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ガムレル祝勝会 そのいち

 夕陽に照らされたゴコティール山が茜に染まる頃、祝勝会と銘打たれた食事会が盛大に催された。

 リーズナル家の屋敷内にはパーティに使うような大広間もあるが、此度(こたび)はいくつかの理由が重なって庭園での開催である。


 迫る夕暮れさえ忘れるほどに煌々(こうこう)篝火(かがりび)が焚かれた庭園は、屋敷に逗留(とうりゅう)しているハウレル家ゆかりの者や、リーズナル家の使用人に加え、ガムレル防衛戦での功績によって招かれた者たちによって、まさに大盛況となっていた。


「我らが領主様に!」

「紫輪の魔術師に!」

「黒剣の英雄に!」

「救世の歌姫に!」

「熊殺しの三女神に!」

「そして輝けるガムレルの明日に!」

「「「乾杯(かんぱ)ぁ〜〜い!!」」」


 もう何度目かもわからない乾杯の音頭(おんど)にあわせ、各々思い思いに掲げた葡萄酒や麦酒を胃に落としていく。

 獣人もメイドも冒険者も技師も憲兵も関係なく、笑い、飲み、食い、語り、肩を叩き合う。(ほが)らかに、楽しげに。


「良き町、良き民ですね」

「ええ。自慢の町です」


 おっと失礼、つい本音が。と、おどけて穏やかな笑みを浮かべるリーズナル卿に、セルシラーナは口に手をやりながらくすくすと上品に微笑みを返した。

 葡萄酒で喉を湿らせて、はふぅ、と気の抜けた吐息を漏らす歳若い姫を、見守るリーズナル卿の視線も柔らかなものだ。


 ふたりは庭園を見わたせるテラス席にて、のんびりと楽しんでいた。祝勝会の会場、(はじ)も端の位置だ。

 (つか)える領主がすぐ側にいては使用人の気も休まらないし、町人たちも緊張してしまう。せっかくの祝勝会に水をさすのも(はばか)られた。なので最初に主催(ホスト)としての挨拶をして以降、リーズナル卿は一歩引いた位置から賑わいを眺めている。

 ――というのは表向きの理由であって、念のための用心という意味合いもそこには多分に含まれていた。


 リーズナル卿は貴族だし、セルシラーナに至っては他国の王族だ。ある程度の用心は常に払う必要がある。

 使用人や護衛も祝勝会を楽しんでいる現状では、仮に暗殺や誘拐を企む存在が紛れていれば、その難易度は大幅に下がるだろう。


 『このような和やかな場に、そんな危機はあり得ない』と切って捨てるのは簡単だ。

 実際、リーズナル卿も今日この場で何が起こると思っているわけでもない。が、『これまで大丈夫だったから』という心の緩みがなければ防げたであろう惨劇も、枚挙(まいきょ)(いとま)がないということを歴史が証明している。

 用心はしすぎなくらいでちょうどいい。何事もなくてよかったね、というのが最良だ。備えなんてものは、無駄になるほうがいいのだから。


「お待たせしました。姫様、領主様。ブォムの肩ステーキ、だそうですよ」

「待ってましたのです!」


 料理を取りに行っていたリジットが戻ってくると、言葉通りに待ち侘びていたセルシラーナから歓声があがった。思慮深い淑女の外装は一瞬でかなぐり捨てられている。そんなもので腹は膨れないのだ。


 リジットに抱えられた大きな皿には、良い具合に焼き色がついた分厚い肉が、こんもりと山のように盛られていた。

 いくらかの焼いた野菜も申し訳程度に添えられているけれど、ほとんど肉、肉、肉の肉祭りだ。

 焼き上げられたばかりの肉厚なステーキから立ちのぼる、力強くも(かぐわ)しい香辛料に触発された胃が、きりきりと盛大に空腹を訴える。


「ふわぁぁあ! すごいおっきいのです。これぞ肉! って感じなのです」


 空腹に突き動かされたセルシラーナの語彙力が死滅しているが、この場にそれを指摘できるほど余裕のある者はいない。リーズナル卿の喉がごくりと鳴り、リジットの目も肉に釘付けだ。グレス大荒野横断という荒業を敢行したセルシラーナたちにとっても、また、ほとんどの財産を町防衛の魔道具開発に充てていたリーズナル家にとっても、固くて塩味のきつい干し肉ですら貴重だったのだから無理もない。


