僕と町のご飯事情
荷車に積荷を満載し、山を踏み越え森を抜け、村と村を、町と町を行き来して利を得る行商人は、『国』という大きな共同体の中で、しばしば血液に例えられる。
彼らは商品をなるべく安く買い付けて、運んだ先でなるべく高く売る。そうして得た利益でまた商品を仕入れ、高く買ってくれる町に運び、売り付ける。
暑い日も寒い日も延々とそれを繰り返し続ける。それが行商人という生き方だ。
一箇所に居着くことなく動き回る彼らを胡散臭く思う者もいないではない。
よく見知った相手を信用し、見慣れない者は警戒する。ヒトはそういう生き物だ。その他多くの動物と同じように。
けれど町で手に入らないものを運んで来てくれる行商人の存在なくして町は成り立たないし、そういう意味でガムレルの町は今現在、どうにもこうにも成り立っていない。
「東門より先は大規模戦闘の影響で街道が破壊し尽くされておりますし、訪れるのは住処を失った難民がほとんどです」
「行くアテのない難民ならいざ知らず、他にいくらでも選択肢のある行商人にとっては未知の魔物が大挙して押し寄せた町に来るというのも、しばらくは怖いだろうしなー」
行商人だって、命あっての商売だ。一度あった襲撃が二度ないとは言えず、危険かもしれない場所にはなるべく近寄りたくない気持ちはわからないでもない。
シャロンと同じ顔をしていながら基本的に無表情なリリィの報告を受けて、僕は眉根を寄せた。
かつてカイラム帝国の尖兵だった魔導機兵リリィは、僕とシャロンの連携によって指揮命令権を奪取されて以降、なにくれとなく力になってくれている。
ここ数日は町の様子を見つつ、カイマンたちが大立ち回りを演じたというガムレル東の平原で、残っている魔物の死骸を解体してもらっていた。
亡骸をそのまま放っておいたら腐って疫病のもとになりかねないとリリィが言うので、素材を剥ぎ取ったあとは一箇所にまとめているそうだ。最終的に全部燃やして埋めるんだとか。
「鱗や牙、角、爪、皮膜や魔石は種類と品質ごとにまとめています。また、数はさほど多くありませんが、眼球や心臓といった部位は綺麗に取り出せたもののみ保存液で保護してあります」
「助かる。ありがとう、リリィ」
「いえ。主命ですから」
多くの魔物を討ち取ったのはカイマンだが、剥ぎ取った素材の山はそのほとんどを僕が買い取る形ですでに話がついている。
未知の素材で今度は何を作ろうか、とわくわくしているのだけれど、体調が完全に戻るまで残念ながらお預けを食らっている。
カイマンの腕作りに熱中しすぎて3日ばかり徹夜したのが保護者の逆鱗に触れたらしく、協力してくれたシャロンまでまとめて怒られてしまったためだ。
冒険者協会を通じて冒険者たちの協力も仰いだ甲斐もあって、戦場となっていた東の平野はおおかた片付いたといい、その『ご褒美』を所望された僕はなぜか彼女の頭を膝の上に乗っけることを要求されていた。
俗に言う膝枕状態なのだけれど、魔導機兵は膝枕が好きなのだろうか。シャロンもなにかにつけて僕に膝枕をしたがるし、されたがる。
リリィの場合は、表情豊かなシャロンと違って、思いっきり見開いた無表情な目が見上げてくる。
僕の膝の上でそっけなく『主命ですから』などと受け答えしているのはなんともシュールな図だ。
その位置から微動だにしないし、あまり楽しそうには見えないのだが自発的に退く気もないらしい。吸い込まれそうなほどに透き通った蒼色。
かと言って視線をあげると『ぐぬぬ』としか言いようのない表情でこちらを見ているシャロンと目が合うので、僕は曖昧に視線を彷徨わせた。
「交代。そろそろ時間」
「正確に測りなさいカトレア。あと24.06秒あります」
「勘違いしないでください、私のオスカーさんですからね、私の!」
この微妙な膝枕タイムは、どうやらまだしばらく続くことになりそうだった。
