僕と彼女のおでかけ
毎日更新が厳しい感じになってきました。
しばらく一日おきの更新になるかもしれません。
リーズナル男爵の屋敷を訪問した翌日、僕らはガムレルの町を散策していた。
昨晩はリーズナル邸で夕飯を御馳走になったのだけれど、男爵をはじめとし、長男もかなり僕ら相手に恐縮してしまい、なかなか歓談とはいかなかったのだった。
結局、村にいたときのようにカイマンと主に話す感じになってしまい、あまり目新しい話なんかが聞けたりはしなかった。僕とシャロン相手に物怖じせず案内や歓談をしていたカイマンの株が上がっていたらしいが、与り知らぬ話である。
領主からの報償およびお礼として、小遣いというには少し多目の額のお金も貰ったので、今日は買い物や美味しいものを食べるとかしてパーッと盛大に使おうという趣向だ。
お金の他には『何か面倒があったときに』と家紋入りの書状まで用意してもらった。昨日のように衛兵に取り囲まれたりした際にも、ある程度話を通しやすくなるだろう、とのことである。何らかの対策を練るまで、実にありがたい配慮だった。
「いらっしゃい、いらっしゃい!
いいモン入ってるよ!」
「おかーさんあれ買って、買って!」
「路地のほうだ、回り込め」
「うわっ、なんだ」
大通りは実に賑やかで、行き交う人々に混じり馬車や荷車がゆっくりと進んでいく。
そんななかを、特に目的もない僕とシャロンは穏やかに二人並んで歩いている。時折、近くの商店をひやかしたりして、楽しい時間を過ごしていた。
「ふ〜ん♪ ふふふ〜ん♪」
隣を歩くシャロンは、とてもご機嫌だ。
さきほど一緒に聴いた吟遊詩人の唄を鼻歌で再現していたりする。
「随分ご機嫌だね」
「はい。それはそうです。
だって、オスカーさんとのデートなのですから!」
「そうでなくても、だいたい四六時中一緒にいる気がするんだけど」
「二人でお出掛けというのは、それはそれでいいものなのです。
宿で二人でずっとごろごろしているのとは違う、新鮮味があると言いましょうか」
「そうか。シャロンは二人でごろごろしているのは嫌いか」
「いいえ。それも大変魅力的なのですけれどっ。
ああんもう。今日のオスカーさんはいけずです」
ぶんぶんと腕を振って抗議するシャロン。
そんな所作も可愛らしくって、ついちょっかいを掛けてしまいたくなる。
もっとも、シャロンも本気で怒っているわけではなく、ずっとにこにこしっぱなしだ。
「活気があって、いい町ですね」
「そうだね。お祭りでもないのに表通りだけで、ゴコ村の人全員よりも多い人手だし」
「そうですね。今日宿を出てからすれ違った人は、ここまでで328名です。
大通りだけに絞っても260名ですから、あの村とは人口が全然違います」
数えてるんだ……。
大通りを外れ、一本横道に入ると喧騒がスッと遠ざかり、書店や道具屋など、落ち着いた店構えが立ち並ぶ。
表にも道具屋はあったが、こちらのほうがお店は広くてゆっくりできそうだ。
「ちょっとそこの道具屋にーーうん? どうした、シャロン」
「いえ。気のせいかとは思うのですが。ううん。なんでもないです」
シャロンはあたりをきょろきょろしながら、はてな、と首を傾げている。
歩きづめなので、疲れてしまったのかもしれないな。
ちょうどゆっくりできそうな食事処もいくつかあるようだし、昼食を採りつつ休憩するのもいいだろう。
どの店にしようか、と僕があたりを見渡すと。そのときになってやっと、シャロンの背後の影に気が付いた。
幼女である。
青色っぽい色鮮やかな髪をした、幼女がシャロンをじっと見上げていた。
見上げられているシャロンは、まだ「うーん?」と思案顔である。
と、幼女と僕の目が合った。
数秒、じっと見つめられたかと思うと幼女はにっと笑って、そのままててててーっと駆け出し、すぐ側のお店の看板をぱたんと裏返すと、店内に入って行った。
「あの、オスカーさん? どうかされましたか?」
幼女の入って行ったお店を眺める僕に、シャロンは怪訝そうに声を掛ける。
「いや。ちょっと休憩にしようかなと思ってさ」
「なるほど。デートでご休憩となると、やることは一つですね。宿に戻りましょう」
「うん? 待って、何がどうしてそうなった。
ちょうどいい時間だし、昼食でも採りながら休憩しようよ」
先ほどの幼女が消えたお店は、大通りに面していたところと違い、落ち着いた感じのちょっと小洒落た食事処といった風情であった。
名前は"妖精亭"。
先ほどの幼女が裏返して行った看板には営業中を示す文字が踊っていた。
