誕生日のはなし - 末の妹
2020年度の10/31、シャロン誕生日短編。
”災厄”との最終決戦前、シャロンちゃん大復活! の直後の、ほんのひとときのお話です。
またたく星辰のごとき幻想的な光景も消え去って、大魔術結界”六層式神成陣”内部は再び薄暗闇が繁茂する。その静寂の中で。
ついに取り戻した最愛と抱擁を交わし、縋り付くように嗚咽を漏らしていた少年、オスカー = ハウレル。彼の四肢から突如力が失われ、首もがくりと折れ曲がったではないか。
少年と末妹との感動の瞬間を、やいのやいのと言いながらも見守っていたリリィ、カトレアの両魔導機兵は、蒼い瞳をいっぱいに見開いた。訪れた急展開にお互いのてのひらを握りあい、現場から揃って一歩後ずさる。
「実録。魔導機兵は見た」
「なるほど、これはいわゆる下剋上というやつでしょう。生で見ると実に迫力があります」
「ちょっと、魔導機兵聞きの悪いことを言わないでください!」
手を取り合って微妙な距離を保っている姉たちを、ぐったりとしたオスカーを抱きかかえたままシャロンは同じ蒼できろりと睨む。
「気を失ったようです。きっとまた、たくさん無茶をなさったのでしょうね――」
無論、シャロン同様にリリィとカトレアの生体センサーでも少年の生存と意識レベル低下はばっちり感知されている。
彼女らがおふざけで言っているのをシャロンもわかっている。ちょっと見ない間に随分と変な言動をするようになりましたね、なんて自分を棚に上げまくった思考をする傍らで、壊れものを扱うようにそっと少年の体を横たえる。すかさず自分の膝を地面とオスカーの頭との間に挟み込み、膝枕の完成だ。
固く冷たい地面の感覚と生命の温かさ。白く細い腿にかかる重みにシャロンは表情を和らげた。
カイラム帝国幹部やリリィ、カトレアとの激闘、”災厄”の復活。そのまま間をおかず、最愛を取り戻すために魔導機兵さえドン引きする『魔力による全記憶情報の再現』という離れ業――というか狂気の沙汰の神業さえ、オスカーは完遂してのけたのだ。
いかに大魔術結界が魔力と体力を回復させ続ける強力無比な効果を持っていようとも、心への負担が軽くならないのはフリージアが体現済みだ。
生存に必要な栄養を血管に直接ぶち込むだけでは『おいしいものを食べたい』と願う人の欲求は満たされないように、いかに体力を回復させようとも蓄積され続けた精神疲労が消え去るわけではない。
限界まで張り詰め、張り詰めきって引き千切れる寸前だった緊張の糸が、シャロンとの再会による安堵でついにプツンと途切れたとしても、なんの不思議があるだろう。
「ふふ、オスカーさん――私の、旦那さま」
わずかに身じろぎした頬をそっと指でなぞると、安心したようにオスカーの口もとが柔らかにふにゃりと歪む。それだけでたまらなく込み上げてくる感情を愛おしさと呼ぶことに、議論の余地は塵一つ分も存在しない。
今のシャロンは彼専用の最上級枕だ。困難な道行きのなかのたった一瞬の休息だとしても。幸福の欠片を落っことしてしまわないように。シャロンは狂おしいほどの愛おしさによって身悶えを命じそうになる演算回路をどうにか押し留める。
彼はどんなにつらくたって立ち上がってみせる。諦めない強さを持っている。『誰か』のために頑張れる、優しくて強いひと。
どんなに強大な相手だろうと、オスカーはなんだかんだ言って投げ出したりしない。
だからせめて今だけは、安らかな眠りの中にいさせてあげたい。
もういっそ時間が止まってしまえばいい。そうすれば。この寝顔をずっと眺めていられるのに。
「提案。ローテーションを採用して負担の分散を行うべき」
「一理あると言わざるを得ません。加えて128号は稼働精査を綿密に実施せねば」
「却下です却下! オスカーさんは私の膝枕がお好きですから。私の!」
あまりに幸せオーラ全開だったためだろうか。再び茶々を入れてきた姉たちにシャロンは得意げに言い返す。澄み渡る蒼穹の瞳。
同じ色をした目を伏せてカトレアは、むぅ、と口を尖らせる。
「不可解。膝枕というわりに枕にしているのはどうみても腿」
「そこはべつにどうでもいい部分ですよ?」
「なるほど、いわゆる産地偽装というやつでしょう。生で見ると微妙に迫力があります」
「それももういいですよ!」
迫力なんてどこにもないし。
「だいたい、」とシャロンは呆れ半分、困惑半分で眉を下げる。
「なぜそんなに絡むんです? 暇ならあっちでキャッチボールでもしてたらいいんじゃないですか、余ってる石あげますから」
