オスカー・シャロンの魔道工房
「"回れ! 蒼き義のために!"」
声を張り上げる。高く、遠く、どこまでも響くように。
徐々に回復していく視界の中で、希望の轍によって集められた世界中のヒトの魔力が収束する。収斂する。
未来への道を閉ざす檻を穿つ、人類に残された希望の一矢を引き絞る。
それはもはや黄金の嵐と呼ぶにふさわしい。
アーシャの”調律”によって方向性が定められ、シャロンを筆頭にリリィ、カトレアの演算によって波長を整えられた人々の願いの力は、荘厳なうねりとなって黄金の螺旋を紡ぎ、束ねられていく。手を繋ぐ僕とシャロンを中心にして、凄まじい力の奔流が轟々と渦を巻く。舞い降りた天空の星々が踊り遊ぶがごとき、非現実的な光景。
神にしてみればヒトが決死で抗ったって、小さい火の粉にも満たない存在に違いない。でもそれが寄り集まったら。けしてかき消せない猛火となる。
『小さき者よ。儚き者よ。あさましきものよ。なにゆえ抗わんと欲す』
天高くにまで伸びた暴風に隔てられた向こう側。複数の神名による〝世界改変〟の一撃を凌がれた災厄の名を冠する龍種が忌々しげにこちらを睥睨した。鮮血を思わせる真紅の両眼には明確な殺意が宿っている。ようやく僕らを排除すべき敵と認識したらしい。
神のごとき存在に敵意を向けられたという事実、ただそれだけで重圧と衝撃が僕を貫いた。本能的な畏れが心臓の律動を狂わせる。
いかに多くの者の助けを得ようとも、神とヒトの間に分かたれた存在の格の差は厳然たる事実として変わらない。
――それがどうした!
僕はオスカー。オスカー = ハウレルだ。
存在を賭して神の力さえ跳ね除けてみせた両親の息子、シャロンとふたりで最強の、神をも撃ち倒す者の片割れだ!
「”重ねる! 回れ、想いを絶やさぬために!”」
永劫螺旋を二重詠唱。
荒れ狂う暴風に願いを吠え、神を堕とす矢を研ぎ澄ます。
「やりますよ、オスカーさん! この光は私達だけが生み出しているものじゃありません!」
知ってる! 知ってるよそれは! むしろ僕らの魔力なんてほんの一部だよ!
シャロンが唐突にぶっこんで来るときの例に漏れず、たぶん何か過去の知識を引用したものなのだろうが、あいにく僕は永劫螺旋の詠唱中だ。突っ込む余力なんてありはしない。厄神龍と違って口は一つしかないしな。代わりに少し強めに手を握る。隣のシャロンが微笑んだ気配に、僕も張り詰めていた息を少しだけ吐いた。
こんな局面でも、シャロンはいつも通りだな。
いや。こんな局面だからこそ、か。
肉体を無理やり再構成し、大切な人たちとの二度目の別れも経験し。
束ねられて螺旋に渦巻く黄金の魔力は、もはや希望の轍が砕けて一度失敗したときの比ではない。一手誤れば今度は跡形もなく吹き飛ぶ。それはけして比喩でなく。
一瞬の精神の揺らぎが命取りになる今この状況において、『いつものように』支えてくれる彼女にどれほど救われることか。
「”回れ! 未来へ至るために!”」
『愚かしい。救いがたい。神の慈悲を拒むその不遜』
螺旋の渦を隔て、紅玉の瞳が僕らを射抜く。
災厄の言う『慈悲』とやらは、泥の中に形成された、すべてが一つになった、終わらない世界だ。実体験した僕から言わせれば楽園でもなんでもないが。
あの世界は不変だ。進歩がない。可能性がない。
可能性とはすなわち、変われる力だ。
何も変わらない世界では何も生まれない。
生きている限り、人は変わる。成長して、老いて、やがて死んでいく。
死んだ者は生き返らない。生き返ってはいけない。
どんなに理不尽で、どんなに逢いたくて、どんな理屈があろうとも。
その理は侵してはならない。だからこそ人は足掻くんだ。その生を少しでも豊かにするために進むんだ。
大切な人と一緒に、まだ見たことのない物を見て。笑って。悩んで。怒って。やがて次代に受け継いで。
死を迎えようとも重ねた想いは消えはしない。人と人の間で継がれ、未来へと繋がれていく。想いは、命は、遥かな昔から繋がっている。ここで唐突にぶつ切りになんて、させるわけにいかないんだ。
きっと父さんと母さんもそうありたいと願ったからこそ、僕が生まれたはずなのだから。
だから。僕は神の与える『慈悲』を否定する。
足を引っ張りあい、相争うこともしょっちゅうあるのがヒトだけれど。
命を紡ぎ。螺旋を紡ぎ。弱くとも手を取り合い未来へ進む可能性も持っているのがヒトなれば。
散っていった者たちと、明日を願う者たちのすべての想いを束ね、災厄という障害を越えて、人類はその先へ行く!
