それぞれの戦い - つないだ手と手が離れても
魔導機兵は強力な存在だ。彼女らの主戦場たる電子戦の舞台が存在しない今の時代においてさえ、その優位は揺るがない。
人間大でありながら類稀な演算能力、脆弱な人間とは及びもつかない耐久性。動力供給さえあれば休息をほとんど必要としない稼働性能に、自らの状態を最適に保つ自己修復機能。そして必要とあらば自らの失逸すら辞さぬ、主人への絶対的な献身。
その献身が絶対的な弱点となろうとは実に皮肉な話である。
『敵うはずないとわかっていたはず。それなのに』
『同意。彼ならばと期待をしていた』
『期待、だなんて魔導機兵らしくないにも程がありますが』
希望は打ち砕かれた。まさに演算結果をなぞるように。
オスカーとシャロンが繋いだ手は断たれ、彼は泥の海に飲み込まれた。
〝隠者の衣〟内に密着して潜伏し、ネットワークを介して〝蒼月の翼〟の機動演算やダメージコントロールを受け持っていた魔導機兵12号と65号の両機は、その光景を見届け、悟った。
人類は、敗けたのだと。
魔導機兵は主人の命令には絶対服従する。そういう兵器、そういう存在だ。
どれだけ強力な力を持とうとも、御しきれない兵器など運用に堪えない。
ゆえに魔導機兵が魔導機兵である限り、主人を害することはできず、命令に背くこともない。
彼女らが製造された段階では、主人を存在ごと喰らって成り代わるなんてことは想定されていなかったのだから。
『平伏せよ。服従せよ』
だから、それは終わりの宣告だ。
無数に湧き出し手招きする泥人形の一部として、オスカーは取り込まれてしまった。
いまや泥の発する言葉はシャロンにとって主人のものに等しく、魔導機兵はその命令に背けない。これこそが、かつて人類への叛逆を余儀なくされた彼女らの顛末であり。
「お断りです!」
そしてそんな仕様、普段から主人に対して愛あるダメ出しや、承服しかねる指示に『アー、アー、聞こえないですねー』くらいの対応すらわけないシャロンにとっては、知ったこっちゃないのだった!
『哀れな人形よ。何故抗う』
「人形もある意味三次元ですからね、なんでも思い通りになると思ったら大間違いです!」
反論になっているようでその実まったくなっていない。不可思議に反響する異形の声さえ若干困惑気味に聞こえるのは気のせいではなかろう。
そして困惑を重ねているのは、何も”災厄”の側だけではなかった。
『疑義。あれほんとに魔導機兵と同じもの?』
『同じ形をした別のなにかでしょうきっと』
『こわ』
『しみじみドン引きするのやめてもらっていいですか。それに、くっちゃべってる余力があるなら厄神龍の弱点でも見つけてくれません?』
魔導機兵として”落ちこぼれ”だとか”異端”とか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない、というかあれそもそも別物じゃない? と戦慄を覚える姉たちにネットワーク越しにシャロンから叱責が飛ぶ。
ちなみにリリィとカトレアのマスター権限はオスカーではなくシャロンが保持したままだったので、即時に敵対するという最悪な状況には陥っていない。もちろん狙ってのことではなくたまたまだが、戦場ではこういった運というやつもなかなかバカにはならないのだ。
もっとも、この時点で仮にオスカーがマスター権限を持っていた場合でも、彼は泥の中で魂だけの状態でなお障壁を張り存在を食い尽くされるのを防いでいたので、リリィたちのドン引きは自分たちにブーメランとして突き刺さっていた可能性もなくはない。そういう意味でも運が良かったと言えるかもしれない。
断たれたオスカーの片腕と、半壊した転移魔道具〝希望の轍〟を抱えたシャロンは、〝蒼月の翼〟と同色の瞳の奥で高速演算を瞬かせ空を駆ける。時折爆撃を仕掛けては厄神龍のブレス発射を阻害し、地形を利用して翻弄する。
なんのために? 決まっている。オスカーが戻ったときに自分が堕とされているわけにはいかないからだ。
シャロンは見ていた。彼の身体が泥に呑まれ、全てが溶け落ちるのを。いくら手を伸ばしても届かない、自らの無力を噛み締めて。
すべての計器は彼の生存を支持しない。いかな演算を重ねようとも彼の死が覆る余地はない。
けれども演算結果なんてクソ喰らえだ。もう少し丁寧に言うならば排泄物を召し上がるといいです。
シャロンはオスカーが戻ってくると信じている。彼がシャロンを信じ、けして諦めずに運命を切り開いてみせたように。
彼は言ったのだ。ひとりにはしないと。だからシャロンはその言葉を信じている。信じ続ける。今も、これからも。ずっと。
人は皆いつかは死ぬ定めだ。終わりのない物語なんて、ない。
その終わりのカタチが、こんなものであっていいはずがない。
健やかなるときも、病めるときも。
喜びのときも、悲しみのときも。
その命ある限り、ともに在ると誓ったのだから――!
