フランキスを連れ出してくれたことには感謝しているよ、本当だ。なにせ私がこんな状態なせいで、彼女はどうにも自分を責めてしまっているフシがあるからね。いい気分転換になるだろう」
カイマンは苦笑して、ぎこちなく左手を持ち上げてみせた。
松明みたいに包帯でぐるぐる巻かれたその下の腕は、ほぼ炭と化していたそれではなく、リリィの持っていた知識で再現・培養した魔道具の腕だ。自由に動かせるようになるには慣れが必要だろうけど、少しずつなら動かせる。しばらくの間、見た目が痛々しいのはどうしようもないけどな。
「それはいい、それはいいんだよ。ただね――」
カイマンの視線が横に逸らされる。僕の隣に佇むシャロンへと。
ははぁん。シャロンに優しく看病されたかったってわけか。
残念だったな! むしろシャロンにさせないために僕が率先してやったんだからな!
「きみが食べさせてくれるあいだ中、シャロンさんから放たれていた重圧が凄かったぞ……」
「え、そっち?」
「気づいてなかったのか……。瞬きすらせず、じいっと、ただじいっと見てくるんだ……途中から味が全然わからなかった」
美人の真顔ってけっこう圧迫感があるよなぁ、と思いながら振り向いたらシャロンは普通ににっこりと微笑みかけてくれた。ああ、らっぴーの卵入り麦粥に興味があったのかな。気づかなくてすまないことをした。
「わるい、カイマンの分しか作ってもらってないんだ。また今度シャロンの分も作ってもらおうな」
「はい。オスカーさんが食べさせてくださいね! 約束ですよ!」
カイマンには魔力付与も何もせずに食べさせただけだから、自分で食べるのと何ら変わりはないのだけれど、まあ、いいか。それでシャロンが満足するのなら。
「あ、そうだ。約束で思い出した。僕も『約束』を果たしに来たんだよ」
「約束?」
はて、何かあったかなとばかりにカイマンは小さく首を傾げた。その手に、僕は”倉庫改”から取り出した、小さな杯を握らせる。落としてしまわないように軽く”念動”で補助しておこう。
「無事に戦いが終わったら『打ち上げ代は僕が持つ』って約束だったろ」
「ああ、そういえばそうだったね。いやはや、よく生きて戻ったものだよ、お互いに」
その『約束』は、僕とシャロンが厄神龍とやり合う直前の話だ。漆黒剣を送りつけたときだな。
その時すでにガムレルはガムレルでえらく大変なことになっていたというのは後から知ったけど、お互い無事――とは言い難いかもしれないが、生きて再会できて何よりだ。
あのとき送った漆黒剣は黒剣を改良したものだったけど、『泥の巨人』による極大魔術から町を守って消滅したと聞いている。けっこう自信作だったんだけどな。次は砲撃を跳ね返して逆に相手を消滅させるくらいのものにしたいよな。メェルゼック鉱石の純度を高めて鏡面装甲を作ったら魔術反射は実現できそうな気がするんだけど、そうなると物理的に脆いってのが難点になる。剣や鎧には致命的に向かないんだよ、あれ。かといって、お馴染みテンタラギウス鋼との合金にすると強度的には問題がなくなるけど魔力を内部に蓄積してしまうから反射は実現できないし、蓄積できる許容量を超えると内部崩壊してしまう。いや、魔術反射をする機会なんてそう無いのだし、そう何度も反射できる必要もないのかもしれない。内部循環した魔力で機構が圧壊するのを予め折り込み、いやむしろ崩壊しやすい方向をわざと作っておくことでそちらに向けて魔力を投射できるかもしれない。ヒュエル粉を仕込む……のは辞めておこう。攻撃力はかなり上げられても取扱をしくじると大惨事だ。となれば剣の芯となる部分に耐えうる強度とそれなりの魔力浸透する素材が必要だな。白砂魚の牙とか良さそうだよな。適度に強く、適度に脆いし。グレス大荒野まで採りにいかないと。あー、荒野越えのときに倉庫改が作れてたらと思わずにいられない。積めないからそのまま捨てていった素材がいっぱいあったんだよ。あ、でもわざわざグレス大荒野に行く前にリリィが主導して集めた魔物素材の中にもっと適したやつがあるかもしれないな。問題はどうやってアーシャを懐柔するかだけど――
