僕と英雄と力の代償
ヒトという種は弱い。そして同時に強かさも兼ね備えている。
『大激震』から数えて15日が過ぎる頃には、町ゆく人々の混乱も少しずつ平穏に溶け、表立って諍いが起こることも少なくなっていた。
けれど動乱の傷跡は、まだそこかしこに深く刻み込まれたままだ。
ガムレル東門と周囲一帯の市壁は崩れて再建の目処は立っていないと領主が頭を抱えていたし、激震によって住居が崩壊して避難所に身を寄せている者も少なくない。
町が滅ぶかどうかの戦いの顛末としては随分軽い被害と言えるかもしれないが、住み慣れた我が家を失う苦痛と喪失感が凄まじいことを、僕はよく知っている。経験則ってやつだ。嬉しいものではないが。
僕らにしたって、工房が完全に倒壊してしまっているということなので、リーズナル邸に身を寄せさせてもらったままでいるし、そのリーズナル邸だって被害を受けている。壁から屋根までを一直線に突き抜ける形で、随分と風通しの良いことになっていたりするのだ。
アーニャの証言では『泥の巨人』の砲撃によるものだという話だけれど、それを思えば屋敷が丸ごと吹き飛ばなかったのがむしろ奇跡的かもしれない。
その〝奇跡〟の代償が、いま、僕の目の前に横たわっていた。
淡々と治療の準備を進めるシャロン以外には動く者のいない室内で、僕は問いかけた。
「いいのか、本当に。後悔しないか」
「ああ――かまわないさ」
応えたのは、消え入りそうなほどに小さく掠れた弱々しい声。
ベッドの上で力なく横たわったまま、男はかすかに笑ったようだった。
彼の名はカイマン = リーズナルという。
ガムレル周辺一帯を取り仕切る領主、リーズナル家の次男であり、基本的に善良かつ品行方正、弱き者に手を差し伸べる模範的な好青年、それだけに飽き足らず顔もいいという、とんでもない欲張り野郎だ。
もともとガムレルの人々の間での人気は高いカイマンだったが、今やその人気も天井知らずだ。なんたって『大激震』の最初から最後まで、この町を守りきった掛け値なしの『英雄』でもあるのだから。
なんでも、カイマンはたったひとりで三万だとか五万だとかの魔物の軍勢に対峙して、さらには『泥の巨人』の砲撃を剣一本で何度も切り払ってみせるなどという、とんでもない離れ業を披露したのだとか。そんなこと僕にだってできないぞ。
俄には信じがたいけれど、アーニャやセルシラーナ、リーズナル家のメイドたちの話を総合するとそんな感じになる。
カイマンの奮戦によってこの屋敷は全壊を免れ、それによりアーシャの命も救われていた。
アーシャが拡声魔道具越しに歌を届け、"調律"の神名による権能を発揮し続けていなければ、僕とシャロンが災厄を打ち倒すことはできなかったのだから、ガムレルだけでなく世界を救う重要な役割を果たしたと言ってもなんら過言ではない。
それだけの働きを神ならざる人の身でやってのけたのだ。代償は当然のごとく、その身に還る。
カイマンの状態は『ひどい』という言葉で言い表すのが到底軽すぎるほどの損傷具合だった。
状態をみるために包帯を外し始めた段階で、お付きのメイドは嗚咽を漏らし、さめざめと泣きながら部屋の外へと退出していった。
一部の例外を除き体中ほとんどの場所に大小様々の傷があり、ひび割れねじ曲がった骨、穿たれて穴のあいた肩を無理やり高位回復薬茶で塞いだ痕、折れた骨が突き刺さった臓器などの目を覆いたくなるような惨状の数々が戦いの壮絶を伝えてくる。
魔力欠乏で10日も僕がぶっ倒れている間に、シャロンたちの手によって命を繋ぐ"処置"はすでに施されていてなおこの惨状だというのだから、元はどんな状態で運び込まれたのやら想像もしたくない。
