僕と彼女と新天地へ そのに
まだ本筋には入りませんでした。おかしいな。
招待状を受け取り、カイマンやエリナ嬢と別れた僕がシャロンにぐいぐいと引っ張って連れて来られたのは、ヒンメル氏の商店だ。
店先で、ヒンメル夫人が出迎えてくれている。
「もしかして、もうできたんですか?」
シャロンがはやくはやくと急かす様子から、きっとそういうことだろうとは思っていた。
にこりと頷くヒンメル夫人の様子からも、それは確からしい。
それにしても、早いな。
「ふたりが村のために頑張ってくれてるから、おばさんも頑張っちゃった」
てへ、と笑うヒンメル夫人。
隈こそできていないものの、疲れ気味なのが滲み出ているし、その目は少し眠そうだ。
ありがたいと同時に、すこし申し訳ない。
「いいの、いいの。
このあとぐっすり寝るからね。それじゃ、ちょっとシャロンちゃん借りていくよ」
「少しお待ちくださいね、オスカーさん。すぐ戻って来ます。
ーーちゃんと待っててくださいね、変なものに気を取られても触っちゃだめですよ!」
シャロンは研究所でのフリージアの結界のことを言っているのだろう。前科持ちのつらいところだ。
僕にしっかりと言い含めると、彼女はヒンメル夫人と共に2階へあがっていった。
手持ち無沙汰ではあるが、商店に並ぶ品を眺めて時間をつぶすこと数分。
「もういいですよー、オスカーさん!
あがってきてください」
シャロンに呼ばれ、2階に上がるとそこには新しい装いに身を包むシャロンがいた。
先ほどまで着ていた、簡素で一般的な村人の服然とした麻の服ではない。
それは、シャロンの天使のような、妖精のような可憐さと気品を遺憾なく引き出すような装いだった。
白の絹を基調としたワンピース型の出で立ちであり、裾や袖口、また大きく開いた胸元から肩にかけての縁には、シャロンの髪と同じ色の金糸で品のある刺繍が施されている。それは金色だが決して目立ちすぎるということはなく、彼女の白い肌をくっきりと際立たせていた。
絹のほうは天顧蛾という、めったに人前に姿をあらわさない珍しい虫の蛹からごく少量ずつ取れる糸で編まれたものである。肌触りが良すぎるため、着ている方はまるで何も身につけていないかのような質感が特徴だという。上位の貴族や王族がその品位を示すために纏うような超高級品である。
薄く滑らかな肌触りであるのに、実際には寒暖の変化や汚れにも強く、水しぶきも弾く。これは天顧蛾が無防備な蛹となる間に環境変化から身を守るため、固有の魔力が込められているためだという。"全知"によってどういった仕組みによる守りなのかは看破できたが、魔力の性質が違いすぎて、僕では再現することは難しいだろう。
また、金糸のほうはアリアドネという、1mを超える蜘蛛のような魔物の糸だ。その中でもこの金に染まった状態の糸は、アリアドネが卵を産み付けるときのみ張るという、こちらも超一級品ものだ。
魔力伝導に優れ、悪意のある術式でも軽いものなら簡単に弾く。本来であれば少量を魔術師の杖の芯に使うような貴重な素材なのだ。
これらの高級素材たちは、ヒンメル氏の商品の中の、最上級の一品らしい。
なんでもその昔、とある貴族に納品する際に料金を渋られ、そのまま売らずに持ち帰った品とのこと。
貴族のほうも、自分たちが買わなければそうそう売れるような金額のものではないために、足元を見て買い叩こうとしたのだろう。
しかしそこはヒンメル氏、力のない市民からはお人好しの体現者のように呼ばれる彼は、お金や力を持つ者を相手には一歩も引かないことでも有名らしい。
ほんと、なんでこんな辺鄙な村で商人をやっているんだ、あの人は。