『身の程を弁えよ』
――神名〝略奪〟
――神名〝審判〟
――神名〝大嵐〟
――神名〝忘我〟
――神名〝超越〟
――神名〝不変〟
――神名〝因果〟
――神名〝天命〟
――神名〝崩壊〟
――神名…………
あたかも神による断罪とでも言うかのように、厄神龍は神名を矢継ぎ早に励起させる。
赤熱する右目が伝えてくるその数、実に六十六。僕はその中のひとつに、見知った神名を見つけた。
――神名〝全知〟
思えば、僕の右目に突き刺さった眼鏡の断片なんてほんのひとかけらにすぎない。
大部分は泥に呑まれたはずなので、”災厄”が持っていてもおかしくはないのか。
なら、わかるだろう? 僕の狙いが!
わかったところでもう遅いけどな。
そして、どうも僕の狙いがわかったのは厄神龍だけではなかったらしい。
『お膳立ては済ませたぞ。やれ、少年』
勇者のあんちくしょうの声が希望の轍越しに小さく響いたのだ。
僕がニヤリと口の端を持ち上げると、シャロンも小さく頷いた。
僕らは、番えた神殺しの矢をついに解き放つ。
「”世界を救え! 永劫螺旋!” 喰らえ、」
ついに収束し切った魔力の奔流を叩き込む先は厄神龍――ではなく、希望の轍。籠める魔術はシャロンとともに唱和する――!
「「”剥離”!!!」」
ジレット = ランディルトンの肉体を媒介に顕現した”世界の災厄”の魂、厄神龍。
その再生能力は無尽蔵で、頭を吹き飛ばしたところでたちどころに再生する。それどころか頭が増えて、所構わずブレスやら咆哮やらを放ちまくる。厄介な事この上ない。
そのカラクリは、魂、精神、肉体に三分割されて封印された”世界の災厄”の、『精神の封印』がまず緩んだことにある。
ネクロマンサーだかなんだかの動乱で緩められた封印の隙間を縫うように細分化して少しずつ、少しずつ漏れ出た”災厄”の精神は、広い大地に根を張るように浸透した。
それが厄神龍に魔力を与え続けている元凶であり、死んだ人の魔力を蒐集して泥を生み出していたモノであり。
そして。大地を埋め尽くすように広く薄く根を張った存在を引き剥がすには、僕の得意技が最適だろう。
元は鍋の焦げを剥がしたりする、生活の中でのちょっと便利な魔術。それが”剥離”魔術だけれど。
鍋の焦げも、大地に巣食う”災厄”も、剥がしてしまえば似たようなものだろう?
「いけぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
黄金の螺旋が希望の轍に吸い込まれ、『オスカー・シャロンの魔道工房』の魔道具越しに、世界各地で炸裂する。
世界各地と言えども、もちろん魔道具のない場所には効力を発揮しようはずもない。そして山奥や荒野等、人が踏み入らない部分にまで魔道具があるはずがない。転移の力を駆使する勇者がバラ撒いてまわったりしない限りはな。
「あ、なるほど。それであの方は頑なに赤い衣を纏っていたんですか? メリークリスマス?」
シャロンがまた適当なことをつぶやきながら、こてんと首を傾げている。
その間にも、大陸まるごとを極大の魔法陣と見立てた剥離魔術が発動。世界を覆っていた”災厄”の因子が剥がれ、吹き飛んでいく。
勇者の力でも、もちろん僕とシャロンの力をもってしても滅ぼせない。なら、広い宇宙に追放だ。じゃあな。できれば二度と合わないことを願ってるぞ。
それはさながら、地上から宇宙へ飛び立つ流れ星のような光景だった。
赤黒く染まった空を切り裂く、明日を祈った人々のための願い星。
『ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――!!!』
厄神龍の燃え盛るすべての眼がまっすぐに僕らを射抜いた。
神を称した尊大さをかなぐり捨てて憤怒に染まり、絶叫と雄叫びが混然となった轟音を撒き散らし、顎門をがぱりと全開にした。全ての頭がブレスを放つべく極光を引き絞る。
僕とシャロンはそれを正面から見据える。僕らが対処するまでもないからだ。
直後、厄神龍の首の付根辺りで幾重にも爆発が生じ、極光が暴発。力の奔流が周囲を白く染め上げる。
〝隠者の衣〟で潜伏していたリリィとカトレアが、ありったけのヒュエル爆弾系魔道具をぶち込んだのだ。
『油断、大敵』
『我らの初代主を喰らった報い、ようやく受けさせました。ざまあみろです』
夜の静謐と星辰の瞬きが見守る中で、大地からの魔力供給が絶えた異形の龍は、ついに骨がどろりと溶けたように瓦解していく。人の頭ほどもある目玉が紅の眼光を薄れさせ、ぼとりと落ちた。
赤く染まった空は、もうない。
星辰はまばゆく豪奢な夜の闇を彩って、星屑の瞬きが勝利を告げる。
「人類の、勝ちだ」
一瞬の静謐。
次の瞬間には、希望の轍を通して、破れんばかりの盛大な雄叫びがいくつも打ち上がった。