「不満。扱いが雑」
ぶーぶーとぶすくれるカトレアの隣。リリィも少し困ったような表情で、シャロンと、眠りこけるオスカーを見下ろしてくる。
まるで、どうしてちょっかいを掛けているのか自分たちでも測りかねている。そんな様子だった。
湧き上がってくる、彼を『知りたい』という欲求。今のところ軽微なエラーとして処理できる程度のそれを、演算の揺らぎ――萌芽したばかりの感情に、まだ慣れていないリリィは持て余していた。
理屈に合わぬ。道理に合わぬ。なのに無茶を押し通し、不敵に笑ってみせる少年の。いまはただ穏やかな寝顔から、なぜだか目が離せない。
「ようやくオスカーさんの魅力に気がつきましたか。私はひと目見たときからわかっていましたけどねっ。――って何やってるんです?」
ふふーん、と胸を張るシャロンに言い返そうにも、うまい理由をひねり出せなかったリリィは、ついに実力行使に打って出た。
シャロンの真横に座り込み、彼女に倣って少年と地面との間に膝を割り込ませるという形で。
「成程」
「なるほど、じゃないですよ!?」
リリィの奇行にすかさずカトレアまでもが追随し、あれよあれよという間に同じ顔がみっつ横並びしての三連膝枕が爆誕。
目を眇めたシャロンの抗議を、リリィは目を伏せ、カトレアはそっぽを向いて受け流す。
頭、背中、腰を支えられたオスカーは小さく呻き、やや寝苦しそうに身じろぎした。眉間には若干皺が刻まれている。
魔導機兵3機掛かりの即席寝台は、彼女らに費やされた驚異的な製作開発費用に反して寝心地はどうもいまひとつらしい。なんとか予算をやりくりして魔導機兵プロジェクトを完遂した開発者たちが知れば、草葉の陰でそっと涙することだろう。
そのままいくらジト目を注いだところで退散しない姉たちに根負けし、シャロンは深く嘆息した。あまり騒ぎ立てるとオスカーの目を覚ましてしまう。一度目覚めれば、休むように言ったところできっと彼は聞き流してしまうから。気合と根性でなんとかしてしまうその悪癖を、シャロンは誰よりも知悉している。
きっと次が最大最後の戦いになる。終わりの時が近い。その予感があった。
「勝算はあるのですか」
「――」
何の、とは聞かなかった。
『敵』の全容は推し量れない。何千年も封印されていた相手なのだから、案外弱体化しているかもしれない。けれどそんな希望的観測ができるような手合いでないことは、当時の『記録』が物語っている。
科学の発展が現在の比ではない文明が、世界規模で戦ってようやく引き分けた。それが”世界の災厄”であり、これからぶつかる敵だ。
「提案。逃避を推奨。逃げることは敗北に非ず」
うつむきがちに忠告するカトレアの言葉は、正しい。
”災厄”を相手に、はたして逃げる場所があるのかという問題はあれど、愚直に立ち向かうよりは長生きできるに違いない。
勇気と蛮勇は似て非なるものだ。魔導機兵たちは、皆それぞれに少年のことを心配していた。
人間は、脆い。
死んでしまえばそれまでなのに、得てして簡単に命を落とす。それなのにその時が訪れる寸前まで、心のどこかで思っているのだ。『自分はそう簡単に死なない』と。
それは思い込みであり、思い上がりであり、大いなる勘違いだ。現実というやつは英雄譚のようにはいかない。けれど。彼はきっと。
「オスカーさんは――いえ、わたしたちは諦めません」
だって、わたしたちは『ふたりで最強』なのだから。
その答えが最初からわかっていたかのようにリリィは肩をすくめ、カトレアはやれやれとばかりに首を振った。まったく。手のかかる末妹だ。
「それに、この短時間でオスカーさんを知った気になるのはいかがなものかと言わざるを得ません。私が厳選に厳選を重ねた記録映像『このオスカーさんがすごい! TOP200』を共有しますから勉強してください。あ、それと交換で私の機能停止中の記録映像の共有を求めます。これぞwin-winですね」
とても楽しそうに――実際、楽しいのだろう。シャロンの矢継ぎ早な要求を受け、リリィとカトレアは顔を見合わせ、どちらともなく微笑みを浮かべた。
『冷徹な戦闘機械』らしくはないが、『仲の良い姉妹』らしくはある表情で。まったく、手のかかる末妹だ、と。
ほどなくして目を覚ましたオスカーが、自分の恥ずかしい失敗からプロポーズのセリフに至るまで、一言一句を知られているという事実に気付いて身悶えしたのは、少しだけ後の話である。