僕は魔力で作った極細の指先を何十、何百と操作して、少しずつ彼の治療を進めていた。
右眼に溶けた"全知"の欠片が高熱を帯び、額に浮かんだ汗をシャロンがそっと拭ってくれる。
ちなみに、カイマンは全身くまなくズタボロでありながら、不思議と顔だけは僕が治療を始める前から不自然なほど綺麗な状態だった。なんなんだ一体。"全知"ですら読み取れない、何か特殊な加護でも付いているのだろうか。たとえばイケメンの加護とか。けっ。
綺麗な顔してるだろ、死にかけなんだぜ、これで。
ほとんど無事な顔面とは対象的に、極めて損傷が激しいのが黒剣を振るっていた両腕だ。
粉々に砕けた骨が所々で炭になるほどの極大魔術の砲撃を受けて、よく生きていたものだと感心する他ない。
「本当にいいのか。考えを変えるなら今だぞ」
「はは……、私の気持ちは変わらないよ」
「そう、か……」
カイマンは精一杯の苦笑いをした。
僕は彼の腕だったものに視線を落とす。
ここまで破壊し尽くされてしまっては、もう、たとえ"全知"の権能をもってしても、そのまま元通りに治すことは到底出来なかった。
こんがりと焼いた肉を元の生肉に、どころか生きている状態にまで戻せと言われるようなものだ。
時間にでも干渉するか、『災厄の泥』みたいに生命まるごとを溶かし尽くして概念化するくらいの離れ業でないと不可能だし、僕はそのどちらの手段も持ち合わせていない。
両腕の壊死が全身に害を及ぼす前に、切断するより他に、方法はないのだ。
自分の無力が悔しかった。
世界を救っても、なお。僕はまだ、こんなにも無力だ。
「仕方がないことですよ、オスカーさん。ご本人の意思が固いのですから」
「でも、僕は――!」
それでも、僕は。なんとかしてやりたかった。
町を守り、約束を守った男に報いたかったのだ。自分の力の及ぶ限りの全力で。
「そんな顔をしてくれるな、友よ。……私だってわかっているさ、きみが力を尽くしてくれたことは」
腹が立つほどに端正な眉を困ったように寄せて、カイマンは僕とまっすぐに視線を合わせる。
「しかしな、さすがに腕を増やすのはナシだ!」
「なんでだ、絶対便利なのに! 自信作なのに!」
何度目かの同じ問答の末、僕は鮮やかな青緑色をした培養液からザバァっと新鮮な四つの腕を突きつけた。あと10日もあれば完成する予定のそれは、現段階でもその素晴らしさは伝わるはず。
だというのに、カイマンは弱って青白い顔を、さらにげんなりとさせた。げせぬ。
「そんな力説されてもな……むしろ不便なことのほうが多いと思うのだが……」
「む。僕が単に自分の興味で四本腕をつけたがってるとでも思ってるんだろ。ほんとに便利なんだぞ、な、シャロン?」
「ハンドクリーム出しすぎた時とかにも良さそうですね」
「ほら!」
「ほらじゃないが」
カイマンにはシャロンの援護もあまり響かなかったようだ。
むぅ。思った以上に食いつきが悪い。黒剣みたいに光るようにすべきだったか。今からでも仕込もうかな。
「逆に聞くがオスカー。なぜ頑なに私の腕を増やそうとするんだ。力を尽くしすぎなんだ。腕は二本で十分なんだよ、私は」
「そうか。なぜ二本じゃないか、か。いいよ、笑えよ。僕が無力なばかりに、腕が二本だと必要最小限の術式しか組み込めなかったんだよ」
「私はその必要最小限で十分なのだが」
「まあ聞いてくれよ」
勘違いしてもらっては困る。僕だって、なにも最初から四本腕にしようと思っていたわけじゃあない。
ただ、途中で気付いたんだ。べつに腕が二本という固定観念に縛られる必要がないことに!
