犬も食わないもののはなし
あふたーの流れをぶった切り、エイプリルフール短編です。
その日、リジットは自信満々だった。
いつもペースを乱されっぱなしだけれど、今日は私が乱す側よ! とばかりに、いたずらげに目を輝かせる。
「いまに見てなさい、びっくりさせてやるんだから」
オスカーの部屋へと足を向けながら、リジットはひとりでほくそ笑む。
シャロンがいつもながらの唐突さで『そういえば、今日は嘘をついても許される日なんですよ』と言い出したのはつい先ほどのことだ。
なんでも、誰も悲しんだり不幸になったりしない嘘限定で、騙し騙され笑い合い、その先一年の友好を誓い合うという文化を有する国が昔あったのだそうだ。
はじめて聞いた話だけれど、面白い文化だと思う。とくに、誰も悲しまないというのがいい。
『リジにゃんは嘘つくのとか苦手そうやな』
なんてアーニャには言われてしまったけれど、そんなことはない。むしろ得意なほうだ。少なくとも自分ではそう思っている。
戦いの場であれば、騙しや駆け引きは使って当然のテクニックだ。
殺気をわざと当てたり、隠したり。
目線で攻撃のタイミングを誤認させたり。
怯えたフリをして大振りな攻撃を誘ったり。
もちろん『騙していい日』みたいな決まりがあるわけでもない。いついかなるときも騙し騙される世界だ。
リジットは、他の子女が詩や裁縫の練習をしている間に、女だてらに剣士としての技を磨き続けてきた。その技の冴えはかつてのシンドリヒト王国騎士団でも上から数えたほうが早い。
けれど、いくら技を修めようとも骨格は少女のそれ。
膂力で劣るリジットが、筋骨隆々とした男と切り結び、なお遅れを取らぬために、『騙し』は必須のテクニックだった。だから、騙す技術にはリジットは経験と修練に裏打ちされた自信を持っているのだ。
『見てなさい、サクッと騙してきてあげるから!』
とリジットは不敵に笑ってみせたのがつい先刻。
見てなさい、ともう一度小さく口の中で呟いて。
こんこん、と軽やかなノックの音が彼の部屋に転がった。
「ぁー」だか「ぉー」だか微妙な返事が聞こえたので扉を押し開ける。オスカーは机に向かっていた。
「お邪魔するわよ」
「ああ。ラ……ってリジットか。どうしたんだ」
「ええ、ちょっとね」
騙すとは言っても、もちろんオスカーに急に斬りかかったりはしない。それではただの危ない人だ。
じゃあどういう嘘で騙すのか、というのはセルシラーナ姫が良い案をくれた。
『大好きだよ! ってにっこり微笑んでみるのはどうてす? 彼が照れたところで嘘だよってバラすのです』
なるほどこれは良案だ。
騙されても悲しくならない嘘なので決まりに準拠しているし、嘘なのだから恥ずかしくもない。
さらにオスカーの珍しい照れ顔が見られるかもというのならば十分にやってみる価値はあるだろう。こちらばかり赤面させられているのは不公平だと常々思っていたのだ。
騙された! と彼が悔しがるところまで想像して、リジットは俄然やる気になっていた。
「あのね、オスカー」
「うん?」
リジットは舌で唇を湿らせる。
今から騙されるだなんて思ってもいないオスカーは無警戒に振り向いた。
戦いの後遺症で色を失った右の眼と、深い紫を宿した左の眼の両方が、少女をまっすぐに見据える。
リジットの視線がオスカーを捉えているように、オスカーもリジットを見つめている。リジットだけを。
「だ、」
「?」
「……だい、」
大好きだよ、と。
それだけの。たったの6文字が出てこなくて、頭の中が真っ白になる。
待って。
ちょっと待って。
ちょっと待って!?
嘘だから恥ずかしくない、ってなに!? どういう理屈なの!? と。リジットは少し前の自分にキレた。
『騙してやるわ!』と浮かれていた頭が真っ白になり、わずかに冷静な自分が顔を覗かせたのだ。覗くのが遅い! と嘆いてみせたところで、もはやどうしようもない。
呼び掛けられたオスカーは「……だだい?」と首を捻っている。
まずい。これではただの不審な人だ。まだしもいきなり斬りかかったほうがマシだったかもしれない。
(いやマシじゃないわよ! もうちょっとちゃんと顔を覗かせなさい、冷静な私!)