 蔓籠(バスケット)を抱えたメイド長、ヒルデガルトもちょうどテラス席に戻ってきたので、セルシラーナ姫とリーズナル卿は率先してナイフとフォークを手に取った。

 持ち手に呪印の刻まれた銀のナイフは、リーズナル家にあった銀食器をオスカーが改造した特別性で、毒物に触れると薄灰の印が七色に輝く。すべての毒に対応しているわけではないけれど、体に害を及ぼす大抵のものは検知できる。


 リジットにしこたま頭突きを見舞われまくったオスカーが『女心わからん……』とかボヤきながら片手間で(こしら)えた品ではあるが、毒見の手間いらずで温かい料理がそのまま食べられるスグレモノだ。シャロン = ハウレルが神聖語で〝天架ける(ゲーミング)ナイフ〟と名付けたそれは、毒見必須の上流階級の者にとっては待望の品だったりする。


「ほぉ、これは」


 ぱりっと焼き色のついた肉の表面に、わずかながら抵抗があっただけで、あとはナイフがすっと通る。

 ナイフの切れ味ではない。肉質が柔らかいのだ。断面からはじわりと肉汁が染み出してくる。

 はて。ブォムの肉だと聞いたはずだが。少々の疑問を覚えながらも、リーズナル卿は生唾を飲み込む暇さえ惜しんで口に運んだ。


 なんだ、これは。

 美味い。それは間違いない。

 だがなんだ、なんなのだ、この味わいは。


 ブォムは豚や猪に似通った特徴を持ち、群れで狩りをする魔物だ。

 ガムレルから北に広がる森林でも広く生息しており、山鳥やエムハオに次いで、それなりに安価に手に入りやすい肉である。固くてスジが強く、とくに大きな個体では肉質もパサつく上にえぐみも強いというのが通説だ。