「お楽しみのところ悪いが、そろそろいいだろうか」
「え、なにが?」
やや呆れ顔のカイマンに素で問い返してしまった。
えっと。なんだっけ? あ、そうか。杯を渡したところだったか。
「わるいわるい。酒はまだ駄目だけど、これくらいなら。たしか甘いもの好きだったろ、おまえ」
同じものをシャロンにも渡し、僕の分も取り出す。
中身はスス苺を地獄姫蜂の帝蜜で柔らかく煮詰め、ジュレ状に纏めたものだ。
もちろん僕がそんな小洒落たものを美味しく作れるはずがない。これも麦粥に引き続きアーシャの手による逸品だ。
「乾杯」
「ああ、乾杯」
勝利に、とか。生き残ったことに、とか。
そういうのを全部引っくるめ、僕とシャロンとカイマンと、三つの杯がカツンと小さな音を立てる。
カイマンはぎこちない動きで腕を持ち上げて杯を小さく傾け、頬を綻ばせた。
「あぁ――……」
染み渡るような声が漏れる。
ここ数日は水かヒルポ茶しか口にできていなかったのだし、そりゃあ旨いだろう。
その満足そうな表情につられて思わず笑みをこぼしながら、僕とシャロンも杯をあおった。
「オスカーには話したことがあったかな。私にはね、幼馴染がいたんだ」
まだ中身の残る杯に視線を落とし、カイマンがつぶやく。
「甘いものは私ではなく、元々は彼女がね、好きだったんだよ」
「たしか、ゴコ村に住んでいたっていう――」
「そう、その彼女だ。珍しいね、オスカーが他人のことを覚えているなんて」
カイマンの口の端が下手な笑みの形に歪む。
あんまりな言われようだけど、僕だってたまには覚えていることがある。顔と名前を一致させるのが得意じゃないだけだ。
「今もそうそう手に入るものでもないが、幼い頃は滅多に甘味なんて手に入れられなくてね。花の蜜や木苺を集めたりしたものさ。そのたび彼女は喜んでね。その時の笑顔は今でも鮮明に思い出せる。その顔が見たいがために菓子作りをうちの料理人に教わったりもしたっけな」
いやあ、若かったなぁと笑うカイマンは、杯を通してどこか遠くを見ているようだった。若かりしあの頃の景色、だろうか。
そういえば何かしらの礼にとカイマン自ら作った甘味を持ってきたことがあったな。タルトとか言ったか。アーシャがかなり対抗意識を燃やしていたっけ。
それきりカイマンは口を閉ざしてしまった。
甘く切なく懐かしい思い出は、きっと悲しい痛みで終わっている。
大事な幼馴染は、カイマンにとっての『守れなかった人』で、今も痛む傷口なのだろう。
それがどれほどの痛みかは、カイマン自身にしかわからない。けど、僕にも少しだけ察せられる。
父さん、母さん、フリージアにジェシカ姉ちゃん。僕を守ってくれて、そして僕が守れなかった人たち。
僕は、魂だけ再現された彼らと『災厄』の中の歪な世界で言葉を交わすことができた。カイマンの想い人の魂もあそこに居たんだろうか。
僕の傷口は、たぶんあの時、傷痕になった。
父さんや母さんと話せたことで――ちゃんと別れを言えたことで、ちょっとは前を向けるようになった、気がする。
まだ痛むときはある。忘れられないし、忘れるつもりもない。
けれど。こうして少しずつ過去になっていくんだと、そう思う。
僕にはたまたまそういう機会があった。
カイマンがどうやって乗り越えるのか、もしくは乗り越えられないのかは、僕にはわからない。”全知”の欠片をもってしても、わかりようがない。
でも。町を守った英雄がこんなしょぼくれた顔をしてるのはあんまりだ、と。そう思うから。
