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全てのヒトのガムレルの戦い そのご

 最後の『異変』が起こる、わずかに前。

 カイマンが守りを剥ぎ取り、アーニャが核を討ち果たしたことで、泥の巨人は完全に活動を停止し、その巨躯を崩壊させていた。


 (くずお)れて形をなくしていく泥の残骸には目もくれずに、アーニャは落下するカイマンを三度(みたび)抱えあげ、戦場を駆け抜ける。

 そのまま魔物の密集地に降り立ったかと思うと、ナイフを一閃。魔物の軍勢の中に隠れていたローブ男は驚愕の表情を貼り付けたまま即座に絶命する。アーニャの言うところの、()()()()()()魔物たちの指揮官である。

 指揮する人間が瞬きする間もなく屠られ、激昂した魔物が武器を振り上げたときにはもう、アーニャの姿はそこにはない。地を蹴り、空を駆け抜け、次なる標的目掛けて刃を振り抜き、鮮血にしてはやけにどす黒い泥のような血が舞った。


 カイマンの出る幕はまるでない。

 黒剣を落とさないよう背負い直したあとは、ただアーニャの肩に担がれて、なすがままに運搬されている。

 彼女の邪魔にならないように文字通り荷物に徹しているのだが、運ばれるのも三度目とあって、だんだん運搬され慣れてきたように思う。ただ運ばれているだけとはいえど、何も考えずに脱力していればいいというわけでもない。


 アーニャの機動は凄まじい速度であり、極限まで引き絞って放たれた矢よりもよほど速いだろう。脱力していては、投げ出された手足が体にぶつかったり風を受けたりしてしまい、怪我をしたり、速度を殺してしまう。

 かといってぎゅっとしがみつくわけにもいかない。とくにカイマンの文字通り目と鼻の先で、アーニャが動くたびにばいんばいんと悩ましげに泰山鳴動する名峰には触れてしまうことがないように、細心の注意を払っているのだ。

 この非常時に少々当たってしまったくらいでとやかく言われることもないだろうが、急場を凌いだあとになって余所余所(よそよそ)しい態度で接されたりした日には、カイマンは自分の部屋に帰ってからちょっと泣いてしまうかもしれない。

 そんなわけで、運ばれるには運ばれるなりに気苦労や工夫が必要なのだ。なんとも今後への使い道のなさそうな経験値である。


 荷物力を高めているカイマンが黙っていたからだろう。指揮官と思しき最後のひとりを薙ぎ払ったところで、アーニャはおもむろに口を開いた。


「あいつらは『まだ』人間やったよ」

「うん?」


 貴族の(せがれ)であり冒険者、魔剣『黒剣』の担い手、そして今は忠実な荷物でもあるカイマンは、アーニャが何を言い出したのか咄嗟に判断できず首をかしげる。

 魔物を指揮していた人間を排除すれば、軍勢は統制を失う。さらにはあの(おぞ)ましき泥の誕生も阻止できるはずだ。まさかこの戦場に、無関係な人間が無事でいるはずもあるまいし、と。


 少し目を細めたアーニャの横顔。少し遅れて、気づく。

 人間が獣人を害しても、多くの場合は罪に問われない。獣人の『持ち主』がいた場合には揉め事に発展することもあるだろうが、それは他人のものに手を出したからというだけのことだ。

 しかし獣人が人間を害する場合、それは重罪となる。処刑を免れ得ないほどに。


 もちろんそれは平時の話だ。しかし、アーニャはもともとあまり人間を信用しておらず、つい先程もリーズナル邸の地下壕で人間の悪意を浴びたばかりである。

 アーニャが『重罪』をしでかしたとわかれば、ことはアーニャだけの問題ではおさまらず、屋敷に残してきたアーシャや、オスカーたちを巻き込んだ悪評となることだって、大いに考えられるのだ。


 カイマンが黙りこくっているのを『獣人』が『人間』を害したからでは、と心配になったのだろう。まさか馬鹿正直に『一心不乱に胸を凝視していました』と言うわけにもいかず、カイマンは苦笑いを浮かべた。


「言っただろう、私が守ると。たとえ父上が敵に回ろうとも手出しはさせないさ」


 誰が相手だろうと、魔物の軍勢や泥の巨人に比べたら大分楽だろう。

 とはいえ守られっぱなしのうえに(かつ)がれっぱなしではあるのだが!