リリィに平野の片付けをお願いしていたのと同様に、カトレアにはガムレルより少し西の村をまわってもらい、主に麦や粟など糧食の買い付けを頼んでいた。
町に行商人が来ないのであれば、入ってこない分の物資はこちらから調達しに動く他にないからだ。
ダビッドソンと倉庫改があれば金のある限り好きなだけ買い付けができる。それこそ行商人に嗅ぎつけられたら大変なことになりそうだ。
今のガムレルでは、よほど変な値付けをしない限り、食糧はあればあるだけ売れる。
理由は大きくみっつある。
ひとつは、行商が来ないために食糧の供給が普段より乏しいこと。
ふたつめは、魔物の軍勢によって壊滅状態にあるガムレル東の平野は穀倉地帯だったため、町民のあいだで来年以降の収穫に不安が拡がっていること。
そして、みっつ。リリィの報告にもあったとおり、魔物の侵攻によって村を失った難民たちがガムレルに流れついているため、食糧の消費ペースがこれまでよりも速いことなどが挙げられる。
僕の膝上から渋々といった様子――相変わらず無表情だが――で退去したリリィに代わって収まったカトレアの報告も聞いていると、どうやら近隣の村々でも食糧の値段が上昇傾向にあるらしい。
難民が流れているのはガムレルだけではなく、また魔物が侵攻してくる不安から出し渋るのも理解できる。
魔道具の販売で築いた財を使ってわりと気前よく買い付けているので、できるだけ高く売り付けようとしてくるのもわかる。
けれど、事はそれだけに留まらないというのだ。
「王都の関税が上がってる? 確かな情報か?」
「肯定。連動して他の町も増税傾向」
『大激震』によって危機感を募らせたか、王都の関税が軒並み上昇、とくに食べ物に至っては持ち込みだけでなく、王都外への持ち出しに対してすら税が掛けられているという。
行商人がやってこないことともけして無関係ではあるまい。
ゴコ村の商人、ヒンメル氏にも話を聞いてみるべきかもしれないな。彼は元気にやっているだろうか。
見上げてくるカトレアの無表情をやり過ごしつつ、僕は深く溜息をついた。やることが山積みだ。
「引き続き、食糧の確保が急務だな」
「アーシャさんたちのこともありますからね」
「ああ」
さすが、シャロンは僕の意図を汲み取るのが実に早い。
「治安の悪化を懸念しているのですか」
「必然。食料事情の逼迫は、そうなる危険性を孕む」
少し遅れて気付いたリリィたちに、僕は頷きで返した。
3年ほど前に、盗賊が増えて大変なのだと父さんがボヤいていた覚えがある。
当時はその関係性には思い至らなかったけれど、今でこそわかる。その年は冷害が猛威を奮い、食うに困った者のうちの一部が物盗りに身を落としていたのだろう。
飢餓の苦しみは到底耐えがたいものであるらしい。僕はまだそこまでひどい飢えに苛まれたことはないが、それは単に運がよかったに過ぎない。
自分だけでなく、家族や大切な人たちに飢える苦しみを味合わせるくらいならば、他人から奪い取る。そう考える者が出始めれば、町の治安は一気に悪化してしまう。
そうなったとき、まず標的にされるのは力や立場の弱い者だ。
今や"紫電"なしでは目で追うことすら困難な速度で走り回るアーニャはともかくとして、アーシャやラシュ、ルナールは大人数に囲まれたら危ない。とくにルナールは首輪もしていないし、魔道具全般に拒絶の姿勢を示す。しかも僕が見ていたらすぐに逃げてしまうので、ほとんど無防備なままなのだ。
今のところ、屋敷の屋根裏など人の寄り付かないところにいることが多いようだが、いつまでもそのままというわけにもいくまい。
それに。せっかく大激震で生き残ったのに飢えに苦しんで悪行に手を染めるしかないなんて、町の人たちにとってもあんまりじゃないか。