いまいち怪訝そうな表情のままのシャロンを伴い、僕が扉に手を掛けると、カランカランという鐘の音が僕らを出迎えた。
店内はカウンター席が4つ、テーブルが2つという小ぢんまりとしたものだ。
カウンターの後ろには、初老に差し掛かった男性がおり、さらにその背後には香辛料や茶葉と思われるものが積まれた棚が古めかしく鎮座していた。
「ん。お客かい。
すまねぇな、まだ開店前なんだが」
初老の男性はどうやら店主であるようで、僕らにそんな言葉を掛けてきた。
「そうなのか? わるい。
女の子が看板を裏返してったから、もうやってるもんだと思ったよ。また改めるとするよ」
「ん、女の子? ーーシアンのやつか。そんな悪戯まで覚えやがって。
そういうことなら、すまねぇな。そこの奥にもう一席あるテーブル席にどうぞ」
踵を返そうとする僕らを店主は呼び止めると、2つのテーブル席のさらに奥、仕切りの向こう側にある席へと通されたのだった。
そこには、先ほどの鮮やかな髪色の幼女が、いた。
「"ぼるばろ、おこ?"」
くりくりした瞳を初老の店主に向け、こてんと首を傾ける幼女。
か細いのとは違う、何か不思議な感じの声を出す子だ。意識に残りにくいというか。
「いいや、べつに怒っちゃいない。
ただ、ほんとはまだ準備中だからな。びっくりするからその悪戯はやめてくれ」
「"はぁい"」
幼女はぺいっと椅子から飛び降りると、シャロンをじぃーっと見つめたあと、どこぞかへとてててっと走っていった。
そんな様子を目で追っていると、シャロンから衝撃的な言葉が発せられたのだった。
「あの。オスカーさん、そこに誰かいたのですか?」
すわ、シャロンの調子がどこか悪いのか!? と僕は大慌てしたのであるが、店主によるとどうもそういうことではないらしい。
曰く、あの子は妖精種で、ほとんどの人から認識されないのだという。
シャロンもその例に漏れず見ることも、聞くこともできなかったのだが、魔力検知から得た情報と視界の情報での人数が食い違うことに疑問を抱いていたらしい。この大通りから一本入ったあたりで首を傾げていたのは、そういうことだったのだ。
なので、シャロンからしてみれば風か何かで開店中を示す表示になった店に僕が入って行こうとするので、止めるべきかどうすべきかで悩んだりしたらしい。
そうやって入った店の中で、僕や店主が虚空を見て話していたりするのを見、どうも危険もなさそうなので様子見をしていたとのことだった。
おすすめの食事と甘いものを注文し、店主が調理のために戻って行くのと入れ替わりに、ててててーっと幼女が戻って来た。
手には花を一輪携えている。
しっかりと視てみると、なるほど《シアン 妖精種:バンシー》という"全知"からのお墨付きであった。
妖精などというのは吟遊詩人の唄だとか、物語に出てくるだけの存在だと今のいままで思っていたのだけれど、世の中にはわりと僕らの知らないことがたくさんあるらしい。
見た目は完全に人間の幼女と変わらないのかとも思える。しかし、色鮮やかな髪と、ふと気付くとその気配を見失ったり、不思議な声の出し方をしたり。
この子が人間と似てはいても別の存在だということがわかる。
テーブルの上、シャロンの座るすぐ前に持っていたその花を置く幼女。
シャロンから見ると、突然テーブルの上に花が現れたように見えているのではないだろうか。
人間と似ていても別の存在である、という性質はシャロンと似通っているところがあるので、親近感があるのかもしれない。
「シアンちゃん、でいいのかな。
お花、ありがとうございます」
見えはしないものの、魔力の反応からある程度の居場所はわかるらしいシャロンが、にこりと微笑んで礼を述べると、幼女のほうも、にぱっと笑って応えた。おそらくシャロンには見えていないが、その気持ちは伝わったのではないだろうか。
「"ようせい お仲間 よろしくって"」
シャロンを、より正確には彼女のマントを差していう幼女。
"妖精の加護"のマントは、この幼女にとって『よろしく』というような性質のものらしい。
見れば、さきほどシャロンに渡された花でさえも《ヒメリの花 "妖精の祝福"》という効果が付与されたもののようだ。なるほど、だから『妖精亭』。
再びてててーっとどこぞかに走っていった幼女を見送る僕。実に忙しないが、しかし子どもは可愛いものだなぁ。
数分後、僕らの元に運ばれて来た食事たちも、その例に漏れず効果が付与されたものだった。