 その答えが適切だったのかはわからない。

 けれどアーニャはふっと表情を和らげると足を止め、カイマンを地面に降ろした。

 もちろん、今度は投げ飛ばすのではなくそっとだ。また投げ飛ばされたらどうしようと考えないでもなかったので、内心でそっと息をつく。

 少しぶりに自らの足で踏みしめた大地は、なぜかいつもより少しばかり硬い気がした。ものすごく柔らかそうに弾む山を見ていたせいかもしれない。

 いかんいかん、と頭を振り煩悩を払うカイマンを、アーニャは小首を傾げて「ん?」と不思議そうに見詰めていた。


 ふたりはいつの間にか半壊したガムレル東門のすぐ近くにまで帰ってきていた。

 アーシャの『歌声』での混乱に加え、指揮系統も瓦解したことにより魔物の軍勢も崩壊を始めている。一部では統制を失った魔物が(きびす)を返し、散り散りに逃亡をはかりはじめた。

 暴れる魔物も依然として残っており、まだ全てが終わったわけではない。気は抜けないものの、鯨波(げいは)のごとく押し寄せた軍勢はもはや見る影もなかった。


「ふぅ……」


 カイマンはようやく、深く、深く息をつく。

 乾き、ひりついた喉が痛みを訴えるが、それすらどこか心地良い。

 途端、極限の緊張状態を強いられたために忘れていた疲労がずしりとのしかかってくる。酷使を重ねたうえ、全力で荷物に徹していた全身が、石になってしまったかのように重い。

 気怠さと、優しい『歌声』に包まれて、このまま仰向けに寝転がり、眠ってしまいたい欲求をどうにか跳ね除けて、固い地面の上をよたよたと進んだ。


 足元をうろちょろするネズミを躱して大破した東門をくぐろうとしたところで、カイマンは振り向いた。アーニャが後ろについてきていないことに気付いたのだ。

 はたして、アーニャは少し離れた後方で鬼気迫る形相で遠く東の空を見つめていた。猫耳がぴくんと震える。


 ――どうかしたかい?

 とカイマンは首を傾げかけ。

 その全身を、恐ろしい戦慄が貫いた。


「な、んだ、これ……」


 氷のような冷たい悪寒が駆け抜け、息が詰まる。

 身体が芯から指先まで凍りついたように、急速に冷え切っていく。

 本能的な恐怖の予感に晒されて、ふたりは立ち尽くす。


 やがて。遠い東の空の下、『それ』がゆっくりと形を成していく。


 それは、この世の終焉のように朱く。

 それは、すべての憎悪を掻き集めたかのごとき闇色。

 圧倒的な暴威にして無慈悲な破壊の化身。遠近感を喪失させるほどに巨大な、災厄の名を冠する泥の巨人が再臨する。


「うそ、だろ……?」


 万の魔物がひしめいていた戦場よりさらに遠い、小高い丘の上。屹立する人類の天敵を仰ぎ、カイマンは呆然と呟いた。

 つい先ほどアーニャとカイマンのふたり掛かりで打倒した泥の巨人よりも、ひと回りもふた回りも大きい。ガムレルの全ての建造物よりも――ことによると王都の大鐘楼にすら匹敵する巨躯が、()()()と頭をもたげる。巨人の(かお)があるべき場所には、家をまるごと一呑みにできそうな(うろ)がぽっかりと口を開けていた。

 巨大な(うろ)が、(たわ)み、(すぼ)み、


 ヴィイイ”イ”イ”イ”イ”ィィイイイ”イ”イ”イ”イ”イイイイイイイ”イァアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッッ――――――!!!