「だからさ、必要なことなんだよこれは。けして僕が道具いじりがしたいわけじゃなく。いやそういう気持ちもなくはないけど、ほとんどは純粋に町のためを思って」
「要約すると?」
「剥ぎ取ってきた素材ちょうだい」
「そんなことだろうと思いました」
リリィは無表情を崩さないまま、やれやれと肩を竦めてみせた。
かなり婉曲に『行商人が来なくて困ったね』という話から入ったというのに、僕の魂胆はどうやらバレバレであったらしい。おかしいな、こんなはずでは。
「だって! ただ療養に努めるのも暇なんだよ!」
「仕事中毒もほどほどにされるのがよろしいかと」
「保護者が増えた……」
「提案。徹夜をしなければいいのでは?」
カトレアが至極もっともな提言をしてくる。正論だが、それが出来るなら苦労はない。
「集中してると時間の経過を忘れるんだよなぁ。『これが終わったら寝よう』と思ってるうちに朝になってるし、かと思えば夜になってるし。や、大丈夫、回復薬茶があるし、5徹くらいまでは誤差みたいなもんだって」
「だめだこの主。はやくなんとかしないと」
安心してもらうつもりだったのだけど、逆に呆れられてしまった。普段の特徴的な口調を保てなくなる程度にはダメらしい。げせぬ。
「ただまあ、体力は回復できるけど回復薬茶は体を包む心地良さがあるから眠気を飛ばしてはくれないんだよなぁ。味を変えてみるかな、前にシャロンが教えてくれた炭酸ってのも試してみたいし」
「いっそのこと名前も目が覚めそうな感じにしてみませんか、『魔剤』とか」
「それはいいな、実に強そうだ」
さすがシャロンだ。僕のやりたいことを的確に先回りしてくれる。
見た目も鮮やかな蒼にして、シャロンの翼を授かるイメージなんてどうだろうか。いいな、早速作ってみたくなってきたぞ。
そのためにはリリィが集めてきた新素材がほしい。ぜひともほしい。
薬効を高めるまだ見ぬ手段が眠っているかもしれないし、新たな閃きだってもらえるだろう。
災厄の魔物は通常のものより筋力も瞬発力も秀でた個体が多かったという。その心臓まで手に入っているというのだから、うまいことやれば怪物的な力の源を抽出できるかもしれない。
さて、どうやって懐柔したものかな。あ、でもその前に。
「今の話はアーシャには内緒だぞ。ちゃんと寝なさいって怒られたばかりだしな」
一応、釘をさしておく。
僕だって好き好んで怒られたいわけではないのだ。
さーて、それじゃあなにから手をつけようかな! まずは回復薬茶の在庫を確認して、改良の余地がある部分を洗い出して、試してみたかった薬草をリストアップして、治癒魔術の作用を再解析して――と頭の中で算段をつけはじめたところで、止まる。
おかしい。リリィもカトレアも返事を返さず、いやに静かだ。
なぜかふたりとも、いや、シャロンまでもが僕から目を逸らして――というか部屋の戸口あたりに目を向けて、いるような?
ぎぎぎぎ、と軋むようなぎこちなさで僕がそちらへと振り向くと。
「オスカーさま?」
なんということでしょう。いつのまにやら、そこにはにっこり笑顔なアーシャが君臨しているではありませんか。
アーシャの呼びかけに、今の今まで無表情で僕の膝の上でくつろいでいたカトレアがしゅばばっ! と飛び起き、リリィのすぐ隣にまで後退した。無関係を決め込むつもりか!?
「オスカーさま? なにがアーシャに内緒なのか、詳しく教えてほしいの」
どこから聞かれていただろうか。まずい……。
「なにがまずいの? 言ってみるといいの」
いや笑顔だけどあれ笑ってないわ。ふつふつと怒っていらっしゃるわ。でも普通に心を読まないでほしい。シャロンといいアーシャといい、僕はそんなに表情に出るのだろうか。
その少し後ろでは『あちゃー』とでも言いたげに片手で顔を覆うアーニャがいて、僕は今回のオチを悟った。
結論を言おう。このあとめちゃくちゃ叱られた。