ちょっとだけ、余計なお節介をしたくなった。
展開するのはお得意の”剥離”術式。
『やる』と決めた瞬間、またたきの間すら挟まず発動したそれは輝く紫の魔力をまとう。
そして次の瞬間には、ばきょっ、と軽快な音を立て、屋敷側面の壁がまるっと剥がれる。
「なんということでしょう。オスカーさんの手によって壁が取り払われ、広々とした空間が演出されました。匠の技が光ります」
「え、なにその音楽。どっから出てんの?」
「例のBGMです。どこから出ているのかは――ナイショです、てへっ」
「唐突にあざとい! あと『例の』とか言われてもわかんないんだけど!」
シャロンは謎の抑揚で解説を挟みつつ、並行してゆったりとした音楽をどこからか奏でるという器用なことをしている。なんだその技能。初めて見た。
リリィとカトレアもできるんだろうか。しなさそうだけど。
「は……? ななな、な、なにをしているんだオスカー!?」
憂い顔から一変、至極当然な反応を示すカイマンを、僕は「まあまあ」と手で押し留める。
最近では耐性を獲得したのか、僕が何かやらかしてもあんまり驚いてくれなかったんだけど、さすがにいきなり壁をひっぺがすのは想定外だったみたいだな。ふふん、ちょっと勝った気分だ。心配しなくても後でちゃんと直すよ。
「なにを勝ち誇っているんだ……」
「いいからいいから」
「なにも良くはないが……」
カイマンが横になっているベッド脇の壁はもともとは窓があったようなのだけれど、窓枠が壊れ、明かり取りの硝子も粉々になってしまったらしい。たぶん屋敷が『泥の巨人』の砲撃を受けた時だろうな。
もちろんそのままにしておくわけにもいかず、窓のあった場所にはしっかりと木板を打ちつけて補修がしてあった。カイマンは大怪我して熱も出ていたから、夜風で体を冷やすわけにもいかないしな。
だから、カイマンは知らないんだ。外に広がる光景を。
「外、見てみろよ」
「いったい、なにを――」
怪訝さを隠すことなく言いさして、息を呑む音が聞こえた。見えたんだろう。
ばきょった壁に呆気に取られて屋敷を見上げる、祝勝会の参加者たちが。
そして、夜の静謐に沈む、ぽつぽつと灯りのともった、平和な町の光景が。
彼の、守り通したものが。
カイマンは、その景色をゆっくりと目に焼き付けるように瞬きをする。なんだこいつやたら睫毛長ぇな!?
ややあって。
「今度こそは――……守れたんだな、私は」
「そうだよ。復讐のためだろうが何だろうが、諦めずに剣を振ってきお前が、守り通したんだよ」
「――…………」
壁をばきょっと剥がしたときとはおそらく違う理由で、カイマンは目を瞠る。
その頬を音もなく伝った一筋の雫は、すぐ側にいる僕とシャロンしか気づいた者はいないだろう。
「なあ。手でも振ってやったらいいんじゃないか、『黒剣の騎士』様?」
「――ああ、そうしよう。一緒にやるかい、『龍殺しの救世主』殿?」
「うへぇ。柄じゃないんだよなぁ……」
こちらを振り向いたカイマンは、やっぱりまだ切なそうで、寂しそうで、きっと痛みを抱えたままで。それでも、ただ無力感に苛まれているのとは違っているように見える、のは僕の贔屓目かもしれないけれど。
ちなみに『龍殺しの救世主』という異名は全然まったく流行っていない。というかほぼシャロンしか言ってない。
どうも『○○殺し』シリーズってことで自分とお揃いにしたいらしいんだけど、僕としてはあまり乗り気ではない。
カイマンが庭園に向けて手を振ると、ざわめいていた面々の盛り上がりが一気に最高潮に達した。
生存を知らされているのと、実際に目にするのとは大違いなのだ。
「守れなかったものも、守り通せたものも。私は生涯忘れないと誓うよ」
こうして、大盛況のうちに祝勝会の夜は更けていくのだった。シャロンがどこからか流す、謎のゆったりとした音楽とともに。