「オスカーさんの諦めの悪さは一級品ですから。私だけが先に諦めるわけにはいきません!」
諦めなかったとしても、その先に希望があるとは限らない。
けれど希望を掴み取れるのは、諦めなかった者だけだ。
そして、この時。希望がつながったのは誰もが諦めなかったからに他ならない。
その瞬間は唐突に訪れた。
ブレスの発射体勢に入っていた厄神龍が、動きをわずかに硬直させたのだ。
不自然な停止にシャロンは訝しげに蒼い瞳を細める。わざと隙を作ってこちらの動きを誘っているのだろうか。それにしてはあまりに不自然にすぎるけれど、と。
時を同じくして、遠く海の向こう、封印の祭壇にてルナールが再封印に成功したことを、同じ場にいたラシュとらっぴーだけが知っている。
これにより、祭壇を楔として封じられていた”世界の災厄”の魂は、その9割ほどを幽世に残したまま、現世との接続を再び失った。
次なる変化はシャロンの手の中で起こった。
”災厄”の発する重圧が減じたことにより、壊れかけていた〝希望の轍〟の経路が通り、そして。
『”希望は消えない! いつだって 前を向けば ほら、明日が見えるから!”』
歌が溢れ出した。
『”災厄”とは異なる膨大な魔力反応を検知。これは一体?』
リリィが驚くのも無理はない。
魔力貯蔵庫かな? と微妙に失礼な分類をしていたオスカーよりも、遥かに膨大で濃密な魔力が『歌』とともに溢れ出る。
ともすれば、圧倒的な威容を誇る厄神龍にすら届き得るほどの。
『綺麗――――』
カトレアが端的に表したとおり、それは美しい光景だった。
飛翔するシャロンの手の中で〝希望の轍〟が輝きを放ち、溢れた魔力がまるで黄金の道のように尾を引いていく。
あまたの人の魔力が混ざり合い、高め合い、響き合って、希望の轍を引いていく。
心を持たないはずの魔導機兵ですら、そこにある種の神々しさすら感じるほどに。
『”手を繋げばとべるよ”』
「アーシャ、さん――?」
シャロンは思わず半ばから断たれた彼の腕をぎゅっと胸に抱きしめた。
かつてシャロンが助け出した、か弱き少女の歌声が戦場を染め上げて、厄神龍が不快げに巨体を攀じる。
敵を打ち倒す力ではなく。誰かを守る力でもなく。
誰かの想いや誰かの願いを重ね、紡ぎ、響き合う。
『”繋いだ手と手は離れても 繋いだ心は離れないから”』
『歌声』に導かれ、シャロンの裡で輝く螺旋宝珠からも魔力が溢れ出し、黄金の帯へと連なっていく。
ひとりひとりでは弱くたって、ヒトの心を束ねれば何にも負けない力になる。
それはときに奇跡さえ起こしてしまうほどに――!
『”ふたりならとべるよ!”』
その声に導かれるように。
鮮烈な紫の魔力の渦が、泥の海のただ中から轟ッと吹き上がる。
「――――――――――〜〜ッ!!」
声にならない叫びを発し、その地点めがけて薄蒼の翼をはためかせ、シャロンは一も二もなく急降下を敢行する。
じわ、と視覚情報にノイズが混じる。魔導機兵は涙を流さない。瞳を潤す必要がないからだ。だから本当に目に小さなゴミでも入っただけなのだが、きっとこのとき少女の心は涙していたに違いない。
魔力の渦に堰き止められ、半径8mほどの円状にぽっかりとあいた泥の海の空隙の中心部に見つけた彼に向け、シャロンは手を伸ばす。
永遠のような一瞬、視線が絡み合う。
彼の右目は元とは違う黄金色に輝き、異質な魔力を帯びている。元々の深い紫の左目と合わさると、その異様がひどく際立つ。けれど困ったように笑う表情は見間違うはずがない。
そしてふと、演算回路の片隅に引っかかりを覚えたシャロンはその記憶を思い出していた。
あれは、そう。第28回ハウレル家の家族会議。もしかしてキャラ立ちが弱いのでは? と心配する彼に提案したことがあった。『テーマソングがあればいいのでは?』と。
戦場に満ちる歌に導かれての帰還だなんて、まさに完璧なシチュエーションではあるまいか。
「オスカーさんっっっ!!!」
「おまたせ、シャロン」
シャロンは彼の掲げた掌をしっかりと握りしめた。もう二度と、離れることのないように。
「それ伏線だったの!?」シリーズ。
97話目の『僕と家族会議』でテーマソングの話をちらっとしていました。
今回303話目みたいです。うわー。誰も覚えていない予感がひしひしとします。