生体培養技術は帝国の魔導機兵だったリリィとカトレアが持っていた知識だ。
彼女らがカイラム帝国樹立のために暗躍していた頃にいくつもの遺跡を探索し、その中で見付けた遺物に内包されていたものだという。
それらの失われた文明の知識の中には、他にもいくつもの有用な技術が日の目を見ることなく眠っていた。
その中には強化骨格や、シャロンたち魔導機兵の強靭な躯体を形成している生体鋼のものもあった。
残念ながらそれらをそのまま作り出す素材も技術も設備も何もかもが足りなかったのだけれど、気付くキッカケにはなったのだ。
切断して付け替えが必須ならば、どうせなら良い物を着けたいよな。そのためにはべつに従来の骨と肉でなくてもいいよな! と。
「そうかぁ、気付いちゃったかぁ……」
「いいか、これでもかなり方策を練ったんだぞ。おまえの元々の血だと魔力がそこまで多いってわけでもないから『腕』の出力が十分に発揮できないだろ、だから昼霧の根から抽出した高純度の魔素を、領主様からもらった血液を濃縮培養して癒合させてみたんだけどな。それ自体は割合を変えたり補助素材や触媒を何度か試してうまく行ったんだけど、結構な毒性がどうしても除去できなくてさ。でも魔力循環としては理想的だし、捨てるのも惜しいしで、毒を除去できないなら耐毒を腕のほうに付与してやれば解決するという閃きがあってな、っておい聞いてるかカイマン」
「そうかぁ、閃きがあったかぁ……」
『腕』は、かつての文明の叡智と現代の魔術の合わさった、全く新しい魔道具だ。
魔術を刻んだ人工骨を芯にして、本人の肉体をもとに培養した腕を"再生"させたのだ。もとは自身の体なので拒絶反応もない。義手ではないので、魂と縫合してやれば文字通りに自分の腕として完璧に動くし、ふつうに血が通っているので時間が経てば傷も治る。
厄神龍戦で僕自身の腕を魔道具に加工したり、魂だけの存在になった経験も活きた、まさに珠玉の逸品なのだ!
人類がかつて操っていた神と見紛う技術に思いを馳せているのだろう。カイマンは妙に虚ろな目をして相槌を打つ。
新しく腕を移植する都合上、増やしたくなった時に簡単に付け足す、なんてことはできない。つまり、つけるなら今しかないのだ。
この分だと、考えを改めて四本着けてもいいよと言ってくれるまでもうひと押しといったところだろうか。よし、頑張って素晴らしさを説くぞ!
隣ではシャロンがにこにこと見守っている。きっと僕の説得を応援してくれているに違いない。
「"肉体強化"も"硬化"も便利なわりに術式としては複雑じゃないから付与できると思ったんだけど、力場が厄介でさ。互いの術式が干渉しちゃうし、異空間に術式を押し込んでおいても展開する時には現界させなきゃいけないしで、そのたびに血の流れが止まるのもちょっと困るだろ、下手したら死ぬし。だから場所を離すために腕の数を増やしてしまえばもっと術式が積めるぞ、ってことに――いや、四本がまずいのなら、いっそ五本でもいい、のか?」
「そうかぁ、積めちゃうかぁ……。って待て待て待て。落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。少なくとも奇数はやめないか。いや違う、そうじゃない、そもそも増やすつもりがないんだった。危ないところだった」
「なんでだよ、黒剣だって4本持てるようになるんだぞ」
「君の中では、私は今度はいったい何と戦わされる想定なんだ……?」
「それは、こう、黒剣4本でなんとか渡り合えるような敵だよ」
「そんなのが実在するのならば、さすがに私も逃げたいよ」
「4本で不安なら5本にするのもやぶさかではないけど」
「すこぶるやぶさかだとも! 奇数はおかしいと言っているだろう。君は変なところばかり思い切りが良すぎるんだ、だいたい――……」
町を救い、死にそうな目に遭いながらも死の淵でぎりぎり踏みとどまり、生き延びていてくれたひとりの英雄と、瀕死の友人相手にぎゃあぎゃあ言い合っている僕を、シャロンはしばらく飽きもせずにくすくすと笑って見守っていた。
――余談だが。
途中で様子を見に来たメイドさんに思いっきり泣かれて困り果てたため、カイマンの新しい腕は二本ということで決着した。
カイマンはメイドさんを拝んでいた。拝みまくっていた。
仲がよろしいのは大変結構なことだけれど、僕としては説得がうまくいかず残念だ。ああ、この身が無力なばっかりに。
ガムレルを守った英雄、人間離れを免れる(見た目は)
おニューの腕には怪力、毒物への極めて強い耐性が付いています。