自分に対して妙なキレ方をしている時点で少しも冷静ではないのだけれど、リジットにはそんなことに頓着する余裕はまるでなかった。なぜなら冷静ではないので。オスカーがまっすぐにじぃっとこちらを見てくるので。せめてなんか言え。
だいたい、なにをどう思っての『大好きだよ』なのか。
前触れもなくそんなことを言い出したら、照れるより先に変な女だと思われやしないか。ただいま絶賛変な女をしているのは極力考えたくないけれど。
そもそも誰なのよ! こんなわけのわからない文化を作ったのは!
なんなのよ、『嘘ついてもいい日』って!
でもここまで来て引き下がるのも負けたようで嫌だ。リジットは己がちょっぴり負けず嫌いであることを知っている。まわりのみんなからは『ちょっぴり』とは思われていないという事実までは知らないが。
「だい、す」
ええい、勢いで言ってしまえ!
女は度胸に愛嬌よ! と再チャレンジした三文字目で、先ほど召喚した『冷静な私』が待ったをかけた。
この話の発端は『嘘をつく』というところから来ていたはず。
じゃあ、彼のことが『大好きだよ!』というのは嘘、なのだろうか。
いや、大好きかと聞かれたら即答しにくいけれど、では好きじゃないのかと聞かれたらそれも嘘になるような、いやいや彼のことは人として頼もしく思っている気持ちに嘘はないけれど、それはシャロンたちの言う『好き』なのかどうか。好き、だとどうなるんだろう。アーシャが撫でてもらっているのを見たときに『羨ましいな』と感じるのは『好き』のうちに入るんだろうか。
気付いてしまうと途端に恥ずかしさが抑えきれなくなってきた。頬が火照っている感じがする。
問題はまだある。盛りだくさんだ。もうやだ。
『オスカーはきっと照れるはず』という前提で、その反応が見たくてやる気になっていたけれど、恥ずかしさを乗り越えて『大好きだよ!』をぶつけて無反応だったらどうしよう。
いや、無反応ならまだいい。よくないけど。よくないけどまだマシだ。
もし。もしもだ。もしも迷惑そうな反応をされたら。
……。それは、うん。あとで泣いてしまうかもしれない。
とか、そんな風に思考に沈んで、頬を赤らめたり『この世の終わりだぁ……』みたいな表情で青くなったり百面相している挙動不審な少女を観察しながらオスカーは首を傾げ、
「……ああ!」
合点がいったとばかりに机の上から拾い上げたそれを、リジットの手を取り押し付けた。
「〜〜〜〜!!?」
考え込んでしまっていたリジットは、突然触れられた手の感触にビクゥッとなり声にならない悲鳴をあげる。
「今度のは頑丈に作ったからな。落としたくらいじゃ欠けないから安心してくれ」
「えっ、なに、なんっ!?」
「なにって、賽の話だよ。これを取りに来たんだろ? てっきりラシュが来ると思ってたんだけど、リジットも一緒に遊んでたんだな」
押し付けられたそれは、規則的に切りそろえられた黒っぽい小石だった。面一つひとつに数が彫ってあり、1から20まである。彼の言葉から察するに、何かの遊びに使うものらしい。
途中まで言いかけた『大好き』を、ダイスという名の石を受け取りにきたのだと判断されたようだ、と認識したリジットは、詰めていた息をようやく吐き出した。思わぬところで助かった。
「お、ようやく笑ったな」
挙動不審だったせいで、少し心配させてしまったのだろう。
オスカーもどこかほっとした様子だ。ようやく余裕を取り戻したリジットは数度目を瞬かせる。
「なに? 心配してくれたの?」
「そりゃまあ。なんか様子が変だったし」
それに、とオスカーはややそっぽを向いて頬を掻く。少しばかり、照れくさそうに。
「リジットはやっぱり笑ってるほうが似合うからな」
唐突に投げ込まれたその発言を飲み込むのに、一拍。
「うそっ!?」
「やっぱバレたか。カイマンの真似をしてみたんだけど。なんかな、シャロンが言うには今日は嘘をついても許される日だとか――」
「オォオオオスゥゥウウカァァアアアア!」
「うっわ全然許されてねぇ!」
天敵に出会ったエムハオのごとき俊敏さで逃げ出したオスカー。
その背中目掛けてぶん投げた賽は、彼の展開した三重"結界"の一枚目を粉砕。二枚目に阻まれて転がった。出目は7。稀代の魔道具技師が頑丈に作ったというだけはあって、傷一つない。
「こらぁ! 待ちなさい!」
「待たない! "結界"貫くってどういうことだよ、念のため三重にしてなかったら怪我するわ!」
叫び返しながらオスカーは、窓枠から身を乗り出した。宙靴で上空に逃げる気だろう。
「逃さないわよ!」
逃げた彼の背を追って、リジットも駆け出した。
火照った頬も、胸のどきどきも、ちょっと走ったら紛れるだろうと期待しながら。