まあヒンメル氏のことは、いいや。
シャロンの新しい服は、ふんわり滑らかなワンピースだけではない。
細くくびれたシャロンのお腹周りは皮作りのコルセットで締められ、小ぶりなポーチが備えられている。きゅっと締められたくびれが、彼女の完璧な造形は顔だけにとどまらないことを存分に示している。
また、見たことのない材質ーー《爆裂綿製のマント "妖精の加護"》の、春の訪れを感じさせるような柔らかな緑色をしたマントを羽織っている。え、ちょっと待って"全知"、なんだ爆裂綿って。
そして長めの黒靴下で脚の肌の白さとのコントラストを強調し、服の裾から見え隠れする柔なそうな太ももーー事実、柔らかかったがーーがその存在を主張している。
「どうですか? どうですかオスカーさん!」
新しい一張羅に身を包み、僕の前でくるくる回ってビシィッと(変な)ポーズをとるシャロンに、正直なところ、僕はコメントも忘れて見惚れてしまっていた。
なので、突然当のシャロンから水を向けられた僕はするっと本音が漏れてしまった。つい、ぽろっと。
「可愛い。すっごく、可愛い」
言ってからしばらく、まだシャロンをじっと眺めつつ爆裂綿ってなんだろう、とか考えていた僕だが、急にもじもじしだしたシャロンの態度にはてな、となる。
そうして、直前に自分が無意識に口走った本音を思い出し、僕まで真っ赤になった。なんだろう、こう、首の後ろあたりが熱い。
「あらあらー、うふふ」
そんな僕らのやりとりを見守っていたヒンメル夫人も頬に手を当て、どこか満足そうな笑みを浮かべていた。
うわぁ恥ずかしい、恥ずかしい。
「あ、あのですねっ、オスカーさん!?」
「お、おう。なにかな?」
ぱたぱたと手を振り回しながら話しかけてくる、いまだ平常ではなさそうなシャロン。
僕も何か言葉遣いが変になってしまっている気がする。
「ここ、ここみてください! 私の名前の刺繍なんです!」
見ろと言われたので、平常心を心がけながらそちらを見やると、スカートをぺろんと捲って中を見せようとするので急いで回れ右。
もはや爆笑して膝を折っているヒンメル夫人の様子が目に入った。
僕らのやりとりははたから見るとわりと滑稽かもしれないが、本人は必死だ。必死なのだ。
「落ち着いて、シャロン。落ち着いて。嬉しいのはわかった、わかったから」
「いいえ! オスカーさんにわかるものですか!
この、貴重なオスカーさんのデレを! その嬉しさをわかるなどとお思いですか!!」
えええ、そっちなの?
新しい自分用の服を手に入れた喜びじゃなかったのか。
そしてなんで僕は若干罵られているのか。
「そ、それにほらここもみてください! 服の上側がこう、がぱっと開いてるんです。
こう、後ろからぎゅっとしてもらえれば、自然に胸元に手を入れてですね、」
「シャロン、やめよう。人前でそういうのはやめよう。
ちょっと! ヒンメルさんも何か言ってやってくださいよ」
ひーひーと笑いの渦に飲まれ、崩折れてしまっているヒンメル夫人に話を振ると、
「あらあら、お邪魔かしら」
息も絶え絶えに返された。
ーー
一息ついて。
僕にも用意されていた新しい服に袖を通し、おずおずとシャロンの前に姿をみせる。どこか変じゃないだろうか。
あまりに可愛いらしいシャロンと並んで歩いても遜色ない、というのは難しいまでも、ある程度変ではない程度に見えれば良いのだが。
彼女はその表情をパァッと輝かせると、僕の隣にやってきて並んだ。その表情はにっこにこしており、わかりやすく満面の笑顔だ。
そうして、僕の手をとり腕をからめてくる。
「どうですか?