僕の目の前にででんと目の前に出された大判な肉は《オーク肉のステーキ "妖精の祝福"》、肉汁を滴らせる肉厚なカタマリには香ばしい茶色のたれが香ばしい匂いをさせており、食欲をそそる。ステーキというのは始めて見る料理だが、肉厚に焼いてタレを掛ける料理であるらしかった。
また、芋を煮潰して作ったと思われる白いもこもこしたものに、炒められた色とりどりの野菜類が彩りを添えている。それらが一枚の皿の上で、それぞれが中央の肉を引き立てるようにして配置されているのだ。
また、シャロンの前にでででんと出されたのは、丸っこいパンを輪切りにしたようなものだ。単に輪切りにされているだけではなく、そのパンは黄金色に染まっている。ところどころコゲ目がついたそれは、おそらく卵に浸した上で焼いたものなのだろう。
その上にはたっぷりのクリームが積まれている。
そして、それに添えられて小ぶりの容器で出された、透き通った粘性の液体は《地獄姫蜂の蜜 "妖精の祝福"》というものだ。ここでもまた"妖精の祝福"だった。
地獄姫蜂の蜜といえば結構な高級品であったはずだ。そもそも甘味自体が貴重なのだが、その中でもさらに高級な部類なのだ。
シャロンにいろいろなものを与えたいという思いから、迷い無く甘味を頼みはしたものの、思った以上に豪華なものが出て来たので若干びびってしまうのは小市民の性であり、仕方がないと思いたい。
今日に限ってはぱーっとお金を遣うつもりでの散策だったし、予定通りといえば予定通りなのだけれど、と自分を納得させる。
「これ、いただいて良いんでしょうか」
目の前の皿に、きらっきらとした輝く蒼の瞳でもって釘付けになっているシャロンが、おそるおそると僕に話しかけてくる。
僕が食べ始めるまで待っているようだが、楽しみのあまりかその手はもう既にフォークをぎゅっと握りしめている。
幼女ーーシアンも、そんなシャロンの様子をじぃーっと見つめたあと、また再びててててーっと店内を走り去って行った。
「どうぞ。好きに食べたらいいからね」
僕が応えると、シャロンは意を決したように真剣な表情で蜜を掛けにかかった。
何故か必死なさまが微笑ましい。
さて、僕のほうはというと、ででんと置かれた肉に向き直る。
だってこれ、オークの肉でしょ? 凄く美味しそうだけども。
僕らが焼いて食べたときも、匂いだけはとても美味しそうだったのだ。
しかし、実際に食べてみると凄い脂身、噛み切れない肉質。
もっちゃもっちゃとしたいつまでも残る食感が、二口目への意欲を確実に削いでいったあの感覚はまだ記憶に新しい。
なので、なんとなくオーク肉に苦手意識ができてしまった僕としては、目の前の食事を素直に喜べないのであった。
こんなことならば"全知"で視なければ、もう少し楽しめたのかもしれない。ヒトの世には、知らないほうがいいということは確実にあるな、なんてことを学んだ僕だった。
シャロン同様、僕も意を決してナイフとフォークでそのステーキという料理に挑みに掛かる。
フォークで抑えつつナイフを引くと、ほとんど力を必要とせずにスッと柔らかに肉が分断される。
え? オーク肉でしょ、これ。再びの同じ感想だが、先ほどとは全く意図が異なる。
その手応えのなさに驚きつつ、切れ端を口に運ぶと。
じゅわっと広がる肉の旨味と、香ばしくもどこか酸味を感じさせるタレが口腔を抜け、咀嚼するたびにその柔らかみを感じさせながら肉が消失していく。
馬鹿な。これが、オーク肉の真の実力だとでもいうのか。
それでは、この間僕らが食べたのは一体なんだったというのか。
二切れ目、三切れ目と夢中で食べるが、全然しつこくない。
添えられた野菜や芋が、肉の脂からの気分転換に最適で、交互にならばいくらでも食べていられそうな気さえする。
バッと店主のほうを振り向くと、コップを磨いているその店主と目が合った。白いものが混じった髪のその初老の店主は、僕の反応を見てニッと笑ったようである。
僕の正面では、シャロンがその目を細めながら、幸せそうな表情でもぐもぐしていた。
なんと、彼女の皿はもうすでに空になってしまっている。ーー嘘だろ、食べ始めてから2分と経っていないぞ。
口の中も空になってしまったのか、シャロンは自身の目の前の空になってしまったお皿を見つめ続けていた。フォークも握りしめたままである。
だいぶ気に入ったようなので、シャロンの何とか記念日にまた新たな日付が追加されたのではないだろうか。
