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僕と幸せな理想郷 そのいち

こちらは本編です。

 朝の訪れは空気の変化でそれとわかる。

 特別に感覚が鋭くなくたって、否応なく実感するのだ。住み慣れた我が家の、やや建付けのわるい窓枠から染み込んできた冷気によって。


 ――くしゅん。


 今日も今日とて、ぶるりと身震いして薄く意識が浮上する。

 覚醒しきらないぼんやりした意識で小さく鼻を啜る。目を開けるのさえ億劫(おっくう)な気怠さが全身を包んでいる。


 寝ている間にはだけてしまったらしい毛布を手探りで探し当てた僕は、緩慢(かんまん)な動作でモソリモソリと(まと)いなおすと、実に自然な流れで二度寝に突入した。一度目覚めかけたあとに貪る惰眠(だみん)ほどに心地良いものもなかなかない。


「オスカー、オスカーってば、もう。そろそろ起きなさいったら」

「ん、……ぅー、………………あと5年……」

「いつまで寝る気なのよ、この子は。まったくもう」


 聞き慣れたその声は、呆れた様子を隠そうともしない。

 つかつかとベッドのすぐ傍にまで気配が近付いてきたと思った次の瞬間、そのひとは僕がくるまっていた毛布をがばぁっ! と容赦なく取り上げた。


「さっさと起きなさい、もうすぐジェシカちゃんとフリージアちゃん来ちゃうわよ?」

「あ〜……わかった、わかったよ。ふぁあああ〜……」


 しょぼしょぼする目元を拭って大欠伸(おおあくび)をひとつ。

 仕方なく起き出した僕は、抱えた洗濯かごの一番上に剥ぎ取ったばかりの毛布を置いて歩み去っていく背中に声を掛ける。


「……おはよう、母さん」

 

 こうして一日が始まる。

 いつものように。昨日と同じように。きっと明日も同じように過ぎていくだけの。

 代わり映えのない、平穏な一日が。


「おはよー」

「おはよ、オスカー。なんだかすごい寝癖がついてるよ?」


 外に出た僕を、朝の挨拶もそこそこに苦笑いで出迎えたのは、隣に住んでいる幼馴染のジェシカだ。

 短く切り揃えられた榛色(はしばみいろ)の髪と同色の瞳、天真爛漫な笑顔を振りまくジェシカは、僕より少しだけ歳上なのをいいことに、ことあるごとにお姉さんぶってくるのだ。

 彼女は手にした手提げ籠(バスケット)をもうひとりの少女に手渡すと、僕の肩に片手を添えて、そのままつま先立ちになった。僕との間には依然として頭半分くらいの身長差が存在しているが。


「んっ……! 背丈ばっかり伸びても、子供なんだから。ふんっ……! ……ねえ、ちょっと(かが)んでくれない?」

「ええー、いいよべつに。このままで。とくに害はないし」

「いいからいいから。ジェシカお姉ちゃんに任せときなさい」


 どうやら僕のすごい寝癖とやらを直そうとしてくれているようだが、我が家の目と鼻の先でそんな小っ恥ずかしいことをされる僕の身にもなってほしい。

 家の中ではすでに母さんがニヤニヤ笑っているような気がして実に憂鬱だ。


「大丈夫だってば。僕はもう子供じゃない」

「オスカーが反抗期だぁ。ついこの間までは『ジェシカお姉ちゃんと結婚する!』って言ってくれたのになぁ。お姉ちゃんは寂しいよ」

「いつの話だよ……」


 少なくとも、ここ数年の話ではないのは確かだ。

 それに僕はすでに結婚している。

 この国では重婚が許されているという(なんでも、初代の王様がそれはそれは美しい奥さんを大勢(めと)っていたとか)けれど、この村では少なくとも妻や夫を複数持っている人なんていない。

 王都にでも行けば違うのかもしれないけれど、生まれてこのかた行ったこともないし、きっとこれからもないだろう。

 僕はずっとこの村で、父さんや母さん、最愛の――――――


「……、あれ?」

「どったの?」

「……いや。なんでもない」


 ジェシカのきょとんとした上目遣いの瞳に映る自分の姿に、一瞬芽生えた違和感。何かが違う。でもその何かがわからない。

 僕は自分でぐしぐしと髪を撫でつけて適当に寝癖を退治する。直したそばからぴよんと跳ね返ってくる感覚には、面倒なので気付かなかったことにした。


「むぅー」


 睫毛(まつげ)の一本いっぽんが視認できるほどの至近距離で、わずかに頬を膨らせて不満をあらわすジェシカを(かわ)して、僕はバスケットを抱えて待つもうひとりに視線を向ける。