お似合いですかっ?」
「ふふ。とっても」
優しく返してくれるヒンメル夫人の反応に、シャロンも嬉しそうだ。
僕だって照れ臭さはあるが、ぶっちゃけめちゃくちゃ嬉しい。変な服装や先端が紫になってしまった髪の影響などで、残念美青年に不審者がられたことも記憶に新しい。実はわりとダメージを受けている僕である。
いまの僕の装いは、身なりのこざっぱりした冒険者風のそれである。
シャロンの服のような、やたらめったらに豪華な仕様ではない。
しかし、機能性を重視した作りになっているズボンにはたくさんのポケットがついており、いろんな部品を入れても大丈夫なようにポケットの内側にまでスォークの革張りとなっている。
"全知"情報によると、スォークは水辺に棲む気性の荒い大型の魔物らしい。その革は水を弾き、耐摩耗性に優れ、引っかき傷などもほとんどつかない。
切断が難しいため、加工がしにくい。それだけではなくそもそも狩猟が大変らしい。その皮膚は矢どころか剣すら弾き返すためだ。
火には弱いらしいが、革が硬質化してしまい使い物にならなくなってしまうために、できる限り素材を得るためには頭を潰すなどの立ち回りが求められるとのこと。かといって、その頭も噛みつきは薄い鉄板ならやすやすと噛み砕くほどの威力だという。
つくづく冒険者泣かせな魔物だな、そいつ。
服のほうも、落ち着いたデザインのなかに機能美が内包されている。実に僕好みだった。
こちらは羊の毛をラムチャカの実で作った糊で固めた生地を使っているらしい。
ふかふかで、暖かい。さらに濡れてしまってもすぐに乾く代物とのこと。あとで水路で試してみようかな。
それと、履くときに気づいたのだが僕のズボンにも、内側に刺繍がちまっと刻まれていた。
シャロンの服に使われているアリアドネの金糸による刺繍である。
そこにはちいさく、本当に小さく『オスカーさん らぶ』と金の刺繍の文字が踊っていた。
おそらく、ヒンメル夫人に刺繍を習ったシャロンがちくちくと頑張ったのだろう。
彼女の服に整然と並んだ刺繍と違い、どこか不揃いなそれを撫でながら、つい口元が緩んでしまうのは止められなかった。
着替えている間は一人だったため、誰にも見咎められてはいないだろう。
僕のマントはシャロンのものより少しばかり濃い色の、普通のーーとはいえ十分に上質なーーものだった。
シャロンは僕とマントの感じがお揃いなのが特に嬉しいらしい。
「ヒンメルさん。
素敵な服をありがとうございます」
「ありがとうございます」
僕がぺこりと頭を下げると、腕を掴んだままのシャロンも一緒になって頭を下げる。
そんな様子も可愛らしい。
「いえいえー。
気に入ってもらえたようで、なによりね。
主人の、上等なのに全然売れない布をいっぱい使ってやったわ、楽しかったー」
すっきり晴れ晴れとした感じのヒンメル夫人。疲れのなかに、満足感も見て取れた。
金額の上限などは僕とヒンメル氏で取り決めていたので、その点についてはいいや。
正直な話、驚くほどの金額が動いた。
そのうえ、金貨にして22枚を追加で貰っており、村長から感謝の印にともらったお金と合わせると、しばらく働かなくても良いほどの蓄えができていた。
シャロンにも自由に使えるよう金貨2枚を渡してあるし、僕も2枚を持ち歩いている。そして残りは"倉庫"に放り込んであった。
「それで、ちょっと気になったんですけど。
この、シャロンのほうのマント。これ、一体何ですか?
"妖精の加護"っていうのが掛かっているみたいなんですが」
シャロンの羽織っている、柔らかな緑色のマントは、近くで見ると不思議な光沢を持っているのがわかる。
《"妖精の加護": 不運耐性 呪い耐性 病魔耐性 魔力吸収(森または花)》
な、何かすごい効果をもった代物のようだけれど。
見たところ、マントに模様が刻んであったりする形跡はないが、確かに能力が付与されているらしい。こういった手法もあるのか、と勉強になる。
「"妖精の加護"?