ーーあまりにずっとお皿を見つめ続けているので、僕のほうの肉を一切れくらいあげるべきかとも思ったが、甘味の余韻を楽しんでいるのであれば、それを肉の脂で覆ってしまうこともあるまい。そうそう滅多に食べられるものでもないのだし。
でも。
こんなに喜ぶのであれば、また連れてきてあげたいよな。
残っている肉をもぐもぐしながら、僕はそんなふうに思ったのだった。
ーー
「毎度」
「"またね"」
店主と幼女に見送られた僕らは、再び町へと繰り出していた。
"妖精亭"での食事の値段は、まぁそれなりに大したものであったが、いまの僕らは小金持であったのでとくに困ることはない。
シャロンなんかは『町には美味しいものがあるのですね』と未だ夢見心地であるが、僕も同意見だ。自身の故郷やゴコ村、ないしは研究所での食べ物が美味しくなかったわけではない。
しかし、ああいう洗練された美味しさというのも、たまには良いものだ。
望むならば、"妖精亭"にたまには通えるくらいの稼ぎを得たいものである。
ーーそうして、空が茜に染まるまで。
僕らはいろいろな店を冷やかしたりして、今日という日を満喫したのだった。
道具屋では"倉庫"にない素材を買い求め、書店ではあまりの値段の高さに僕もシャロンも驚いたり、ハトに追われてシャロンが威圧を放ったり、楽しい一日だったと言える。そう、宿に戻る最中で不穏な現場に遭遇するまでは。
日が傾きはじめ、薄暗くなりつつある路地裏には、あまり人は寄り付かない。
いかに治安の良い町であるとはいえ、全ての民が善人であるわけがない。
だからそういう危ない可能性のある場所には、ふつう立ち入らないのだ。
探知能力や戦闘力に秀でている僕らは、そこらへんの認識が甘かったのかもしれない。
甘かったからこそ、この後の出会いがあったので、すなわち悪いことばかりでもなかったのだが。
ともかく。路地裏で怒声と叫び声が上がったとき、たまたま僕らがすぐ側を歩いていたのは、偶然だった。
確か、二人で歩くときの手のつなぎ方についてとか、たわいのないなことを話していた気がする。
僕もシャロンも、怒声が上がった段階で意識を切り替えると現状の確認をする。シャロンは穏やかな時間を邪魔されたことで若干表情が険しいものではあったが。
「男2, 女1。ただ何か女の方の反応がヘンだ」
「魔力感知、反応ありません。魔術師ではないようです。
どうやら戦闘状態にある模様です。ここから15mほど戻って右手に一本入ると現場ですが、どうしますか」
「単なる喧嘩なら放っておくのがいいんだろうな。
ただ、何か酷い事になりそうであれば、そのままにするのも寝覚めが悪いし。うーん」
いかに力があろうとも、わざわざ危ないところに飛び込むのは賢いやり方ではない。
また、ここで何かしら揉め事に介入すると、ただでさえ心労を抱えているリーズナル男爵の許容限界を超えかねない。
「情報が更新されました。
女性の口から"紅き鉄の団"の名称が発せられました」
わざわざ介入するのは、賢いやり方ではない。それはわかっている。
しかし、賢くあるよりも優先する事項があるならば、話は別だ。
「行こう、シャロン」
「はい。オスカーさん」
短く応え、走り出した僕へシャロンは一瞬で追いつき、そのまま抱え上げる。体勢はまたも、お姫様抱っこと呼ばれるそれである。
「ちょ、シャロンさん? すぐ近ーー」
「オスカーさん、お静かに。舌を噛みます」
「噛みますも何ももう到着しちゃったよ!
やっぱりわざわざ運んでもらう距離じゃなかったよ!」
「オスカーさんを抱き上げる機会を、私が逃すとでも?」
「うわ開き直った!」
そんな感じでぎゃいぎゃい言い合う僕らの前で、ほったらかしにされている揉め事の渦中である3人。急いで来た意味があまり無い。
さらに言うなら、とんでもなく可愛い子から抱き上げられた姿勢からよっこいせと降ろしてもらうまでの間の視線も痛かった。
僕らの闖入で一時中断されてしまっていたが、男二人は縄やナイフを手に手に、あまり穏やかではない。
対する女性は、薄手の格好をしており、薄暗い路地裏にあって濃い目の肌の色が艶かしい。
「なんやあんたら。こいつらの仲間?」
険しい表情の女性が警戒ーーというよりも怪訝なといった色が強いが、僕らを見咎める。
「ええよ、只者やなさそうやけど。
"紅き鉄の団"の情報、持ってるんやったらちょうだいな」
すっと腰を落とした姿勢になると、その表情が明らかになる。
燃えるような赤い髪に、燃えるような怒りの表情。そして、頭の上部には獣の耳。
その敵意剥き出しな女性は、獣人だった。