 固い肉をただ焼くと、さらに固くなるというのは、記憶にある限り料理らしい料理をしたことがないリーズナル卿でも知っている。

 だからブォムの肉は、燻製(くんせい)にするか、細かく刻んでスープの具とするのが一般的、だった。


 しかし、この味わいは。柔らかさは。溢れ出る濃厚で力強い肉汁は。

 これまでに食べてきたブォムは、一体なんだったのか。

 疑問に思う間にも手は勝手に肉を切り分けている。

 表面はぱりぱり香ばしく、肉は口の中でとろけるほどやわらかい。


 肉を彩るソースもまた、良い。

 篝火(かがりび)に照らされた黄金色ソースは甘辛く、ブォム肉の持つ独特の臭みを見事に旨味(うまみ)に昇華している。

 ガツンと効いた胡椒が鼻に抜け、あとからじっくりと肉と脂の(うま)さと幸福感が口いっぱいに広がる。

 いっそ飲み込んでしまうのが惜しいというのに、柔らかな肉は(ほど)けるように喉を滑り落ちていくのだ。


 焼きたてをそのまま供されるという(おもむき)もまた、意外性があって楽しい。

 庭園で鉄板を並べ、その場で炭火焼きにするなど、許可を求められたときには野趣(やしゅ)あふれる試みであるように感じられたものだが、これがどうして存外に悪くない。


 頬を撫ぜる風は草の匂いを運び、空には星が(またた)き始める。出来立てで湯気のたつ料理に、使用人や町人たちの賑わい。

 これからも定期的に外で食べる日を設けようかと思案するほどに、それは満ち足りた時間だった。


 ――カツン。


 いつのまにか空になっていた皿を叩くナイフの音にリーズナル卿は愕然と目を見開き、少々気まず気に葡萄酒を噛んだ。

 高級な葡萄酒と比べればいささか酸っぱすぎる、雑味のある味わいだ。

 けれど、ひと癖あるブォム肉の力強さに負けていない。


「ふう……」


 ああ。美味い。

 これほど無心に肉を食らったのは、どれほどぶりだろう。


 ふと、思い出す。

 家督を譲られる前。父に連れられ、弟と共に王都で評判だという店でしこたま飲み食いした、あの日のことを。

 婚約が決まり、これからは妻を、町を、民を守れと笑んだ父。いつもは厳格な父が、あまりに食べる我が子に(おのの)いて財布を確かめ、青い顔をしていたのだったか。


 父上。我が妻、レインディア。私はまだ、しばらくそちらには行けそうにない。

 我が子カイマンと、その友人たちが守り抜いた町の『これから』を、共に見届けるために。


「ふっ……」


 リーズナル卿の口の端に浮かんだ笑みはどこか寂しげであり、楽しげでもあった。

 カイマンが療養を終えたら、この味をぜひもう一度共に味わいたいものだ。


「まだまだたくさんありますよ、領主様」

「ああ、いただくとしよう。ありがとう、騎士リジット」


 リーズナル卿が遠い記憶に想いを馳せている間にも、おかわりを勧めるリジット自身はすでにステーキ3枚目に突入していた。


 若者がたくさん食べるのを見ているのは、それなりに小気味が良いものだ。それ自体はいいのだけれど。

 ともすれば華奢(きゃしゃ)にも見える体のどこに入っているのか。少女騎士が食べるペースは未だ(いささ)かの衰えも見えなかった。驚きの健啖(けんたん)ぶりだ。

 もちろん料理自体が美味なのもあるが、想いを寄せる少年とのとある行き違いがあって、盛大に恥ずかしい思いをした少女が思いっきりヤケ食いに(いそ)しんでいることを、リーズナル卿は知らない。


 もう結構な歳だけれど、あと1枚いけるだろうかと少し悩みながらも結局おかわりすることにしたリーズナル卿は、ふと隣に視線を向けた。

 ほとんど肉を食べ終えた姿勢のまま、なぜか固まっているヒルデガルトに気づいたためだ。


「どうしたんだい? きみも遠慮する必要はないよ。むしろこれまで苦労をかけた分、おおいに楽しんでほしい」

「いえ、その……」


 眼鏡の奥の伶俐な瞳でいつも即断即決なヒルデガルトが、珍しく言い淀む。

 その手は蔓籠(バスケット)の中のパンを取ったところで固まっており――


「ふむ?」

「どうしたのです?」


 セルシラーナも目を(しばた)かせ、もぐもぐもぐと肉を咀嚼し続けるリジットも首を傾げた。

 ヒルデガルトは苦しそうにしているわけでもないし、食べ物を喉に詰めたわけでもなかろう。葡萄酒もまだある。


「……こちらをお持ちいただければ、ご理解いただけるものと存じます」


 彼女の手にしたパンは普通の丸パンであるように見える。いや、よく見るものに比べれば少し細長いか? いずれにしても特に不審なところは見当たらない。

 こんがりと狐色の綺麗な焼き色がついた丸パンは、皿に残ったソースと肉の脂とを絡めたら美味いに違いない。


 促されたリーズナル卿とセルシラーナは顔を見合わせながら、各々丸パンに手を伸ばした。


「ほう。これは、なんとも!」

「わ、すっごく柔らかいのです」


 ヒルデガルトの反応をもとに警戒していなかったら、自分も同じ反応をしていたかもしれないな、とリーズナル卿は笑みを深めた。


 焼き立てであれば多少マシとはいえ、パンというのは固い。めちゃくちゃ固い。そのままかぶりついたら(あご)を痛めるかもしれない程度には、固い。

 高級な小麦でふんわりと焼いたパンは、美味いが日持ちしないので、多くの場合はわざと固く焼き締める。

 ある意味凶器かと見紛(みまご)うほどに固いものを、スープなどに漬けてふやかしながら食べる。

 パンとはそういうものだ。が。


「いやはや。長生きはするものだね」

「ハウレル様のまわりにいると、退屈とは無縁になるのです」

「違いない」


 皺の刻まれた頬を持ち上げて、リーズナル卿は笑う。釣られてセルシラーナも、ヒルデガルトも笑った。

 新しい美味の予感に、どうしたって頬が緩んでしまう。だって普通にパンを摘み上げたつもりが、赤子の頬のような柔らかさに指先が沈み込んだのだから。


 ――なお、余談だが。

 他の面々が和やかに笑みを交換する中で、リジットはすごい勢いで4枚目の肉に突入していたりする。今日は、そっとしておこう。

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― 新着の感想 ―
[一言] リジットさん!!せめてご飯が美味しくて本当によかった!!笑 オスカーさんも、あんな大騒ぎの片手間にあんなすごいナイフ作れるなんて…ハウレル恐るべしですな…! でも久しぶりにみんなが美味しそう…
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