それに関しては、わからないけれど。そっか、妖精さんが助けてくれていたのね。
そのマントは、わたしからのお礼。何度もわたしたち夫婦を助けてくれた、思い出の品なの」
夫婦の思い出の品と聞いて、シャロンは何か思うところがあるようだ。
「そんな、大事なものをもらってしまっていいんですか?」
「ええ。あなたたちは、主人の命の恩人ですもの。
それだけじゃない。村が助かったのだって、あなたたちのおかげだもの」
そう言って、ヒンメル夫人はにこりと微笑み、シャロンの手をきゅっと握った。
「そのマントは、わたしと主人を引き合わせてくれた、なんというかその。幸運みたいなものがあるの。
ただの思い込みかとも思っていたのだけど、魔術師のオスカーくんが言うなら本当にそういうもののようね。
だからシャロンちゃん。それは、あなたの大事なオスカーくんとずっと一緒にいるために。私からの感謝の贈り物」
「ありがとう、ございます。ぜったい、大事にします」
「こちらこそ。わたしたちを助けてくれて、どうもありがとう」
そんなふたりのやりとりを前にして、僕は数日前にシャロンの膝の上で、彼女から聞いた言葉を思い出していた。
『誰かを遺して無念の中死んでしまうはずだった人を助けました。
あなたのように、独り遺されてしまうところだった人を助けました』
助けられた人たちには、その人たちの生活があって。
それぞれに、大事な人がいて。
だから、誰かを助けるということはきっと、助けた人だけじゃない。
他の誰かを助けることにも繋がっているんだ。
"妖精のマント"をじっと眺めているシャロンを見やり、思う。
彼女には、こうやってたくさんの人と触れ合い、多くの経験をしてほしい。
それがきっと、シャロンがヒトと暮らすために、ヒトに近づくために、必要なことだと思うから。
ヒトと同じように振る舞い、ヒト以上に可憐な彼女はその実、ヒトらしい価値判断をしていない。
何を言っていても基本的には僕に従うし、僕が強く言えば、きっと大事なものを自らの手で切り捨てることも躊躇わないだろう。
この"妖精のマント"や服だって、嬉しそうに、大事そうに抱きしめてはいるし、実際に愛着を感じているだろう。しかし僕が今すぐ破れと言えばそうするだろうし、この村を滅ぼせと命じればそのようにするだろう。意図を尋ねたりはするだろうが、最終的には従う。シャロンは、魔導機兵は、そういうモノらしかった。
そういう、自らの"マスターに従う魔導機兵としての正しさ"を、シャロンは持ち合わせている。それを僕は"全知"を通して気付いていた。
それは魔導機兵として正しくとも、ヒトとしては危うさでもある。
そのように造られたのだから、シャロンには何の落ち度もあろうはずもない。
しかし願わくは。こうやってヒトと触れ合うなかで、いろいろな価値観、考え方と触れ合うなかで。
一体の魔導機兵としてではなく、ひとりのシャロンとして。
僕のすべてに従うのではなく、間違ったときには正してくれるパートナーとして。
共にありたいと、そう願うのだ。
「オスカーさん」
彼女は、僕の名前を呼ぶ。
透き通った声で、優しく微笑みながら僕を呼ぶ。
「なんだ、シャロン」
彼女だけではない、僕の方も今のままではいけない。
シャロンと共にあるために、僕だって変わっていかねばならない。
この関係にいつまでも甘えていては、いけないのだ。
あまりにあけすけなシャロンの好意に甘えたままでは、いけないのだ。
「これ、いわゆる童貞を殺す服というタイプかもしれません。
コルセットになっている部分が複雑ですので、いまのうちに脱がし方を覚えてください」
「台無しかよ」
「あ、それとも着たままのほうがお好みでしょうか」
「台無しかよ」
膝をくの字に折り曲げて、笑いを堪えるヒンメル夫人を横目に、僕は最近すっかり板についてしまった嘆息をするのだった。
ようやく、1話扉絵の服装を手に入れました。
まだ腕輪は持ってないですが、だいたいこれがオスカー・シャロンの旅の装いです。
シャロンのビシィっとした変なポーズは、皆様どうぞ適宜脳内補完してください。
作者の脳内ではストリウム光線のポーズみたいな感じになっています。