 耳を聾する特大の奇声が轟然と大地を揺らす。


「ぐぅ、ぅにゃぁあああああっ……!」


 アーニャは目をきつく閉じ、猫耳を両手で押さえてしゃがみ込んでしまう。町を、戦場を(あまね)く満たしていた『歌』は完全に掻き消される。

 普通の人間であり、並の聴力しか持たないカイマンでさえ仰け反ってしまうほどの雄叫びである。とりわけ鋭敏な聴覚を持つアーニャにとっては、刻苦以外のなにものでもない。


「無理だ。もう、どうしようもない――……」


 短くなった彼女の後ろ髪に、力ないカイマンの声が届けられる。

 心が折れたわけでも、諦めてしまったわけでもない。しかし、それが純然たる事実だった。


 魔石は先ほどの泥の巨人との戦いで最後のひとつが砕け散った。もう打つ手が何も残っていないのだ。

 アーニャの持つナイフもアーシャから借りてきた最後の一本で、それだけでは泥の守りを到底突破できるものではない。

 だからもう、どう足掻いたところで、カイマンとアーニャの手札では、あの暴威を止めるすべは存在しない。もはや努力や根性で覆せる領域ではないのだ。


「それでも……行かへんと」


 頭が割れんばかりに顔を(しか)め、苦しそうな喘鳴(ぜんめい)を挟みながらも、アーニャは音の()()()へ向けて踏み出そうとする。


「せめて……さっきのヤツみたいに、ウチが……狙いを引きつける、から」


 だから、その隙に逃げろ、と。

 歯を食いしばり、それでも行こうとするアーニャに、カイマンは掛ける言葉を見つけられない。

 立ち尽くすカイマンに、アーニャは震える手で何かを差し出した。慌てて受け取ると、それは宝石のように透き通った、真紫の花だった。


「これ、は」

「硬くなる魔術の……その剣で使えるやろたぶん。魔石やし」

「しかし、これは――!」


 カイマンは知っている。

 他ならぬアーニャから、酒を飲むたび何度も何度も聞かされたから、よく知っている。彼女が、オスカーから贈られたこの花をどれほど大切にしているかということを。


「大事なモンやから、あとで……絶対に返してな」


 最後に一度振り返り、青ざめた顔にニカッと歯を見せて無理やり笑顔を浮かべると、アーニャは戦場に向き直る。

 泥の巨人が発した叫喚(きょうかん)残滓(ざんし)が戦場に木霊するなか、これ以上問答をする気はない、と背を向けた。


「アーちゃんを、頼んだ」


 ポツリ、と。

 背中越しにひとことだけを言うが早いか、アーニャは風よりはやく駆け出していく。赤い髪を風になびかせ、彼女の背中はぐんぐんと小さくなる。

 取り残されたカイマンの掌には、押し付けられるようにして遺された魔石の花が、寂しい輝きを放つのみ。


「――くそっ……!」


 まただ。また、守れないのか。

 守ると言ったのに。また失うのか。何もかも。


 遠く(そび)える泥の巨人の魔術詠唱は、さすがにこの距離では聞こえない。が、紅蓮の輝きを放つ、いっそ荘厳なまでの特大魔法陣が着々と虚空に構築されていくのは見て取れる。術式に充填される魔力が途方もない規模になろうことは、遠目にもはっきりと感じられた。ただの一発でカイマンもろとも東門周辺を瓦礫に変えたあの砲撃が、まだしも可愛いらしいものだと思えてしまうほどに。


 ふと、カイマンは気付く。術式の照準が、決死の覚悟で飛び出したアーニャを完全に無視した方向に向けられていることに。魔法陣の向き先は、戦場を越え、市壁を(また)ぎ、ぴたりとリーズナルの屋敷を捉えているのだ。


(拡声魔道具を――アーシャちゃんを直接狙うつもりか!)


 状況は、カイマンが無力感に打ちひしがれる時間すら斟酌(しんしゃく)してくれない。

 仮に体力が万全だったとしても、今から屋敷に向かっては間に合わない。絶対に。


 アーシャだけではない。あの場所には、避難してきた町民や、父も、フランキスたちもいる。カイマンの帰りを待ってくれている人たちが、いる。

 彼女らが超高温の烈火に呑まれ、灰すら遺さず消し飛ぶさまが脳裏に()ぎる。このままでは、それが現実の光景になるまで、もうわずかの猶予もない。


 カイマンの感じた悪寒と叫喚(きょうかん)は、きっと屋敷にも届いている。ガムレルの全ての民が、滅びの時を感じているだろう。それでも。


『”希望は消えない いつだって 前を向けば ほら 明日が見えるから”』


 拡声魔道具から溢れ出す歌声は、それでも途絶えはしなかった。

 心に灯をともす声は、事ここに至ってもなお気高く、優しく、よりいっそう力強く。

 最後の最後、その一瞬まで歌い続けるという意志が、カイマンの唇を震わせる。


 そうだ。アーニャとカイマンだけではない。アーシャも戦っている。いや。


「みんな、戦っているんだ」


 アーニャとカイマンの手札ではもうあの泥の巨人を止められない。それは確かで、覆しようがない事実だ。

 けれど戦っているのはふたりだけではなかった。だからきっと。希望はまだ消えていない。明日に繋がる道がどこかにある。


『”孤独(ひとり)では途方に暮れる今日だって”』


 極大魔術式を完成させんとする絶望の光景から視線を引き剥がし、周囲を見渡してみれば、当然のように新しい光景がカイマンの目に飛び込んできた。


 大破した東門の内側で、よろける体に鞭打って、擱座(かくざ)した投射魔道具に突貫調整を行う魔道具技師たち。ちょこまかと動き回る憲兵見習いのティーエと、その指示のもと砕けた魔道具の部品(パーツ)を集め、瓦礫を取り除く、()()()()()たち。


 それはきっと、希望と呼ぶにこれ以上なく相応(ふさわ)しい光景で。


『“手を繋げば とべるよ!”』


 歌声に突き動かされるように歩を進めたカイマンに、気付いたティーエが表情をぱぁっと輝かせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 投稿お疲れ様です。 すっかり抱えられる系男性と化したカイマンさん。もはや荷物みたいになってますが、今まで充分に頑張ったわけですからちょっとぐらい誘惑に負けても良いのでは? ……よくないか。 …
[一言] ああ…がんばってカイマンさん…! お姉ちゃんはこんなときでも、本当に強い…! もう何て言うか、困難につぐ困難につぐ困難…! なんていうか…ジレおじ相手に心臓吐きそうになってたあの頃が平和だっ…
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