「やあやあ、おはようだよオスカーくん。朝からラヴいコメじみたことをしているね〜。若者がお盛んなことはいいことだよ〜、少子高齢化は国が滅ぶからね〜」

「年寄りくさいぞ、フリージア。お盛んとか言うな」

「こらこら、くさいはないだろ〜、おんなのこに向かってさ〜。なぐるよ〜?」

「そうだよオスカー、失礼だよ。……でも、見た目に反してなにげに攻撃的だよね、リズちゃん」


 『リズちゃん』はジェシカいわくフリージアの愛称だ。ちなみにジェシカしか彼女をそう呼ぶ者はいない。


 『お盛ん』に反応したらしく少し頬を染めたジェシカの言うとおり、小柄で華奢なフリージアは、その間延びした喋り方も相まって、のんびりおっとりとした印象が強い。ぱっと見た感じでは虫も殺せなさそうな。

 朝の陽の光を眩しく反射して銀の髪がさらりと流れ、フリージアは神秘的な紅の瞳を(あや)しく細める。


「見た目や印象なんてのは土台曖昧なものだからさ。"光るもの全て金ならず"ってね〜。言ってしまえば『こうあってほしい』なんて思い込みなんだから、当たろうが外そうが驚くには値しないのさ〜」


 フリージアはこうやって、わかるような、わからないようなことをよく言って、僕らを(けむ)に巻くのだ。

 憂いと達観を帯びた(あか)い眼差しは、少女の装いに溶け合わずに妙なアンバランスさを(かも)し出す。年齢不詳。正体不明。


「やっぱり年寄りくさ――あだっ!?」

「なぐるよ〜」

「殴ってから言うな」

「こえが〜、おくれて〜、きこえてくるよ〜」

「誰がなんと言おうと先に殴ってたからな、今!」


 ぎゃいぎゃい言いながら連れ立って歩く僕らを、見守るジェシカがくすくす笑う。向かう先は村のすぐそばを流れる小川だ。

 昨日は洞窟探検、その前の日は山だったか。

 フリージアは家の都合か、はたまた病気がちだったのか、詳しいことは知らないがずっと外に出られなかったという。

 そのときの反動を埋めるように、あるいは貪るようにして、僕やジェシカを巻き込んでは毎日を楽しそうに、鬼気迫る勢いで遊び回っている。


「……」


 どうにも、違和感が拭えない。

 詳しいことは知らない?

 いや、僕は知っているはずだ。病気なんかじゃない、フリージアは、もっと別の……


「なにボーッとしてるの? オスカーってば、まだ眠いの?」

「や、そういうわけじゃ」


 ない、んだけど。

 どこか言い知れない漠然とした違和感を抱え、けれど気持ち悪い感覚は指の間をすり抜けていく。釈然としない思いに首を捻りながら、僕はふたりに歩幅を合わせた。忍び寄ってくる気持ちの悪い感覚に無理に向き合う必要はない。この世界は平穏で、何者にも脅かされることなく。そして僕は十分に幸せなのだから。


 鬱蒼(うっそう)と茂る樹木の間を縫って、優しい木漏(こも)れ日が降り注ぐ。

 やがて木立がまばらになった先は沢になっていて、清流が静かに(きら)めいている。


 井戸水が少ない季節になると僕らはここに朝夕水桶を満たしに来る。

 だから別段目新しい場所でもなんでもないのだけれど、それでもフリージアは実に嬉しそうにくるくると謎の踊りを披露した。


「そや〜」


 ひとしきり小川の流れを堪能したあと、僕とジェシカが見守る前で、どうにも気の抜ける掛け声とともにフリージアは小石を投擲しはじめた。


「とや〜」


 たぽんと小さな音をたて、小石は小川のせせらぎにわずかな波紋を刻んで沈んでいく。

 それがなぜだか彼女はお気に召さないらしいく、小石を投じてはしきりに首を傾げている。


「おっかしいな〜、舐めプか〜? この石ころども〜」

「ね、オスカー。リズちゃんのあれは何をやってるの?」

「僕に聞かれてもな。川を埋め立てたいんじゃない?」

「それはちょっと困るねぇ」


 適当な答えを返した僕を、ジェシカはぜんぜん困っていなさそうにからからと笑った。

 たぽん。またひとつ、小石がさざなみを生み出して消えていった。


「ん〜? 水切りっていう遊びだよ〜。石が水の上をぴょんぴょん跳ねるんだって〜」

「下手くそすぎるだろ……」

「む〜。なんだいなんだい、そういうオスカーくんはできるのかな〜? もしうまくできたら『水切りぴょんぴょん将軍』の称号をあげようじゃないか〜」

「率直にいらないな」


 フリージアは「お手並み拝見」とでも言いたげな謎の得意顔だ。

 僕はそれを意に介さず、河原から手頃な石を吟味(ぎんみ)する。フリージアはそこいらの石を適当に放っていたようだけれど、そこからしてまず間違っている。

 準備段階から戦いはすでに始まっているのだ。なんなら行く末はすべて準備で決まると言ってもいい。


 まず探すのは、手で握りやすいくらいにある程度大きくて平べったい石だ。出っ張っていたり、歪みがなく、欠けてないものがいい。軽すぎると安定しないし、重すぎるとうまく力が伝えられずに沈んでしまう。できるだけ滑らかで、水の抵抗を受けにくいものが水面を〝滑る〟。


「よし、これにしよう」

「随分悩んでいたようだけれど、そんなに違いがあるのかい〜?」

「まあ見てな」


 理想的な石よりわずかに軽いが、まあ及第点だろう。

 ”剥離”魔術で余計な凹凸(おうとつ)を取り除いて――


「……? あれ?」

「どうしたんだい、ハトが88mm高射砲(アハト・アハト)を喰らったような顔をしてさ〜」

「いや、うーん? 魔術が発動しなくて……まあいいか」

「たしかに戯言だけれど、完全にスルーされるとそれはそれで寂しいものだよ〜? ハトとアハトが掛かっているんだよ〜?」


 渾身のネタをスルーされたフリージアがぶーたれる中、僕は手元でなんの変化もみせなかった小石から視線を切り上げた。

 ただの水切りに、そこまで本気になるものでもない。

 あまり気合を入れすぎて、フリージアから変な称号を欲しがっていると勘ぐられるのも面倒だ。そう思い直し、僕は腕を思いっきり後ろに引き、大きく振り子のようにしならせる。


 大事なのは回転だ。回転を加えることで、石の軌道と姿勢が安定し、水の上を滑るようにして跳ねる。()()()を描く紫の渦のイメージが脳裏にチラついて、瞬きしたら消え失せた。

 指先だけで回転をかけようと思っても、これがなかなかうまくいかない。腕と腰の全体を使い、下投げに近い横投げで、水面すれすれを狙って指を離す。


「わっ!?」

「おぉ〜〜」


 ジェシカとフリージアから歓声が上がる。

 僕の手を離れた小石は、ぴぴぴぴぴっと水面を踊るように撫でていき、いくつもの波紋を刻んでその姿を消した。思った以上にたくさん跳ねた。たぶん、僕にとっても新記録だ。


「今の見てた!? シャロ――――」


 ばっと後ろを振り向くと、きょとん、とした(はしばみ)と紅の瞳が僕を見返していた。


 今、僕は。一体誰に。


 僕は無意識に片手を動かしていた。鼻の頭に乗ったなにかを押し上げようとして、しかしそこにあるはずのなにかは存在せず、中指は空を切る。


 膨れ上がる違和感に顔を(しか)め、がしがしと頭を掻く僕を、ジェシカがどこか心配そうに見つめていた。


「ここはしあわせな理想郷。怯えることはないんだよ〜。こわいものなんてなにもない。だからずっと遊ぼうよ、ずっと、ずぅ〜っと」


 フリージアの零したぽつりとした呟きが、僕の胸中をより一層ざわつかせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 投稿お疲れ様です。 な、なんて幸せな世界なんだ! これはまさしくほのぼの回! というのは建前で……。 今回のお話はオスシャロをここまで読んできた方ならだれもが読んでいてつらいと思うお話なん…
[一言] これは……! こんなところに……フリージアさんが…… オスカーさんの手のひらからこぼれた願いが…… 言葉にならないのです。泣けてきます……! むむむ……!次回が気になりますぅ~!! 次回も…
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